■朝ドラ「スカーレット」
●第7週 弟子にしてください
●第8週 心ゆれる夏
新しい絵付職人 深野と、弟子の池ノ内、磯貝が来た
何を言っても「ええよ」とすごい軽い返事で
いきなり火鉢の絵付けを描かせてもらう
母はキミコが学校のために貯めていたお金を
借金返済に使ってしまったのが申し訳なくて
瓶に少しずつ貯金しようと決め
それを夫の酒代にされないように大野の妻に持っていてくれと頼む
夫は大野に誰かキミコの婿になってくれる相手を探す手伝いをさせる
絵付けに夢中になり夜になって帰ると
酔っ払った父がキミコがいないことに怒り、とばっちりを受けた直子たち
翌朝
午後4時には家に帰らないといけないので
朝の時間だけ手伝わせてもらいたいと頼むと追い出されてしまうキミコ
弟子によると先生は朝は集中しているため入らないほうがいいと言われる
先生はキミコが遊びに来たと思っていた
本格的にやりたいのなら3年はかかる
1番弟子は1年とちょっとかかった
住み込みで朝から頑張ってみっちり修行させてもらった
2番弟子は陶業をやりながら3年かかったと言う
その間はもちろん無給
自分がとても甘い考えだと分かったキミコ
悩みながら帰宅するとチヤコと再会
チヤコは今では大阪で新聞記者ではなく雑誌記者をやっている
チヤコ:
琵琶湖に大きな橋がかかると聞いて、記事を書かせてくださいと何度も頼んだ
編集長からは「食べる箸のほうにしとけ」と言われたが
「やらせてください!」と何度も頼んだ
急に泣き出すキミコ
キミコ:
うちもやりたいこと見つけてな
新しい仕事、新しい道を見つけたと思った
絵付けをやりたかった!
でも、うちには余裕ないねん 時間もお金もないねん!
翌朝、もう大阪に戻るチヤコ
父はまた酔って、キミコに見合いを強要する
お米屋の三男坊
卒業式が終わったテルコ 4月から京都の短大に行き、女子寮に入る
先生は産みの苦しみで虎のように吠えながら描いている
キミコはそれをそっと見る
母はキミコの夢を知って、大野の妻に頼んで
丸熊以外で絵付けの仕事をやっているところを調べてもらう
大野の妻:
永山陶業は最近代替わりして、息子が社長になってから絵付に力を入れている
電話で聞くと絵付けを教えてくれるという
週1回ぐらいなら交代で、半年ほど通ったら
ちょっとした簡単な作業をやらせてくれる
シンサクが女のコを連れてくる
父は米屋の三男坊 三郎を家に連れてくるが
心に決めた人がいて早く結婚したいから断りに来たと謝って逃げる
母はキミコが絵付をやりたいことを話すと父は激怒
キミコが作ったおはぎをみんなで食べながら決心したことを話す
キミコ:
先生が苦しんで描いているのかと思ったら笑いながら描いていた
先生は昔、日本画を描いていた
若い頃はそれで賞を取ったり、個展を開いたり世の中から認められていた
それが戦争が始まって、従軍画家として大陸に渡った
深野:
戦争画というものを初めて書いた
鉄砲の弾が飛び交い、兵隊さんが鬼気迫る顔で敵に立ち向かって
勇ましく戦う絵
小さい頃から絵を描くのが好きで
貧乏だったから欲しいものを全部絵に描いていた
父も母も「ええよ」と褒めてくれた
戦争画は人間が殺し合い、のたうち回って、、、そんなの絵にできない
戦争が終わっても一生絵は描けないと思っていた
他の仕事を転々として、その時に火鉢に出会った
これが戦争が終わったということだ
火鉢に絵とはなんと贅沢なことだ!
また絵が描けるのがどれほど幸せなことか
絵を描いていると楽しくて嬉しくて笑ってしまう
そもそも君は絵付けをやりたいのか 絵付け師になりたいのか
何かしようと思った時に、お金がないことに負けたらあかん
キミコ:
覚悟があるかどうかや
絵付け師になるなら基本からしっかり叩き込むと言われた
週1回習うのは違うような気がした
うちはふか先生に学びたい
うちはふか先生の弟子になる!
同じ頃、父はふか先生と楽しそうに飲んでいる
大野から丸熊陶業の絵付けの先生だと聞いて急に萎縮する父
ふかは父に「弟子になりたいという女の子が来た」という話をする
ふか:
3年も辛抱できるわけがない
男でも続かないことが、なんで女の子が
絶対弱音吐くで
父:
吐くわけがない
大阪に一人で行って3年も働いて
正月も帰らずにどんだけ一生懸命頑張ったか!
翌朝
父:やるんだったら丸熊陶業じゃなきゃダメだ
キミコ:やってもええの?!
父:すぐやめるわ
キミコ:うちはそんな根性なし違うわ
今度はふか先生に頭を下げる
キミコ:3番弟子にしてください!
3番は3日で辞めた、4番は3ヶ月、5番もやめた
9番目ぐらいだから「キュウちゃん」と呼ばれ、筆と新聞紙を渡される
まっすぐな線を何万本も引く練習
先生の絵を模写する練習も繰り返す
ふか:
キュウちゃんの前には一番弟子、二番弟子もいる
早く追いつきたいと思っても近道はない
なるべく時間をかけて歩くほうが力がつく
■昭和34年 キミコ 21歳
3年が経ち、ふか先生の火鉢は年々右肩上りの売れ行き
キミコは、焼き物の不用品を絵付けの練習のために集め
地道に練習した甲斐あって絵付師として給料をもらうまでになった
新しいデザインを見せてもらう
ふか:
キュウちゃんもやってみるか?
一番、二番に追いついてきたみたいやし
あとはデザインや
ものづくりは一生の修行や
2人のデザインは去年採用されなかった
カヤマ:
弟子のデザインはいらない
深野先生以外のでデザインは採用しない
キミコは県の絵画展で金賞を取った話をすると
一人の弟子は全国芸術絵画展で大臣賞
もう一人は美術学校を首席で卒業と聞く
ふか:
みんなにええなあって言ってもらえるような
いろんな人に目に留めてもらえるような
求められているデザインを考えることだ
(そこが表現者のジレンマだよね
自分がやりたいことと、人が求めているものとは違ったり
自由にやりたいことと、お金を稼ぐことが絡むと違ってくる
キミコは新しいデザインを描いて社長の元に持っていくところにシンサクが来る
信楽町役場商工観光課に勤めている
(そもそも芸術がわからない社長やその部下が
デザインを審査しているのは、それでいいの?
照子の婿 敏春 結婚3ヶ月目
京都の老舗旅館の三男坊大学出
照子は「ゴキブリのほうがマシだ!」と言っていたが、全然態度が違っている
照子:
トシハルさんは信楽だけではなく日本のあちこちの陶芸に詳しい
丸熊陶器業を継いだら日本一を目指しますと言っている
シンスケ:照子の兄も同じことを言っていた
(短大に出したのは、見合いの時に箔がつくためだけなのか?
カヤマにデザインを渡すと、見もせずに机の上に置かれる
キミコ:毎年持ってきてもええですか!?
トシハル:
これでは融資を受けられません
これからは戦略が必要です
深野先生はもう古いんとちゃいますか?
トシハルはキミコの描いたデザインを見る
シンサクの両親が離婚するかもと話をキミコに話していると
大喧嘩をしている大野夫婦
直子は明日ついに東京に行く
父の見つけた仕事はすぐ辞めて
中学の先生に東京の仕事を斡旋してもらった
「初物は東を向いて笑って食べると寿命が延びる」とスイカを食べる家族
父も挨拶周りについていくと言い出す
母は瓶に貯めたお金を使うというと
大野夫婦が毎日喧嘩している理由はそのへそくりの件だった
直子が勤めるのは電化製品を作る会社
キミコ:
うちは一生の仕事を見つけたんや
楽しくない言うてたら見つからへんかもな
うちは大阪行ったら楽しかったで
ほんで大阪行ってたことは今の自分に返ってきてる
翌日直子は父と東京に向かう
照子の母は、トシハルを戦争で亡くした息子のように扱っている
照子の母:社長2人もいらんわな 世代交代や カヤマさんも困るわな
トシハル:結局僕はお兄さんの身代わりだから
人手不足のためその後3人の男性が丸熊にやってくる
人員整理、年寄りの陶工は辞めさせられるのではないかという噂が立つ
藤永一徹:
京都の大学で美術工芸を学び、奈良市内の陶器会社に就職
そこで企画開発を担当していた
津山:大阪の工業大学を出て、建造物の技術開発に携わり、研究員をやっていた
八郎:
大阪出身 京都の美術大学で陶芸の奥深さを知り
働き口を探していたらこちらを紹介された
ハチロウは作業場に来て、ふかを見るとなぜか言葉を失う
トシハル:
3人は商品開発室に入り、新しい自社製品開発をになってもらう
今の主力商品の火鉢とは全く違うものを考えて欲しい
生活用品などもっと発想を広げてくれてもいい
シンサクはキミコには普通に話すが、ハチロウとは緊張して話が止まる
キミコ:
火祭りっていうのは火の神様に感謝する信楽ながらではの夏祭り
焼き物作りに火は欠かせない
火は神様が人間に与えてくれたものだから
心から感謝して松明を担いで山の上の神社に奉納するんです
キミコの描いた新しいデザインが採用され
“信楽初の女性絵付け師”として新聞に載せることになる
家族に話すと母やユリコは喜んでくれるが、父に話すかどうか迷う
以前、丸熊の忘年会に呼ばれた時に「女のくせに そんなとこ行かんでええ!」ととても怒られた
ユリコ:
お父ちゃんには言わんでええ
なお姉ちゃんがいない今、うちがしっかりせんと!
(なぜ色々を決めるのにいちいち父親の許可が必要なんだろうね
取材の日
名前を言うと固すぎると言われる
深野先生がつけてくれたキュウちゃんの話をすると深野を知らない
トシハル:
その話はいらないいらないでしょう
信楽のマスコットガールみたいな感じで
記者:ミッチーブームに乗っかってミッコーはどうです?
絵付けをしてホットケーキを食べるのが夢だったという話になる(全部嘘じゃん
キミコ:そんなんだったらうちやりません!
照子:
うちも少し大人になったし、キミコの気持ち尊重したるわ と言ってから
うちの顔立ててください お願いします!
記者に2時間とってもらい、キミコに写真撮影のために着替えてもらう
近所総出で大慌てで着替えると、母は感激して泣き出す
記事には深野の名前は一文字もなかったが、先生も喜んでくれる
父は東京から戻ってきて、蒲田の話ばかり
ハチロウはシャツのほつれをキミコに直してもらうが無言
ハチロウ:ミッコーって何です?
深野のことを詳しく知っていて、一言も記事に書かれていなかったことに怒っていた
その後、キミコのデザインした火鉢がほしいという注文が続々と来る
ハチロウはふかと話す
ハチロウ:
最初にここにご挨拶に来た時ほんまは言おうと思っていたことがあります
緊張して言えませんでした
実は深野先生がお描きになった日本画が僕の家にずっと飾ってありました
祖父が日本画が好きで、やっと買えたっていう思い出の一枚で
祖父が亡くなった後は形見だと大事にしていました
それを白いご飯に変えました 僕が11の時です
僕が売りました 闇市に行って
白いお米と卵3個に変えて、美味しいなと言ってみんなで食べました
今回こちらに来ることになって、絵付けの先生が深野さんと知って
これは偶然じゃない
お会いしたら頭を下げようと思っていました
すいませんでした
先生の絵のおかげで白いご飯、たまご
ほんまにありがとうございました
ふか:忘れないでいてくれてありがとう
キミコはハチロウが説明した先生の絵を自分なりに描いてみる
●第7週 弟子にしてください
●第8週 心ゆれる夏
新しい絵付職人 深野と、弟子の池ノ内、磯貝が来た
何を言っても「ええよ」とすごい軽い返事で
いきなり火鉢の絵付けを描かせてもらう
母はキミコが学校のために貯めていたお金を
借金返済に使ってしまったのが申し訳なくて
瓶に少しずつ貯金しようと決め
それを夫の酒代にされないように大野の妻に持っていてくれと頼む
夫は大野に誰かキミコの婿になってくれる相手を探す手伝いをさせる
絵付けに夢中になり夜になって帰ると
酔っ払った父がキミコがいないことに怒り、とばっちりを受けた直子たち
翌朝
午後4時には家に帰らないといけないので
朝の時間だけ手伝わせてもらいたいと頼むと追い出されてしまうキミコ
弟子によると先生は朝は集中しているため入らないほうがいいと言われる
先生はキミコが遊びに来たと思っていた
本格的にやりたいのなら3年はかかる
1番弟子は1年とちょっとかかった
住み込みで朝から頑張ってみっちり修行させてもらった
2番弟子は陶業をやりながら3年かかったと言う
その間はもちろん無給
自分がとても甘い考えだと分かったキミコ
悩みながら帰宅するとチヤコと再会
チヤコは今では大阪で新聞記者ではなく雑誌記者をやっている
チヤコ:
琵琶湖に大きな橋がかかると聞いて、記事を書かせてくださいと何度も頼んだ
編集長からは「食べる箸のほうにしとけ」と言われたが
「やらせてください!」と何度も頼んだ
急に泣き出すキミコ
キミコ:
うちもやりたいこと見つけてな
新しい仕事、新しい道を見つけたと思った
絵付けをやりたかった!
でも、うちには余裕ないねん 時間もお金もないねん!
翌朝、もう大阪に戻るチヤコ
父はまた酔って、キミコに見合いを強要する
お米屋の三男坊
卒業式が終わったテルコ 4月から京都の短大に行き、女子寮に入る
先生は産みの苦しみで虎のように吠えながら描いている
キミコはそれをそっと見る
母はキミコの夢を知って、大野の妻に頼んで
丸熊以外で絵付けの仕事をやっているところを調べてもらう
大野の妻:
永山陶業は最近代替わりして、息子が社長になってから絵付に力を入れている
電話で聞くと絵付けを教えてくれるという
週1回ぐらいなら交代で、半年ほど通ったら
ちょっとした簡単な作業をやらせてくれる
シンサクが女のコを連れてくる
父は米屋の三男坊 三郎を家に連れてくるが
心に決めた人がいて早く結婚したいから断りに来たと謝って逃げる
母はキミコが絵付をやりたいことを話すと父は激怒
キミコが作ったおはぎをみんなで食べながら決心したことを話す
キミコ:
先生が苦しんで描いているのかと思ったら笑いながら描いていた
先生は昔、日本画を描いていた
若い頃はそれで賞を取ったり、個展を開いたり世の中から認められていた
それが戦争が始まって、従軍画家として大陸に渡った
深野:
戦争画というものを初めて書いた
鉄砲の弾が飛び交い、兵隊さんが鬼気迫る顔で敵に立ち向かって
勇ましく戦う絵
小さい頃から絵を描くのが好きで
貧乏だったから欲しいものを全部絵に描いていた
父も母も「ええよ」と褒めてくれた
戦争画は人間が殺し合い、のたうち回って、、、そんなの絵にできない
戦争が終わっても一生絵は描けないと思っていた
他の仕事を転々として、その時に火鉢に出会った
これが戦争が終わったということだ
火鉢に絵とはなんと贅沢なことだ!
また絵が描けるのがどれほど幸せなことか
絵を描いていると楽しくて嬉しくて笑ってしまう
そもそも君は絵付けをやりたいのか 絵付け師になりたいのか
何かしようと思った時に、お金がないことに負けたらあかん
キミコ:
覚悟があるかどうかや
絵付け師になるなら基本からしっかり叩き込むと言われた
週1回習うのは違うような気がした
うちはふか先生に学びたい
うちはふか先生の弟子になる!
同じ頃、父はふか先生と楽しそうに飲んでいる
大野から丸熊陶業の絵付けの先生だと聞いて急に萎縮する父
ふかは父に「弟子になりたいという女の子が来た」という話をする
ふか:
3年も辛抱できるわけがない
男でも続かないことが、なんで女の子が
絶対弱音吐くで
父:
吐くわけがない
大阪に一人で行って3年も働いて
正月も帰らずにどんだけ一生懸命頑張ったか!
翌朝
父:やるんだったら丸熊陶業じゃなきゃダメだ
キミコ:やってもええの?!
父:すぐやめるわ
キミコ:うちはそんな根性なし違うわ
今度はふか先生に頭を下げる
キミコ:3番弟子にしてください!
3番は3日で辞めた、4番は3ヶ月、5番もやめた
9番目ぐらいだから「キュウちゃん」と呼ばれ、筆と新聞紙を渡される
まっすぐな線を何万本も引く練習
先生の絵を模写する練習も繰り返す
ふか:
キュウちゃんの前には一番弟子、二番弟子もいる
早く追いつきたいと思っても近道はない
なるべく時間をかけて歩くほうが力がつく
■昭和34年 キミコ 21歳
3年が経ち、ふか先生の火鉢は年々右肩上りの売れ行き
キミコは、焼き物の不用品を絵付けの練習のために集め
地道に練習した甲斐あって絵付師として給料をもらうまでになった
新しいデザインを見せてもらう
ふか:
キュウちゃんもやってみるか?
一番、二番に追いついてきたみたいやし
あとはデザインや
ものづくりは一生の修行や
2人のデザインは去年採用されなかった
カヤマ:
弟子のデザインはいらない
深野先生以外のでデザインは採用しない
キミコは県の絵画展で金賞を取った話をすると
一人の弟子は全国芸術絵画展で大臣賞
もう一人は美術学校を首席で卒業と聞く
ふか:
みんなにええなあって言ってもらえるような
いろんな人に目に留めてもらえるような
求められているデザインを考えることだ
(そこが表現者のジレンマだよね
自分がやりたいことと、人が求めているものとは違ったり
自由にやりたいことと、お金を稼ぐことが絡むと違ってくる
キミコは新しいデザインを描いて社長の元に持っていくところにシンサクが来る
信楽町役場商工観光課に勤めている
(そもそも芸術がわからない社長やその部下が
デザインを審査しているのは、それでいいの?
照子の婿 敏春 結婚3ヶ月目
京都の老舗旅館の三男坊大学出
照子は「ゴキブリのほうがマシだ!」と言っていたが、全然態度が違っている
照子:
トシハルさんは信楽だけではなく日本のあちこちの陶芸に詳しい
丸熊陶器業を継いだら日本一を目指しますと言っている
シンスケ:照子の兄も同じことを言っていた
(短大に出したのは、見合いの時に箔がつくためだけなのか?
カヤマにデザインを渡すと、見もせずに机の上に置かれる
キミコ:毎年持ってきてもええですか!?
トシハル:
これでは融資を受けられません
これからは戦略が必要です
深野先生はもう古いんとちゃいますか?
トシハルはキミコの描いたデザインを見る
シンサクの両親が離婚するかもと話をキミコに話していると
大喧嘩をしている大野夫婦
直子は明日ついに東京に行く
父の見つけた仕事はすぐ辞めて
中学の先生に東京の仕事を斡旋してもらった
「初物は東を向いて笑って食べると寿命が延びる」とスイカを食べる家族
父も挨拶周りについていくと言い出す
母は瓶に貯めたお金を使うというと
大野夫婦が毎日喧嘩している理由はそのへそくりの件だった
直子が勤めるのは電化製品を作る会社
キミコ:
うちは一生の仕事を見つけたんや
楽しくない言うてたら見つからへんかもな
うちは大阪行ったら楽しかったで
ほんで大阪行ってたことは今の自分に返ってきてる
翌日直子は父と東京に向かう
照子の母は、トシハルを戦争で亡くした息子のように扱っている
照子の母:社長2人もいらんわな 世代交代や カヤマさんも困るわな
トシハル:結局僕はお兄さんの身代わりだから
人手不足のためその後3人の男性が丸熊にやってくる
人員整理、年寄りの陶工は辞めさせられるのではないかという噂が立つ
藤永一徹:
京都の大学で美術工芸を学び、奈良市内の陶器会社に就職
そこで企画開発を担当していた
津山:大阪の工業大学を出て、建造物の技術開発に携わり、研究員をやっていた
八郎:
大阪出身 京都の美術大学で陶芸の奥深さを知り
働き口を探していたらこちらを紹介された
ハチロウは作業場に来て、ふかを見るとなぜか言葉を失う
トシハル:
3人は商品開発室に入り、新しい自社製品開発をになってもらう
今の主力商品の火鉢とは全く違うものを考えて欲しい
生活用品などもっと発想を広げてくれてもいい
シンサクはキミコには普通に話すが、ハチロウとは緊張して話が止まる
キミコ:
火祭りっていうのは火の神様に感謝する信楽ながらではの夏祭り
焼き物作りに火は欠かせない
火は神様が人間に与えてくれたものだから
心から感謝して松明を担いで山の上の神社に奉納するんです
キミコの描いた新しいデザインが採用され
“信楽初の女性絵付け師”として新聞に載せることになる
家族に話すと母やユリコは喜んでくれるが、父に話すかどうか迷う
以前、丸熊の忘年会に呼ばれた時に「女のくせに そんなとこ行かんでええ!」ととても怒られた
ユリコ:
お父ちゃんには言わんでええ
なお姉ちゃんがいない今、うちがしっかりせんと!
(なぜ色々を決めるのにいちいち父親の許可が必要なんだろうね
取材の日
名前を言うと固すぎると言われる
深野先生がつけてくれたキュウちゃんの話をすると深野を知らない
トシハル:
その話はいらないいらないでしょう
信楽のマスコットガールみたいな感じで
記者:ミッチーブームに乗っかってミッコーはどうです?
絵付けをしてホットケーキを食べるのが夢だったという話になる(全部嘘じゃん
キミコ:そんなんだったらうちやりません!
照子:
うちも少し大人になったし、キミコの気持ち尊重したるわ と言ってから
うちの顔立ててください お願いします!
記者に2時間とってもらい、キミコに写真撮影のために着替えてもらう
近所総出で大慌てで着替えると、母は感激して泣き出す
記事には深野の名前は一文字もなかったが、先生も喜んでくれる
父は東京から戻ってきて、蒲田の話ばかり
ハチロウはシャツのほつれをキミコに直してもらうが無言
ハチロウ:ミッコーって何です?
深野のことを詳しく知っていて、一言も記事に書かれていなかったことに怒っていた
その後、キミコのデザインした火鉢がほしいという注文が続々と来る
ハチロウはふかと話す
ハチロウ:
最初にここにご挨拶に来た時ほんまは言おうと思っていたことがあります
緊張して言えませんでした
実は深野先生がお描きになった日本画が僕の家にずっと飾ってありました
祖父が日本画が好きで、やっと買えたっていう思い出の一枚で
祖父が亡くなった後は形見だと大事にしていました
それを白いご飯に変えました 僕が11の時です
僕が売りました 闇市に行って
白いお米と卵3個に変えて、美味しいなと言ってみんなで食べました
今回こちらに来ることになって、絵付けの先生が深野さんと知って
これは偶然じゃない
お会いしたら頭を下げようと思っていました
すいませんでした
先生の絵のおかげで白いご飯、たまご
ほんまにありがとうございました
ふか:忘れないでいてくれてありがとう
キミコはハチロウが説明した先生の絵を自分なりに描いてみる