メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

縄文1万年の美と祈り@歴史秘話ヒストリア

2019-11-10 12:52:02 | テレビ・動画配信
教科書にも載っている土偶です(いきなり出た!
大きな目のような、大きなメガネをかけているようにも見えます




東京国立博物館 平成館 特別展 縄文 1万年の美の鼓動
国宝6点を含む日本中の貴重な土器や土偶などが会する初めての試みです








日本を代表する芸術家・岡本太郎の太陽の塔
岡本太郎は縄文の造形を日本を代表する芸術と評価し、強く影響を受けました






「四次元との対話 縄文土器論」(1952)抜粋:
縄文土器の荒々しい、不協和な形態、紋様に心構えなしにふれると、誰もがドギッとする


ところが最近、そのテーマは太陽ではなく、意外なものだという説がささやかれています


大英博物館
今、世界が縄文に注目しています
1990年代からベルギーやフランス、アメリカ、イギリスでも縄文アートの展覧会が開かれてきました

女性客:恐ろしく古くて、とても複雑で、そして美しいものです


人類最古 1万年以上前から作られてきた不思議な造形
そこには大いなる謎が残されています
出土する土偶はほとんどが壊されているのです




さらに縄文土器の多くは、底が尖り、立てることができません
これらの形に込められた縄文人の切なる願いとは?

縄文アートに刻まれた様々な暗号を巡って専門家の意見は分かれています

1万年もの間、人々は何を祈ったのか?

縄文時代




日本の歴史で突出して長く続きました
日本列島が今のような形になった紀元前11000年から紀元前400年まで
私たちの先祖が堀り窪めて造った竪穴住居に住んでいた時代です

同じ時期、世界の早いところでは農耕が始まりました 紀元前6000年頃
さらに紀元前4000年頃にはエジプトなどで4大文明が誕生
文字や貨幣が使われました




ところが縄文の人々だけは、1万年変わることなく
狩猟や採集を基盤とした持続的な生活を送ったと言います
(美味しそうな野草ばかり!




東京国立博物館 考古室長 品川さん:
縄文文化は世界に先駆けて土器を作り始めた文化です
その他にも始まって間もない頃に漆製品を発明します
縄文文化は狩猟、漁労、採集を生業としていました






自然の恵みを受けながら1万年間安定した生活を送ります
こういったことが、今、我々が生きる自然保護と重なる部分があって
注目されているんだと思います




(どれも可愛い土器ばかり 観に行けば良かった 上野だけど…


世界的に見ても珍しい縄文時代
どうして私たちの祖先は1万年間変わらない生活を送ったのか?
その手がかりこそ土偶や土器です

まずは土偶の形をヒントに縄文時代の日本人の姿に迫ってみましょう


エピソード1 土偶に秘められた願い

「ハート形土偶」




紀元前2000年~1000年のもので、群馬の岩櫃山のふもとで見つかりました
くびれたウエスト、綺麗に整ったハート型の顔
よく見るとその先には口まで表現されています(小さな穴がある


「縄文の女神」




山形の河岸段丘から出土しました
四角い両足、丸みを帯びた腰
厚みを極限まで削ぎ落とした結果、グラマラスに見えます


それとは対照的な「縄文のビーナス」




同じ時期のもので長野の八ヶ岳山麓で見つかりました
どっしりとした足、お尻、お腹
抜群の安定感を醸し出しています
帽子なのか、髪型なのか、不思議な頭の表現です


これらの土偶
胸や腰、お尻の特徴から女性を表していると言われています
だとすれば1万年前の女性の姿を土偶からイメージできるのではないでしょうか


京都東山区
今回、専門家の協力を得て再現に挑みました





「髪型」
私たちが参考にした土偶は3つ
女性と考えられる人物像の頭に髪を結ったと思われる表現があります




京都橘大学名誉教授 猪熊さん:
土偶は左右対称でシンメトリーですが、髪型も左右対称ですね

ミナミ美容室 結髪師南さん
普段は祇園の舞妓さんの髪を結う結髪師が古代の服飾の専門家の監修のもと腕を振るいます

専門家:
当時はすき櫛のようなものはないし、緒(髪をとめるヒモ)もありません
木の皮を紐のように伝わったかどうか…

すごい複雑に編んでる!
3人のベテラン結髪師が奮闘すること2時間
完成した髪型がこちらです
(今でも可愛い結い方 いろいろピン留め使ってるけど




編み上げたお下げ髪を巧みに組み合わせた立体的なスタイル

こちらの髪型は真ん中で分けた髪を横でまとめて左右にボリュームを出しています
後の時代の髪型と比べるとスポーティーでより動きやすそうです
(貴族連中と比べたら農民なんだから違うよね






土偶の頭には髪の他にも突起物が表現されています
これはくしだと考えられています
(サザエさんみたい




実際、当時の墓から真っ赤な漆が塗られた逸品が出土しています
(クシあるんじゃん




すると、まとめた髪を高く盛り上げ、クシをいくつかさしたスタイルが復元できます
日常の装いというより、何か特別な日の晴れ姿かもしれません




専門家:
縄文人の女性はおしゃれと言ったらいいでしょうか
そういったものに関心があったんだろうと思います
(古今東西そうだと思うよ

この髪型については、あまりにも複雑ですので
何人かの集団がいたのか
あるいはスペシャリストがいたのかということも考えられます


「アクセサリー」
土偶には耳に丸い形が表現されています 現代のピアスと思われます
墓からは女性が耳につけた状態で耳飾が出土しています
縄文時代の女性は直径5センチほどのピアスをしていたのです
(デフォルメじゃなくて?






大きさからすると、幼い頃に耳に穴を開け
その穴を少しずつ広げていったのでしょうか?
(まあそういう民族が今もいるけれども


「メイクや服の模様も推測」
当時使われていた顔料は赤いベンガラ




塗ってみると、土偶から復元した縄文時代の女性は、実に華やかな姿になりました
たぬきみたいw




モンティパイソンで、何かのかけらから
学者が推測した化け物が、実際と全然違ってるっていうスケッチを思い出したw


猪熊さん:
日常的にはこういう格好して歩いていたというのは考えにくいと思いますから
特別な日の姿であったろうと思います

特別な日とは何か?
そのヒントも土偶にあります


有名な「遮光器土偶」




縄文人が遭遇した宇宙人という珍説も(絶対そうだ
青森の川の丘陵地から出土しました


「ポーズ土偶」




3本の指をお腹に置き、得意気に見えます
山梨の南アルプスのから出土しました
ユーモラスな表情は、マスクをしたプロレスラーのようです


「合掌土偶」




青森の大規模な集落遺跡から出土しました

どれも少し奇妙な造形ですが、実はこれらの土偶も女性を表現しています
よく見ると膨らんだ胸、足の間には女性器


胴体の真ん中の線は何を表しているのか?
こちらは妊娠した女性
お腹が張ってくると、真ん中に特徴的な線が現れます 「正中線」です(初めて見た/驚




これまでに紹介した土偶にも、よく見ると正中線が描かれています


山形県立博物館 研究員 原田さん:
お腹のところが少し膨らんでいますし
そこに妊娠線と言われる正中線が縦にはっきり表現されている
妊娠した女性を表現しているのではないかというふうに考えています

土偶に表現されていたのはハレの日の女性の姿
さらに皆妊娠しているとすると
縄文時代の人々の妊娠した女性に対する特別な思いが伝わってくるようです


土偶を再現
土偶は当時どのように作られていたのでしょうか?

粘土紐を積み上げ、内部に空間を作ります
「火が通りやすいから」「子宮を表しているから」とも言われています






次に表面に縄を転がします
縄文の造形の特徴「縄目文様」が生まれます

その後、土偶を磨き上げながら1ヶ月間自然乾燥させます

高い温度の窯がない時代
土偶は野焼きで作りました
割れないために温度管理には細心の注意が必要です
(ものすごい炎! ほっかほかの土偶ができた!




会場で大変ユニークなものを見つけました
土器と土偶が合体したような不思議な造形です
土器の縁には顔

「顔面把手付」






同じような顔が土器の側面にもあります(可愛い
縁の顔は母親、側面の顔は子どもと考えることができます
つまりこれは出産の瞬間を捉えた造型
縄文の人達の切なる願いが込められているといいます


品川さん:
当時は医療や衛生環境が悪く
子どもだけではなく、時には母親も命を失うことがあった
そのためあえて出産の場面を造形として表して
安産や子孫繁栄を祈ったというふうに考えられています



エピソード2 不思議なカタチ 土器の謎
土器にはどんなメッセージが込められているのでしょうか?

岡本太郎が魅せられたという「火焔型土器」




新潟・信濃川沿いの丘陵地から出土しました
複雑な飾りが燃え上がる炎をイメージしているように見えます

ただしこうした土器はたくさん作られた日常の品
煮炊き用の土鍋とされています




でも多くは頭でっかちで、水や食材を入れると動かせないほどの重さ
料理を食べるのも飾りが邪魔になったりして少し大変そうです




縄文人はなぜ使い勝手が悪い形に作ったのでしょうか?

この謎をさらに深めるのが火焔型土器よりもさらに古い時代の土器
底が尖っています

「微隆起」






世界でも最古クラスの土器
青森・下北半島の沼に挟まれた丘陵地から出土しました

品川さん:
このように底が尖った土器というのは、支えがないと立てることができません
ある意味、学芸員泣かせの土器ということもできるでしょう
地面に立てるなら、わざわざ穴を掘って埋めたかもしれません
(支える道具もあったんじゃないの?




実はこのような形をした土器がなぜ生まれたのかその理由はよくわかっていません
こうした土器は全国から出土し考古学者たちを悩ませてきました


北海道で長年研究に携わって来た
札幌医科大学 客員教授 考古学 大島さんが
ついに尖った土器の謎を解く鍵を見つけたと言います

大島さん:
縄文人は鍋とかの意識ではなくて
何か別な意識があって作ったのではないかということまで考えるようになった

再生のシンボルとして、再生につながるというものの考え方を
いろんな形に表現すると様々な土器につながっていくと思うんです


土器で再生を祈るとは?
そのヒントとなるもの
長野・八ヶ岳山麓の住居跡から出土した これも土器です




側面にはまるでエジプトのファラオ像のようなデザイン
逆三角形の背中のように見えます

とてもエキゾチックですが日本の造形です
この土器を長年研究してきた井戸尻考古館館長 小松さんは
土器のモチーフは「月」だと言います

小松さんが着目するのは人物像の反対側
土器の縁に大きな穴 これが月の表現
しずく型の穴は新月、丸い穴は満月なんだそうです




小松さん:
一晩ごとに光が満ちて、やがて満月になる
一晩ごとに痩せ衰えて、東の明け方の空に消えてしまう
3日の闇の夜を超えると180度、時間と空間を飛び越えて、西の夜空に甦る
月の満ち欠け月の姿を表している




縄文人たちは月の満ち欠けに自らの一生を重ね合わせたのかもしれません
さらに29.5日という月の満ち欠けの周期も馴染み深いものでした




大島さん:
女性は29.5日で生理周期を迎えている
実は同じ周期をとっているのは月の満ち欠けなんです
生というサイクルを持っているのは月だというのは、多分誰もが理解したんだと思います


確かに月のデザインは、縄文土器の様々な場所に表現されています






これを最初に指摘したのはドイツ人の日本学者ネリー・ナウマン






月と同じように人も、そしてあらゆる命も再生を繰り返している
縄文人はそう考えたというのです(なるほど

縄文人が再生を重視したことは、あの筒型土器が出土した場所の近くにある遺跡からも分かります


「居平遺跡」
現在は埋め戻されて、38年前の発掘当時の様子はよくわかりません
(遺跡って色々発掘したら埋め戻しちゃうんだ








ここがちょうど村の中心にあたる広場とお墓があって、住居が周りにある
小判のような形をした楕円形 これがお墓の穴

そしてこの大きな丸が住居になります
(随分と近くにお墓があったんだな/驚

墓は160近く 建物は30ほど 円形の集落でした
中心にある墓地を囲むように300年間人々が住み続けたことが分かっています

円形の縄文遺跡は珍しくありません
イギリスのストーンヘンジとよく比較される秋田 大湯環状列石
建物に囲まれ、中央に石が円形に並べられています







近年それぞれの石の下に人骨が埋められていることがわかりました
墓地を中心とした遺跡だった可能性が高いのです

こうした形になったのは
縄文人が死者に対して私たちとは異なる感覚を持っていたためだと言われます


小松さん:
今の私たちの感覚からすれば、お墓というのは村の外 村はずれ
どちらかと言うと生きている人からは遠ざける傾向があります

縄文時代の環状集落というのは、生きている人たちが死者を大事に抱きかかえている
取り囲んで暮らしている

そうやって生きている人たちが死者を大事に守って暮らしているというのは
この縄文時代の環状集落だけです

死者がこれほど大切だったのは
彼らが新たな命を得て、再生する存在と考えられていたからだというのです

そして土器からも再生を読み取ることができます

満ち欠けする月を裏から見ると、蛇のとぐろ
土器のデザインには蛇の姿をかたどったものがたくさんあります
(長野の茅野市って土器の宝庫だな






富士見町 藤内遺跡

茅野市 下原遺跡


なぜ縄文人は蛇を好んだのか?
「縄文」という言葉
縄目の文様のことですが、実は蛇の鱗を表しているとも言われています
それは蛇の特異な生態に理由があります

死んだように固くなった後、脱皮して動き出したり
交尾の時には2、3匹が絡まりあって数時間離れなかったり
こうした不思議な生命力を持つ蛇が「再生の象徴」だったと大島さんは考えています

大島さん:
まさに再生、あるいは誕生の象徴として、たぶん蛇を登場させたのではないか
古い神社なんかに行くと鳥居のしめ縄にヘビを使っているところがあります
もとをただせば再生のシンボルとして、きちっと理解していたんだと思います




土器に表現された月や蛇が再生のシンボルだったとして
あの土器の尖り底には一体どんな意味があるのでしょうか?

大島さん:
私がある時気づいたのは、月の水を溜める容器ではないか

満月の夜は大潮、最も潮の満ち引きが大きくなります
月は水と関わっていることを縄文人も知っていたはずです

満月の輝く夜 空気中の水分が夜露となってよく葉っぱにつきます
縄文人はこの夜露を月の水と考え
再生の力があるとみなした

縄文人にとって水は切実な問題
あの夜露はどこからくるんだろうと考えたんだと思うんです

あくまでイメージですけれども
あの夜露を土器に集めたいという気持ちが起きてきたのではないかと私は思っています

縄文時代には月の水を得ようとする儀式が行われていた
その時、月の水を貯めるため、あの形の土器を地面に埋めた

全部再生とか誕生をイメージする

ほとんどの土偶が正面を向いているか
むしろ正面より上を向いたり、真上を向いている
月を眺めているというふうに思っています


再生ということを持ち出すと
土偶も土器も、縄文時代に作ったいろんなものが全部解釈できる


世界でも特異な文化が続いたのは
縄文の人達がただただ再生を繰り返すことを願い続けたからかもしれません


「筒形土偶」




こちらの土偶は、岡本太郎の太陽の塔のモデルになったかもしれないと紹介しました

しかしそこには蛇のような文様が刻まれていますし
顔は僅かに上を向き、何かを見つめているよう
月の塔だったかもしれませんね


バラバラになった土偶
頭、胴、足に分かれています




これまで縄文時代の土偶は約2万点ほど見つかっていると言われていますが
実は完全な形で見つかっているのは1割
もしくは5%に満たないという意見をいう研究者もいます
ほとんどがバラバラなんです

村の家であったり、捨て場であったり、いろんなところから見つかっている

これらは壊したという意見もあり
土偶の使い方、役割については、まだ謎がたくさんあるんです


エピソード3 破壊された土偶と大地






岡山県新見市の山間(自然いっぱいでいいところだなあ
ここに縄文人の心に迫ろうとする人たちがいます

竪穴住居を作り、縄文時代の暮らしを再現しています
(すごい 本当に土器で煮炊きができるんだ/驚

縄文造形家 猪風来さん
こちらの火炎型土器は彼が再現したもの
使い勝手が悪いはずですが、使いこなしています

猪風来さん:美味しいです(何を食べてるんだろう?






縄文時代に魅せられ、土器の再現に40年にわたって取り組んできた
土器や土偶を再現するだけではなく
縄文のエネルギーを現代に蘇らせる作品を世に問うています




縄文の心に迫るために自給自足の生活をする徹底ぶりです




そんな猪風来さんによれば、尖り底の土器は
かまどの灰に押し込めば、むしろ煮炊きに適しているといいます

猪風来さん:
縄文人は大変自然の理(ことわり)に合わせて土器を作っている
下がペタンとしているより尖っているほうが安定性がある


では他の不思議な形の土器や土偶は何のために作られたのでしょうか?
縄文の美を追求した芸術家・岡本太郎の言葉がヒントになるといいます




「四次元との対話」より抜粋:
狩猟民族にとっては、獲物は同時に神聖な霊を持つ神である
それはまた激烈な闘争の相手であり、敵なのだ
ところが彼らはそれを糧にして生きている

(太郎さんの本をもっともっと読みたいな


縄文人たちが美に込めたのは、日々の糧そのものである 自然への崇拝だというのです

猪風来さんは、縄文と向き合う中で、さらに考えを深めました

猪風来さん:
縄文人の崇拝の中心は、自然の中でも
日々の糧や土器の材料をもたらす大地である

私の考えですと、これは大地の子宮であり
母体であるというような造形思考だと思います

一度食べた命たちは、もう一度大地の底からわきたって
命がこの世に溢れるようにしていただきたい
そういう心を持って作ったんだと思います

さらに大地を崇拝していたとすれば
土偶が壊されて埋められたことも理解できできるといいます

可愛い土偶を抱きかかえてる




猪風来さん:
村人が自分達の願い、思い、祈りを土偶に託して作った
自分たちの孫や息子が命を咲かせていくように、という願いを込めて作っているわけです

そういう願いを一つ一つ分割する
だから土偶を破壊したのではなく、願いを分割した

そして村人の願いというものを一つ一つ要所に埋めて
自分たちみんなが恵みを受けられるようにと思って
作ったり分割しただと思います(なるほど


死者の再生
1万年近く前、日本列島のどこか
私たちのご先祖様が集まっています
現代で言えば葬式に当たる行ないです




人々が願うのは死者の再生
不思議と悲壮感はなかったかもしれません

大地には穴が掘られ、死者は胎児のような姿で埋められています 「屈葬」
こうすることで、死者は母なる大地に還ると考えられたのです

死者には月の水が捧げられたかもしれません
それは再生を象徴するもの

こうすることでいずれは彼らが新しい命となって戻ってくると考えられたかもしれません

そして土偶はバラバラにされ、参加した人々に分け与えられたかもしれません
縄文人の死と再生はこうして1万年繰り返されたのです


縄文時代の造形の代表「土偶」

品川さん:
妊娠した女性を象られたと考えられていますので
当然命に対する敬い、母に対する尊敬
そうしたものが形となって凝縮されたと考えられています
その他に考古学者も全く意図が読めない造形もたくさんあります


さすがに NHK だけあって深く掘り下げて面白い番組だった


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縄文 美の発見@日曜美術館

岡本太郎“太陽の塔”~井浦新が見た生命(いのち)の根源~@日曜美術館

特別展「ウィリアム・ガウランドと日本の古墳研究」(2018.11.21)

「読書感想メモリスト4」カテゴリー内の[土偶・古墳]参照




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