花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

伯母を伴い旭山動物園に行った

2007年05月31日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他


 伯母に連れて行くと約束していた動物園行きを、今日、実行した。
 朝起きると晴天。7時半に車で伯母の住む町へ向かった。
 1時間後、先日、伯母が入所した施設の場所を探し当て、初めてのドアをノックした。
 室内では、既に出掛ける支度の調った伯母と前夜来て泊まったという伯母の妹が待っていてくれた。

 二人を車に乗せてその町のJR駅に向かい、窓口で特急を利用する「旭山動物園往復セット切符」を買ったら、駐車チケットを発行してくれた。それで、駅から少し離れた駐車場に車を置き、安心して旭川に行った。伯母は「特急に乗るのは初めてだ」などと言って喜んでいた。
 約1時間で旭川に着いた。駅の売店で昼のために軽食を買ってからバスに乗った。私達は早めに並んだので座席に座れたが、動物園まで30分間、立った人達も沢山いた。

 旭山動物園は丘陵地に作られている。今日は、バスを降り、低い位置にある動物園の正門から入ったので、60年以上した厳しい農作業で腰が曲がり、足も衰えている伯母を配慮し、まず右側にある展示施設を順に見ながら、少しずつ坂を登って行った。急な坂や段差では伯母の腕を支えながら進んだ。

 ペンギン館では、20日前に来た時と同様に繁殖期のため、親は陸で卵を温めていてジッとしているものが多く、見せ場の水中遊泳をしているペンギンは少なかった。飛ぶペンギンを観察するための施設が寂しかった。

 猛獣館のライオンは、緊張感を失っただらっとした格好で観察ガラス窓の傍で昼寝中だった。足の裏の形が良く分かった。

 丘陵地の最高部に作られているのはオランウータンの展示施設だが、「森の人」の空中散歩を見られる「もぐもぐタイム」迄、伯母達と木陰のベンチに腰掛けて疲れを癒しながらゆっくり待った。
 今日は残念ながら雄のジャックと雌は、反対側に置かれた餌に興味を示さなかった。
 この間まで、いつも母親の胸に抱かれて移動していた子どものオランウータンが、4歳になって母親離れしだしたらしく、一匹で高い塔を登り、空中を移動して反対側に置かれた餌を食べ、また母親のいる場所に戻った。(写真)
 飼育係の説明では、今、雌は妊娠中で、行動が緩慢になって来ているそうである。
 私は、待って貰った伯母達に、体の大きな雄のダイナミックな空中散歩を見せられず残念に思った。
 
 次に坂を下りながら、一つずつ反対側の動物を見て行った。 
 新しくなったチンパンジー館は実に変化に富んだ大型の立派な施設なのだが、どうした訳かチンパンジーの動きが少ないのだ。今日も親子兄弟だろうか、赤ん坊を挟んで、数匹が団子の様に一かたまりになって一カ所にジッとしていた。(写真)

 反対に日本猿館は、猿が自分で見つけた餌を食べる姿があちこちで見られた。吊られている缶から下がっている棒を揺らして餌を落として食べている猿、餌が入った四角いプラスチックの箱を転がして餌を出している猿、地面に撒かれた鋸屑?の中から必死で餌を探し出している猿など、それぞれが頭を使って餌を見つけ出している姿が見られて興味深かった。
 
 北極熊館は相変わらず混んでいて、「もぐもぐタイム」を見るために列になって15分待った。熊も疲れて来ているのだろうか。餌に飛びつく動きが、前ほどダイナミックでは無い様に思った。

 アザラシ館のアザラシ達は今日も生き生きと泳いでいて、眼前の水柱の中を何匹もが通り抜けてくれた。水柱が凸レンズの役割を果たすと見えて、そこを通る時には1.5倍位の大きさに見え、特有の体のあざらし模様もはっきりと美しくなるので、今日もアザラシが通る度に大きな歓声が上がっていた。

 見終わってから出口の傍の売店でソフトクリームを求めて食べたら、乾いた喉にすごく美味しかった。
 伯母達にバスの座席を確保するため、少し早めに出てバス停に行って並んだので、帰りも座って旭川駅に戻る事ができた。
 帰りの特急自由席は比較的空いていたので、座席の向きを変えて3人が向き合い、今日の楽しかった思い出を話しながら帰って来た。
 今日は高齢の伯母達が疲れずに楽しめるようにと、たっぷりと5時間かけて見学をして貰った。お陰で、生まれて初めて行った動物園で、一回でほとんどの展示施設を心行くまで見る事ができたと喜ばれた。私自身、2度の経験がある札幌からのバスツアーなら、見学時間は3時間が普通なので、一度に全部を回ることは難しい。今日はJRで個人的に来た良さだと思った。
 また、伯母の様子から、2ヶ月前に夫を亡くしたショックからようやく立ち直れた様に感じた。

 伯母を施設に送り届けたら、ガイドのお礼として昨日採ってあったという蕗をいただいた。明日の朝、皮を剥いて茹でなければならない。
 帰宅して夕刊を見たら、『上野・天王寺・東山動物園 「旭山式」で園客万来』という見出しがトップを飾っていた。全国の動物園がこれまでの珍獣頼みを脱し、旭山動物園に習って色々な動物の行動展示を工夫し始めたので、入園者数が上向き始めているという記事だった。

 

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農園に小豆の種蒔きをした

2007年05月29日 | 家庭菜園・市民農園・借り上げ農園

 今日は、まだまだ植える場所が余っている農園に、「小豆」と「花豆」の種蒔きをしようと出掛けた。

 まず農協に寄って、種用に売られていた「エリモ小豆」と「紫花豆」を買い、店員さんに小豆の植え付け時の肥料を聞き、車に積まなかった「燐酸」と「カリ」の肥料を買った。花豆の種の値段が小豆に比べてすごく高く感じた。

 農園に着いてみると、この所の雨と日射しで雑草が大分はびこっていた。そこで今日の植え付け場所として8畳間位の面積を軽く耕し、雑草を除去した。

 私の持っている家庭園芸の本2冊には小豆の栽培法が載っていない。それで朝の内にインターネットで調べた通り、60cm間隔で数本の畝を作った。そこへ農協で聞いた通り、「苦土石灰」と「化成肥料」「燐酸カリ」「カリ」を施した。土を少し掛けてから20cm間隔で小豆を2粒ずつ蒔き、土を掛けた。一袋500gだったので大分余ったが、煮ても食べられると言われたので、残りは赤飯用等に煮ておくことにしたい。

 「花豆」は支えの手が必要なので、2列に向かい合うように蒔いた。昔はポット式の灯油ストーブを焚いていたので、鍋を乗せて置けば時間のかかる煮豆なども簡単に作れたが、今は電気のセントラル暖房なのでそういう事ができない。種が高いし、それもあって、今回は100gだけしか蒔かなかった。花豆が上手く収穫できたら、来年の種をとって置きたいと思っている。

 蒔き終わってから改めて畑の回りを見ると、今年耕していない広い場所に、花を沢山付け、一部は白い綿毛になって30cm以上にも伸びたタンポポがびっしりと咲き誇っていた。
 このままにしておいたら、綿毛が風で周囲に飛び散り、来年はもっとすごいタンポポ畑になってしまうだろう。そこで急遽、根こそぎ抜き取る事を決意した。
 一つ一つ、スコップで刺しながら巨大タンポポを起こして抜いた。根の長さが30cm位もあるものばかりだが、面白いように次々と抜けた。
 気が付くと、2時間以上もタンポポ抜きをしていて、取ったタンポポの山が幾つもできた。

 今日は私一人なので、これだけの事に5時間近くもかかってしまった。さすがに腰も痛い。疲れ果てたけれど満足して帰宅した。
 家で鏡を見たら、風が強かったためか細かい土が汗で顔に張り付いていて、ざらざらした真っ黒い顔になっていた。その汚い顔を見て笑ってしまった。

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超頑張り屋のYさんの事

2007年05月28日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 Yさんは遠い街に住む私の旧友である。彼女は、多分、もう70歳を超えたと思う。
 15年位前に胃ガンになり、胃を全部摘出した人だ。
 それ以来、食は極端に細くなり、痩せて体力がすっかり無くなってしまった彼女に、当時勤めていた職場の風当たりは随分強かったようだ。しかし彼女は、自分自身の強い気力と夫と娘さんに励まされながら、60歳で停年退職するまでストレスの多い仕事を続けた。

 所が、数年前に心配していた事が現実になった。胆のうに転移したのだ。この事を私が知らされたのは大分経ってからの事だった。
 電話で、最近は毎晩、腹痛がひどくて眠られないと聞いたのだった。それで昼間は、つい眠くて、うつうつしてしまうのだそうで、医者からは終末期医療を受けるホスピスの事を考えておくようにと言われたと聞き、昨年10月に私は驚いて彼女の家へお見舞いに駆けつけた。

 2年振りで会った彼女は、更に痩せていて、私には体重が30kg位しか無いように見えた。
 しかし彼女は、週一回、独居老人の話し相手としてボランティアに通っていると言うのだ。さらに毎週、市民を聴講生として受け入れている地元の大学の社会科学ゼミで、勤めていた時と同じように勉強を続けていたのだ。彼女は、最近勉強したという環境問題の資料を私に見せてくれた。
 短時間の再会だったが、必死で前向きに生きようと努力している彼女の姿を見て私は感心し、逆に励まされながら帰宅したのだった。

 その後も時々、長距離電話がかかってくるのだが、かなり前の電話では、地元の同じ病気の女性と、「がん患者の会」を立ち上げたと報告して来ていた。
 そして昨夜の電話では、知事に会の名前で請願書を出すことにしたというのだ。
 彼女の話では、国会で今年、「がん対策基本法」ができたので、「がん患者の会」を、単に゛同病相哀れむ゛会にはしたくない。前向きな活動をしたいので、北海道の郡部に住んでいるがん患者の要求、例えば地方に居ても高度な医療を安心して受けられるようにして欲しい事などを、内容として盛り込むつもりだというのである。

 本当に対外的な事はあまりしていない私から見て、驚く事ばかりだが、体調不良の自分の体を気遣いながらも、こんな風に外部の事にも関わって自分の役割をエネルギッシュに果たそうとしている彼女は、きっと、まだまだ生きられるだろうし、生きて欲しいと、私は心から思っている。
 近い内に、また彼女に会って、逆に元気を貰いたくなって来た。

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楽しく学べた庭木の取り扱い方

2007年05月18日 | ガーデニング・家庭菜園

 造園業を経営している方の講習があった。
 大きな庭木の移植方法と庭木の剪定方法のVTRを見てから説明を受けた。

 ヨーロッパでは電線は地下に埋設されているので、樹木や庭木の剪定はほとんど行われないらしい。
 日本では園芸の独特の文化が育った。大抵の庭木は剪定することで美しい樹形を保ったり、木を大きくし過ぎないように、また、実のなるものは良い実を付けさせるために剪定が行われる。
 
 剪定する枝は、交差枝、立ち枝、逆さ枝、幹吹き、ひこ生えが基本だが、徒長枝も枝先を切る。しかし、紅葉などの木は、自然の形が良いとされるので、枝先は切らないで要らない枝の元を切るようにする。切り方は、切り口が見えないように斜めに切ることも大切だ、などと説明された。

 剪定で一番大変なのは、「赤松のみどり摘み」だという説明があったが、そのやり方をVTRで見て、自分の力の及ばない様な木は、植えない方が賢明だと、私はしみじみ思った。私は木を植えるなら、せいぜい何処を切っても大丈夫なツツジ類や、あまり大きく育たない木を植えようと改めて思った。やはり庭は、自分を含めた家族の年毎の変遷を見通しながら、作るべきなのだろう。
 講師も、住み手が次第に年を取ると、大きくなった庭木が手に負えなくなり、切ってしまう家が多いので、やがてこの町からも庭木がなくなる事を予想していると話していた。

 そこで講師が奨めたのは小果樹の栽培だ。ブルーベリー、ハスカップ、スグリ類、サルナシ、木イチゴなどは、当地の気候にも合うし、比較的栽培が簡単で、果実はジャムなどとして保存もできる。おまけにどの木にも白い花が咲くのでホワイトガーデンを作る事ができるというのだ。私も去年、ブルーベリー2本とサルナシを植えてあるが、今年も何か新たに加えたいと思った。

 また最近、インターネットのカタログで植木や花を取り寄せる人が増えているけれど、写真と違うものが届けられる事が多いという話しもあった。やはり、実物を見て、納得して買う方が良いようだ。
 
 イギリスあたりのオープンガーデンをしている家では、ほとんど曜日や時間を限ってオープンにしている事が多いそうだ。
 日本のオープンガーデンでは、24時間オープンで、マナーも何も無く、ずかずかとヒールの高い靴でも平気で庭に踏み入り、大きな声で批評したり、トイレなどのプライベートな場所にも入って来たり、植物やプランターなどを勝手に持ち去ったりすることまで起きていて、オープンを止める人も出ている、という話しには驚いた。
 「取って良いのは写真だけ、残すのは足跡だけ」というマナーの普及が日本でも必要だと話され、私もその通りだと思った。

 また、イギリスなどでは、表向きのオープンガーデンの他に、裏に広大なプライベートガーデンを持っている家も多いのだとか。日本に比べ、平均的な労働時間が短いため、庭造りなどの私生活に長い時間を割ける土台があるという説明があり、納得できた。
 一般的に日本では、働き盛りの人が庭仕事に時間を割くのは無理で、退職してから夫婦でする庭造りが多くならざるを得ない。だとしたら、庭仕事の中心を担うのはやはり高齢者なのだろう。
 それに、土地代が高い日本で、限られた面積の庭しか持てない多くの普通の日本人には、二つの庭を持つことは到底、無理な相談だと思った。

 この研修の最後に、一人一人に紐が渡され、園芸で使う事の多い「おとこ結び」の仕方を教わった。最初は難しく思えたが、何とかできるようになり、良かった。

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今年初めての軽登山

2007年05月12日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 シルバー人材センターの登山クラブに入れて貰って、今年初めての軽登山があった。
 目指す山は、札幌の奥座敷、定山渓温泉の「夕日岳」594mだ。
 名前の由来は、夕日を見る山ではなく、温泉街が日暮れても、その山が夕日に照り映える姿から来ているらしい。
 (温泉街を挟んで反対側に「朝日岳」という598mの山があるが、こちらも温泉街から見て、最初に朝日に照らされる山、という所から名付けられたらしい)

 車に何人かずつ便乗させて貰い、登山口まで1時間余りかけて行き、朝8時半頃、曇天の中を登山開始した。
 鶯の綺麗な鳴き声に迎えられながら、気分良く、森林の中の緩い登山道を登って行った。
 まもなく蝦夷エンゴサクの群生地があり、丁度、花が満開で、登山道の両側と山の斜面が明るい青紫色に染められていた。私がこの花の青紫色の絨毯を見たのは初めてだった。この花はやがて赤紫色に変化するらしい。

 また、少し行くと、斜面でピンク色の6弁の花をつけたカタクリの群落に出逢った。こんなに多くの満開のカタクリが、ぎっしりと密生している場所を見たのも始めてだった。
 カタクリは地下の鱗茎を洗って砕き、水に晒すと澱粉が採れる事から、片栗粉の語源となった植物だが、山菜実用図鑑によると、葉もおしたしにしたりテンプラにして食べると美味しいらしい。でも、春を待って一斉に可愛い花を開かせたカタクリを、とても採取する気持ちにはなれなかった。
 
 507m地点の見晴台からは、下の温泉街を挟んで遥か向こうに、まだ深い雪で真っ白に覆われている「無意根山」1,464m「余市岳」1,488mが臨まれた。新緑に覆われた山並みの向こうで、二つの山は白くキラキラと輝いているように見えた。

 見晴台を過ぎると、登山道の所々に残雪があり、滑らないように注意しながら登った。 
 リーダーは初参加した私を配慮してゆっくり登り、15分置きに休憩時間を取ってくれた。丁度1時間で標高差300mの頂上に到達した。

 頂上は高い木々で取り囲まれていて見晴らしは悪かったが、10分位の休憩時間に近くの方々と交流した。
 中でも、現役時代は営林署に勤めていて、国有林の林道の整備を仕事にしていたという初参加の方が履いていた立派な地下足袋には感嘆した。
 また、その方はとっくに退職しているのにもかかわらず、刃渡り30cmもあるような大きなナタを腰にぶら下げ、私達の先頭で登山道を塞いでいる倒木や枝をそのナタを力一杯振り下ろして切りながら登ったのだ。
 途中で仲間の女性が、「誰にも頼まれた訳でないのに、どうしてそんな大変な事をするの」と聞くと、彼は、「仕事で身に付いた癖が抜けないんだ」と答えていた。「仕事の癖」という説明には、私も十分納得できた。

 低いが中程からは結構な傾斜が続く山なので、下りは滑らないように緊張した。途中で数人のグループが登ってくるのにも会った。慎重に下ったので50分かかった。
 
 下山後、野外バーベキュー施設で楽しくお喋りしながら昼食を食べた。
 さすが何年も一緒に登山している仲間らしく和気藹々としていて、おまけに私よりもずっと高齢な方達なのに、皆、実にはつらつとしていた。実際はシルバー年齢でも、「もう年だから…」などとは決して思っていない方達ばかりで、私は大いに刺激を受けて帰宅した。初登山の疲れは快かった。
 
 

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旭山動物園に行く

2007年05月11日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
 先日、シルバー人材センターの行事に参加して旭山動物園に出掛けた。総勢大型バス1台にぎっしりのシルバーの参加者だった。

 その日の旭川は、大雪山系はまだ雪で真っ白く、ようやく少し育った秋まき小麦の新緑色とのコントラストが素晴らしい景観を見せていたが、風が強く吹き、気温は12~13度と寒い位だった。
 入り口近くの広場にはデイサービスの施設から来た車椅子の方達が150人位と介助者が大勢集まり、代表者の説明を聞いていた。私達は自分で歩くので寒さを何とか凌げるが、車椅子に乗ったままじっとしているお年寄りは、今日ならさぞ寒いだろうと心配になった。外に出ていたチンパンジーも背を丸めて歩いていて、その姿が可笑しかった。
 去年、友人と9月に行った時と比べたら、随分空いていた。おまけに寒いので食堂や土産物店の方が混んでいた。

 私自身は既に2回、札幌発のバスツアーで個人的に行ったことがあるが、1回3時間近くを2回いても全部は見切れていなかった。今回は動物園メインの北極熊、オランウータン、猛獣は止めて、わずか1時間ちょっとの中で、まだ見ていない鳥の飼育場所やは虫類館などに搾り、余った時間でその他の動物を見て歩いた。

   

 美しいフラミンゴは3種類いた。羽とくちばしの付け根が濃い紅色のベニイロフラミンゴ、足は灰色だが膝のかんせつがピンク色のチリーフラミンゴ、足とくちばしがピンク色のヨーロッパフラミンゴだ。
 
 鴨の仲間は7種類居たが、どれも雄が特徴的な体毛と羽毛の配色をしていて、その美しさに見とれてしまった。自然界の動物の毛色は、どうしてこんなにおしゃれなデザインなのかと感動さえ覚えた。

 ペンギン館では、この時期が繁殖期らしく、人気のある水中を飛び回る姿は少ししか見られなかった。外の少し凹型にしてある石の上にじっと座ったペンギンが多かった。

 チンパンジー館では、生まれたばかりの様な小さなこどもを宝物の様に脇に抱え、群れから離れてじっとしている母親がいた。子どもの赤味を帯びた手と足だけがちょっと出ていて、時々動いていた。

 アザラシ館では、大きなアザラシが太い水柱の中を通る度に、取り巻く人々の歓声が上がっていた。

 去年、カピバラと蜘蛛猿を同一の飼育舎にして展示したら、蜘蛛猿が噛まれて死んだ事から、別々に分けてあった。動物飼育の専門家にも組み合わせの善し悪しの判断は難しいのだなと強く感じた。
 
 孔雀舎では、まだ小さくて羽も短い灰色をした子ども孔雀と思われる2羽が、実にけたたましい声で盛んに鳴き続けていた。何を言いたくて泣き叫んでいるのか声を掛けたが、分からなかった。

 山あらし、北狐、狸の飼育舎では、窓を開けると穴の奥に入っている動物を眼前で見ることができるような新しい工夫がなされていた。行く度に展示方法に変化があり、感心した。

 見学後、バスは温泉に寄ったので、折角だからと入浴したら、温泉水がベニイロフラミンゴの様に濃い橙色をしていた。冷えた体には熱い位の温度だった。

 たまたまバスで隣に座った女性と野菜作りなどの色々な話しをして楽しかった。また、彼女は、高齢者家庭の清掃ボランティアと通院付き添いボランティアをしているという。自分が安定した精神状態でないとボランティアは難しいと話していたが、実際そうだろうと思った。私も親戚の高齢者の話し相手や世話に、時々出掛ける事を話したりした。
 人材センターの行事などを通して、色々魅力的な人に出会える事も今後の楽しみだと思った。

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アスパラガスを植えて見よう

2007年05月10日 | 家庭菜園・市民農園・借り上げ農園
 枝豆は連作できないので、今年は郭公が鳴いたら、友達の農園に蒔くことにしてある。それで昨年の場所がまだ空いているのだ。窓からその東側の場所を眺めていて思いついた。そうだ!アスパラガスを植えてみよう!アスパラは反日陰でも育つらしいので、丁度良いと思い、早速、農協に行って苗を購入した。

 高齢の店員さんから、「2年間、食べないでじっと我慢して下さいよ。それから植える時には、2年分の肥料を入れて下さいね。」と指導された。前に牛糞の堆肥と苦土石灰を入れてあるので、明日にでも植え付ける事にしよう。美味しいアスパラガスが収穫できる様になるまで、元気で土いじりをしたいものだと思う。

 農園主?の友達から電話が来た。うどが食べ頃に育ったから採りに来るように、というのだ。その畑は日当たり抜群で、おまけに20畳位の広さにびっしりと植えてあるのだ。誰も住まなくなってから数年間は、ただ放置していたらしい。

 私の庭のうどは、昨秋、友達の畑から貰ってきた僅かな苗を、北側の一番条件の悪い所に植えたので、今日見たらまだ10cm位だ。収穫までは後数日待たねばならない。嬉しい報せなので、早速、近い内に春の香りを採りに行く事にしよう。

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パソコンクラブ初体験

2007年05月10日 | 日記
 今日は初めてシルバー人材センターのパソコンクラブの例会に出掛けた。
 9時から始まるので10分前に行ったら、既にみんな来ていて、持参したノートパソコンをセットしていた。総勢二十人以上で、そのほとんどは男性だった。

 先月からスタートし、月2回なので今日は3回目。開始前に今日から参加する私だけが自己紹介をさせられた。当然ながら全員シルバーだが、皆さん、なかなか頑張っていた。
 
 4月の2回は、デジカメの上手な写し方とパソコンへの取り込み方を習った様だ。
 今日は3時間で、ワード・エクセルを使った地図の作製方法を習った。私自身、こんなに緊張するのは何年ぶりかなので、少々疲れた。
 私は今までワードを使った事がないため、そもそも立ち上げ方から指導していただいた。何とかテキストの簡単な地図を作製できたが、復習しないと直ぐに忘れてしまうだろう。
 
 次回の予定は、関数を使った計算式を教わるらしい。1年分の会費をまとめて会計さんに支払ったが、正直な所、続くかどうか不安はある。でも、参加者の中で、私はかなり若い部類に入る様だから、簡単に根をあげて止めるわけには行かないよね。

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ケアハウスに入る事になった伯母のこと

2007年05月09日 | 高齢期の生活全般
 伯父の四十九日と納骨の法要に行って来た。
 葬儀の直後からしばらく、布団から起きあがる事もできない位体調を崩していた87歳の伯母が、法要ではようやく元気な様子を見せてくれて一安心した。
 多分、60年以上続いた農家の嫁としての勤めと、何一つ自分ではしない伯父の世話と、この数年間の介護で疲れ果て、精神のバランスが崩れて、うつ気味になっていたのだろうと思う。

 葬儀後の伯母の様子を心配した一人息子が、もう一人では暮らせないと考え、急いでケアハウスの入所を勧めた。伯母も納得し、来週、引っ越すと言う。
 今まで何から何まで一人でこなして来た人が、急に他人ばかりに囲まれて、三食昼寝付きの個室生活になったら、体を持て余し、痴呆が進むのではないだろうかと、私は心配している。

 法要の後で、身近な数人が伯母を取り囲んだ。入所後の事を聞くと、時々施設からバスで家に帰って、畑仕事を続けたいと言うのだ。
 それを聞いた伯母の姉妹達は、「もう畑の事は忘れて、これからはのんびり暮らすべきだよ」と忠告した。
 横から私が、「伯母さんの生き甲斐を無くしたら駄目だと思うよ。無理しない程度に、したい事を楽しむ方が良いと思う」と言った。
 いずれにするか、伯母自身が決めるだろうと思う。

 最後に私はみんなの前で、「やっと好きな事ができるようになったのだから、これからは私の遊びにも一緒に付き合ってね」と伯母に頼んだ。
 早速伯母は、まだ一度も行った事がない札幌の円山動物園に行きたい、と言い出した。そうしたらいずれも80歳代の二人の姉妹達も、一緒に行きたいと言い出した。今月の末にでも実現して上げようと思う。
 
 長年苦労してきた伯母には、親戚という以上に一人の先輩女性として、これからは体の自由が利く限り好きな事をして、幸せな老後の生活を送って欲しいと私は思っている。そのために私ができることは、全面的に協力するつもりである。

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