今日は雪が降る北国ならではの「庭木の冬囲い」の仕方を実習した。
シルバー人材センターの果樹畑へ行って、先ず果樹を縄で2段に縛る作業をした。
その際、縄の縛り方は「男結び」で縛るのだ。この結び方は春の花作り講習会で習っていたので、私は直ぐにでき、次々と縛っていったのだが、縄の強さの微妙な調整はやはり難しかった。(写真①) ある男性の参加者は、「男結びは女性にはできないかも知れない。」なんて言っていたが、私は「やれば女性だってできるよ。」と反論した。
次に指導して貰ったことは、縄で縛った木を根曲がり竹5本で囲み、その竹を5段に縛る方法だ。
今まで私は我流でやっていたが、上部の竹の合わせ方を初めてきちんと習った。また、最後の縄の縛り方も男結びでするのだ。こうすると解けにくく外しやすいのだ。
講師の模範演技(写真②)を見てから、それぞれ自分でもやった。要領は分かっても力の入れ方が良く分からず、両腕の付け根が痛くなり、汗をかいた。
その次は、筵で包むやり方を教えられた。しかし、ほとんどの木は過保護にしない方が良いので、筵などで包まない方が良いと言われた。
最後は枝釣りの方法だ。これも講師達が模範演技をしてくれて、私達はそれを見学した。
兼六園の松の枝つりが有名だが、枝つりは日本的な絵になる冬囲いの代表だ。
今日は松ではなかったが、支柱の上部に12本の縄を固定し、それに藁ぼっちを被せ、支柱を幹に添わせてから枝をつり上げて行った。手間も縄もかかるが、支柱は1本なので大きな大切な木には寧ろ経済的かなと思った。
出来上がった藁ぼっちの枝つりの見本は紅葉した落葉樹を背景に美しかった。(写真③)
① ② ③
今日は本式の冬囲いの方法を習ったので、早速、週末に我が家の庭で実践したいと思った。また、丁寧に素人の私達に手ほどきしてくれたシルバー人材センターの講師には、心から感謝して帰宅した。
今日は曇天の中、ある公共施設に行き、庭木の剪定実習をした。
先ず剪定したのが生け垣のイボタだ。
8m程の生け垣の高さは1m40cm位あったが、初めに紐をピント張って、シートを敷いてから、枯れ枝、徒長枝などを剪定ばさみで切り、それから刈り込みばさみで刈っていった。
次がイチイの剪定だ。
1m60cm~2mある十数本の木は、2~3年剪定していないらしかった。先ず内部の枯れ枝を切ってから、円錐形になるように刈り込みばさみで剪定した。
私は刈り込みばさみを持つのは初めてだったので、最初はどうしたら良いか分からなかったが、下から上へと刈り込む仕方や、上や横の方を刈り込む時のハサミの使い方を教えて貰ってやった。
私は3本剪定したのだが、先生からハサミの使い方が上手くなったと言われた。
その他、庭にあったサツキ、紫陽花、雪柳、レンギョウの剪定方法も習った。
約3時間近く、しゃがんだり立ち上がったりしながらびっしり作業したら、足腰がすっかり疲れた。帰りにスーパーマーケットに寄ったら、チョコレート菓子やケーキ、菓子パンにバナナ、みかんを買ってしまった。身体が要求しているのだと思った。
今日は、凄く良い勉強ができた。
9日前に伯母の庭から掘ってきたツツジはどれも端枝だったが、伯母が「道路淵に4年前に植えたツツジなら掘りやすい筈だから、取りにおいで」と言うので、今日行って来た。(初めからそのツツジを掘るように言ってくれたら良かったものを、伯母はそこにもあったことを忘れていたのだそうだ。)
確かに20年のツツジよりは根が小さいが、それでも結構太い根が数本張りだしていた。一度も剪定した事がないツツジなので、先ず余計なひこ生えや小枝を切って樹形を小型にしてから、張りだしている根も鋸で切って、汗だくになりながらやっと堀上に成功した。レンゲツツジ4株の土の付いた根の部分を段ボールに入れてから車の後ろに積んだ。
伯母が「小型の丸いドウダンツツジも掘ったら。」と言うので、スコップを周りに射して見たけれど、幹の太さが7~8cmもあり、根が張っていてびくともしない。それでも伯母と一緒に根の周りの土を避け、太くて長い根を数本鋸で切ったら、やっと掘れた。伯母に教えて貰って麻袋と縄で根巻きをしてから車に積んだ。
それから伯母が植えた大根も持って行くように言われたので、10本程抜いた。直径が10cmもあるような立派な大根なので凄く重い。伯母は植えては見たものの、漬け物にする事もできず、持てあましていたのだ。私は土の中に埋めようと思う。
伯母は伯父の仏壇に供える菊を切った。伯母をホームに送り、私は急いで帰宅した。
日没前に我が家の庭に葉が紅葉しているツツジ類を植え付けた。丸く剪定してある真っ赤になったドウダンツツジは玄関横に植えた。庭全体が賑やかになった。
植え終わってから来年春に一斉に花が咲くのを想像したら、疲れは吹き飛び、往復2時間の運転と今日の労働の満足感に浸ることができた。
昨日の朝の気温、1.5℃ですっかりと黒ずんでしまったダリアを倒し、芋を掘り出してビニール袋にピートモスと一緒に入れた。来春分かるように品種を書いた紙も添えた。全部で9種類なので段ボール一杯になった。
午後からの庭木の剪定学習は、初めに北海道造園協会製作のビデオを見、造園業、庭木販売業を営む講師の講義を聞いてから、バスでその方の栽培場所に行った。
美しく真っ赤に色づいたドウダンツツジや紅葉に迎えられた。
講師が結構大きく育っているしだれ桜や紅葉、グスベリ、松などの木をどのように剪定するか、説明しながら実際に切って見せてくれた。外芽と内芽の違い、松の葉の切り方など、知らなかったことばかりだった。
それから私達に剪定ハサミが渡され、数本の木を実際に切らせてくれた。
その後は庭木の冬囲いの仕方だ。竹と縄を使って木を雪の被害からどう守ったら良いかを教えられた。余り過保護に囲うと木が蒸れたり虫がついたりするので、ほどほどの囲い方で良いという説明があった。私のやりかたで良かったと安心した。
今日も体験的で面白く学べた半日だった。
これで5日間の秋の花作り講習会が終了したが、参加して良かった。早速、学んだことを明日から実践したい。
講習会2日目、「作物学」の教授の講義を受けた。
最近は実験室で研究が行われるバイオテクノロジーが人気があり、実際に農耕や牧畜をして作物を収穫しながら行う「作物学」は、体力的にもきついので嫌われる様になり、研究者が少ないのだという。しかし、バイオの技術も、農業を通さないと実際の所は分からないのだから、「作物学」は大事だと思った。
今日の講義の中で私が興味が持てたのは、肥料の事と食料自給率の事だった。
まず肥料だが、化学肥料と有機肥料がある。化学肥料は窒素、燐酸、カリなどの元素段階にある肥料なので、植物への吸収は速効性がある。しかし、それだけに肥料過多になると根の成長を阻害し、結実が悪くなったり葉が褐色化したりする障害が現れる。
その点有機肥料は、蛋白質などが土中の微生物などによってゆっくりと分解されるので、過多の障害が出にくい。しかし、硝酸体窒素が溜まった作物を多く摂取すると身体に悪い影響も与える。大きく成長しすぎたり、葉の緑が黒っぽい作物は、硝酸体窒素が多いかも知れないので注意したら良いと言われた。
私は今まで単純に大きく成長したものの方が良いと思っていたのだが、必ずしもそうでない事が分かった。
次に、日本の食料自給率が40%を割ってしまった問題である。先進諸国の中で日本だけが低い数値になってしまったのだが、国は小規模な農家は整理して土地を集約し、大規模農業へ転換して生産コストを下げ、収益の上がる農業にしようとしている。(今年から国は、作付け奨励金を生産面積の大きい農家にしか出さなくした)
教授の話では、間もなく日本の農家は少なくなり、農企業が現れて大型機械やロボット、雇用労働者に農作業をさせ、収穫、販売する様になるだろうと話していた。私はそうかも知れないと思った。その時、農作物の安全、安心はどうなるのだろうか。
現在日本では2800万トン以上の食料を輸入しながら、その61%の1700万トンを食べずに捨てているのだそうである。コンビニ、食品製造業、飲食店や、学校や病院、施設の給食、家庭でだ。
その捨てられる食料を、もし有機肥料として活かすなら、国内農産物の肥料はまかなえる筈だという。家庭等の残飯を分別して肥料化し、農業に使う試みをしている自治体もあるそうだが、全国に広がって欲しい。私も僅かだが全部、畑に埋め戻している。
最後に現在の南瓜やとうもろこし、トマトなどの野菜の種の多くは、雑種強勢(F1育種)で、多収性や幅広い環境に耐える性質を持つものになっているのだという。
しかしこの種は、毎年新しく買って植えなければならず、農家の収益を圧迫しているという話しもあった。
先日私は、美味しかった南瓜の種を来年蒔くために乾かして保存したのだが、無駄だという事が分かった。蒔いても良い作物は少ししか採れないそうである。これも今日初めて知った事だ。
しかし、じゃが芋は種ではなく栄養体なので、健康な芋なら2~3年は前年のを使うことができるそうである。
講義の後、この農場で研究栽培している南瓜や芋の販売所に行った。
南瓜は、坊ちゃん南瓜、ETの他、ラグビーボールより長い長チャン南瓜という品種もあった。ジャガイモは、北あかり、男爵の他、レッドムーン、インカの目覚めという品種もあった。私はレッドムーンの大きいのを1個、試しに食べてみたいと思って買った。15円だった。
今日は短時間ではあったが、得るところの多かった講習だった。
今日は農園の友人二人と一緒に晩秋の紅葉を楽しむため、日帰りのバスツアーに参加し、我が国の北限のブナ林のある黒松内町に行った。
一昨日からの天気予報では、北海道全域で今日は90%雨という事だった。しかし、バスが走り出すと、次第に小降りになり、虹も出た。そして3時間後に道南の黒松内町に近づくに連れて、不思議なことに止んだのだ。
先ず、ブナセンター(写真①)に行き、国の天然記念物「黒松内町歌才(うたさい)ブナ林」の説明を聞いてから、ブナ林に向かった。
入り口から入った所で、明るい白樺の林が出迎えてくれた。下草の笹藪が刈られて白っぽく枯れ、美しい独特の雰囲気を醸し出していた。(写真②)
① ②
雨上がりの濡れた遊歩道には、落ち葉が沢山落ちていて柔らかくて歩きやすい。しばらく歩くと左側に朱太川の流水音が聞こえてきた。
アップダウンしながら次第にブナ林の奥へと入って行った。粘土質の滑りやすい傾斜した山道には、木で土留めをした階段が作られていて、気分良く安全に登ることができた。
途中でガイド氏が、太いブナの木に耳を当てて水の流れる音を聞く仕草をしたので、私も真似をして見たがよく分からなかった。
北限のブナは一枚の葉が大きく、その変わり数が少ない。また、本州のブナより成長するのが早く、寿命も150~170年と本州の平均寿命250年に比べて80年以上短いのだとか。ブナの生育は、一般的な植物のその常識と反対らしい。
途中、急に空が開けたように思った場所のブナは、半分に折れ、幹の色も黒ずんで痛々しかったが、私はその木が圧倒的な存在感を示していた時があった事を感じた。(写真③)
③
入り口から1.5km程入った標高160mの所まで登り(写真④)、引き返した。
下りは滑りやすいので、落ちていた木の枝を拾って適当な長さに折り、杖代わりにした。他の参加者にも作って上げた。所々、下方のブナの黄葉が日に当たって輝き、美しかった。(写真⑤)
④ ⑤
ブナセンターのパンフレットによると、この面積92.4ha、人の手が入った事のない1万本のブナ林は、1928年(昭和3年)に国の天然記念物に指定されたという。
歴史では、太平洋戦争末期に木製戦闘機のプロペラ材として伐採されそうになったり、53年前には町の財政の逼迫から天然記念物の指定を解除しようという動きもあったらしい。しかし、学者や住民の熱心な保護運動により、現在まで原生林の姿がまもられていると書かれていた。
1時間5分の散策だったが、雨上がりだったので呼吸が楽だったし、気温が低かったので、私は少し汗ばんだだけに終わった。
普段、山歩きをしていない友人は、「途中でついていけないかも知れないと思ったが、頑張って最後まで行けたので、達成感、充実感を得られた。」と言って喜んでいた。
散策後は「黒松内温泉ぶなの森」でゆっくり入浴した。肌がつるつるするアルカリ泉質の温泉は、汗を流し、身体が温まって気持ち良かった。着替えてから三人で休憩室でおやつを食べた。
帰りは札幌まで2時間、バスの中で友人と楽しくお喋りしながら過ごした。
今日のように畑仕事とは違った楽しみも魅力的なので、来月、また何処かに一緒に行きたいね、と言う話しも出た。
家に着いたら7時半を過ぎていたが、今日も楽しい晩秋の一日だった。
伯父の死後、老人ホームに入った88歳の伯母から、先日、「庭の管理ができなくなったから、欲しい物は何でも持って行って。」と言われていたので、今日は先ず車で1時間の伯母のホームに行き、それから一緒に家迄行って、庭や畑から色々と掘り上げて来て家に運んだ。
まず、畑に行ってアスパラガスの根を掘る事にした。
伯母の話では、今年は全く収穫せず放置したのだと言う。根は地中で入り組んで伸びていたし、土もひどく硬く、なかなか掘ることが難しかった。でも、数年経った太くて大きな根なので、来春の芽吹きと収穫を想像し、欲張って段ボール一つ分も掘り上げた。
次は庭に行った。色の良いミニダリア2株と真っ赤な大輪ダリア1株の球根を掘った。これは来春まで床下で保存する。
それから薔薇。今年も立派な花を咲かしていた薔薇だが、掘って見たらどの根も太く木質化していた。私の庭に上手く根付くかどうか分からない様な状態だが、取り敢えず移植してみようと、3株掘り上げた。もし、来春、発芽してくれれば儲け物なのだ。
また、50年以上経った庭木はどれも大きくなり過ぎていて、移植は無理だが、比較的小さいはい松があったのでスコップを入れてみた。何とか掘り出せたので車に積んだ。
以前は毎年立派な花を付けていたという数十本のレンゲツツジが、数年前から畑の一角で枯れたような状態になっている。今年の春、一本貰ってきて私の庭に移植したら、半年で元気を回復して、今、来年の大きな花芽を沢山つけているのだ。
それで今日は、別のツツジの端っこの小枝を何とか3本掘った。力一杯スコップを射して作業したら汗だくになったが、半年前に亡くなった伯父の形見だと思って頑張った。どんな花が咲くのか分からないが、何とか育てて咲かせてみたい。
最後に大きなモルタル作りの納屋を眺めた。農作業に使ってきた道具類や除雪の機械がぎっしりと詰まっていた。私はその中からプラスチック製収穫箱2つと剣先スコップ1本、ネット状の収穫袋数枚を頂いて来た。これらは、この先の私の作業に十分役立ってくれる事だろう。
伯母をホームに送り届けてから帰宅したら、薄暗くなっていた。慌てて庭の隙間にはい松やレンゲツツジを植えた。いよいよ暗くなって来てアスパラガスの植え付けは無理と判断し、取り敢えず穴を掘って根をまとめて埋めて置いた。
さっき、伯母から「疲れたでしょう。」という電話があった。私は帰ってからの作業を報告した。
庭の植物を、この先少しでも活かしたいと私に託してくれた伯母の心境を想像した。私にも、いつかそんな時が来るのだと思ったら、何となく寂しくなった。
暇なのでリンゴジャムを作ることにした。
昨日買った「姫神」りんごは、木から取ってきてくれたので新鮮だし、はっきりした酸味があるりんごなのでジャムに向く筈だ。今日はレモンもレモン汁も無いけれど、試して見る事にした。
①姫神りんごを3個使うことにして、重さを計ったら正味900gあった。二つに切ってみたら、蜜入りだった。
②皮を剥いて芯を除き、適当に切って薄い塩水にさっと浸けた。
③水を切って計量したら正味730gだった。歩留まりは81%だった。
① ③
④砂糖(白砂糖に三温糖が混ぜてある)を250g計量した。手作りジャムは防腐剤を入れないので、一般的に砂糖を50%程度にするが、甘すぎるのは嫌なので今日は34.2%にした。
⑤ほうろうの鍋に水400ccとりんごを入れて火にかけた。5~6分後に砂糖の半量を加えて中火で煮た。途中、竹べらで大きいりんごを突くようにした。しばらく煮てから残りの砂糖を入れた。今日は水分が多めだったので、良い濃度になるまで25分かかった。
⑥最後にシナモンパウダーを二振りして隠し風味を付けた。
⑦火を止めてあら熱が取れてから計量したら、920gのジャムができていた。最初のりんごの1.26倍の量だった。
⑧殺菌した空き瓶に詰めて完成!!
下準備から瓶詰めまで40分でたっぷりの量のジャムができた。明日からトーストにリンゴジャムをたっぷりつけて食べよう。 (*^_^*)
④ ⑤ ⑦
⑧
先日、あるグループの研修旅行に参加した。行き先は道南の洞爺湖畔だ。
幹事の話しでは、来年、サミット会場になるザ・ウインザーホテルにも行きたかったのだそうだが、通行料が取られることになったので取りやめたという。仕方がないので遠くからそのホテルを眺めて、写真を撮った。
ホテルの人の話では、来年のサミット前後は、周辺地域に交通規制がしかれるので営業ができなくなるらしいが、今のところ、それに対する一切の保証等は無いらしいのだ。各国の元首は千歳空港からヘリコプターで会場に入るらしい。
当日の気温は7~8℃位に寒く感じたが、晴天には恵まれた。
私は初めて遊覧船で中之島にも行き、そこから対岸の温泉街とさらに遠くに頭を覗かせていた昭和新山を見る事ができた。
昭和新山は昭和18~19年にかけて地震と共に麦畑や松林が隆起し、398mの新山となった山である。当時は戦争中だったので、その事実は機密事項としてほとんど報じられなかったらしい。今でも噴煙を上げ、300℃の水蒸気を噴出している溶岩でできた山である。
中之島からの帰路、遊覧船を追うカモメの姿を楽しむことができた。
翌日は火山科学館を見学した。
温泉街の背後にそびえる有珠山は、1663年の噴火以来、これまでに9回の噴火を繰り返して来た活火山で、一番新しい噴火は2000年だった。科学館では、噴火の歴史と噴火体験、避難所生活などが分かりやすく展示されていた。
その後、昭和新山の麓に行き、見学してから、途中に幾つもある果樹園の一つに寄り、もぎたてのりんごや葡萄、プラムを買って帰路についた。
私は少し酸味の強い「姫神」という品種のりんごを買ってきたので、今日はジャムを作る予定である。
下に数枚の写真を掲載する。
①ホテル前の遊歩道より中之島を撮す。 ②丘の上にサミット会場となるホテルを臨む。 ③遊覧船で中之島に渡り、対岸の温泉街と遠くの昭和新山を撮す。 ④昭和新山を麓から。 ⑤りんご園の売店にて
① ②
③ ④
⑤
小豆の豆選り、大変だった。虫に食われた豆や未熟な豆を取り除いて、今年の収穫量は1kgだった。
少ないといえば少ないけれど、これ以上多かったら一人で選別するのは大変だから、まあ、家庭用としては丁度良かったかな。(実は最後の選別作業は、手のひらに10粒位ずつ載せてやったのだが、終わったら肩がすっかり凝ってしまっていた。)
この小豆、赤飯にしたら凄く使えそうだ。大切に食べていきたい。
ついでに前に採った花豆を計ったら、僅か350gだった。(少なかったのは、花豆の種が高かったので、少ししか買わなかったのと、途中で手が折れてしまったので早めに収穫したためだ) 来年は選別が簡単な花豆を、もう少し多く栽培したいと思った。