花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

人間だけが長寿になった訳

2023年11月23日 | 読書

今回、TVで「ヒューマニエンス~死の迎え方、人の穏やかな死とは」を見たり、「中央公論」10月号の小林武彦氏の投稿記事で、「哺乳類の中で、何故人間だけが長寿を手に入れたのか?」という事が論じられていて、考えさせられた。

人間以外の哺乳類は、生殖が終われば命も終わる。しかし、人間だけが生殖を終える年齢になっても、その後の長い老年期を生きるようになった。それは何故か。

結論を言えば「人類が進化する中で、長寿者が必要になったからという。

高齢者には、長い人生を送った中で得た多面的な知識や経験を持って、家庭内の子育てなどを支援する、地域や社会の多様な課題に取り組むなどの時間的、体力的な余裕がある人が多い。それは、援助を期待されて徐々に寿命が長くなったのだという。

現代の高齢者は、知的、体力的、経済的に何もできない社会のお荷物的な存在では無く、個々人では多少の違いはあっても、家族、地域社会、大きく言えば国や世界のために何らかの役に立つ存在だという。

私も、その役割を果たしてから人生を閉じる事が求められているのだと考える。果たして私は、どんな役割を果たすことができているだろうか。また、これからは何ができるだろうかと考えさせられた。

一方、長寿化に伴って人体を作る細胞はどんどん老化していく。これは止めることはできないという。その結果、50歳代以降になると、癌、心臓病、脳梗塞、認知症などの病気になる人が増える。

世界中で研究が進められて高度医療が開発され、薬の発達も目覚ましいが、まだ根本的に病気を予防したり、完治する事は難しいので、今は100歳以上長生きしている人達(日本では、9万人もいるらしい)の生活習慣を調べて、それに学ぶ方法しかないという。

全て生を受けて生きている人は、必ず死ぬ。例外は無い。

さて、私自身は女性の平均寿命87歳になるまでカウントダウンの段階に入っているが、もう少し残っていそうな人生、何を目標にしながら、どんなことを注意して生きようかと改めて考えさせられた。

取り敢えず今、現在の「家庭菜園」や「読書」などの趣味を続けながら、処方されている沢山の薬をきちんと飲み、食べ過ぎに注意すること。必要な検査は、嫌だけど受け、病気は早期発見をしたい。「外国旅行」は、膝にまだ自信が持てないことと、今の円安では楽しめそうに無いから、行きたい場所はあるが当面は行く予定は立てない。そうこうしている内に体力が弱り、行けなくなるかも知れないが、今まで体験を積み上げられた事で十二分に満足できそうだ。

また、新聞やTVのニュースやドキュメンタリー番組などで、国内外の情勢変化も敏感にキャッチしながら生活したいと思う。今や私達はグローバルな世界の中で生きているのだから。

 

 

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「長寿大国日本と『下流老人』」を読んで

2022年09月12日 | 読書

この度、タイトルにある文庫本(森 亮太著、幻冬舎出版)を図書館から借りて読んだ。

今までも似たような内容の本を数冊は読んだが、今回の本は、日本の高齢者を取り巻く様々な状況が、時には国際比較のグラフを伴って実情が分かりやすく書かれていて、実に理解しやすく編集されているお勧めの本だった。

著者は、超長寿国である日本の高齢者が経済的に追い詰められる第一の原因は、高額な医療費の負担によるものだと説く。

癌で死亡する人が2人に1人と言われるが、著者は、癌などの治療に求められる高度な治療費負担、「胃瘻」施術による長期間の経費、1日5千円にもなる多額の個室利用料、過剰な投薬料の他、介護保険でまかなえない出費の個人負担分などが年金と少しの預貯金で暮らす高齢者の大きな経済的負担になり、「相対的貧困」線以下の「下流老人」に陥ってしまっていると説明する。

*「相対的貧困」とは、日本人全体の年収平均値の半分の年収に満たない世帯の事で、2012年の日本は年収122万円が貧困線とされていた。

「首都大学東京」の阿部彩による2012年「世帯別貧困率」では、高い方から「単独世帯」男性29.3%女性44.5%、「一人親と未婚子のみ」男性23.1%女性30.2%、「夫婦のみ世帯」男性14.2%女性14.8%の順で、「三世代世帯」は男性8.4%女性12.5%と低いが、「三世代世帯」の割合は少なく4%に満たないという。

また2010年の「相対的貧困率」を国際比較した場合、日本はイスラエル、メキシコ、トルコ、チリ、アメリカに次ぐ6番目の高さだった。

本の最後に著者が薦める生き方がまとめてあり、

⑴過剰な検診を避け、必要な検査だけを2~3年置きに受ける。

⑵自分の身体は自分でチェックし、病院依存症を脱する。

⑶信頼できる医師を見つけ、最小限の薬を処方して貰う。

⑷最後は自宅で迎えるよう、医師、家族などの協力を得ておく。

⑸身体と頭が健康な内に自分の希望をまとめ、書き残して置く。

だった。

この5項目の生き方を皆さんはどう思うだろうか。機会があれば、この本を是非手に取って見て欲しいと思う。

 

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「55歳からの一番楽しい人生の見つけ方」を読んで

2022年07月10日 | 読書

知的生き方文庫出版、「川北義則」著のこの本を偶然手にし、一気に読んだ。

著者の言う55歳はとうに過ぎてしまった私だが、内容は死を迎えるまでに楽しい人生をどう送ると良いかという著者が考えた貴重な示唆が書いてあって、高齢期の私にも分かりやすく、面白く読めて、とても良い本だった。

今は65歳にならなければ年金は満額出ない。そのため停年を無くしたり、定年年齢を65歳に延ばす会社が増えている。

かつ、年々日本人の平均寿命は高くなりつつあるが、何らかの介護を必要としない「健康寿命」との差は、男女ともに平均数年間ある。

それ故、数年前に「老後の夫婦の生活に必要な金額は、2000万円」と厚生労働省が言い出した結果、定年退職後も働き続けたいと思う人達が増えている現実がある。

そんな社会状況を背景に、著者は働き続ける場合の考え方、高齢期のお金について、妻や子供、友人、就業時代の同僚との人間関係について、趣味について、健康診断の功罪、暮らし方の基本姿勢など、多岐に渡って現代の高齢者にふさわしいあるべき生き方を説いている。

特に、誰もが必ず迎える死を自覚して一日一日を有意義に生きることの大切さは、私が癌患者になってから自分でも自覚して実行していることと同じだった。

多くの方々に読むことを薦めたい良い本だ。

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「70歳が老化の分かれ道」を読んで

2022年06月16日 | 読書

この度、図書館から借りて、和田秀樹著の「70歳が老化の分かれ道」を読んだ。

今までにも似たような本を沢山読んで来たが、今回の著書で新しく示唆された内容が幾つかあった。

その一つは「70代は老いと戦える最後のチャンス」であるということ。80代になると、気力体力共に少なからず減少するので、なかなか生活の仕方を変えるのは難しくなるからだ。70代ならば新たな生活習慣を得ることも可能だというのだ。

その「生活の注意点」は次の様な事だ。

何事も「引退」などしない。老化防止の最高の薬は働くことだ。運転免許は返納すべきでない。肉をしっかりと食べるべきだ。急にきついスポーツを始めるよりは、散歩などの軽い運動が長続きする。何か学びたければ、一人で学ぼうとせず、外の会に出かける方が良い。ダイエットはせずに好きな物、美味しいものをしっかり食べて「免疫力」を高める。

次は「医療との付き合い方」を述べていた。

「認知症」は病気ではなく「老化現象」の一つで、誰にでも脳にはアルツハイマーになる原因が少なからずできている。血圧、血糖値はコントロールし過ぎない方が良い。

日本人の死因のトップは癌だが、70代の癌との付き合い方を考える。医者が勧める手術が最高だとは限らない。手術後は必ず体力が落ちるからだ。

最後に、「70代の危機を乗り越える」こと。

先ずは退職や家族、友人などの介護や死去による「喪失感」を上手に乗り切ること。それには仕事をしていた時の自分が最高の自分だったと思わないこと。これからの人生を豊かに過ごす方法を考え、実行する。趣味は新たに始めるよりは、働く内に作っておくと良い。介護を生きがいにしないこと。見通しが難しい「在宅介護」より、「在宅看取り」が良いのでは。

そして最後を「周りの人に優しくなることが、幸せへの近道」だと結んでいる。

この本で私は、退職後の自分の生活の幾つかを肯定できた様に思った。また新たな示唆も得た良い本だった。

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「健康長寿を延ばすー高齢者の栄養と食事」を読んで

2021年02月21日 | 読書

先日、うどんを食べていた時、スッと軽く麺をすすったらむせて、咳が出た事があった。アレッと思った。

そこで図書館に「池田書店」出版の表題の本があったので借りて来た。

監修は東京都健康長寿医療センター研究所の研究員、成田美紀氏で、料理は管理栄養士、検見崎聡美氏の本だ。次のような内容で、実に要領よく詳しく書いてあった。その一部である。

日本人の「平均寿命」は、男女ともに世界一であるが、心身共に自立的な生活ができる「健康寿命」は、男女ともに平均寿命よりも10年前後短い。この「健康寿命」は、①栄養状態②筋力③社会的な活動の有無によると言われる。

まず必要な「栄養状態」を左右するポイントは、以下の通りである。

1-高齢者がなりがちの低栄養

 歯の状態の悪化、嗅覚や視覚、運動不足による体力が低下、施設へ入るなどの環境の変化、一人暮らしで買い物や調理が上手く行かなくなり食欲が無くなるなどで、低栄養になりやすい。その結果「要介護」状態になりやすいので注意が必要。

   低栄養は「認知症」にもつながる。

2-健康長寿へ向けた食生活のポイント

 ①食事を抜かない。②食事時間を規則正しく。③多種類の食品からバランスが良い栄養を取る事。そのために各食で主食、主菜、副菜、汁物をとる。④噛む力、飲み込む力に合う食べ物を用意する。⑤できれば家族や仲間と一緒の食事回数を増やす。

60才過ぎたら、これらのポイントを押さえた毎日の食事が大切だと書かれているが、実際はなかなか難しいと思う。

本を読みながら、私が伯母と同居していた間の伯母の食事づくりを思い出した。

伯母は歯茎に合わない総入れ歯だったために、噛む力が弱かった。それで固い食材は小さく刻んだり、時間をかけて柔らかく煮たり、時にはナイフを持たせたりと工夫していた。味付けも私の好みと異なるときは、伯母用の料理を取り分けて別味を付けていた。三度々々の事なので、こうした食事の用意が一番大変だった。

伯母は飲み込む力が弱かったので、むせることも時々あった。市販のパンはパサパサしているので飲み込みにくいというので、私がトーストを食べるときは、伯母にはホットケーキミックスに小麦粉を足して甘みを抑え、すりおろした人参や薄く切ったバナナ、甘く煮た薄切りリンゴなどを加えて焼いたホットケーキを用意していた。また、麺は短く切って供した。タコやイカは食べられなかったが、まぐろ、トラウトサーモン、甘エビ、ホタテ貝などの刺身は好んで食べてくれた。好きな漬物は、微塵切りした。

「誤嚥性肺炎」を防ぐために、食前に口の筋力を高める「パンダノタカラモノ」と何度か言わせたり、汁物やお茶も必ず供した。それでも98才の時に脳梗塞で入院した時、肺のレントゲン検査をしたら軽い「誤嚥性肺炎」になっていたらしい。

また伯母は既に大分前から「骨粗鬆症」になっていて、背骨が湾曲していたので、牛乳、乳製品、大豆製品などを多く食べさせていた。雪が無い半年間は、私が庭仕事に出ると、伯母も出て来て手押し車を押しながら家の前の道路を往復していたので、毎日、太陽光の紫外線も浴び、ビタミンD剤も服用していた。伯母は99才2ヶ月で「老衰」で亡くなった。

この本を読んで、これからは私自身の栄養と食事に気を付ける必要があると改めて思った。また、「誤嚥性肺炎」を防いだり、栄養バランスの良い献立の具体的な方法が書かれた良い本だった。

          

※右は窓辺の「シクラメン」  次々と蕾が立ち上がり、開花して来た。

 

 

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五木寛之「新・幸福論」を読んで

2021年02月05日 | 読書

今日、図書館から借りた五木寛之著「新・幸福論ー青い鳥の去ったあと」を読んだ。

誰しも人生の主たる目的は、「幸福になりたい」ということだろう。「幸福追求権」は、基本的人権の1つで、日本国憲法にも規定されている。

しかし、「幸福とは何か」と考えると、人それぞれに異なる幸福があるのも確かだし、また、長い人生の中で、目標とする幸福が、その時々で変わることも事実だろう。

まずは「人間的な最低生活」が確保されている状態である事には、誰も異論が無いだろう。

つまり、「経済生活」が安定していて衣食住が確保され、「安全」「精神的な余裕」「人間らしい趣味」の1つも持っていることが基本だろう。

しかし「健康」はどうだろうか。望まずして病気になる人は数え切れないほどいる。私もそうだが、大抵の高齢者は毎日幾つかの薬を飲んでいると思われる。服薬は病気を治したいか、治らないにしても悪化させたくないためだ。体力を維持しようと毎日きついトレーニングをする人もいる。し過ぎて不健康になる人もいる。

生活習慣病と言われる幾つかの病気を避けるために、毎日の食事に注意している人も多い。沢山の人が健康に関心があるから、健康に関するTV番組は多いし、サプリメントのCMもひっきりなしだ。だが、健康を維持することは簡単では無いし、もし病気が先祖から受け継いだ遺伝子が原因だとしたら、その変換はそう上手くは行かない。

長寿だった伯母にその理由と思われることを尋ねたことがあったが、伯母は「親が元気で生きる身体に生んでくれたからで、親のお陰だと思う。」と答えた。伯母の姉妹も90才代まで生きた。

その他、満足できる「家族関係や人間関係」「地域との関わり」などを築く事も大切だろう。しかし、どうにもならないこともある。

また、身体が自由に動かない高齢になると,、自ずと人間関係は狭く限定され、人との会話や触れ合いが少なくなる。そうなると「認知症」にもなりやすいとも言われている。

ここまでは私でも分かる幸福のための一般論だ。次にこの本に書かれている2つの事について、私が考えて見た事を書きたい。

1つめは、本の題にも書かれている「青い鳥」の話についてだ。

「青い鳥」の内容は大半の人が知っていると思うが、改めてこの本から抜き書きすると、ベルギーの作家「メーテルリンク」が書いた戯曲だ。貧しい木こりの子供であった兄妹「チルチル」と「ミチル」が、魔女に誘われ、鳥かごを持って幸福になるための「青い鳥」を探す旅をする。苦難に満ちた旅を続けたが「青い鳥」を捕まえることはできなかった。

我が家に帰ると、自分の家の部屋の隅で二人が飼っていた「キジバト」が、何と青い色に変色したのだった。

ここで五木氏は、「幸福は遠くにあるのでは無く、日常生活の直ぐ傍にある事を示唆している。」話だという。

しかし、原作では、何と「青い鳥」はちょっとした弾みにバタバタと羽ばたいて、窓から外へと飛んで行ってしまうのだ。

五木氏は、「幸福は、身近な直ぐ傍にある。それに気づいた時、「青い鳥」は飛び去ってしまう。二人は「青い鳥」がいなくなった世界で生きて行かねばならないのだ。まさに絶望的である。」と言っている。

しかし私は思う。「幸福は身近な所にあるが、それを見つけて大切に捕まえておかない限り、ちょとした事で壊れて無くなってしまうもろさを持っている」。そのことを作者のメーテルリンクは示唆しているのではないだろうかと。だから、身近な幸福を守る日々の意識的な努力こそが、必要なのだと。

もう一つ、五木氏が書いてあった事で考えさせられたのは、「高齢化社会の老人」の事だ。

平均寿命が世界一になった日本の高齢者は、かって経験したことが無い生活を余儀なくされているというのだ。

少子化で子供や孫と賑やかに暮らす高齢者は減り、今では独居生活や「老老介護」の高齢者が増えるばかりだ。それにかってよりも長寿化が進み、筋力が衰えて体調が悪化、認知症になる。一人で歩行や排泄、入浴ができない。食事にも介助が必要な高齢者が増えたのだ。平均70~100才までの20~30年間、「高齢者の幸福な生活のあり方」を再構築する必要があると強くいう。そして彼は最後に、「どのように最後の自分の死を迎えたいか」を考えることも大きな課題だと言っている。

この意見に、私は同感だ。長年農業をして来たが、夫(私の亡き母の兄だった人)と息子に先立たれた伯母を、一昨年、満99才で看取って、多くの事を学んだ。

高齢期の望ましい生活のあり方も、一人一人違うはずだ。最後にどこでどのように暮らすのか、誰の世話になるのか、必要な生活費や医療費、社会福祉との関わり方やその費用、葬儀や墓の問題など、より良い自分の最後の生活を真剣に考えなければならないのだと思う。

コロナ禍、高齢者施設や病院で、家族にも見守られずに亡くなる高齢者を思いながら、また考えさせられた良い本だった。

 

 

 

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「上野千鶴子が聞く 小笠原先生ひとりで家で死ねますか?」を読んで

2021年01月23日 | 読書

この本は2013年に「朝日新聞出版」から出た本だ。図書館で見つけて読んでみた。

テーマは、まさに今の高齢社会の課題で、その対策に詳しく答えた本だった。

高齢者の孤独死が時々ニュースになるが、確かに一人暮らしの高齢者が現実では増えている。何とか生活できたとしても、死となると病院や施設での死を想像してしまうのではないだろうか。

ここに登場する「小笠原医師」は、名古屋大学医学部を卒業後、幾つかの病院を勤務した後、2012年度、厚生労働省委託事業の「在宅医療連携拠点事業所」を受託開設して医療活動をされている方だ。

共著者「上野千鶴子」さんは、死を目前にしている高齢者医療の現状と数々の実体験を通した小笠原先生に、本当に自宅で一人でも死ぬ事ができるのかどうかを尋ね、それをこの本にまとめている。

介護保険をどう使うのが良いか、ヘルパーがしてくれること、夜間のトイレはどうするべきか、食事が取れなくなったら、痛みが伴う患者への対処方、患者の不安を解消する方法など、多岐に渡って詳しく書かれていて、私も自分が一人で最後を迎えたとしたら、どう対処するのが良いのかを学ばされた。

「救急車は呼んではいけない」など、なるほどと納得できる事も沢山書いてあった。

親子が離れて暮らしている、子供はいない、今は夫婦で暮らしているが、最後はどちらかが一人になる、身内はいるが、自分の最後を頼みたくないなど、悩みを抱えた多くの中高年と親の傍で暮らしていない若い人達に薦めたい本である。

※ 今年も5ヶ月後には、こんな花がみられるだろうか。

     

 

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「漫画 サピエンス全史」の紹介

2020年12月31日 | 読書

今話題になっている本「漫画 サピエンス全史(人類の誕生編)」を図書館から借りて、おせち料理作りに疲れたら一休みして読んだ。

いわゆる漫画とは少し違うが、イスラエルの歴史学者「ユヴァル・ノア・ハラリ」が、脚本を書いた本だ。私は先日NHK特集「コロナ後の世界」(?)を見て、インターネットで出演していた彼のこの本が日本でも出版されいる事を知ったのだった。

「私達人は一体どこから来たのか。私達は何者なのか。そしてどこへ行くのか。」という基本的な問いに答えようとする内容である。

世界中の多くの科学者がこの疑問を解き明かすために今まで研究を重ねているが、それを集大成するとこの本の内容になると思う。

地球上に「生物」が生まれ、長い時を経て、進化してやがて人類が誕生した。人類は6種類生存していたが、やがて5種は絶滅して今は地球上の人類は全て「ホモ・サピエンス」の一種類だけになってしまった。どうしてなのか。5種類の絶滅した人類とホモ・サピエンスは、どう違っていたのか。

そして、私達ホモ・サピエンスは、これからどこに行くのだろうか。やがて続編が出る。期待したいし、多くの方に紹介したいと思う。なお、漫画ではなく、日本語に翻訳された本も出版されているらしいので、見つけたら手に取ってみて欲しい。

 

今年最後の日になってしまいました。

1年間、みなさんに支えられました。ありがとうございました。

来年が良い年になりますよう、祈りたいと思います。

 

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「おひとりさまの老後」を読み終えて

2019年03月27日 | 読書
(前回の記事に続いて)
たまたま他人の「孤独死」をニュースなどで知るが、現代は一人暮らしの高齢者が増えているので、本当は結構沢山あるのだろうなと思っていた。
その内何時からか、自分も「孤独死」するかも知れないと思い出していたが、その先は考えてはいなかった。

この本で上野千鶴子氏は、 「孤独死」は怖くない。「孤独死」してもなるべく早く発見されるように、対策して置く方が現実的だと書いている。本当にそうだ。

先ず、時々様子を見に来てくれる人を作って置いたり、近隣の人に異変に気づいてもらえるようにして置く事。
次に、家に入れる様に、予め鍵を渡しておく人を決めて置いて、鍵の管理をお願いする事。
絶対、自分以外の人に見られたくないものを、処分しておく事。
遺産、不動産の処分について、遺言を書いておく事。
後始末を託する人を決めたら、葬儀の形式やお骨の処理方法などを依頼して置く事。
世話になる人にその費用や謝礼を用意して置く事だという。


「死」は突然やって来るので、「孤独死」を避けようとしても難しいかも知れない。
それなら、上記の事を準備しておけば良いのだ。これなら、そんなに難しいことでは無い様に私は思う。
考えたら、伯母は大体の準備をしていた。だから私は迷わずに病院から自宅に遺体を引き取り、心を込めた簡単な「家族葬」を実施できたし、その後の年金や預貯金の処理がスムーズにできたのだと思う。
この本を入れて書架に置いてくれた市の図書館にも感謝したい。

                                    

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「世界の文化は実に異なる」と再認識させられた本

2018年01月25日 | 読書
図書館で見つけ、大月書店「くらべてわかる世界地図5」の「文化の世界地図」(藤田千枝編、坂口美佳子著)を借りて来て読んだ。
この本は児童図書の本棚に有った物で、各ページに可愛らしい絵と分かり易い説明、そしてカラフルな統計表が掲載されていて、子供からお年寄りまで興味を持って読み、知識を広げる事ができる様に編集されている。

この本から、私があまり知らなかったことで再認識させられたことの幾つかを書きたい。
1、使用されている言語(003年現在)
 1位は10億人が話している「中国語」だが、2位の「英語」は3億5000万人しかいなくて、私の予想より少なかった。
3位は2億5000万人の「スペイン語」、4位が2億人の「ヒンディー語」だった。なるほどと思った。5位が何と「アラビア語」で1億5000万人だ。
因みに「日本語」は1億2000万人で9位だった。

2、宗教
 国境を越えて幾つかの宗派に分かれている宗教は「世界宗教」と言われ、「キリスト教」「イスラム教」「仏教」などが主なものだ。
 世界の3人に1人が「キリスト教徒」、5人に1人が「イスラム教徒」、7.5人に1人が「ヒンドゥ教徒」で、17人に1人が「仏教徒」だ。
 「仏教」の内、「大乗仏教」を信仰している国は「中国」「日本」「韓国」「北朝鮮」「ベトナム」「カンボジアの一部」だ。

3、人口構成の特徴 「日本」は「人口に子供が占める割合」が世界1少ない国だ。2位が「ロシア」、3位が「イギリス」と「スエーデン」だ。
 その反面で「人口に占める一人暮らし世帯の割合」が最も高い国は「スエーデン」(40%)、2位が「日本」(28%)、3位が「フィリピン」と「フランス」(27%)だ。「フィリピン」が意外だった。

4、生死・結婚・離婚
 先ず「戸籍制度」がある国が「日本」と、かって「日本」が占領していた「韓国」「中国」(台湾)だけだった。
 また、「死者の葬り方」では「土葬」が一番多く、「火葬」だけの国は「日本」「インド」だ。
他の多くの国は「土葬と火葬」の両方が伝統的に行われたり許可されている。
 国によっては「鳥葬」「水葬」の他、「曝(ばく)葬」(野ざらしにして鳥や動物に食べさせる)「洞窟葬」「樹上葬」などもある。
 「イスラム教」では24時間以内に「土葬」する。「火葬」は地獄に落ちた者が受ける神の罰だと考える。また、アッラー以外の神に祈る事は禁じられているので、お墓参りはほとんどしないらしい。
 「ヒンドゥー教」では、「火葬」で魂は天に昇り、魂の再生を信じて墓は作らないという。

(※私は2015年10月に、国教を「イスラム教」と定めている「イラン」で、現在は禁止されている「鳥草」の丘に行った事がある。興味がある方はこのブログのカテゴリー「西アジア」で「イランの旅」の12「ヤズドの市内観光」②を見ると、写して来た写真も載せてあるので参考にしてもらいたい)

5、音楽の音階 「西洋音楽」ではドレミファソラシドの音階だが、「中国」では「ミ」が無い。「インド」では「レミラシ」が半音低い。「スコットランド」は「ファとシ」が無い。「日本」の民謡には「ミとシ」が無く、「雅楽」には「ドとファ」が無い。「沖縄」「中国の雲南省」「ブータン」には「レとラ」が無いという。この違いも面白かった。

6、マナーとタブー
 「フランス」では、自動車の助手席に子供を乗せてはいけない。「スペイン」では、信号無視、横断歩道以外の場所での道路の横断には罰金がかせられる。
 「日本」では、お椀を口まで持ち上げて食べるが、「欧米・中国・韓国」では、スープの食器を持ち上げない。「中国・韓国」では、料理を平らげると「足りない」という意思表示になるので、少し残すのが良い。
 「欧米」でトイレのドアを叩くと「早く出ろ」と受け取られる。
 「ヒンズー教」で牛が神聖な動物とされるのは、マラリア蚊が牛の血が好きで、牛の側にいればマラリアにならないからだそうだ。これは初めて知った。

この本の一部を紹介しただけだが、興味を持ってもらえただろうか。
次回、図書館に行ったら、このシリーズの他の本を借りて来たいと思っている。

※この所、北海道だけでなく、本州の日本海側や東京まで大雪が降っていると報じられている。
私の所も今朝の気温は今冬の最低気温だった。(朝5~6時頃、-16℃だったらしい)
また午前中、断続的に雪が降り、-5℃前後の中で2回、合わせて1時間強、除雪をした。手袋を履いていても指が冷たくなって痛くなった。
この強い寒波は、早く終って欲しい。
                                     

 
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モーリッシュが見た大正の日本(5)

2009年10月12日 | 読書
彼は日本の文字については、
「西洋の文字はやさしいけれど、日本の子どもは四十八種のかなを習い、その後五百の漢字を墨と筆で書いて頭に叩き込む。アルファベットを日本でも取り入れたら、どんなに国語の授業が楽になることか」と。
また「逆さまの国」のところでは、「日本では水平に行を連ねて書くのではなく、垂直方向に書かれ、印刷されたものを、右から左に向って読む。」と、書いている。

その後、ローマ字を日本の文字にすることを考えた人もいたらしい。
私は、漢字というのは象形文字から発展してきて、1字の中に物の存在や様子、人間の感情まであらわす事ができる凄い力を持った文字だと思う。
だから今、人口13億人になろうとしている中国で、漢字の簡略化を進めていることを、私は一面では理解できても、せめて常用漢字は簡略化して欲しくないと思う。
3月に行った台湾でも、漢字を守ろうとしている事を知り、嬉しかった。
先月行った東ヨーロッパでは、どの国も幾多の戦争を乗り越えて来た歴史があるが、言語や文字は、民族の文化であり、存在そのものだと思った。
その意味でも私は、今後も日本語と漢字が大切に受け継がれて行く事を願いたいと思う。

また、植物学者の彼は、実に細かく日本の植物分布や農業、果樹栽培を観察して記録に残している。
次は「庭について」の中の一文である。
「日本の庭は、いかなるヨーロッパの庭とも本質的に趣を異にする。」
「ヒノキは日本の庭で大変重きをなす木であるが、庭では自然とは全く別の習性が与えられ、側枝がクッションのような形になるよう剪定されている。」
「松の木などは、今年出た新しい葉だけを残して後は全て切り落としてしまう。凝り性にも程があるというもので、こんな木はまるで散髪屋にでも行ったような顔をしている。」
「植物生理学の立場からすると、こんなお化粧ごっこは止めにするべきである。」
とまあ、日本人が樹木に施す自然とはかけ離れた剪定に驚き、ユーモアを交えながら苦言を呈している。

果樹の剪定は明治期に欧米から伝わった技術らしいが、庭木を剪定したり、盆栽にして楽しむのは日本人特有だと聞く。
私は、西洋やインドの公園で動物の姿に刈り込んでトピアリー仕立てにした木を見た事があるが、モーリッシュは見てなかったのだろうか。
私も生垣の剪定ならまだ判るが、余りにも極端に散髪された木には、違和感を感じる。

さらに彼の観察は続く。
「日本人は自然を愛するのに大変熱心である。彼らの熱狂振りは世界中に知れ渡っている。
彼らは例え一握の砂ほどの土地しかなくても、猫の額ほどの土地すら持たない場合でも、小さくてかわいらしい盆栽の樹木や岩や池や橋、石灯籠を陶器の盆に詰め込んで、庭のミニチュアを作る。」
その結果彼は、こうした日本人に特有な庭作りの原因を、小さくて狭い家、狭い庭がなせる事だと理解したようだ。
また、全ての植物には命が宿っているとして敬う日本人の自然観にも、その原因を見ていたようだ。

まだまだこの本には、研究熱心で、ジャーナリズムの精神に溢れた彼の異国日本に対する観察が続く。
私はこの本を読んで、関東大震災、伊勢神宮、宮中行事、サハリン紀行、富士登山などの記述から、当時の状況を細かく知る事ができたし、異国の彼の目を通して当時の生き生きとした日本人の生き様を知った。
また後書きを読んで、彼の偉大さも改めて知らされた。
今は、大変興味が持てる良い本に出会った事を亡きモーリッシュに感謝している。








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モーリッシュが見た大正の日本(4)

2009年10月11日 | 読書
「贈り物」
彼は繰り返し日本で体験したプレゼントについて、次のように述べている。
「日本人の贈り物の渡し方は洗練されている。人を訪ねても直ぐに贈り物の事を言わない。最後の最後になってから、どうでも良いことのように言う。
立派で高価な品物でも、つまらないものをお渡しする無礼をお許し下さいと言って詫びる。小奇麗な包装の右側にはのしと呼ばれる紙片がつけられ、大したものではないという事を伝えるのに粗品と書き入れる。」

「日本では色々な機会に贈り物を貰う。学生が研究室に来て帰る時に、さもホンのついでであるかのように贈り物を渡される。それは故郷の絵葉書、漆の箱、日本人形、風呂敷、もぎたての柿が入った小箱、有名な魚の燻製などである」と書いている。

観察の仕方が細かい事に驚くが、日本人が一寸した機会にするこのような贈り物の習慣を、彼は「感謝の気持ちを表す行為」と結論づけている。私も彼の見方に同感する。

また、私が思うには日本人の贈り物の仕方も、戦後、日本にアメリカ文化が入って来てから大分変わったと思う。
訪ねた人は、贈り物を早めに渡す。貰った側もその場で直ぐ開き、一緒に喜んだり食べたりするようになった。
そして最近は、送り手が「粗末なものですが‥」等と言ういい方をする事は、少ないのではないだろうか。
日本では、『粗末なもの』だと言って差し上げるのは、贈り物に対して相手に負担感を持って欲しくないと言う思いやりの心なのだが、西洋人の考え方に立つと、粗末だと判っているものを差し上げる事は、相手に大変失礼な事だ、となるのだ。

それにしても、日本人には贈り物癖があると言ってもいい位、現代は一層贈り物の機会が増えた。
古くからの歳暮、中元などの他、、各種の祝い事、果ては外国の習慣に同調した誕生日、クリスマス、バレンタインデー、結婚記念日などだ。
数え上げたら年中、何がしかの贈り物をしたり貰ったりしているが、それは今では人間関係を良くする潤滑油なのかも知れないと私は思う。
(実際にはバレンタインデーのように、商業者の販売戦略から始まり、あっという間に日本の文化となった不思議な事も多いのだが)

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モーリッシュが見た大正の日本(3)

2009年10月10日 | 読書
「国民教育」の章には、次のように書いてある。
彼が勤めた仙台の東北帝国大学の生物実験室の隣に、大きな国民学校があった。部屋からは手に取るように校庭で遊ぶ子ども達の姿が見られたらしい。
「子ども達は、1時間に1回、校庭に出て来て、のびのび身体を動かす。そしてこの事は1日に何度も繰り返される。だから子ども達は学校嫌いにならないのだ。」

「子ども達には、落ち着きは全く見られない。日本の大人の見事な落ち着き振りは、年のせいではなくて克己心を叩き込まれたためなのだ。」と、彼は結論づけている。

26年も前の事になるが、私は1度、イギリスの小学校を見学した事がある。
その時、授業中ずっと、小学校低学年の子ども達が全く私語をしない事が不思議だった。
(その小学校は、ロンドンの低所得者が多い町にあった。1クラスに生徒十数人、教師1人、助手1人がいた。
生徒は自分の学習計画に基づいた勉強をするので、1人1人バラバラな科目を黙々と静かに勉強している。教師は全体に黒板前で説明をすることは1度も無く、子どもが小声で質問したら、答えを言わずに勉強方法を教えていた。)
私は、学校生活もそうだが、多分小さい頃から日曜日に行く教会のミサで、必要な時はじっとする教育を受けて来て、それが習慣となって身についているのだろうし、また家庭生活は大人が中心で、子どもの我侭な行動は厳しくしつけるのではと考えたのだが、本当はどうなのだろうか。

それに比べて日本の子ども達の落ち着きの無さは、彼をきっと驚かせたのだろうし、彼と出会う紳士達の振る舞いとの格差が不思議だったのだろう。
私も帰国後、子どもの父母参観で小学校に行った時、落ち着きの無い子ども達の姿が改めて強く目に写った。またそれよりももっと衝撃的だったのは、授業中教室の後ろに立っている母親達の遠慮が無い私語だった。私語をしていい時かどうかの判断ができない親に、落ち着いた子どもを育てる事は期待できないかも知れない。

「日本の大学は、ヨーロッパやアメリカの大学と十分張り合う事ができる。
現在5つの国立大学があるが、6つめの大学が朝鮮の首都ソウルに建設中である。」と当時の状況を書いている。
さらに「日本の大学の目的は、天皇が布告し、『国家にとって有益な学問の理論と実践を教え、各分野で独創的な研究を推し進める事、さらに学生の個性を発展させ、国家にとって健全な思想を育成すること』だ。」と書いている。
それに続いて、「教える側の自由はあるが、国の始まりについて紀元前660年からという事に批判的な意見を述べる事ができない奇妙な制約がある。」と言っている。
そして、「教わる側の自由は無いに等しい。」とも。

また、面白いことも見抜いている。
それは、「残念な事に眼鏡をかけている学生が多いが、中にはインテリ、学者を装うために眼鏡をかけている者がいることも確かだ。」と。
続けて、「こんなに近視が多いのは、小学校の頃から小さな込み入った文字を読み書きさせられるからだ。」と結論付けている。
確かに日本人は近視の人が多い。かって外国人は、カメラを持ち眼鏡をかけた人は日本人だ、と思ったそうである。
でも、彼が言うように文字(漢字)が原因なのだろうか。私は当時の照明や姿勢も大きいと思っているのだが、いかがだろうか。

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モーリッシュが見た大正の日本(2)

2009年10月09日 | 読書
彼が書いている西洋と逆な日本の生活習慣についてもう少し‥‥
日本では帰宅すると家に上がる前に靴を脱ぐが、西洋では家の中で初めて靴を脱ぐ。
その理由として彼が考えた事は、日本には家具がなく、畳の上で食べ、書き、寝るから、畳の床は西洋の机の上と同じだという結論なのだ。

もう少し踏み込んで彼が考えたら、気候風土、床材の違いに気づいたのではと、私は残念に思う。
雨が多い日本では玄関で汚れた履物を脱いでから、湿気や汚れに弱い畳の部屋(西洋の床は、木か石やタイル、レンガ、モルタルなどで極めて丈夫にできている)に入るのが合理的だと判ったはずだ。
さらに、湿度が高い日本でずっと靴を履いていたら、足が蒸れて不潔になりやすい。(だから和服の時は、下駄やぞうりを愛用したのだと思う)
西洋では湿度が低いし、弾力がある温かい畳と違い、床は硬い材質なので、靴をはかなかったら足が冷えるし、歩くときの衝撃がじかに脳に伝わるから、家の中でも履いて来たのだと私は思う。(気温が高いエジプトや南欧では、夏の間、日本の草履にそっくりなスリッパを履いて来たみたいだが)

「女性の扱い」の章には、次のように書いてある。
奇妙な事に、日本の男性は女性に服従を求める。
娘は父に従い、妻は夫に従う。寡婦になったら息子に従う。
彼女は人に命令する事ができないし権力も、家族から尊敬されることもない。客が来たら食卓に一緒に座らず、給仕だけする。
そして常に、女は男より下なのだと思い込まされる。
夫が妻に好意を感じなくなって別の美人の所へ行ってしまっても、じっと耐え忍ぶ必要があるのだろうか。
これは西洋人には理解できない事だ、と言っているのだ。

きっとこの時代の日本女性の家庭内、社会における立場を見た彼は、さぞかし驚いたのだろうと推察できる。
しかし、これも残念なことに、彼は当時の家父長制家族制度のことには目を向けていないのだ。
嫁した女性は夫の家の嫁であり、その家の跡継ぎとなる男子を産み、その家の家風を受け継ぐ事だけが妻の存在価値だったことには気づいていないのだ。
特別な場合を除き、家や夫の遺産の相続権も子どもの親権すら持っていなかった事を知ったら、彼は何と思っただろうか。
そしてこうした女性への人権無視がなくなるのに、法律ではさらに20年以上後、第2次世界大戦終結後の新憲法成立、民法改正を待たなければならなかった。
しかし、例え法律が変わっても、社会的な習慣が変わるのには可なりの時間が必要である。
敗戦から64年後の今日でも、日本の人々の女性観はまだまだ遅れている面が多い事を、彼が知ったらどう思うだろうか。
今回、婚姻時の選択的夫婦別制を含む民法の懸案事項を、法務大臣が来春成立させたいと言った事に対して、民主党の総理大臣さえ時期尚早だと暗に反対している事に、私は落胆している。





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モーリッシュが見た大正の日本(1)

2009年10月08日 | 読書
この本のタイトルは「植物学者モーリッシュの大正日本観察記」だが、私は前から比較文化論に関心があったので、図書館で見つけたのを借りて来た。
ハンス・モーリッシュは1856年、当時のオーストリア帝国(現在のチェコ共和国)に生まれ、ウイーン大学を卒業後、1909年、ウイーン大学の植物生理学主任教授となった。
1922(大正11)年9月から1925(大正14)年3月までの2年半、東北帝国大学に招かれて日本の学生達を指導した。
その間、日本のあちこちを旅行し、自然や気候風土を体験し、植生を調べ、当時の人々と交流しているが、その中で西洋と違う日本の独自な文化に大いなる関心を抱いたのだった。
そして帰国の1年半後にこの本を出版している。
帰国後はウイーン大学総長も務め、1937年81歳で死去している。

この本は、日本語に翻訳されて2003年に草思社から出版された。421ページの分厚い本である。
まだ半分しか読んでいないが、仕事の傍ら、当時の日本の社会、風俗、芸術などを細かく鋭く観察し、日本人の生活観、思想を理解しようとした大作である。
確か前に朝日新聞でこどもの日の特集記事が載っていた中に、「日本の国ほど子どもを大切に見守り、育てている国は無い。」というような事を、昔、言った外国人がいると書かれていたが、その人がこのモーリッシュだったのだ。

先ず、「逆さまの国」に書いてある事を紹介したい。
カンナの刃のつけ方、使い方が西洋と逆。のこぎりの刃先が後ろに向いているので、自分の身に引き寄せて仕事をするのが日本人だ。鉛筆の芯を研ぐ時、刃先を向こうに向けて持って削るのも逆だ。濡れた傘を閉じたら握りを下にしておくのが逆。売り子はつりの計算を引き算するが、西洋では足し算で出す。

手招きの仕方も逆だ、と続くが、日本の大工は先に屋根を仕上げてから壁や中を作るが、西洋では土台を作ったらその上に壁を積み上げて、最後に屋根をのせる、という下りについては、私は日本の材木と西洋の石材やレンガとの違いに触れていないのが不思議だった。建材の違い、降雨量の違いを見れば、なぜ逆なのかが判るはずなのにと思った。

日本の酒飲みを「左利き」と言うように、日本人は酒盃は左手で持つし、靴を履く時は左足から履く、と彼が言うのに至っては、私は彼の思い込みだと思うがどうだろうか。

また、日記を書く時、日本人は年→月→日と書くが、西洋では反対である。
手紙の宛名書きも、日本では町名→通り名→番地→受取人名だが、西洋は逆だ。
客をもてなす時、日本では1番上等な床の間の近くに主賓が座り、その家の主人は反対側の目立たない場所に座る。西洋では最も良い席に主人か主婦が座り、その隣に客を座らせるというように、実に細かく観察して彼なりの結論を出している。
今で言えば、彼は社会学者の目を持っていたのだと思う。





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