今回、TVで「ヒューマニエンス~死の迎え方、人の穏やかな死とは」を見たり、「中央公論」10月号の小林武彦氏の投稿記事で、「哺乳類の中で、何故人間だけが長寿を手に入れたのか?」という事が論じられていて、考えさせられた。
人間以外の哺乳類は、生殖が終われば命も終わる。しかし、人間だけが生殖を終える年齢になっても、その後の長い老年期を生きるようになった。それは何故か。
結論を言えば「人類が進化する中で、長寿者が必要になったからだ」という。
高齢者には、長い人生を送った中で得た多面的な知識や経験を持って、家庭内の子育てなどを支援する、地域や社会の多様な課題に取り組むなどの時間的、体力的な余裕がある人が多い。それは、援助を期待されて徐々に寿命が長くなったのだという。
現代の高齢者は、知的、体力的、経済的に何もできない社会のお荷物的な存在では無く、個々人では多少の違いはあっても、家族、地域社会、大きく言えば国や世界のために何らかの役に立つ存在だという。
私も、その役割を果たしてから人生を閉じる事が求められているのだと考える。果たして私は、どんな役割を果たすことができているだろうか。また、これからは何ができるだろうかと考えさせられた。
一方、長寿化に伴って人体を作る細胞はどんどん老化していく。これは止めることはできないという。その結果、50歳代以降になると、癌、心臓病、脳梗塞、認知症などの病気になる人が増える。
世界中で研究が進められて高度医療が開発され、薬の発達も目覚ましいが、まだ根本的に病気を予防したり、完治する事は難しいので、今は100歳以上長生きしている人達(日本では、9万人もいるらしい)の生活習慣を調べて、それに学ぶ方法しかないという。
全て生を受けて生きている人は、必ず死ぬ。例外は無い。
さて、私自身は女性の平均寿命87歳になるまでカウントダウンの段階に入っているが、もう少し残っていそうな人生、何を目標にしながら、どんなことを注意して生きようかと改めて考えさせられた。
取り敢えず今、現在の「家庭菜園」や「読書」などの趣味を続けながら、処方されている沢山の薬をきちんと飲み、食べ過ぎに注意すること。必要な検査は、嫌だけど受け、病気は早期発見をしたい。「外国旅行」は、膝にまだ自信が持てないことと、今の円安では楽しめそうに無いから、行きたい場所はあるが当面は行く予定は立てない。そうこうしている内に体力が弱り、行けなくなるかも知れないが、今まで体験を積み上げられた事で十二分に満足できそうだ。
また、新聞やTVのニュースやドキュメンタリー番組などで、国内外の情勢変化も敏感にキャッチしながら生活したいと思う。今や私達はグローバルな世界の中で生きているのだから。