この日も朝から晴天で心地よい陽気だった。
立派な高層マンションがひしめき合う様に立っている場所でも、また古い低層アパートでも、晴れの日を待っていたかの様にベランダに洗濯物を干している家が多く見られた。
ガイドはそれを見て、「万博前から上海では、洗濯物を外に干さないようにと呼びかけているが、家が狭いので室内に干す場所がない家が多い。しかし、下着を堂々と干すのは恥ずかしいから止めて欲しい。風が強い日にパンツが飛んできて通行人の顔にぶつかった事もある。」と話した。立派なマンションのベランダに干されていた古そうな布団を見て、ガイドは「1億円のマンションに住む人が寝ている布団には見えない。恥ずかしい。」と、しきりと嘆いていた。
最初、伝統的なデザインの建物が多い豫園市場①の混雑を抜けて、明代の1577年に建設された名園、「豫園」に行った。
ここは四川省の役人、潘允端が父親のために建築した私邸なのだ。私がここに来るのは2回目だったが、大きな龍が上を這う壁②、太湖石の庭など、当時の美意識を改めてあちこちに見る事ができた。さざんかが咲いていて、庭に華やかさを添えていた。③
① ② ③
豫園を見てから上海博物館に行った。ここは1996年12月にオープンした4階建ての近代的な博物館だった。④
中国古代青銅館、古代彫塑館、絵画館、古代陶磁館、古代玉器館、少数民族工芸館、歴代印鑑など、テーマ毎の部屋に分かれていた。
私が目を見張ったのは、仏像の展示⑤と民族服の展示⑥だった。1時間半があっという間に過ぎた。
④ ⑤ ⑥
昼食は小龍包と点心料理で美味しかった。中国の人達も沢山食べていた。
(ガイドブック「地球の歩き方」に、「レストランの中には中国人向けと外国人向けのメニュー表が別々に作ってあって、同じ料理でも価格が異なる事も多い」と書いてあったのを思い出した)
その後、浦東地区にある上海ヒルズに行った。この地区には、まるで未来都市さながらに超高層ビルが立ち並んでいて、上海経済の高度成長を見せつけていた。⑦
上海ヒルズは、地上98階建ての492mのタワー状の建物⑧である。(近くで撮ろうとしたが、余りに高くて上まで入らなかった)
高速エレベーターで94階の展望台に上がり、360度、上海を上から見下して写真を写した。⑨
丁度クリスマスを前にして数本のツリーが立てられていて、それに下げるカードを自由に書けたので、私も「また上海に来られて幸せです。JAPAN、○○」と書いて下げて来た。従妹もその友人も何か書いて釣っていた。
⑦ ⑧ ⑨
最後にお茶屋と100元ショップに連れて行かれた。
お茶屋では高価なお茶ばかりだったので、誰も買わなかった。100元ショップは、日本の100円ショップにヒントを得て、開店したと店長が説明してくれた。100元は日本円で1300円だが、貨幣価値が違うので、3000円以上の商品を取りそろえているように見えた。ここの価格は手頃だったし、同じ品物で今まで行った店よりも安いものもあったので、何人かがお茶やクッキーなどを買い求めていた。
夕食はホテルで食べたが、変化に富んでいて最後の食事にふさわしいものだった。
翌朝ホテルを5;15に出発し、不味い朝食の弁当をバス内で食べて上海浦東国際空港に行った。現地ガイドと別れ、8;15発の飛行機に搭乗する手続きは個人で済ませて、中国東方航空機の新千歳空港行き直行便で帰国した。
今回の旅行は、全体を通して見ればホテル良し、食事良し、観光良しで良い旅だった。
ただ、天候は悪かったが、これは仕方ない。帰国後の上海は、毎日晴天続きらしかった。
来年は、また数度目の中国のどこかに行きたいと思っている。
つたない旅日記を読んで下さった皆さん、有難うございました。皆さんは中国江南地方にどのような感想を抱いただろうか。できればコメントをお願いします。 (完)