花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「GO TO トラベル」で「ニセコ」へ(2)「ニセコ」

2020年10月26日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

「ウトナイ湖」を後に、一旦北上し、やがて「支笏湖」の南側を湖に沿って西へ走った。「大滝」「留寿都」「喜茂別」を通過し「真狩」の「羊蹄山」の裾野を走っていたら、突如「羊蹄山自然公園」の看板があった。そこは18年ほど前に羊蹄山登山をした時の登山口がある場所なので、右折して坂道を登っていった。

曇り空のため標高1,898mある「羊蹄山」は中腹よりも低い雲に覆われていて、姿は見えない。登山口近くに駐車場や案内場があり、さらにキャンプ場があって、テントが10張り程度設営されていた。霧雨が降っていて、かなり薄暗かったが写真を撮った。

左の道の奥が登山口。山の裾野がうっすらと見える。私が登山をした時の事を娘に、「9月23日、前夜札幌から「真狩」に来て、急なので宿は無かった。仕方なく真狩温泉に入ってから、役場の駐車場に車を止めて毛布にくるまって寝、翌朝、傍のコンビニでおにぎりを買い、ここから朝6時半に登り始めた。」と話した。

登山口方向と反対の入り口方面の写真。

その後、「ニセコ町」の入り口にある「道の駅」で休憩した。「インフォメーションセンター」で、初めて行く東山の「ニセコヒルトンヴィレッジ」ホテルの場所を聞いたら、町の詳しい地図を渡されて説明してくれた。

「道の駅」にはカボチャ、ジャガイモ、キャベツ、大根など地元の季節の野菜を売っていたので、私は「おばさん」らしく目に付いた「にんじん4本100円」を買った。(娘からは「おばあさんだよ」と言われたが、私自身にはその言葉はまだ認めたくない気持ちがある)

10分ほど走り、ホテルに着いた。ホテルの裏側が「ニセコアンヌプリ」のゴンドラ駅だった。入り口で検温され、チェックイン。フロントの受付係は外国人だったし、レストランでも沢山の外国人が働いていた。

密にならないように、「大型エレベーター」の人数制限は4人、「大浴場」は入る時に申告してドアの鍵を受け取る。食事は予定時間ごとに人数制限し、料理を取りに行く時はマスクを付け、薄いビニール手袋を履くようになっていた。

15階のツインの部屋は広く、窓からは下の広いゴルフ場と羊蹄山が見渡せるが、山は残念ながら中腹以上は雲に覆われていた。

朝は霧雨が降っていて、かなり薄暗かったが、やがて9時頃、雨が止んだので窓の外の写真を撮った。

「羊蹄山」は、裾野がわずかに見えるだけだ。

駐車場の向こうの山が「ニセコアンヌプリ」だと思う。晩秋を感じる山の色だ。

翌朝のチェックアウト時刻は12時だったが、11時にホテルを出た。

往路と同じく「支笏湖」の南側を走り「千歳」に抜けた。途中で「大型スーパー」に寄って、今回1人当たり2,000円貰った「地域共通買い物券」で食品を買ってから帰宅した。娘も食品を買ったらしい。

振り返ると、「ウトナイ湖」と「紅葉」には満足できたが、ホテルの食事は大したことが無かった。1泊1人15,000円の所、GO TO トラベルの助成分35%引きだったからだろうか。国からはホテルに35%分は払われていると思うのだが腑に落ちなかった。

2日間の走行距離は、約290kmだった。珠には私の車を走らせる事ができて、これも良かった。

 

 

 

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「GO TO トラベル」で「ニセコ」へ(1)「ウトナイ湖」

2020年10月25日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

3月1日に「インド旅行」から帰宅後は、墓参以外は一度も市外へ出かけたことが無かったが、旅行会社から「GO TO トラベル」のパンフレットが手元に届いたのをきっかけに、真っ盛りの紅葉を見に近間の「ニセコ」に出かけることにして、24~25日と娘と2人で出かけて来た。

私の車のタイヤは、数日前に冬タイヤに変えてあったので、夏タイヤのままの娘の車は置いていくことにして、運転も私がした。

「ニセコ」には大分遠回りになるが、1ヶ月ほど前から毎日、家の上空を飛来して飛んでいった沢山の渡り鳥が羽根を休めている筈の「ウトナイ湖」に立ち寄るため、先ずは苫小牧方向に車を走らせた。途中で大白鳥が50羽ほど田んぼで落ち穂を食べているのを目にした。

「ラムサール条約」に登録されている湿地「ウトナイ湖」に着いたのは正午前の時刻だった。数百羽の渡り鳥が、私がいる岸辺からは200m以上も向こうの湖の中程に、静かに浮いていた。目では鳥の姿もはっきりしなかった。デジカメの40倍ズームを一杯近くにしたら、姿は把握できるが一瞬でぶれるのでなかなか上手く写せない。なのでほとんど闇雲に写した次第だった。

写真を見たら大半は黒い羽根の鳥の様だが、春にシベリアで卵から孵り、巣立った白鳥の幼鳥も多いのではないかと思った。

ところがネットで見た「ウトナイ湖自然サンクチュアリー」の観察記録によると、この時期に多く見られる水鳥は「大白鳥」「こぶ白鳥」「アオサギ」「カイツブリ」「マガモ」「真雁」「カルガモ」「ヒドリ鴨」などだという。と言うことは、私が庭仕事中や散歩の途中で見かけた渡り鳥は、多様だったと言うことになる。

            

水鳥は、こんなに互いに近接していることが分かる。

   

次の写真では「白鳥」も見える。

昨年建設された3階建て「展望台」に登って見た。17mの高さから下では分からなかった230haある湖の姿が見えたので写真を撮った。

       

湖の右手を写した。この場所では向こう岸まで400mほどあるらしい。画面を暗めに編集してみたら、鳥が岸から200m程の位置である中程にうっすらと見える。

湖の中央部は飛ばして、左手の岸と「ネイチャーセンター」を写した。

下は施設のあちこちに張られていた「ウトナイ湖サンクチュアリー周辺自然情報」ポスターから。

早朝や夕方には群れで飛ぶ姿が見えるのだろうが、今回は静かに羽根を休める姿を確認できて良かった。

30分ほど楽しんでから、北上して「樽前山」と「支笏湖」の間を走る国道を通り、「ニセコ」へ向かった。その間中、赤や黄色に色づいた高い木々のトンネルを進む感じのドライヴになった。予報では峠は雪になる所もあるということなので、今回は今年最後の素晴らしい紅葉をたっぷりと楽しめた。

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苫小牧・白老方面へドライブ

2019年10月13日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

今回の3連休中、何処かへドライブをしようと娘から誘われていた。

ところが超大型の台風19号が上陸する予報が出て来た。北海道は13日(日)に台風が到達するらしいと言うので、12日(土)に日帰りで「苫小牧」「白老」方面に出かけることとした。

昨日9時に娘が迎えに来た。「千歳」から支笏湖に行く道路に入った。紅葉は始ったばかりという印象だったが、鬱蒼とした雑木林の中を通るので気分が良かった。森林浴ができるからかな。

「苫小牧」を越えて間も無く右折し、「樽前山」の南側原野にある「樽前ガロー」に立ち寄る事にした。

行って見たら人影はほとんど無く、駐車場は静かだった。車を降りて林道を歩くと水が流れる音がし、踏み跡があったので入って見た。

20m程下に渓流が流れていた。足下は崖なので、足を踏み外すのではと恐ろしかった。人手が入っていない状態の渓谷は、むき出しの岩が皆苔むしているように見えた。

「樽前山」の北側の山裾に「苔の洞門」という場所があるが、数年前から閉鎖していて見られない。そこは大きな岩が重なり合っていて、そのどれもが苔で覆われているのだ。私は二十数年前に見学しておいて良かった。

        

          

私自身は「樽前山」には数回登山経験があるが、娘は一度もない。それで車に戻ってから、登山口への行き方や車で上る事が可能な7合目までの登山道の様子など聞かれた。

 

昼食は以前2~3回行った事がある「白老牛」の店「いわさき」に行った。

メニュウを渡された。以前に比べると随分食事代が高額になっていて驚いた。この店は、今では札幌からツアーバスで客が沢山来る有名な店になったからかも知れない。

「いわさき牛のサーロイン180gセット」4000円と「フレッシュステーキ180gセット」2900円を1人前ずつ頼んで分け合って食べた。「サーロイン」は流石に美味しかった。

         

食後、傍にある「マザース」という鶏卵の店に立ち寄ってから、「支笏湖」の湖畔の道路を通って帰宅した。ドライヴ中は、曇って風が少し強かったが、雨には遭わず、予定通りのドライヴができた。

車中、TVで、本州の伊豆地方に台風が上陸したといって、被害予想や避難情報をずっと伝えていた。本州に住む知り合いは、どうしているのか気になった。

夜TVで台風の被害状況を伝えていた。全国的に幾つもの大型河川が決壊したり、土砂崩れが起きたりしていて、大型台風の恐ろしさが改めて身に染みた。

北海道の被害状況はまだ分からないが、台風がそれて勢力も落ちたのか、石狩方面は風が1日中強かった程度だった。

 

 

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従姉と「登別温泉」に行く

2018年12月04日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

私が伯母を家に迎えてから2年程になるが、この間、十数年、時々一緒にパークゴルフを楽しんで来た札幌の従姉とは、滅多に会えなかった。
そこでゆっくりと慰労会をしようと私がお膳立てをして、今回二人で道南の「登別温泉」に出かけた。
2日日曜日に札幌駅で待ち合わせ、2時発のホテル専用のバスで温泉に向った。バスは満席で、ホテルに着いたのは4時近く。もう薄暗くなっていた。

ホテルは老舗の「登別第一滝本館」だった。
このホテルは、江戸時代末期の1858年に「登別温泉の祖」と言われる「滝本金蔵」が初めてこの地に開湯した宿に始っている。だから、名所の「地獄谷」にも一番近い場所に建つ。
「日露戦争」の時は、「傷病兵の保養地」になったという。



地勢的な背景をネットで調べて見た。
登別温泉から2km東にある周囲8kmのカルデラ湖「倶多楽(くったら)カルデラ」は、今から約8万年~4万年前の火山活動でできたらしい。周囲は高さ500mの外輪山に囲まれ、川がないため水が澄み、透明度2位の湖だ。(1位は道東の「摩周湖」)
また1.5万年前に始った火山活動で「日和山」に溶岩ドームが形成され、約8000年前には水蒸気噴火が繰り返し起きて、今も見られる「地獄谷」や「大湯沼」ができたという。
「地獄谷」は面積11Ha、直径450mの爆裂火口で、無数の噴気孔から最高98~45度の熱湯が1日1万t、毎分3000リットル出、水蒸気が噴出して、「登別温泉」最大の源泉になっている。
ここから出る湯には、異なった9種類もの泉質があり、「温泉のデパート」と言われているらしい。
「硫黄泉」「食塩泉」「明礬泉」「ボウ硝泉」「緑バン泉」「鉄泉」「酸性鉄泉」「重曹泉」「ラジウム泉」だ。


    
「支笏洞爺国立公園」に指定されたのは1949年で、1998年には「非核平和都市宣言」をし、2004年には「北海道遺産」に指定された。
昔、母に聞いた時、「登別温泉」は私達の一世代前の人達の新婚旅行のメッカだったという。
この8500年間を調べると、700年に一度の割合で水蒸気噴火が起きているらしい。

夕食前に一回目の入浴で9階の部屋から「大浴場」に向った。増改築を繰り返したらしく、客室から「大浴場」まではエレベーターを2回も乗り継いだ。
このホテルには、私が5年前に友人たちと来たのが最後だったが、迷いそうになる程広かった。従姉は「一人では来れない。」などと言っていた。
浴室の浴槽も泉質ごと、温度ごとに分かれていて、実に広々としていて気持ちが良かった。

夕食は、広い会場で、ほぼ満席状態だった。テーブルは部屋ごとに決まっていた。
蟹足、海老、マグロ、ブリ、しょうゆ漬けイクラ、蛸、ステーキ、海老の天麩羅など、実に多彩で味付けにも拘った料理が並んでいて、私はその半分も食べてみる事ができなかった。最近行った3回の温泉ホテルの中で最高だった。(宿泊代も最高だが)
部屋で遅くまで会話して、寝たのは1時頃だった。
6時半に起きて朝風呂に入り、温まった体で朝食会場に行った。
朝もバイキングだったが、料理数が豊富で美味しかった。

      

早めにチェックアウトをして外に出ると、「赤鬼・青鬼」像が道路の傍にあった。鬼はこの温泉のシンボルだ。
従姉は魔除けになるといって、お土産に「赤鬼のストラップ」を買っていた。



ホテルのすぐ傍の「地獄谷」に行き、展望場所で雄大な火山の噴気活動を見た。何時見てもこの景観は、絶え間なく続いている地球の生々しい活動を見せ付けてくれる。


一般駐車場には大型バスが何台も止まっていて、行き交う人々は東南アジアの人達が多かった。
スカーフを被った女性と会ったので、「失礼ですが、インドネシアからですか?」と聞くとそうだった。数年前に私が観光で行ったことを話した。お互いに写真を撮り合って分かれた。
東南アジアから、多くの人達が北海道に観光で来る事はあり難い事だ。今は、国が行う「震災復興割引き」で安く来られるのかも知れない



                             

10時にホテルを後にしたバスは、札幌駅に11時半過ぎに着いた。疲れていたのでそのまま従姉と別れて帰宅した。

今回、久し振りに従姉と長い時間を共にしたが、80歳の彼女の記憶力が低下していた事に驚いた。日本の高齢者は人生100年時代を迎えているので、彼女にはまだまだ元気でいて欲しいのだが、残念な気がした。
彼女には、その内に「物忘れ外来」がある病院に行くことを進めた
彼女とは外国旅行も2~3回しているが、もう一緒の外国旅行は無理かもしれないと思った。
ショックだったので、夜、メールで娘にそのことを知らせた。「脳トレしたらいいよ。」という返信が来た

今年の宿泊を伴う外出はこれで終り、後は毎日、伯母の見守りだ。

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「定山渓温泉」で迎えた初雪

2018年11月21日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
昨日昼から車を運転して「定山渓温泉」の「老舗Sホテル」に向った。
今回は9月の「胆振東部地震」で少なくなった観光客を呼び戻そうと、国が始めた1泊1人数千円の「復興割引」を用いての宿泊だった。
それで今まで宿泊料が高くて泊まれなかった「Sホテル」に、初めて予約しておいたのだ。今の私には珠の息抜きでも、入院している伯母を思うとせいぜい1泊程度が限界だ。

定山渓は、札幌市の南西部にあって、昔から「札幌の奥座敷」と言われて来た温泉郷だ。
妹とは3時にホテルのフロントで待ち合わせていたが、私が着くと程なくして札幌駅発のバスが着いたようで、フロントで妹と合流できた。
まず、眼下に険しい渓谷を見下ろせる「ラウンジ」でお茶を飲んでから、部屋に案内された部屋からも渓谷を見下ろせる絶好の眺望だった

この老舗ホテルの売りは「会席料理」だ。
夕食は落ち着いた雰囲気のレストランで、置いてある「お品書き」に沿ってゆっくりと少しずつ料理が出された。
その1つ1つの料理を、給仕の女性が全て説明してくれる。普段の生活とはかけ離れた食事に、美味しいのだが私は何となく落ち着かなかった。
写真は、次々と供された料理の一部である。



               

食事中も部屋でも妹とは近況を話したり、寝る前に温泉につかったりして楽しく過ごせた。

朝起きてカーテンを開けて驚いた。窓外は真っ白い雪景色だったから
部屋から見る今年初めての深々と降る雪景色は、本当に美しく幽玄ささえ感じられた。



それから朝食会場に向った。やはり「会席料理」だった
しかし、1つ1つの量が余りに少ないので、私には料理の味が分からず、凄く贅を尽くした料理なのだが、何か物足りない感じがした。

      

チェックアウトの後、妹のバスの出発時刻まで渓谷の雪景色を見下ろせる「ラウンジ」で、コーヒーなどを飲みながら過した。雪が止んで空が明るくなって来た。

泊まって見てのこの「Sホテル」の長所は、フロント横の「ラウンジ」からの眺望が抜群で、コーヒー、紅茶、蜂蜜、茶菓子数種類が無料で用意されていた事、浴室や居室のアメニテイが良かった事かな。
難点は、先ず部屋のトイレに換気装置が無くて不快だったこと、浴室の大浴場は温度が高過ぎて熱くて入れなかったこと、和室だったが敷き布団1枚では薄くて背中が痛かったことだ。
料理人が細部まで手を凝らし工夫して自分の料理道を表現した「会席料理」は、まさに伝統的な日本料理で珍しかったし、もてなしの心に感じ入った。しかし、味付けが薄すぎたり濃すぎたりして私の口に合わないものもあった。
また、普段の食生活とかけ離れすぎていて、しっかりと食べたと言う気にはなれなかった。
朝食の味は、これと言って特に美味しいと思ったものは少なかった。



     

妹と別れ、私はまた車で帰宅したが、路面は雪が溶けていたので余り不安なく運転できた。
妹から「誘ってくれて有難う。」というメールが来た。昨年と今回で2回目だが、こんな姉妹の1年に1度の温泉泊まりも良いと思った。

天気予報に依ると、明日からも暫く雪が降るという。いよいよ北国の長く厳しい冬の生活が始る。
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娘と「洞爺湖温泉」で落ち合う

2018年11月10日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
庭の冬囲い作業が一段落したので、かねてから計画していた娘と「洞爺湖温泉」に一泊して来た。
強い風が吹く中、私はホテルの無料バスで札幌駅から2時間半かけてホテルへ。娘は道南のA町から自家用車でホテルへ来て合流し、投宿した。

部屋は、ツインベッドの洋室で広々。
夕食は「バイキング式」だったので、私もついつい食べ過ぎてしまった。
レストランに居た客の9割方が日本人で、昨年11月に行った時の大半が東南アジア人だったのと大きく異なった。やはり「胆振東部地震」の影響で外国人観光客の来道が大幅に減っているのだろうと思った。

温泉の大浴場は2箇所あり、決められた時間帯で男女が入れ替わって使用する仕組みになっていた。
私はどちらかと言うと、和風の古い温泉浴場タイプが好きな方だが、娘は現代的なつくりの方が好きらしい。寝る前と朝の2回、2箇所の大浴場でリラックスできた。

所で今回、部屋にはスマホが置いてあり、自由に無料で使える様になっていた。国内、海外への電話も無料。こんなサービスは初めてだった。
そこで札幌の従姉に電話して、帰りに私が札幌に着いてから会う事にした。

今朝、私だけホテルのバスに乗って札幌駅に向かい、娘は「火山博物館」などを見学しながら車で道南に帰った。
札幌駅に着くと従姉は駅待ち合い室で待っていてくれた。それから2時間ほど、デパートの喫茶店でお喋りをしてから帰宅した。

伯母が入院してからあと数日で半年になるが、私にとっては5月のヨーロッパ旅行から帰ってから、今回は久し振りのの外泊だった。
今回は、遠く離れた所にいる娘と丁度真ん中程度の距離になる「洞爺湖」で落ち合う実験をしたのだが、珠にはこんな楽しみ方も良いかなと思った。
しかし僅か1泊2日だったが、疲れた。

写真は昨日とは違って晴天になったので、朝食の後、ホテル前の洞爺湖湖畔から「中ノ島が浮かぶ湖」を撮って見た。湖畔の赤色の小木は、多分「ドウダンツツジ」だ。この時期になると葉が真っ赤になって、あちこちで晩秋を飾ってくれる。中ノ島も紅葉色。この島には野生の蝦夷鹿が生息している。



この写真右側には雲がかかる「羊蹄山」が少し入っている。

          

また、走るバス内から湖の向こうに雲が懸かる「羊蹄山」を写した。少しボケた…

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「オオハクチョウ」の餌場に行く

2018年11月06日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
3日前に行った「ウトナイ湖」では美しい晩秋の湖の景色を見られたが、「オオハクチョウ」には出会えなかった。
ある人から「オオハクチョウ」の餌場の情報があったので、今日午後、友人を誘って早速そこに行って見た

そこは千歳川近くの「道道」に面した農家の田んぼだった
収穫を済ませた田に100羽以上の白い「オオハクチョウ」と数十羽の黒い「マガン」がいた
「オオハクチョウ」と「マガン」は、入り混じる事無く離れた場所で餌を食べていた。
「オオハクチョウ」は、私たちが傍にいても全く気にする事無く、刈り取った後の田の泥に口ばしを突っ込んで、餌を探しながら食べていた。多分、落穂や籾などを食べているのではないだろうか。
たまに羽を広げたり、鳴き交わしたりする姿も見られた

      





1時間ほど観察しながら写真を撮っていたが、途中、南の方角から40羽ほどの群れが飛来して来た。
上空を旋回していたが、どうやら餌場にはテリトリーがあるらしく、着地する事無く飛び去った。
丁度私の上に飛来して来た時、「スピード」設定にして待ち構えていたカメラのシャッターを切る事ができた。高速で飛んでいる鳥を撮影するのは、本当に難しいし、2~3秒ほどしか羽を広げない鳥に焦点を合わせるのも、実に難しかった。







また、色が灰色の少数の鳥が混ざっていた。多分、今春シベリアで卵からかえり、大きく育った子供の鳥で、先月、家族と共に数千キロの距離を渡って来たのだろうと思った。周りに親らしき鳥がいて、子供を見守っている様に見えた。



          

友人は、「眼前でこんなに大きな群れを見るのは初めてなので、感動した。」と言っていた
私も逞しく生きる渡り鳥にはいつも感動させられるが、今日は大きな群れを直ぐ傍で観察できて楽しかった
鳥の食事が終って飛び去る所も見たかったが、気温が下がって来て寒くなったので仕方なく車に戻った。
この後鳥達は、「ウトナイ湖」に帰るのだろうか。



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ラムサール条約の登録地「ウトナイ湖」に行く

2018年11月03日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
近所の友人と今朝「ウトナイ湖」に行って来た。
「ウトナイ湖」は、苫小牧市の東端にある淡水湖で、パンフレットによれば、周囲9.5km、面積230ha、水深0.6mで、原野や湿原に囲まれているため、動植物の宝庫、野鳥の楽園と言われている場所だ。
特に「雁」「鴨」「白鳥」などの渡り鳥の貴重な中継地でもあり、1982年鳥獣保護区として国の指定を受け、1991年には国内4番目の「ラムサール条約」の登録指定湿地とされた。




(「野鳥鳥獣保護センター」前の看板だが、今回観察した場所に赤下線を引いた)



天気予報通りの晴天の朝、気温は低く0度近かったが、家を7時過ぎに出て目的地に向った。
「道の駅ウトナイ湖」に着いた時刻は、すでに野鳥が朝御飯を食べに飛び立った後で、230Haの広い湖はシーンとしていた。
よく見ると真っ白い大型野鳥「ダイサギ」が1羽、岸近くの水辺にいた。しかし、100mほど離れていたので、写真に撮る事は難しかった。

 

野鳥の観察場所は数箇所あったが、私達は「道の駅」の観察場所から、途中、紅葉が深まって枯れる寸前の林道を通り、他に「階段ベンチ・ハンノキのテラス」とネイチャーセンター近くの「白鳥のデッキ」の2箇所に行って見た。しかし場所を変えてもやはり、その時刻には野鳥の姿は少なかった。





          
          (「ネイチャーセンター」に向う木道で見た紅葉)

待つこと1時間近く、遠くから鳴き声が聞こえ出し、暫くすると沢山の「マガン」の群れと思われる一群が戻って来て、湖の上を旋回し、私達の場所から200m近く離れた水面に羽を休めた。余りにも遠いので、目視は難しく、望遠レンズでやっと姿を捉える事ができた。



      



残念ながら期待していた「オオハクチョウ」の姿を見る事はできなかったが、晩秋の原始林とウトナイ湖の美しい光景を堪能する事ができた。
遠くで鳴き交わす野鳥の声を聞きながら、次回は夕方に行って見たいと話しながら帰宅した。
半日だったが、友人と一緒のドライブは、楽しかった。
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定山渓ダムと豊平峡ダムを巡る

2018年09月30日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
昨日は台風24号が日本列島上陸するというニュースが大きく報じられる中、当地は爽やかな秋日和に恵まれた。
先月も娘と日本海側にある「当別ダム」に行って来たが、昨日は札幌の奥座敷、「定山渓温泉」の奥にある「定山渓ダム」と、そこから程近くの「豊平峡ダム」を巡ってきた。今回は私が運転した

①「定山渓ダム」
私は随分前に「定山渓ダム」の脇にある登山口から「小天狗岳」に登山した事があり、今回訪れるのは2回目だったが、娘は初めてで「ダム公園」とダムが近く、ダムの大きさにも驚いていた。
このダムは、「小樽内川」の水を堰き止めて、190万人都市札幌の水源として1989年に完成した高さ117.5m、堤長410mの「重力式コンクリートダム」で、総貯水量は8230万㎥ある。
紅葉の時期にはまだ早かったが、一部の樹木が紅葉していた。土曜日だったので、「資料館」や「ダム公園」には沢山の小学生や家族連れが来ていた。
高台にある「ダム資料館」の奥に階段があったので登って行くと、ダムの上に造られた道路に出た。下りる時に段数を数えたら402段もあった。汗をかいたが気持ち良かった。
階段の途中から定山渓の山並が見えた。




(写真右の山は「朝日岳」だと思う。ずっと奥の山は2回登った「札幌岳」ではないかと)

 


(写真左の奥に頂上が台形になった山が見えるが、「神威岳」(かもいだけ)だ。1度しか登らなかったが、アプローチが長く、頂上の直ぐ下は急傾斜でやっと登った記憶がある)

②「豊平峡ダム」
定山渓温泉を過ぎて中山峠側に少し走った左側に「豊平峡ダム」に行く道路の入り口がある。
間も無く駐車場があり、そこからは有料バスに乗り換えて2つのトンネルを進むと「豊平峡ダム」だ。私は自己申告したシルバー料金で少し安かった。
ダムに着くと、急に気温が引くくなった様に感じた。バスから降りて奥の「資料館」に行った。
それから山の中腹にある「展望台」に行く小さい「ケーブルカー」に乗って上に上がった。
「展望台」の向こう端から下に、1972年に完成した高さ102.5mで堤長は305mの「アーチ式コンクリートダム」が放水している姿を望めた。
石狩川水系の「豊平川」を堰き止め、洪水防止、札幌市民の水道用水を供給、発電もする総貯水容量4710万㎥の多目的ダムだ。今は貯水量が多くなかった。

 



また下に降りてダムの上を歩いた。放水地点から下を見ても、放水状況は良く見えない。アーチ式なので端の方から見ると良く見えた。

帰りもバスで駐車場に戻り、同じ道を家まで戻った。今回は近場のダム巡りだったが、久し振りの長距離運転をしたドライブは楽しかったし、有意義な日になった。

今朝、寝室を出て階段を降りようとしたら両足のふくらはぎが痛む。50歳代に毎週日曜日、登山をしていた頃、職場にエレベーターは無かったから、月曜から木曜まで階段を降りるのが辛かったことを思い出した。昨日の402段昇降の副産物だが、治るのに4日は掛かりそうだ。
(その頃登山では、傷みが引いた金曜日にはまた行きたくなり、ガイドブックで次の山を探し、日曜日が晴れたら別の山に登山していた)
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娘と日帰りドライブをする(2)

2018年08月21日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
③「増毛町」散策

この町の観光案内によると、日本海に面した「増毛町」は江戸時代から北方警護の拠点の一つとして「秋田藩」に警護が命じられた所だ。
また、昭和初期までは「ニシン漁」で栄えた漁業の町だった。

駅前の駐車場に車を止め、散策開始。
まず「旧増毛駅」。
この駅は「JR留萌線」の「終着駅」だったが全国一の赤字路線だったので、2016年12月に廃線になった。待ち合い室では「軽食店」が営業していた。奥には「増毛駅」の歴史が展示されていた。
かっての「ホーム」が残されていたので写真に収めた。ホームの所だけ赤錆びた「レール」が残してあった。私は敷石に生えていた雑草を10本程抜いて来た。



     

              

次は明治18年創業だと言う日本最北の造り酒屋「国稀酒造」に行った。
明治から昭和の初期までニシン漁で繁栄した町には、出稼ぎの労働者が多く集まったので、この酒屋の酒も人気があったと思われる。
奥に試飲コーナーがあった。美味しかった8月の地元限定販売酒「蔵出し」を記念に1本求めた。



    

傍にあった「旧商家 丸一本間家」の外観を見、隣の「鈴木蒲鉾店」で揚げたての蒲鉾を食べた。蒲鉾の価格が高いと思った。
娘は木造校舎を知らないので、残されている「旧増毛小学校」を見たいといって立ち寄った。
私はそんな校舎で小中高を過して来たので、あまり興味は湧かなかった。

町を上げて観光に力を入れている雰囲気が伝わり、今後の過疎化地域の参考になるように思った。
今後は難しいかも知れないが「ニシン漁」か何かの歴史的なものを実演するなどのイヴェントを考えると、ヨーロッパの歴史的な町や村の様に更に多くの観光客を呼び込めそうだと感じた。
ガイドのパンフレット「増毛さんぽ道」は、町内の地図として分かり易く役に立ったが、パンフレットのどこかに「増毛町の簡単な歴史」を載せると更に理解が深まると思った。


④「雄冬岬展望台」

「増毛町」から国道231号線を南に下り、いくつかトンネルと覆道を抜けると「雄冬」に着いた。
ここはかって「秘境」「陸の孤島」と言われ、断崖絶壁の海岸にある村には増毛から1日1往復の船で行き来するしかない場所だった。
札幌方面からの道路建設が望まれて1981年11月に「雄冬トンネル」が開通したが、一月後にトンネル内崩落で不通となった。やっとの再開通は1984年5月の事だった。
この海は「甘エビ」の良い漁場だが人口減少が続き、2013年には37戸70人だと言う。

道路横に「展望台」の標示があったので急な坂道を登ると、中腹の平地が駐車場になっていた。南側の山を見ると溶けた溶岩が冷えてできる「柱状節理」がむき出しになっていた。
駐車場から鉄製の階段があったので登った。その階段は、ごろごろした大きな岩の上に沿って折れ曲がりながら造られていた。全部で153段登って「展望台」に着いた。
ガラスで囲まれた「展望台」内にも螺旋階段があり、39段登ったら最上階だった。360度の展望が開けていた。
眼下には「雄冬岬」と家並み、雄大な「日本海」が臨めた。この「展望台」を含む「岩石公園」が整備されたのは1999年の事だと言う。


 (中腹の駐車場から「柱状節理」を臨む。墓がいくつかあった)

 (階段の途中から「日本海」沿いの村を見下ろす)

 
                        (この大きな安山岩は、地すべりで移動していると言う)

朝8時過ぎに出発した頃は時折小雨も降ったが、午後から晴天になり、娘のお陰で意義あるドライブができ、良い思い出になりあり難かった。
札幌に戻った時に私の行きつけの回転寿司店「トリトン」に入り、運転し続けた娘を労ってから帰宅した。






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娘と日帰りドライブをする(1)

2018年08月20日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
娘が1日年休を取ったといって帰って来た。
翌朝、私と一緒に娘の車に便乗させて貰って、ドライブに出た。
行き先は、①月型の「樺戸集治監」②「当別ダム」③「増毛町」④「雄冬」だ。
主な見学場所を書く。

①「樺戸集治監」

ここは以前2回程見学しているので、私は立ち寄って外観の写真を撮るだけにした。
「樺戸集治監」は、明治14年に開庁され、39年後の大正8年に廃監された。
初代典獄になった「月形潔」の名に因み、この町を「月形町」と命名した。

この間、収監された囚人は、北海道の道路建設に刈り出され、今も利用されている多くの道路を建設する労働に従事した。厳しい労役と寒さから病気になったり死亡した囚人も多かったらしい。
囚人の中には、明治時代の思想犯も多かった。
この集治監の裏に、新しい「樺戸博物館」が建設されているので、北海道開拓の歴史の礎になった彼らの事を知る場所として、是非見学を勧めたい。



   
(集治監玄関の石は、長年の人々の出入りで大きく磨り減っている)


②「当別ダム」

「樺戸集治監」の囚人が開拓した「月形」~「当別」、「月形」~「増毛」を通り、「当別ダム」に行った。
このダムは開拓から100年目の昭和45年より、当別川の多目的な利水計画として北海道がダム建設の調査を開始した。しかし、ダムができることで水没する農地が350Haもあり、地域住民の反対も強かった。平成4年にやっと建設が決定し、平成24年10月に完成した。
現在は、当別川、石狩川の治水と札幌市・小樽市・石狩市・当別町の水道の水源になっている。
形式は「台形CSGダム」で、石を台形に積んでコンクリートで固めて創るため、経費が削減できるが、強度に問題はないという珍しい形式だ。ダムの高さは52mある。


雨が何日も続いた後だったためか、丁度放水されていた。下手の公園に行くと、水没地域住民の協力に感謝するために一人々々の名が刻まれた「望郷の碑」が建てられていた。
このダムの恩恵を受けている人口は大きい。多くの人が実際に行って、自分達の水源と涙を飲んだ人々の存在を知るべきだと思った。





              



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雪の「洞爺湖温泉」に一泊

2016年11月12日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
10日、「洞爺湖温泉Mホテル」行きバスは札幌駅北口から午後1時に出るので、妹と15分前に待ち合わせた。気温は2~3度か、曇り空の凄く寒い日だった。
「Mホテル」の大型バスに乗ったのは数人だけだったので、余りの少なさに驚いた。

バスは国道230号線に入り、札幌市内を南下した後、南西の方角に走り、「定山渓」を抜け、1時間後に着いた「中山峠」で10分程休憩した。
晴天なら遠くに「羊蹄山」(俗称「蝦夷富士」)を臨む事ができるのだが、この時は生憎景色は良くなかった。
「中山峠」を下る途中の景観は、林の木々が雪をかぶり、真冬の様子だった。 



         

途中、「喜茂別」が近くなると、標高1107mの「尻別岳」が見えて来た。
かってこの山に登った時、1/4程下山した時に頂上に登山用の杖を1本忘れた事に気づいた。
疲れてまた頂上に行く気持になれず、そのままにした事を思い出した。
きっと誰かが気づいて、私に代わって利用してくれたのではないかと思っている。



「ニセコ」が近づくと「日本100名山」の一つ、標高1898mの「羊蹄山」が見え出したが、薄暗くて写真を撮るのを諦めた。
バスは札幌を出発してから2時間半後に、無事Mホテルに到着した。このホテルに私達が泊まるのは初めてだった。

私達の部屋は、5階の湖側だった。早速、タオルを持って最上階の温泉に行った。
まだ早い時間だったので、女性の浴室には私達の他には2人しかいなかった。
妹は「大浴場は貸切状態だね。」と喜んでいた。この後、「台湾」からの観光客が沢山到着した様だった。

夕食のレストランに向った。「台湾」の観光客が沢山居た。
バイキング方式で沢山の料理が並べてあったが、中には日本語ではない名前の札がついている料理もあった。
「研修」で来ているらしい東南アジアの青年達が、沢山かいがいしく働いていた。
私はできるだけ野菜や魚料理を取り、デザートは多くの種類があったが1つも食べなかった。妹は驚くほど食べていた。



部屋に戻ってからは妹と1年ぶりで、遅くまで取りとめの無い話がじっくりできた。

翌朝、起きて部屋のカーテンを引くと、昨日とは違って晴天だった。
眼下には「洞爺湖」、そしてその向こうに雪を被った「羊蹄山」が綺麗に見え「これぞ洞爺湖の絶景だ」と感動した。

朝の女性の大浴場の場所が地下1階に変わっていたので、行って見た。
なかなか良い大浴場だった。「台湾」の団体は既に食事をしているのか、浴室には3~4人ほどしか居なかった。

朝食で用意されていた料理は、どれも美味しかった。研修生の女性が握ってくれたお握りも、なかなか美味しかった。

     

帰りの身支度をして、バスの出発時間より20分程早めに下に下りた。
地下1階から湖畔に出て、「羊蹄山」と湖に浮かぶ遊覧船を入れて写真を撮った。また、左手の遠方500mの丘の上に数年前に「サミット」の会場となった「ウインザーホテル」が見えた。

かって私は、9月23日の早朝から「羊蹄山」に登った事がある。この日は母の命日なので、道南最高峰の「羊蹄山」だが、母が私の後ろを押してくれるような気がして登る事にしたのだった。
途中に水場がないので2Lの水と食糧を入れたリュックが重くて、頂上まで結局6時間もかかった事を思い出した。22日に頂上に雪が降ったので、後半は初雪を踏みながらの登山だった。
帰りの「中山峠」が渋滞で、札幌の自宅に辿り着いたら20時を越えていた。シャワーを浴びようと服を脱いだら、ズボンが泥だらけだったのも今となっては良い思い出だ。



        

直ぐ傍で一組の中年男女が互いに写真を撮っていたので、「二人一緒に撮りましょうか。」と声を掛けた。
聞くと「中国」の「上海」から来たという。私は今春「シルクロード」に行って来たこと、「上海」には数回行っていることを話した。
北海道観光は寒いオフシーズンに入っているので、恐らく旅行費用が安いのだろう。「新千歳空港」には「中国」「台湾」「韓国」の航空機が乗り入れているので、近年は北海道内何処へ行っても東南アジアの観光客で溢れているのであり難い事だと思う。

大きな売店があったので、歯がない伯母の土産に「桃と林檎のゼリー」を買った。
10時にホテルを出発する帰りのバスには、私達の他には1人しか乗っていなかったのに、ホテルの従業員や研修生10人が見送ってくれて恐縮した。
晴天下の帰路は「洞爺湖」の中央にある「中島」がはっきりと見え、「羊蹄山」も真っ白くキラキラと輝いて見えた。



「中山峠」では前日とは打って変わり、20km離れた「羊蹄山」が冬の澄んだ空気の中で、まるで直ぐ傍にある様に綺麗な姿で立っていた。

      

札幌駅には12時半に着いたので、妹と駅のコーヒー店に入り、1時間余話をしてから別れた。
来年春になったら、今度は車を持たない妹夫婦と一緒に私の車でドライブをしたいと思っている。



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旭川へ行って来た

2015年05月05日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

昨日朝、6時前のJRに乗り、娘が車で待つ駅で降りて合流して旭川に向かった。早朝で車もすいていて順調に普通道路を走った。
2時間で目当ての「旭川美術館」に到着した。9時半開館なのに既に数台の車が駐車場前に列を作っていた。皆ゴールデンウイークなので、出足が早い。
入り口の傍に建つ大きな銅像は「雄弁」という像で、フランス人「エミール・アントワーヌ・フールデル」の1923年の作品だそうだ。
気になったのでネットで調べたら、彼は32歳から15年間、「ロダン」の助手をしていたそうだが、やがて独自の考え方をするようになって独立した彫刻家だそうだ。そんな人の作品がどういう経緯でここにあるのか気になる。



時間があったので、美術館前と目の前の「常盤公園」にある銅像を見て歩いた。
中に1970年に北海道開拓記念碑として造られた「本郷新」制作の「風雪の群像」があった。
和人の青年男女が伸びやかに立っているのに比べて、アイヌの老人が切り株に座っているのだ。この像の制作に当たっては、アイヌの老人も立たせるべきではないかという論争もあったらしい。



また1989年に「三木俊治」が制作した「行列」という大きな作品(3m×6m×1.5m)もあった。
どんな人達が行列しているのか姿を良く見たかったが、3mもの高い位置なので残念だった。      



            

美術館で開催されていたのは「古代エジプト美術の世界展」で、スイスの「ガンドゥール美術財団」が所蔵管理している文物が展示されていた。
小規模なものだったが公開は日本初で、展示品一点々々に作品の見所などの詳しい説明が付いていたため分り易かった。

私がエジプトに行って、実際にその国の様々な風景の中で見て来た古代エジプトの貴重な遺跡文物は勿論素晴らしいものだったが、ISの脅威によって中東やアフリカなどへ安心して行けなくなった今、身近な国内でこうした展示が開かれ、多くの人が古代エジプトの美術作品に触れて鑑賞できるのは、貴重だし嬉しいことだと思った。



フロアーに「ファラオの衣装」が自由に着られる様に置いてあったので、傍の人と声を掛け合って着用し、写真を撮りあったが、良い思い出になった。

             

美術館を出た後、東旭川にあるスリランカカレー店「スタンサ・キッチン」を目指した。
「旭山動物園」に通じる道路の途中にあるので、間も無くひどく渋滞し出した。暫く掛かったが目指す店を見つけて入った。
気さくなスリランカ人の店主スタンサに聞くと、普通の民家を借りてカレー屋を始めてから7年になるという。
頼んだ「ポークカレー」が辛かったが、気配り上手なスタンサが「野菜カレー」のルーを足してくれたら辛さが弱まった。
2年前に「スリランカ」に行って来たことを話すと、「『シーギリヤロック』に登ったか。」と聞かれた。「33度の気温の日でおまけに体調も悪かったが、頂上まで頑張って上ったよ。」と言うと、「綺麗だったでしょう。」と嬉しそうだった。
店内に売られていた香辛料やヒヨコマメが懐かしかった。
大きな珍しい色をした毛足が長い猫がいた。聞くと「箱に入れられて捨てられていたのを、拾って育てた猫だ。」と教えてくれた。
猫は桜の花びらが風に吹かれて散って来る外をじっと見つめていて、どうしてもこちらを見ようとしてくれない。やっと1枚撮ったのがこれだ。

 

カレー店からさらに「菓子店」と「深川道の駅」に寄って、帰宅した。「深川道の駅」ではほうれん草を買った。
札幌に着く頃には、予報どおり雨が降りだしたが、娘と話をしながらドライブできた楽しい一日だった。


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道東ドライブ(3)

2014年10月14日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
2日目はホテルでゆっくりと寝た。ホテルの11階の部屋から「釧路港」方向が見えたので、夜3時頃と朝になってから写真を撮った。





釧路は海岸に近い所に民家やアパートが沢山あることが分かった。これではチリ沖地震などの津波が来ても、被害は出るなと思った。

17階のレストランに朝食を摂りに行った時にも「釧路港」近辺を写し、10時にチェックアウトした。




釧路を後にしてから、暫く太平洋岸に沿って「白糠」まで走った。
海の傍に行って海水に手を触れた。まだ冷たくなかった。



「浦幌町」吉野で十勝川の堤防内に立つ「はるにれの樹」を見に行った。記念館もあって、中に入ると「はるにれの歌?」が流れていた。ここでは広々とした十勝平野を感じる事ができた。



          
 
「帯広」に着いてからは、友人と待ち合わせた「六花亭」売店に行き、2階の喫茶室でピザを食べながら歓談した。ピザは良質のチーズがたっぷりと使われていて美味しかった。
その夜は、帯広のビジネスホテルに泊まった。

3日目の朝は、先ず81歳の友人宅を訪れた。彼女は思っていたよりずっと元気で、今年も「サハリン」や「ミャンマー」「台湾」など、近い外国に旅行しているのだという。

次いで「帯広美術館」に行き、地元の画家の特別展とロートレックやミュシャーなどが描いたポスター展を見て来た。面白かった。また美術館前の紅葉や周辺の晩秋の光景が素晴らしい彩りだった。



 

中華料理店で昼を食べ、菓子店に寄った後は、ひたすら「日勝峠」のピンキングカーブを通って帰宅した。「日勝峠」を降りた所の低い場所の紅葉が素晴らしかった。





私も疲れたが、一人で800km余りを運転した娘はさぞかし疲れただろうと思い、途中の「道の駅」で果物2種類とほうれん草を買って渡した。
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道東ドライブ(2)

2014年10月14日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
「厚岸町水鳥観察館」で広大な湿原と大白鳥を見た後、釧路方面に引き返す途中で右手に入り、「厚岸町太田屯田開拓記念館」に立ち寄った。
ここは厳寒と濃霧の厳しい自然条件のこの地に本州各地から入植した440戸の鍬やのこを持ったことがない士族屯田兵が、軍務の他に人力とせいぜい馬力を借りて5000坪の原野を切り開き、現在の厚岸町の畑作と酪農業の基礎を築いた土地である。
当時の「屯田兵屋」が1軒残されていた。記念館は別の場所に作られていたが、当時の資料を集めて展示し、先人達の苦労を後世に伝えていた。
資料によると、屯田兵家族には到着後5日間の食事しか与えられなかったため、1~2ヶ月の間に死亡する人が何人もでたそうだ。

 

 

 

 

また、当時の「標茶集治館」(監獄)の囚人達が、道路建設や石切り場で石を切り出すという特に厳しい作業をさせられていたことも展示されていた。
多かれ少なかれ明治から昭和期に掛けての北海道は、「樺戸集治館」にせよ「網走監獄」にせよ、政府は北海道の開発に囚人を強制労働させる目的を持っていたと思われる。
北海道の主要道路やトンネルの建設には、狩り出されて自らの命を捧げた囚人達の存在を忘れてはならないと思う。



晩秋のつるべ落としの日没が迫った頃、小さいながら貴重な開拓の歴史展示を学んだ後、ホテルを取ってあった「釧路市」に戻った。
夕食はホテルと契約している店で「海鮮チラシ定食」を食べた。美味しかった。



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