花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

5月の庭仕事(2)ボタン・スズランが咲いた

2024年05月29日 | ガーデニング・家庭菜園

北国は先週から雨が降ったり、気温が低めの日が続いている。

しかし今年も「ボタン」が咲いた。最初に咲いたのは亡くなった伯母が植えてくれた「白色ボタン」だ。毎年花数も多く、歩道に面した土手で存在を主張している。どこかで伯母も見ているだろうか。

 

2日遅れて咲いたのは「薄桃色ボタン」だ。こちらは大きさが中花で数が多い。木が大きいので、見事だ。

     

そして3番目に咲きだしたのは「淡オレンジ色ボタン」だ。こちらは花が大きく数は少ないが、庭の片隅で光を放っているようだ。

 

次は庭の奥、窓の下に咲き出した「赤紫色ボタン」だ。落ち着いた色合いと花の数も多く個性的だが、まだ木は低い。                 

  

その隣で咲くのは庭で一番古い「薄桃色の大花ボタン」だ。花数は少ないが存在感がある。

 

写真を撮っていたら、隅にある「スズラン」と「シラー」が足下で咲いていた。花にとってはこの所のどんよりした気候が良いようだ。

   

 

                          

庭の真ん中にある「アイリス」は、昨秋、幾つかの球根を掘り出して少なくしたが、今年も元気に咲いてくれた。

 

「ジャーマンアイリス」は数種類あったが、場所を取るので整理し、今は好きなこの種類が庭で咲いている。

      

まだ暫くすっきりとしない天候が続きそうだが、それが草花には良いようで、雑草も繁茂してくる。今年は体力的に落ちて来ているのを感じていて、あれこれしなければならないが、手が回りかねている。

 

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今年も「古書市」に行く

2024年05月26日 | 高齢期の生活全般

私が住む市の図書館では、毎年この時期に「本のリサイクル市」を開き、古書などを10~100円程の格安価格で販売して来た。

昨年までは、「家庭菜園」の本を1冊50円程で買って、札幌から来る若い人達に上げたり、子供用の絵本を30円程で10冊くらい買って、一人の人の幼児に渡したりして来た。

今年は今日だと言うので、朝から洗濯を済ませ、「トウモロコシ」の種まきを終えて出かけた。開催時刻前から多数の人が並んでいた。

昨年までは「無料」の図書は少なかったが、今年は凄く増えていた。しかし「無料」図書は、段ボールに雑然と詰められていて種類別には分けられていなかった。

私は「無料」のコーナーに行って開催を待った。時間になったので段ボール箱に詰められた古書を巡り、取り敢えず興味がある本を8冊貰って来た。

   

このリサイクル市を運営して重い本を並べている方々に、お礼を言って場所を離れた。

帰宅後、ざっと中身を見た。どれも出版年は少し古いが新品だ。今日は長い間使えそうな本を手に入れられたので、凄く得をした気分で嬉しい。

「園芸百科」や「花図鑑」には、沢山の花が大きな写真入りで掲載されていて、管理の仕方や増やし方も載っているので役立てたい。また、「麵・ご飯料理」は、マンネリ化している献立をちょっと変えるのに参考になりそうだ。

 

 

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白内障の手術をした病院に別れ

2024年05月22日 | 医療・健康・食生活・衣生活

5月13日に左目、15日に右目の手術で人工の「多焦点レンズ」を入れて貰った病院には、手術前後で計7回通い、かなり疲れが出て来ていた。

20日は、10時の予約だったが「視力検査」を受けられたのは12時。待合室も椅子に空席が無く、立っている人が沢山いる。受付表を見ると、午前だけで110人だ。

待合室で隣に座った女性と話しをした。「20年前に片方の目だけ手術をした。バランスが取れなくて良くなかった。」

また別の女性は「涙が出て出て見て貰ったら、2週間後に涙腺の手術を受けることになった。」と話していた。

そうこうしている内に、ようやく医師の検査を受ける順が来た。

私が「昨日から飛蚊症の様な黒い点が見えます。」と言うと、「手術によってできることもあります。」「日ごとに視力も安定してきますから、心配ないです。」「次回からは、地元の病院に行って下さい。手紙を書きますから。」と言われた。

とっさに私の口から、「今回は有り難うございました。最後に先生と握手をさせていただけませんか?」と言う言葉が出た。私と同時に担当医も立ち上がり、握手をした。大きな手だった。この手で手術をしてくれたのかと思った。隣の看護師2人も立ち上がって頭を下げてくれた。

受付から手紙を受け取り、バスとJRを乗り継いで帰宅した。どっと疲れが出て来たが、もう遠くの医院まで行かなくて良くなったという開放感に浸った。その日はぐっすりと眠れた。

現在は最後の手術から1週間が経ったが、手元の新聞の小さい文字がまだ少しすっきりしていないが、TV画面や遠くの建物、看板の文字なども完全に見える。

運転にも支障は無い。庭仕事も保護めがねをかけてやり出した。種の袋の裏側に書いてある小さい文字も、明るい場所なら読めた。

確かに「多焦点レンズ」は高額だが、新車を買うことに比べたら安いし、生きている間中使う目なのだと考えると価値があると思う。

来週は、紹介状を持って地元の眼科に行ってみようと思っている。

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白内障で残りの右目を手術

2024年05月16日 | 医療・健康・食生活・衣生活

昨日は12時に眼科の受付を済ませ、その後、手術が済んだ左目の視力検査をした。まだ近くは余り見えていなかった。

その後、右目に瞳孔を開いたり、麻酔をする薬を入れられた。

2時間後に手術室がある階に行って、順番を待った。昨日は9番目だった。

その時点では10人ほどだったので、担当の看護師に「今日は少ないですね。」と言うと、「この後、また同じ数の待機者が来ます。」と言っていた。

順番が来て、手術が前回同様に始まったが、全く眩しくないし痛みも無かったので手術後に言うと、担当した医師が「同じやり方なのに違うのは、多分、目は片方ずつ違うのかも知れないね。」と言われた。

15分程度の手術後「多焦点レンズ左側分」と「プラスチック製眼帯」の費用をカードで払ってから、傍の薬局に行って「痛み止めの薬」1錠を出して貰い、バスとJRを乗り継いで帰宅した。

帰宅後疲れがどっと出て来たが、朝買い起きして置いた食料品と果物で夕食を食べ、何時もより早く寝た。

今朝は10時迄に病院に行き、ガーゼを外して「視力検査」と「医師の診察」を受けた。昨日手術した右目が腫れていると言われた。道理で重苦しい筈だ。

次回の通院は4日後、月曜日と言われた。

毎日3回挿す3種類の点眼薬を薬局で受け取り、バスとJRで帰宅した。4日間、毎日通院したので、今日はさすがに疲れた。

TVを見て気づいたのだが、今まで眼鏡をかけなければ読めなかった文字が、小さい文字を除いて見えるようになったことだ。夕方には車で近くのスーパーにも行って来た。一週間もすれば症状が落ち着いて、もっと見えるようになると良いのだが。

寝る時は、暫く両目に透明の眼帯をして寝る。

 

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白内障で、まず左目を手術

2024年05月15日 | 医療・健康・食生活・衣生活

一昨日午後、かねてから予約してあった札幌のO眼科医院で左目の白内障を手術した。

手術室の前には沢山の人が待機していたので看護師に聞いてみた。すると「今日の手術は20人と少ないが、普通は30人はいる。」と言う返事だった。

その多さに驚いたが、執刀医は3人だと言うから、1人当たり10人をほぼ毎日手術していることになる。

前日は、目に人工のレンズを入れる手術に急に不安が襲ったが、当日は前段の準備は看護師が流れ作業で担当し、麻酔も目薬で済み、執刀医はベテランで、意外とリラックスして受けられた。

手術は成功したと言われた。左目には眼帯が付けられた。

前にも書いたが、「手術代」「レンズ代」共に全額自費負担の多焦点レンズもあるが、私が選んで受けた手術は「選定療養」というもので、「遠中近の多焦点レンズは自費」だが、「手術代には医療保険が使える」ものだ。私はインターネットでそのような国の制度を知って、医師に頼んだのだ。

その日は、片目分と手術代で40万円以上請求され、カードで支払った。

帰りに薬局から目薬と内服薬を受け取り、手術した左目はガーゼを当てて眼帯で覆われたので、片目だけで足下をゆっくり確認しながら帰宅した。

昨日も通院した。手術後就寝中もずっと付けていた「眼帯とガーゼ」が外されて、医師が目を検査してから私が用意しておいた「保護めがね」につけ変えた。

主治医の診察後、前日の手術のビデオを画面で見せられた。ちゃんと「多焦点レンズ」が入れられているのを確認できた。また、「もう自家用車を運転しても良いよ。」と言われたので驚いた。

帰りに薬局で3種類の点眼薬を出して貰い、帰宅後使い始めたら、重苦しかった左目がかなり楽になった。

今日午後から明日いっぱいは仕事ができないので、今朝、「保護めがね」を付けながら「ホウレン草」の間引き、やっと十数cmに伸びた「エンドウ豆」に支えを立てたり、「クレマチス」の誘引、ゴミ出し、早朝から開いている「スーパー」に車で出かけて直ぐに食べられる食品類の買い出しなどをした。

今日も指定された時刻までにJRとバスを乗り継いで1時間強かけて病院に行き、午後に「右目」を手術する。体験済みなので、安心している。

終了後は、また40万円以上の金額を払うことになる。

 

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娘の連休後半

2024年05月08日 | 日記

娘が、2日夜、苫小牧からフェリーに乗り、秋田ターミナルに着いてから正味3日間、自分の車で東北地方を回って来たと言って、6日午後に我が家に来た。

フェリー内は独占価格なので、レストランは高いが、彼女は乗船前に食品を買い込んで乗ったという。さすが親に似て節約家だ。(先日ニュースで、成田空港からアメリカに行く女性がインタビューに応じ、一抱えのパンを買ったと言っていたのを思い出した)

また、道路が混み合っている所でも、今では車載ナビがあるので、それほど迷わずに行けるのだろう。

私は40数年前に2人の子供を車に乗せて、夏にフェリーで通い続けて3年、東北を回った経験がある。下の娘はまだ2歳になっていなかった初めの旅は、洗ったおむつを車の後部に張ったロープで干しながら走ったりしたが、その頃より今はずっと道路事情は良くなっている筈だし。(3年目の旅は、新潟の気温が凄く高く、そのためか娘が熱を出してしまい、途中で全ての宿をキャンセルして帰宅した事もあった)

話しを聞くと、美術館や城などの観光場所は、観光客が一杯、並んでいたと言う。彼女はチケットの大半を予め取って置いたので、現地で並ぶ事も無くスムーズに入れたが、長時間並んでいるらしい人達からは白い目で見られたらしい。

「どこが良かったの?」と聞くと、「どこも良かったよ。」と素っ気ない返事。

仙台に行った時、「イケア」で色々買い込んだ品を見せてくれたが、使い勝手が良い「中サイズの小鉢」が4個セットだったと言い、2個くれた。また、珍しい模様の「冷凍ジッパー袋」も少し置いていった。

夕食は、私手作りの「ミートソース」で作った「スパゲティ」に、庭のニラを採取して作った「ニラの卵とじ」、それと生の「ホッケ」に少量の塩を振って天日干しした「焼きホッケ」、最後の保存じゃが芋で作った「ポテトサラダ」「トマト」を供した。

翌朝の帰り際、「ニラを持って行く?いるなら採ってくるけど…」と言ったら、「卵が無いから、卵もくれるなら要る。」と言う。全くあきれた娘だが、卵もケースに4個入れて持たせた。

ここから数時間運転しなければならないので、朝食後7時前に出発して帰って行ったが、まだ若いからできる行動だと、しみじみ思った。

私自身の連休は、菜園と「セルトレイ」に夏野菜の種まきをしたり、できた「トマト」や「長ネギ」の苗を植えたり、「堆肥」を買いに行ったり、草取りをしている内に終わった。でも満足だ。

 

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4月の庭仕事(6)球根植物が花盛り

2024年05月06日 | ガーデニング・家庭菜園

起きて見ると雨が降ったらしい。天気予報を調べたら、今日は一日小雨だ。

雨の合間に庭を見回った。陽が差さないので、チューリップの花は閉じたまま。これなら写真を撮っておこうと思い、カメラを向けた。

先ず歩道に面した土手の上。手前の「カサブランカ」の新芽が伸びだした。

敷地の入り口。昨年、色が混ざらないようにと除いた「ピンクチューリップ」の球根が一部残っていたらしい。明日にでも、色が分かる内に掘り上げたい。

     

  

2~3日前から「淀川ツツジ」が咲き出した。

     

土手の上の「芝桜」も満開だが、一部分は春先の凍結で枯れた様だ。

  

「五寸アヤメ」

             

「ばら咲きプリムラ」

 

晴天より曇天の下の草花の方が、風情があるように感じる。花ひとつひとつが愛おしい。

 

 

 

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介護施設の費用と預貯金額(亡くなった伯母の体験から)

2024年05月04日 | 高齢期の生活全般

伯母は、伯父亡き後、3世代営んだ農家を畳んで耕作地・住宅地・住宅と付属設備全てを売却し、住んでいたその町の「高齢者専用賃貸住宅」で数年間暮らしていた。そこは自力で生活できる人が入れる施設だった。

やがて、いよいよ自力で生活する事が困難になり、一旦私の家に越して来てから、暫く近くの「老健施設」に入所していた。

初めは伯母が所有する預貯金を届け出ても、施設の利用料に大して影響しなかったが、8年ほど前から「預貯金が1000万円を少しでも超えたら、介護保険から援助されなくなり、施設の使用料は全額自己負担になる」と伝えられた。

そうなると毎月、多額の利用料が自己負担になるので、急遽「老健施設」を出て、我が家で生活し、私が介護の世話をする事にした。

私が外国旅行する時などは、その間だけ近くの「特別養護老人ホーム」に「ショートスティ」して貰った。その際の施設利用料も、預貯金通帳を全て届け出た。やはり1000万円を超えると、利用料は高額になった。

98歳のある日、手押し車を押しながらしていた散歩から帰宅した伯母が、突然「目が見えない。」と言いだした。慌てて「眼科」に連れて行ったが、検査の結果「目には異常がない。」と言われ、その医師の指示で、急遽、総合病院の「脳神経外科」を受診した。

CT画像によると、伯母は「大脳の視覚領域」が広く出血していた。その結果、目が見えなくなっていたのだった。そのままその病院へ入院させられた。

入院中はリハビリが中心の医療だったが、医師から「家に戻って生活する事は無理だ。」と言われた。

2ヶ月近く経った頃、医師から「ここでできる治療とリハビリは済んだので、退院して欲しい。」と告げられ、次の施設を探した。

介護保険が利用できない「介護施設」関係は除外し、「老人医療病棟」がある「病院」を私が探しだして、その病院の入院許可を得て移った。そこなら「医療保険」が適用されるので、当時の伯母は1割負担で済んだ。

結果的に6ヶ月ほど入院したが、ベット生活は伯母の体力も筋力も低下させ、とうとう99歳で「老衰」で亡くなった。

私が伯母を通して経験した高齢者施設の経済的負担の違いを、友人や知人に話した。その結果、家族が病院を退院後、家庭での生活ができない状態の時どうしたら良いか、経済面で施設選びを考える参考になったようだった。

その後5年経つが、今は介護保険の自己負担分はどうなっているのだろうかと気になる。やがて自分自身の事になるからだ。

 ※雪解け後1ヶ月経った庭を窓越しに撮る。花は季節を知っていて、何時咲くべきかを決めている。

        

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日本の「少子高齢化」問題を考える

2024年05月01日 | 社会・事件・ニュース

日本の「少子化」は、ここ20年以上、予想しないほどの勢いで進んでいる。

理由としては、

①「不安定雇用」の男性が増えたが、その多くが経済的な理由で結婚せず、その結果、独身男性が増加した。

②女性の多くが、今や結婚することに夢を描けなくなっている現実を認識しだし、結婚する事に前向きになれない。また、高学歴女性も増えて、一人なら経済的に自立できる様になった。かって言われた「永久就職」のための「結婚」が、経済的にはそれほど必要とは思えなくなって来た。その結果、独身女性が増加した。

③結婚しても、子育ての大変さや育て上げるまでの養育費や教育費の高額な負担、保育所不足などの状況から、出産・子育てに踏み切れない夫婦が増えている。

④その他に、子供を持たずに夫婦2人が働く収入で、生活を楽しみたい、収入は2人分だが子供を持たない「DINKS」(ダブルインカム、ノーキッズ)の夫婦も増えていると考えられている。

「高齢化」は「少子化」の結果として生じているのだが、国は統計的に何十年も前からこうした問題が起きることを予想していた筈だ。だが長い間、適確な対策をとってこなかった。その付けが、今、露わになって来ているのだと思う。

「少子化」の原因になっているこれら対して、社会全体として問題の解決のために早急に取り組む必要を感じる。

そうでなければ、先日発表された「2050年には消滅自治体が多くなる」とか、「その内、年金財政が破綻する」「労働力を外国人に頼らざるを得なくなる」などの大変な事態が起きる事が避けられそうに無いのだから。

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