花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

10月の庭仕事(1)

2024年09月30日 | ガーデニング・家庭菜園

友人の庭を借りて植え付けている菜園の秋野菜の様子だ。

先ず「キャベツ」。前にも書いたが、10本の苗を作り、植えて虫除けネットを掛けて置いたが、7本は蒸し暑さが原因か枯れてしまった。

仕方なくネットを外して残りの3個を放置しておいたらここまで巻いてきた。昨日は888を追肥して根元を除草した。ネットが無くても中央に虫はいないようだ。

 

「じゃがいも」を掘った後に1ヶ月近く育てた自作の苗を8月17日に植えた「白菜」だ。1月半経った。一昨日、2回目の追肥として、化成肥料8.8.8を追肥し、苗の周りの草を抜いた。順調に育って欲しい。

   

春に植え付けた「白菜」を収穫した後、8月3日に種まきをした下の写真後部の「大根」と手前の「聖護院大根」だ。順調に見える。

一昨日、57日目となる「大根」を初めて1本収穫して花友さんに届けた。今までの「大根」より少し細長いように思う。1週間程後になると、順次収穫できる太さになりそうだ。

 

「白菜」の傍にも同じ8月17日に上よりも半月遅れて「大根」の種を少し蒔いた。昨夏、隣家との南東の境界に高い塀を作られたので、先月からは日影ができるように成り、生育が今一つだ。初霜が今月末に下りるかも知れない。収穫に間に合うかどうか。

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9月の庭仕事(3)庭の秋の花

2024年09月30日 | ガーデニング・家庭菜園

昨日の朝は、気温も低かったが空が高く澄んだ秋色になっていた。今までの気温の高さと忙しさで草取りにまで手が回らず、よく見ると地面は草だらけだが、草花達は元気に短い命を謳歌している。

土手の上に咲く「秋明菊」

また咲き出した「クレマチス」

      

歩道の傍の50cm高い土手に幾株かが並んで咲く「銅葉ダリア」

     

「薔薇」も、7月半ばから8月までの花殻を積み続けたお陰で、新たな蕾ができて咲き出した。幾つか紹介する。

 

   

このドイツ作出の小薔薇「ケント」は、花殻さえ摘んでやれば、6月末から10月末まで絶え間なく咲き続けてくれる。

      

この花は、春に葉が出て夏に枯れ、秋に花だけがにょっきりと地上に現れる不思議な花「コルチカム」だ。「アルメニア」原産の球根花で、何もないような場所にある日急に出てくるので驚かされる。

春に開花する品種もあるらしいが、このあたりでは初秋に見られる。

最後は「デプラディニア」、別名「マンデビラ」。

我が家のは淡黄色だが、ピンク色が多い花だ。原産国は「メキシコ」「アルゼンチン」なので非耐寒性の蔓植物だ。私は晩秋には短く剪定して鉢植えにして屋内に取り込んでいる。

     

 

          

 

 

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一日一つで「焼売」試作

2024年09月29日 | 医療・健康・食生活・衣生活

8月下旬に娘から神戸土産に貰った「焼売」が美味しかったので、自分で作って見ようと思い立った。

試作1回目は、先ず「冷凍剥き小エビ」を買ってきて、初めて「エビ焼売」を作った。エビは食感が分かる位の大きさにするのが良いと分かった。また、買った焼売の四角い皮に綺麗に包むのが、結構難しいとも感じた。

2回目は、ネットに出ていたやり方で、焼売の皮を「千切り」にして、できた肉団子の表面にまぶしてみた。これは簡単で上手く行った。

しかしこの時「生姜」を入れ忘れ、味が今一つだった。

2回目にできたのを、花友さんにも届けた。「美味しかったよ。」と言われた。やはり豚挽肉を買ってきて、刻んだ玉葱を混ぜて作るので、挽肉の食感やうまみがよく分かり、材料が違う市販品とは異なるからだと思った。

昨夜は、3回目の試作に挑戦した。目標は、皮を使わず、代わりに「餅米」をまぶすことだった。

買ってあった「餅米」を、午後に3時間ほど水にうるかしてから表面にまぶした。

フライパンで12分蒸し焼きしたのを食べてみたら、餅米にまだ少し蒸し切れていないと感じる所があった。次回は水に浸す時間を、もっと長くするのが良いと分かった。

昨夜も熱々のできたてを届けた。今度は初めての「餅米焼売」を、どう思っただろうか。

    

今までは「焼き餃子」をしょっちゅう作って食べて来たが、「焼売」の方が使う油が少ないので、私には良いという事も分かった。

さあ、4回目の試作は、何時にしようかな?

 

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預金や貯金を切り替えた

2024年09月28日 | 暮らしと経済・経済生活

昨日は、最近満期を迎えた「定期預金・貯金」を預け直すために預け先の銀行や郵便局に行って来た。

長い間続いた「金利がほぼ無い」金融環境から、過日、日銀の政策が変わって「金利が少しある」環境に変化したため、普通預貯金でも金利が高くなった。定期預貯金の金利では、預ける期間にもよるが、ほぼ10倍前後に高くなった。

年金だけしか収入がない高齢者の私にとっては、僅かな預貯金の金利が少しでも高くなった事は歓迎なのだ。

そこで「満期」を迎えたものだけではなく、「満期前」のものも解約して預け直した。

また、「普通預貯金」の当面利用しない金額分は「定期」に変えた。その際、またこの先、金利が上がるかも知れないので、期間を長くはしないで1年ものにした。

解約したり預け直すには、一つ一つ書類が必要なので、何枚もの紙に自筆で住所や名前を書いた。最近は文字を手書きすることが少ないし、郵便番号なども滅多に書かないから、良い訓練にもなった。しかし、自分の名前さえも以前の様に整った書き方ができなくなって来ているので情けない。

昨日会った友人にこのことを話したが、余り興味が無いようだった。 

 ※ 伸びたツルに沢山花を付けている「アンジェラ」       

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女性の年齢の見られ方

2024年09月21日 | 高齢期の生活全般

gooブログの投稿『団塊シニアのひとりごと』にあった記事をきっかけに、私も「人からの、年齢の見られ方」について、今まで私が学んで来た事を基にして考察して見た。

かって「家父長制度」があり、男尊女卑の風潮が長く続いた日本では、男性は年齢よりも上に見られる方が良く、反対に女性は若ければ若いほど良いと思われた。

それは男性が働いて家族を養い、女性は家の中で育児と家事、高齢者の介護に専念するべきだという根強い社会通念があったからだ。

だから男性から見て女性は、できるだけ従順で御しやすく、「可愛くて、馬鹿な女ほど良い」と言われたり、出産能力も高いできるだけ若い方が良かった訳だ。

こうした女性を一人の人格を持った対等な人間と見ようとしない考え方は、大正時代になって「サラリーマン」家庭が誕生し「専業主婦」として生きる女性が多くなると、一層顕著になったといわれている。

しかし、男女が共に協力して働く商業や農業の家庭では、古くから女性の立場はもっと認められていたのではと思う。

外で働けずに家庭に閉じこもらざるを得なかったから、女性が経済力を持てなかった「男尊女卑」の社会では、男性側が結婚する相手の女性を主体的に選ぶわけだから、女性側もそれに応えて当然少しでも若く見せたいと思う様になる。

しかし、第二次世界大戦中に、図らずもこの女性観は崩れた。

多くの女性が「銃後の守り」としての責任を余儀なくされ、家業を担い、また武器生産にも駆り出される中で、男性に変わる働き手としての役割を果たした。

反面では「肉弾」の生産者として「産めよ、殖やせよ!」と国家から多産が奨励され、肉体までもが国家から管理された。

終戦後「高度経済成長時代」を迎えると、徐々に高学歴の女性も増え、結婚しても働き続ける女性が増えた。長い間、女性に門を閉ざしていた企業が女性の働き手を求め、多くの女性が社会的な労働に従事するようになった。現在では「専業主婦」よりも、結婚後も共働きをする女性の方が多くなったという。

しかし、その一方で、家庭責任も負っていた女性は「フルタイム」ではなく、「パートタイム」の働き方を選ぶ人が増えた。

「パートタイム」は、結局、景気次第ではいつでも都合良く失業させられる「景気の調節弁」の役割を担わされた。

一方、国際的な影響を受けて1985年「男女雇用機会均等法」が制定され、働く女性に対する「セクハラ」も問題視され出し、近年では「パワハラ」も犯罪になった。

所が30年ほど前からだろうか、若い女性達の中から極めて日本的な「可愛い」のブームが起き、何に対しても「可愛い」かどうかで評価するようになった。欧米なら「大人っぽいかどうか」で若い女性を評価するというのにだ。私から見て、これは歴史的には時代の反動とも思われた。

またこの数年、マスメディアから「アンチエイジング」という言葉が叫ばれるようになり、そのための多様な高額化粧品が売り出され、整形手術業界も活性化しているという。今やマスメディアと組んで「アンチエイジング」に関わる業界の大きな利益追求が起きている。

今私が考えるには、本来女性は、家庭や社会で男性に従属する立場ではなく、一人の個性を持った人間として対等に尊重・評価される事が望ましいと思う。

だから、女性の「見え方」も「年齢より少しでも若く見えるように」外見を取り繕うのではなく、「年齢に応じた」「自然」で「無理のない」見え方、「清潔感」があり「健康的」で「個性的」な「見え方」が一番ではないかと思うのだが、いかがだろうか。

因みに年齢は、その人の人生、生活、職業などの長さなので、私は今は年齢を表明することに恥ずかしさは余りない。

年齢を重ねて来た人生の中で、多くの事に挑戦して失敗や挫折、成功を経験し、人間としての生活力、知恵、コミュニケーション力などを幅広く深く得て、喜びや悲しみ、挫折感、達成感も味わって来た筈だと思うからだ。

その意味では反対に若かった頃の方が、何事にも未熟だと自覚させられて恥ずかしかった。

また、服装は、常に「身ぎれい」で、「TPO」に合わせた服装が一番大事だとと思う。

私自身は、仕事を退職してからは庭仕事が中心なので、服装はいつも「汚れても目立ちにくく」「汗を吸い」「洗濯しやすい」。「害虫から肌を守り」「動きやすい」事が大切だ。だから必然的に長袖・長ズボン・作業手袋にサングラス・麦わら帽子・長靴、そして首にはタオルのスタイルが定番なのだ。だから日常の服もこの延長線上の物になる。

色々な物の選び方も「可愛さ」で選ぶのではなく、「品質」と「安全性」「機能性」を第一に、「デザインや外観」は第二に選びたいと思うのだが。

 

 

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5年ぶりの墓参り

2024年09月21日 | 日記

今月の23日は私の母の命日で、亡くなってから53年になった。私が最後の面倒を見た伯母も入っている墓だ。

コロナ禍で外出や人との接触を避けて来たため、5年ぶりの墓参りだ。

妹を誘ったが、体調が思わしくないということで、昨日、庭にさいているダリア、秋明菊、菊、アルストロメリアなどの花を沢山摘んで、私一人で午後12時半に故郷に向かった。

自宅からの距離は42km。車で50分だ。

国道は混み合うので農道を走った。両側に続く田んぼは、まだ刈り取られずに残っている稲もあったが、気温が高かった今夏だったからか、または米不足で先月から米が史上最高値になっているせいか、既に収穫を終えた田んぼが多かった。

問題なく墓に着いた。私の祖父になる人が大正時代に建てた古い墓なので、5年の間に傾いたり崩れたりしなかったかと心配だったが、大丈夫だった。

また、管理者の市が敷地全面に芝を張っていて、それが綺麗に刈られて整備されていたのには感激した。

持参した果物、菓子、ビールや花を供え、線香を焚いて手を合わせた。

伯母が建てた墓碑には、全部で6人の戒名と母の俗名が刻まれている。(私の母だけは、戒名はあるが刻まなかった。戒名は仏の弟子になるための名だというが、大抵は亡くなってから付けられるので、もしもあの世があったとして、そこで戒名で呼ばれても、母は自分だと分からないに違いないと思ったから、俗名だけを刻印して貰ったのだ)

昨日は特に、ご先祖が私達子孫を見守ってくれているように感じた。

帰りにお供え物の一部を管理棟にいた管理人に差し上げた。

途中の町の農産物直売所に立ち寄り、友人にもお裾分けしようと大きな「カボチャ」1個と「紫玉葱」2kgを買い求めた。

昨日は午後から気温が徐々に下がり、行きは19度程度だったが、帰りは17度と寒いほどで、もう25度以上の夏日は来ないだろうと思った。

とにかく墓参りができてホッとした。

   

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認知症になって亡くなった「長谷川和夫氏」の本を読んで

2024年09月18日 | 高齢期の生活全般

彼は1929年に愛知県に生れ、東京慈恵会医科大学を卒業し、認知症専門医になって研究を積み、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発した。これは世界で初めて開発された簡易検査スケールで、今も日本中で使われている。

また、それまで使われていた「痴呆症」という言葉を「認知症」という言葉に置き換えた医師でもある。

しかし、2017年に自身が認知症である事を公表した。

この本「認知症でも心は豊かに生きている~長谷川和夫100の言葉」は、認知症になった自身の体験を踏まえながら、認知症という病気についての理解を求め、患者への接し方が書かれている。

今や世界一高齢化が進んでいる日本で、平均寿命の延びに伴って認知症患者は増加しているが、誰もが認知症になる時代(90歳以上では2人に1人がなる)に、家族やその周りの人達、そして社会が、認知症患者に寄り添い、共に生きるようになって欲しいと彼は望む。

彼ら認知症になった人達は、記憶力、認知力は衰えても、感情、自尊心、個性は失われない。最後まで一人の人間として愛され、尊重される事が大切だと訴えている。

長谷川氏は、2021年11月13日、92歳で老衰のために死去した。

この本は、読みやすく、説得力がある良い本だった。

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「敬老の日」の私の心持ち

2024年09月16日 | 高齢期の生活全般

今日は「敬老の日」の祝日だ。

私も80歳になってから、ようやく自分も高齢者だと自認するようになった。多分、自動車免許取得で義務づけられた「高齢者講習」を受けるようになった事と体力的な後退を実感するようになったためだろうと思う。

先日、久し振りで市立図書館に行った。何冊でも2週間借りられるので、写真のような本を借りた。

これまでにも「和田秀樹氏」の著書は何冊か読んだが、今回は写真の上の黄色い本2冊を借りてきて読み終えた。

遺体の解剖を多く手がけてきた著者の「死ぬまで一人暮らし」を読んで、特に大いなるエールを送られた。

「人は一人で生れて来て、一人で死ぬ生き物の仲間なのだ」という。そして多くの人の死の直前は、決して苦しいものではないと書かれている。今は良い鎮痛薬もあるので、例え2人に1人がなるという「癌」で死ぬとしても、痛みを感じることも少なくなって来ているらしい。

しかも幸いにも日本には公的な介護保険体制があるので「地域包括センター」と繋がっていれば、在宅でもヘルパーや訪問看護の利用につながり「孤独死」で何日も放置される事は珍しいという。

私も数日後に満81歳を迎える。

61歳の時に「乳がん」を自分で見つけ、札幌の国立病院で手術した。

医師から手術時の細胞検査の結果、「あなたのは再発・転移しやすいがん細胞なので、気を付けてください。」と言われた。

その後の精神状態は不安で酷く落ち込んだが、やがて、そんなに長く生きられないのなら、自分がしたいことを恐れずにしようと思い立った。勿論、外国旅行や庭仕事、登山などには、全て医師の了解を貰ったが。

先ず停年前に買ってあった100坪の土地に長い間温めて来た気密性、断熱性が高く、各室には収納がある。私が車椅子生活になったとしても不自由なく生活でき、家族が1度に集まっても窮屈ではない自分なりの理想の家を建てて退職金を使い果たす事、停年までに作った貯金を使って、まだ行っていない国々を訪れる事、家を建てたら体力維持のためにも好きなガーデニング、家庭菜園で日々適当に身体を使い、半年近くは自家製の無・低農薬野菜を食べて、市販の野菜や加工食品の利用をなるべく少なくする事、「薔薇」などの花々が冬を除いて何かしら常に咲くような庭を造る事などを目指した。

「先の幸せよりも、今の幸せ」日々自分なりに充実した生活を送ることを目標にしたのだ。この本を読むと、この考え方は著者とも同じだった。

癌の治療後、そんな生活をしていたら、やがて20年を迎える迄になり、一昨年3月の定期検査では医師から「もう病院に来なくて良いです。」と言われた。

しかし、「新型コロナ」下の「巣ごもり生活」でもう5年以上旅行もしなくなり、今年になって体力の衰えも感じ始めた。

しかし、過日、市内の農協で行われた「余り種のバーゲンセール」に行って、写真のように来年用の野菜の種を沢山買って来た。1袋250~500円する種が、すべて110円だった。

    

今年も家庭菜園で20種類以上の野菜を種から苗を作って育てた。

家庭菜園では自分の体力に合わせて仕事ができ、種を蒔いてから数ヶ月間、植物毎の生育を観察しながら、それぞれに合わせた施肥や間引き、剪定などで頭も使うので「脳活」にも役立つ。そして収穫の希望と喜び、幸せを感じる事もできる。また、知人達に収穫物をお裾分けでき、交流するのも嬉しい。

昨日は庭の方で声がするので見ると、近くの「グループホーム」の入所者さんがヘルパーさんと花を見に来ていて「綺麗だね!」と大きな声で話していた。何でも私の庭がその施設の「散歩ルート」に入っているそうだ。

また、近くにある「保育所」の子供達も行列して庭の前を通り、花を見てくれている。

これからまだ暫く生きられそうなので、持病の「高血圧症」「糖尿病」と上手く付き合いながら、楽しく生きて行きたいと思っている所だ。

数日前から気温が下がって来てぐっすり眠られるようになり、気分も良い。今日からは残りの本を読む。

 

 

 

 

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運転免許を更新する

2024年09月13日 | 高齢期の生活全般

今月は私の誕生月で、もうすぐ満81歳になる。

先々月と先月の2回、案内が来たので、「後期高齢者対象の講習」を地元の自動車学校で受けた。1回目の「認知機能検査」は82点だった。

試験官は「34点(私の記憶では)取れば合格です。それ以下だった人に対しても免許の停止はしません。認知症検査をする医者を紹介します。医者が認知症ではないかと診断しても、『免許を返納したらどうですか。』と進言するだけです。」と言うようなことを話したので少し驚いたし、そんな人が沢山公道を運転しているのかと思うと、凄く心配になった。

2回目は「目の動態検査」などを受けたが、私の検査結果は年齢的に「普通」だった。最後の「運転技能検査」もほぼ問題が無かった。最後に「後期高齢者講習の修了証」を渡された。

それで4日前に「修了証」を持参して札幌の「運転免許試験場」に行った。視力検査を受けた際、「目の手術をしたので「眼鏡使用」の条件を外して欲しい。」と申告。視力検査後、外された。「多焦点レンズ」の威力を感じた。

写真撮影を受け、間もなく新しい3年間有効の免許証が交付された。

この間、僅か15分だった。

暑い中帰宅したら緊張が解けて疲れがどっと出た。新しい免許証を得て、引き続き3年間、安全運転をするつもりだ。

 

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