花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

店で見かけた親子連れ

2008年11月24日 | 暮らしと経済・経済生活

空き部屋の窓ガラスに断熱シートを張ることにしたので、百円ショップに透明テープを買いに行った。
ついでに店内をうろうろしていたら、せともの売り場で親元から独立することになったらしい若い男子と、その母親、姉らしい家族を見かけた。通路が狭いので親子のやり取りが自然に聞こえて来た。

母親が「茶碗、箸、皿など、自分の気に入ったものを選びなさい。」と言ったが、「色々あるので、どれが良いか分からない。」と息子が言う。それでも彼はそれぞれ1個ずつ手にとって、母親が持つ籠に入れた。
すると今度は、「ラーメン作って食べるでしょっ。丼も一ついるよ。」と母親が言った。彼は私の傍に来て、幾つか手にとって比べた後、派手な色の線が入った重そうな小さめの丼を選んだ。
また彼は、「お茶を飲むなら、急須と湯飲み茶碗もいるよ。コーヒーは飲まないの。」といわれた。すると、「お茶は入れては飲まない。コーヒーも飲まないけど、マグカップ1個はいる。」と言って、カップが置いてある場所に向かった。
暫くして母親と姉が、「凄く派手な色や柄のものばかり選ぶので驚いたね。あの人の趣味には着いて行けないね。」と話す声が聞こえて来た。

最近の百円ショップは実に品揃えが豊富で、日用品として結構使える品質の商品も多いと思う。だから子どもの独立などに当たり、格安に食器などを調達する上では手頃な店なのだろうと、私は改めて百円ショップを見直した。

それにしても母親が、「選び方が分からない。」と言う子どもに対して、何一つ、アドバイスをしない事に驚いた。家具什器類の使い勝手を、経験的に一番良く知っている筈なのにと私は思った。
そこで、私ならどうするか考えた。多分、「持ちやすく、軽く、飽きにくいデザインで、色々な食物を入れても違和感がない使いやすい基本的なものを、先ず今回は揃えたら良いのではないか。」というと思った。


思い返せば、子どもが独立した時、私は家にあった食器や台所用品の中から、適当に選んで荷物に入れてやった。
ついでに言うと、子どもは電気製品一式も揃えたのだが、一緒に店に行き、私が買ってやったのは洗濯機と炊飯器だけだったことを思い出した。電子レンジ、冷蔵庫、テレビにビデオは、子どもが大学時代にアルバイトで貯めていた貯金で買った。子どもは、自分からそうしたように思う。
(そういえば大学4年の秋、友達と3週間、卒業旅行と称してヨーロッパに行った時も、私は3万円の餞別を渡しただけだった。食事はホテルで朝食をしっかり食べ、昼はバナナやサンドイッチで済ませたと言っていた。おまけに色々な観光地には、毎日、自分達で調べて電車やバスを乗り継いで行ったらしい。それを聞いて私は、体力があり、頭が働く若さが無いとできない旅行だと思った。)

また子どもの最初の勤務先は、郡部で車が必要な地域だったので、まだ収入が無い子どもに、無利子、無期限で良いと言って車の購入費を貸したところ、1年半後、「いつまでも借金したくないから。」といって完済してくれた。
親から見て、その子は今でも経済観念が実にしっかりしている様に思うが、時には、しっかりし過ぎではと思うこともある。振り返って見たら、やはり子育ては難しい。


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色々あった通院日

2008年11月21日 | 医療・健康・食生活・衣生活

昨日は放射線科の半年振りの検査日だった。
前夜から降った雪が積もり、気温も-4~-5℃と寒い中、私はダウンのコートに兎毛の襟巻き、防寒靴を履いて家を出た。
今冬初めての慣れない雪道は滑りそうで、腰を少し落として歩いた。
JR駅のホームに入って来た列車が、雪にまみれていたのが新鮮だった。
札幌駅に着いて見ると、あちこちで雪を載せたままの車を見かけた。一晩で二十数センチは降ったようだった。

   

病院に着き、いつもの様に真っ直ぐ放射線科の受付に行ったら、先月から電子カルテに変わったので、玄関先の機械で受付をして来るように言われた。
行って機械に通院券を入れたら、今度は〈保険証の確認が必要なので、受付に行って下さい〉という文字が出た。結局、あっち行ったりこっち行ったりして手間取った。

それから待つこと1時間40分、やっと名前が呼ばれた。超音波検査室の場所も少し変わっていて、うろうろした。
看護士から上半身裸になり、バスタオルを掛けて待つように言われたので、その体勢で機械の傍のベッドで待つこと15分。体が冷えた頃、やっと医者が現れた。検査は2~3分で終わった。
「異常が無いです。乳腺外科で4ヶ月毎に診てもらっているなら、こちらは次回、1年後にします。」と言われた。嬉しい反面、少し不安な気持ちもした。何よりも、何でも相談できるその医師と1年間会えないのも寂しい気がした。(50代に見えるその医師は、私が「お元気でしたか。」と聞くと、激務で体調を崩して、少し休んだと話していた。)

それから消化器内科に行った。受付の看護士に「9月○日に下腹部痛でかかったのですが、検査後医者に異常なしと言われたけれど、別の皮膚科に行ったら帯状疱疹でした。そのことを必ず伝えて下さい。」と告げた。

会計が終わったら、11時半を過ぎていた。12時に畑の友人達と待ち合わせをしていたので、いつもなら札幌駅まで50分位かけて歩くのだが、バスに乗った。

久し振りに3人でランチを楽しみ、おしゃべりをした。
先日から話題になっているA総理大臣の常識の無さや資質の話も出た。
私は昨日作った虎豆の煮豆を2人に渡した。
別れてからデパート内を少し歩いてみたら、もうすっかりクリスマスモードに飾り付けてあり、お歳暮やクリスマスプレゼントの商戦に溢れていた。陶器製の家型になっているキャンドルスタンドを買い求めている年配の夫婦が居たが、私は何も買わずに帰って来た。

帰宅後、ビデオを巻き戻して見た。
韓国ドラマ「花よりも美しく」が最終回だった。4人の子どもを育て上げ、認知症が進行する母親と、それを取り巻く家族の葛藤と日々が丁寧に温かく描かれていた。半世紀前の日本にもあっただろうと思われる家族関係が、いいなと思った。
「在宅ホスピス」の医者と患者を取材したNHKの番組では、がん患者でも自宅で訪問医療を受けて平穏な末期が送れるなら、病院にいるよりも良いかもしれないと思った。

色々あった1日だった。

放射線科で待っていた時、隣の席に座った2人の女性の会話が耳に入った。
どうやら彼女達も乳がんで治療中のようなのだ。お互いの放射線照射後の経過を報告し合いながら、「放射線科に来るのも、後少しだね。」などと話している。
そこで頃合を見て、「私も同じ病気ですが、いつ手術したのですか。」と、話しかけた。
すると2人とも、今年3月の同日に手術を受け、病室も同じだったのだという。
「私は、手術後4年経ちました。」と告げると、「4年経っても、まだ診察に来ているのですか。」と聞かれた。
私は、「乳がんの場合は、10年は経過を見るのではないですか。」と答えた。そして、「乳腺外科と放射線科は検査の仕方が違うので、両方必要に思うし、私の場合はこちらの先生に精神的に支えてもらったので助かっています。」と話した。
多分彼女達は、インターネットでブログを見たりしていないのだろうと思った。
もっと話したかったが、私の番が来たので席を立った。

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サイクリングも結構キツイ

2008年11月16日 | 医療・健康・食生活・衣生活

雪が降ったら自転車に乗れないので今年の乗り収めと思って、昨日、家から4km向こうの隣町まで行った。
少し疲れたので、スーパーマーケットに入ってぶらぶらする事にした。
するとウインドウショッピングの積りが、つい秋物衣料のバーゲンセールに目が行ってしまい、半値の5割引だという価格も魅力で、1枚ウインドブレーカーを買ってしまった。
さらに空腹を感じたので、レストランに入って天丼を食べてしまった。
また帰りがけには、食品売り場でブランデイチョコレート2箱まで買い、帰宅した。
何のためのサイクリングだったのかなと反省した。

今日は方角を変えて、農村方面に自転車で出かけた。
天気が良くないせいか車も少ない。気を良くしてどんどん進んだ。
45分行った所で別の道を通って戻ることにした。すると正面から向かい風が吹いて来て、なかなか進まない。足は疲れるし、心臓はばくばくする。でも戻らないと仕方がないので必死で漕いだ。家に着いたら汗でびっしょりになっていた。

単なる散歩よりも自転車の方が消費カロリーが大きいと思ったので資料を調べて見た。
「運動によるエネルギー消費量」
                体重60kg男   体重50kg女
  ゆっくりした歩行     90kcal/h    70kcal/h
  普通歩行        130         100
  急ぎ足          210         170
  自転車(普通の速さ)  160         130
  家庭菜園、草むしり  120         100
  ジョギング(160m/分) 510         420
  ランニング(200m/分) 720        590

ちなみに天丼1杯は、何と900kcalだった。自転車に7時間乗る必要があった。がっくり!!

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新しい冬タイヤを履く

2008年11月13日 | 暮らしと経済・経済生活

今日も朝は零下だったが、昼は小春日和になった。しかし、何時本格的な雪が降り出すか分からないので、前の冬から悩んでいたスタッドレスタイヤを新しくすることにした。
私の本心は、車をもう少し小型で省エネタイプの新車にしたいのだが、このご時世でもあり、百数十万円の出費は痛い。後5~6年、乗り潰すまで乗った方が経済的に違いない。
しかし、冬タイヤはもうそろそろ限界なので、新しくしたのである。

「タイヤ○○」へ行き、ブリジストンの標準タイヤ、サイズ185・65・R14にした。価格は〆て6万円弱だった。
聞いてみると、この3年間で5%ずつ5回値上がりしたので、25%も高くなったのだという。
私にとっては、退職後は乗る距離が短くなったとはいえ、それでも車は生活の必需品だし、安全に乗るためには止むを得ない出費なのだから仕方が無い。

昨日決まった国の生活支援金が、少しだけ気持ちを軽くしてくれたが、それにしても与党が考えた「お金持ち」とは、「税込み年収が2000万円程度」ある人らしい。1月に平均すると166万円となる。
私が考えるお金持ちは、この2/3位の年収以上の人だ。与党の感覚は、随分、庶民感覚からずれている様に思うのだがどうだろうか。

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初冬の道北に行った(2日目)

2008年11月10日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

2日目は8時半にホテルを出発し、海沿いの道を北に走り、程なくアザラシが生息する「抜海港」に着いた。
バスから降りると、強い冷たい風が吹き、波の花が舞っていた。写真①の足元にあるのが、飛んで来た波の花だ。
岸壁から30m位離れた海の中から20~30匹のアザラシが顔を出しているが、遠すぎてよく見えない。天気が良ければ、もう少しはっきりと見えるのかも知れない。
展望ハウスの中に入ると、「今日のアザラシは61頭」と書いた観察記録が貼ってあった。

 写真① ②

次の観光場所は稚内温泉だった。新しい大きな施設で、温泉に入った後、カラオケやゲームをしたり、マッサージをする設備も充実していた。この温泉の湯は透明だった。地元の老女が「船で来るロシア人は、自転車を持って行ってしまったり、店で商品をポケットに入れたりして困る。」と話していた。私は、「その内できたらここからフェリーでサハリンに行ってみたい。」と話した。
温泉を出て、レストランでソフトクリームを食べた。美味しいクリームだった。

次いで日本の最北端「宗谷岬」に行った。ここも飛ばされそうな強風で寒く、じっとしていられない天候だった。
波も高かったが小型の尾白鷲やかもめが飛び交っていた。
もし晴れていたら、海の向こうに利尻富士やサハリンが見える筈だが、残念だった。

 ②

そこからバスはオホーツク海に沿った国道を南下し、「猿払村」のレストランで昼食を取った。ここは帆立貝の稚貝放流事業で現在は水揚高日本一の町だと言うので、私はホタテのフライ丼を注文した。新鮮なホタテ貝がたっぷり入っていて美味しかった。
またレストランの建つ前浜オホーツク海は、1939年(昭和14)には、ロシア船インデイギルカ号が沖合いで座礁し、村民達が多くの命を救った場所であり、また、1983年(昭和58)には、撃墜された大韓航空機の遺体・遺品が流れ着いた所でもある。

さらにバスは、「猿払」から30km程南下した所にある「クッチャロ湖」に立ち寄った。この時期にシベリヤから飛来する白鳥が、羽根を休めているのを見るためだ。
餌の食パンを売っている人がいて、買って投げると鳥達が大勢集まるのだ。野生の鳥とは思えない人慣れした鳥達だった。白鳥を初めて見た妹は感動していた。白鳥に混じって鴨も沢山いた。
私は、数日前のTVで、野生の鳥には餌をやったり近づいたりしないように、と言っていたのを思い出した。鳥インフルエンザの感染を防ぐためと、野生の鳥の逞しさを守るためだと言っていた。私は、観光客がやる餌で、もしもこの場所の居心地が良くなり、いつまでもクッチャロ湖に留まろうとする鳥が出ないか心配した。

 ③

全ての観光を終えて、バスは札幌に向かった。内陸部では山や野に雪が白く残っていた。
道北は、子ども達が小学生の頃、夏休みにキャンプをしながら車で回った事があったが、今回のツアーは、たまたま初冬の悪天候とぶつかり、大自然の雄大さと厳しさを強く感じた旅になった。
札幌に着いたら8時半を過ぎていた。


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初冬の道北に行った(1日目)

2008年11月10日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

8日朝、起きてみたら、気温は1度、昨夜からの風雪で庭は真っ白になっていた。
この日、妹と1泊2日の道北行きバスツアーを申し込んであったので、ダウンのオーバーコートを着、兎の襟巻きを首に巻き、手袋をして出かけた。道路の雪は溶けていたが、凍結することを考えて滑らない冬靴を履いた。

参加者が48名もいて、バス1台ぎっしりだったが、私達は申し込みが早かったらしく前列の座席が用意されていた。
バスは7時50分、札幌を出発し、強い風と時折降る雪の中を日本海沿いに北に向かって走った。途中、5~6mもあるような波が幾つも防波堤を超えて来たし、道路には白く大きな泡粒も沢山飛んで来て、バスのタイヤが滑らないかと恐ろしかった。

午後3時過ぎに、やっと稚内の南三十数キロに位置する日本最北端の温泉として有名な「豊富温泉」に着いた。そこが宿泊場所だ。
到着すると町の観光協会が主催する歓迎のセレモニーがあった。
会長さんの話では、この温泉は大正末期に石油の試掘をしていた際に天然ガスと共に噴出したのが始まりとの事。泉質はナトリウム塩化物泉で、湯は黄色く濁っていて、石油臭がある。近年、アトピーや乾癬などの皮膚病に効くと言われるようになり、湯治客も多いそうだ。

その後、サロベツ原野の四季折々の自然を写したビデオ映像に合わせて、オカリナ、ケーナの演奏があった。演奏するのはタレントの大泉さんのおじだと司会が紹介した。その独特でどこか物寂しく、また懐かしく素朴な音色に、旅の疲れが癒された。(写真①演奏風景)

演奏が終わると、外れがないビンゴゲームがあった。景品は豊富町の特産物で、1位が大きい箱に入った豊富産のお土産セット、2位がハムセット、3位が山菜セット、4位が鹿肉の缶詰1個、5位がハマナスのジャム1個、6位がスイートコーン1本だ。それぞれ数個ずつ用意されていた。
比較的早くビンゴになった私には、山菜セットが当たった。渡された小型のダンボールが凄く重い。
宿で開けて見たら、茹で蕗のパック詰め5袋、茹で竹の子2袋、スイートコーン2本が入っていた。水が多い為に重いのだ。
鹿肉の缶詰1缶しか当たらなかった妹にも分けたら喜ばれた。(写真②山菜セットに入っていた山菜)

夕食のメインは蛸のしゃぶしゃぶ料理だった。ゴマダレと酢醤油が付いていたが、ゴマダレで食べたら美味しかった。その他の魚介類も新鮮で美味しかった。(写真③夕食のお膳)

食後、温泉に入った。ドアを開けて浴室に入ると、まず石油の匂いがした。黄色く濁った湯のあちこちに油膜が浮いている。本当に珍しい温泉だ。しかし、肌がつるつるになり体が良く温まった。
妹と一しきり話したり、TVを見てから寝た。時折、強風と共にバラバラとひょうが降っていた。

 ① ② ③






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