花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

年末に当たって

2007年12月31日 | 日記
 今日で2007年もお終いである。

 今年を振り返ると
 ①2月からブログを始めた事 
 ②2年目の庭造りに精を出した事 
 ③友人と3人で休耕地を借りて野菜栽培を始めた事 
 ④外国では中国四川省とモロッコに、国内では中部日本や道南に旅行した事 
 ⑤登山にも数回行ったこと、などが思い出される。

 中でも特にブログは、暇つぶしと呆け防止、自己表現の一つとして始めたが、毎日沢山の方々が見て下さるようになり、とても嬉しかった。
 特にコメントを寄せて下さった方々のお陰で、記事を書くのに励みがつき、そして記事を書こうとすると、毎日、それなりに意識的な行動をしたり、考えたり、回りを観察する様になり、それらがくせになった様に思う。
 ブログには、単なる暇つぶしの域を超えた、呆けてはいられないという効用が有る。
 また、ブログでいつのまにかお互いの事がわかり、色々とコメントで交流もできるようになって、人間関係が広がったと思う。

 来年も今年の調子で飽きずに、ブログをまた書いて行きたいと思う。私のブログにまたお立ち寄り頂きますようお願いします。
 皆様、どうぞ良いお年を!!
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伯母姉妹をランチに誘う

2007年12月29日 | 高齢期の生活全般
 一昨日、しばらく振りで予定がない日だったので、施設にいる伯母を訪ねる事にした。
 その優良老人用賃貸住宅では昼ご飯が出ないので、「一緒にランチをしよう。ご馳走するから。」と朝、電話で誘っておいた。
 町の中は凍結路面で恐ろしいが、国道に出たら道路が出ていたので、この時期としてはまだ走りやすかった。

 行ってみたら、その日も妹さんが一足先に来ていた。80数才だと思うが鮮やかなピンク色のセーターは私にも眩しかった。
 間もなく若い訪問看護婦さんがやって来て、伯母の血圧を測ったり薬の整理と指示をし出した。
 私は狭い部屋に4人もいることに気詰まりを感じたので、部屋から出て施設の階段を上り下りすることにした。け上げ寸法17cm程のゆるやかな階段で、数えたら上階までは20段ある。5階建てなので下から上まで登ると80段だ。それを3回繰り返したら少し汗ばんだ。

 適当な時間になったので、伯母と妹さんを車に乗せて、町の和食レストランに行った。駐車場から玄関先までが凍結していて危ないので、伯母が転ばないように支えた。私も危なく転びそうだった。
 椅子席の禁煙席が空くのをしばらく待って座った。
 伯母達は「普段、昼は余り食べていないので」と言いながら、茶碗蒸しがついた生寿司定食を頼んだ。私は茶碗蒸しの無い生寿司を頼んだ。食後のコーヒーを飲みながら1時間ほどお喋りした。

 伯母の妹は夫と二人暮らしらしいが、年金収入が少なく、外食はまずする事がないのだという。しかし、二人分を料理するのは大変だし面倒なので、スーパーから出来合いの弁当やおかず類を買って来て、毎食を済ませているのだという。
 その話は私にはショックだった。出来合いの食品は珠になら良いけれど、味付けが濃いし、食品バランスが悪いので、毎日なら高齢者の身体に良くないと思ったからだ。でも、ずっとそうしていると聞いて何も言えなかった。
 伯母と私が残した寿司を合わせて折りに入れたら、丁度一人前になった。伯母は、家にいる夫に食べて貰うようにと言って、詰めた折をそっと妹に渡していた。伯母の細かな配慮に私は感心した。
 また、私から妹さんに「伯母の所に来る曜日が決まっている様だけれど、何か理由が有るの。」と聞いてみた。
 すると笑いながら、「訪問看護婦さんが来る日なので、ついでにタダで私も血圧を測って貰いたいから。」と答えた。頭が良いなと私は納得した。

 妹さんが帰った後、伯母から不審な手紙が届いたといって見せられた。手紙はワープロで印字され、差出人不明、春に亡くなった伯父宛てに妻の浮気を報せる内容だった。
 伯母が気持ちが悪いというので、警察に連絡すると、巡回している警察官が来てくれた。伯父の遺影と仏壇の前で手紙を見てから、「この施設は外から勝手に入れないドアなので、大丈夫だと思うが、何かあったら連絡して下さい。」と言って帰った。

 伯母は住んでいた家も畑も無くなったので、帰る所がない。それで私から、「お正月に私の家に来ないかい。」と誘ったが、その施設にいるという。多分他にもそこでお正月をする入居者がいるのだろうと思うし、それなりに配慮された食事も出るだろうと思うので、「じゃあ、お正月にまた来るから元気でね。」と言って別れた。
 すっかり暗くなった道を車を走らせて帰宅した。色々あった一日だった。

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胃ガンが治った人に会う

2007年12月21日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 今日もあるサークルの忘年会だった。
 自己紹介の時、私の隣席の男性は、「5年前に胃ガンになり治療して来たが、今回5年経った検査で、医者からもう大丈夫だと言われた。」と嬉しそうに報告した。私が拍手したらみんなも拍手した。

 大抵のがんは5年、再発・転位しなければ治癒したと見なされるが、乳癌は進行が遅いので10年経過を見なければならない。
 私は今、3年たったばかりなので、まだまだ先が長いし、自分ではどうなるか分からないが「神のみぞ知る」のであろう。
 
 私の知人で再発・転移し、がんと戦い続けている人もいる。彼女たちは再発・転移の精神的なショックを乗り越え、不安な気持ちを抱えながらも明日を信じて治療したり、前向きに生きようとしている。その姿にはいつもこちらが励まされ、勇気づけられる。
 私も乳癌という切ない病気にはなったけれど、お陰で心の支えとなってくれるような友人にも出会えたし、残された日々を友人、知人を大切にしながら、有意義に過ごしたいと考えるようになった事は、本当に良かった。
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患者の声と国のがん対策

2007年12月18日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 先日のがん情報センター主催の講演会で、途中の休憩時間に配られていた質問用紙に質問を書くよう促された。
 私は、一昨年知った「HER2蛋白質が陽性の乳癌患者に対して、アメリカでは初期治療から新薬・HERセプチンを使って効果を上げているのに、日本ではまだ再発後しか使用が認められないのは何故なのか」と書いて会場の責任者に渡した。

 するとその人(多分、札幌のがんセンターの情報室の方だと思うが)は、「個々の薬の認可状況は質問に出せないが、もうじき日本でも、その薬は初期治療から使えるようになるという情報がある。」と教えてくれた。そして「患者からの要望が強いので、国も見過ごせなくなったのだと思う。」とも話してくれた。

 実は私のがん細胞は、「女性ホルモンには反応しないが、HER2蛋白質が陽性のがん細胞で、再発・転移しやすい悪性度の高いがんだ」と、手術後に医者から告げられていたのだ。ものすごく高価な薬らしいが、もしも認可されれば私の治療の選択肢が一つ増える訳なので、良かったと思った。
 
 講演会終了後、妹、従姉妹と3人で会食をした際、私からは早速この事を報告した。もし、この薬が私に合えば、あるいは再発を抑えられるかも知れないのだと。二人とも「良かったね。」と喜んでくれた。
 やはり患者は、切実な声を国に対して上げていかなければならないと実感した身近な出来事だった。
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論より科学的根拠 

2007年12月16日 | 医療・健康・食生活・衣生活

 昨日、「国立がんセンターがん対策情報センター」主催の市民向け講演会があったので行って来た。
 前回と同様、大型TV中継で全国16会場を結んで行われた。
 事前のチラシでは「がん対策に国民の視点はどう生かされていくか」がテーマとなっていたので、私はそのつもりで雪の降る中、駆けつけたのだが、実際は「論より科学的証拠~信頼できる情報とは…」だった。
 札幌会場には約50人が集まり、TVの講演に耳を傾けた。

 講演はいずれもがん対策情報センターの専門部門の責任者によるもので、「敵を知らずに戦えないーがん登録」「最新の治療が最善の治療とは限らない~臨床試験」「論より科学的根拠~がん情報を評価する」の3本だった。

 手元に貰ったレジメを見ながら、私なりに要点をまとめて見た。

 1.がん対策を立てる上で欠かせないのが「がん登録」である。
 現在は国内35道府県1市で罹患率調査が行われているが、方法、体制、精度がバラバラで統一されていない。そこで宮城、山形、新潟、大阪などの比較的信頼性の高い10地域の計測データーを用いて罹患数・罹患率を推計している。

 がん対策の寄与度・効果は、がんの死亡率と罹患率の比較によって量ることができる。
 (2005年の乳癌死亡率で言うと、最大12.6、最小7.2と地域により1.75倍の開きがある。高い地域は乳癌の罹患数が多いのか、早期発見ができていないのか、治療が悪いのかを検討する必要があり、その対策をたてる上で全てのがん登録が必要なのである。)

 今年6月の「がん対策推進基本計画」には、がん登録の個別目標が掲げられた。今後は院内がん登録の普及と、診断から5年以内の登録症例の予後の判明状況などを把握し、その状況改善を目標とすることになった。

 2.新薬を誕生させるためには、臨床試験が必要である。
 米国の調査では、動物実験で成績が良く、臨床試験が開始された薬の候補の内、病院で使える薬となったのは1/10だった。

がんの薬に限って見ると、それは1/20(5%)に過ぎなかった。
 何回もの臨床試験をして有効性と安全性が調べられ、良い物だけが新薬として認められる。人の身体の仕組みは複雑なため、動物実験の結果と逆の効果(病気が悪化したり死に至ること)になってしまう事もある。

 臨床試験の論理的、科学的な正しい方法は、「ランダム化比較試験」である。これは、その候補の薬を使う人と使わない人の2グループを作って比較する方法である。

 かってアメリカで、乳癌患者にたいするある治療法の「ランダム化比較試験」を行った結果、古い治療法よりもその治療法の方が長生きしたという結果を受けて、4万人に実地された。ところが非常に副作用が強く、2~5%が死亡した。
 2000年に公表された大規模な「ランダム化比較試験」の結果、その治療法は延命には全く効果がなかった事が分かったのだという。原因は研究者が統計学を間違ってしまったために起こった誤りだったとの事。試験も小規模で、データーが捏造されたものだった。

 3.薬や治療法の科学的な評価は、「エビデンスレベル(信頼するべき根拠の高さ)」を知って判断するべきである。
 国立がんセンターがん対策情報センターのがん情報サービスが、その情報を発信している。
    http://ganjoho.ncc.go.jp/professional/plan.html

 がんの「代替療法」のリスクは、患者は健康な人とは違うので、病気で弱っている身体に影響する可能性がある事、精神的にも弱っている所につけ込まれやすい事である。

 例えばアガリスクを例にすると、動物実験では「発癌性」を示す可能性があること、「劇症肝炎」の報告もある。
 「がんの治療」には、リスクが大きくてもそれを上回る大きな利益(ベネフイット)が必ずあるという強いエビデンス(信頼に足る根拠)が必要である。
 「がんを予防するための食事」は、リスクが小なので、利益がありそうなら実践して良い。
 「がんの代替療法」は、リスクが中・大と考えられるものは、それを上回るベネフィットの強いエビデンスが無いと使用するべきではない。

最後に全国の会場から出た質問に対する回答の幾つかを書いておく。
 ・「代替療法」をする場合は、何が起きるか分からないので、医者に必ず伝えておく様にするべきだ。
 ・米国や欧州で承認された薬が日本で承認されるのには数年かかり、承認されない薬は製薬業者が作れないし、保険薬として薬価が決まらない。
 しかし、外国から個人輸入するのは日本では認められているが、問題が起きた時の責任の所在が不明となる。
 ・日本では治験にお金がかかるが、経済的なメリットが少ない。
 ・治験の途中経過は、担当の医者も知らない。
 ・がん登録で、個人へ問い合わせをする事はない。

 

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忘年会シーズン

2007年12月14日 | 日記
 早いもので12月も中旬、忘年会シーズンになった。
 私も先日と昨夜、二つの忘年会を終えた。

 仕事をしていた頃の宴会と違うのは、参加者の年齢層だ。何処へ行っても熟年世代だけ。しかも圧倒的に男性が多い。
 平均寿命は女性が長いし、普段は元気な女性が沢山活動しているのに、こういう夜の宴会になると男性が圧倒多数になる。どうしてなのかな。

 私は、最近の飲み放題の宴会で、会費は一人前払うがお酒は飲まないことにしている。
 だから、だらしなく食べ物や飲み物をこぼしたり、喋りながら口から飛び出してくる様子なども目に付く。年齢が高くなるとそういうエチケットの悪さが気にならなくなる人が多いのかも知れないし、また、自然にそうなってしまうのかも知れない。
 そう言う人の傍にいると、何かしら楽しめないのは確かだ。

 また、私は最近、昔のように声が出なくなり、歌を歌いにくくなってきた。でも、カラオケで歌えと強要される。これも困ったものだ。
 でも見渡して見たら、私が若い部類の人間になるのだから困る。
 昨夜は仕方なく10年ぶりで懐メロを1曲歌った。それだけなのにすごく疲れて、今朝は寝坊してしまった。
 まだ、忘年会が残っている。体力を付けておかなければだめだと思った。




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昆布の佃煮

2007年12月12日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 先日、函館に行った時、途中の「昆布館」という所で買った昆布のおやつがとても気に入った。それは砂糖とごま油を塗って胡麻をまぶした「焼き昆布」というものだ。
 家で作れないか考えた。
 昨夜、家にあった日高昆布をハサミで切って油で揚げ、胡麻をまぶしてみた。同じ感じには仕上がったのだが、使った昆布の塩気がきつかったようで、かなり塩辛い。

 そこで今日はその昆布を水に10分くらいつけて塩抜きし、佃煮にする事にした。

 1.塩抜きして柔らかくなった昆布をハサミで小さく切る。
 2.適量の干し椎茸を水で戻して細かな千切りにする。
 3.椎茸の戻し汁を厚手の鍋に入れ、1.2の材料を入れて火をつけた。
 4.味醂、酢を加えて昆布が柔らかくなるまで弱火で煮る。
 5.塩味を見ながら醤油と砂糖、鰹節を適量加えて、弱火で焦がさないように煮詰める。
   途中、好みでおろし生姜、粉山椒などを加える。

 すごく柔らかな美味しい佃煮が小鍋に一杯でき上がったので、仲良くしているご近所に瓶に詰めてお裾分けしたら、早速味を見て、箸休めに良いね、と言われた。
 昆布はミネラルたっぷりなので身体にも良いし、塩抜きしたので血圧にも心配ない。毎日少しずつ食べる事にしよう。
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TVアニメ「赤毛のアン」

2007年12月12日 | TV・映画・音楽・美術
 皆さんの中で、アニメを見ている方はいるのだろうか。居るとしても「赤毛のアン」を見ている人は少ないのではと思う。
 私が「赤毛のアン」に出逢った最初は、子どもの頃に読んだ児童書一冊だった。
 真っ赤な髪、そばかすだらけでやせっぽち、そして孤児院で育った夢見る少女アンに不思議な魅力を抱いた事を覚えている。
 次に出逢ったのは、確か40才の頃、外国の映画でだった。こちらは続編「アンの青春」までの2本を見た。アンが恋愛をし結婚する迄の映画だったと記憶しているが、その愛に溢れた純粋な生き方を描いていて感動した。
 それで私は本をしっかりと読みたいと思い、文庫本を買って来ては次々と読み進めた。
 全部で10巻だったと思うが、作者モンゴメリーの、主人公アンとその回りの人々の日常生活に対する優しい眼差しが全編に溢れていて、当時の疲れた私の心を温かくしてくれた。
 また、孤児のアンを引き取って育てた独身のマリラには、理想的な母親像、教育者像を伺う事ができた。本の随所に教師だったモンゴメリーの児童観、教育観を読み取ることができたのも、私が惹かれた理由である。

 児童書ではアンの子ども時代しか書かれていないが、やがてアンは結婚し、数人の子どもの母親となり、子育てに苦労と喜びを感じながら、カナダの東部のプリンスエドワード島で医師の夫と地域に無くてはならない人になっていくのだ。
 (その頃、アンのテーマパークを作った町もあったが、今は閉鎖されてしまった。)

 そんな訳で、今は毎朝民放で放映している再放送のアニメを、再び楽しみにして見ているのである。
 先週、図書館で本を見てみたが、児童書も文庫本も訳者が同じで、文章も同じだった。人の心を打つ少女の成長物語は、これからも世界中の人に愛され続けるだろうと思っている。


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「がんになっても最後まで安心できるまちづくり」シンポジュウム

2007年12月09日 | 医療・健康・食生活・衣生活
 昨日私はタイトルのシンポジウムに参加するために札幌に出た。
 開催されるのは3時からなので、12時に登山の友人と駅で待ち合わせ、近くのビルのイタリアンレストランに入ってピッツァを食べながら2時間ほどお喋りをした。
 彼女は学生時代からの友人で、女子寮で一緒の部屋に暮らした事もある友達なのだ。今年一緒に登った富良野岳、ユニ石狩岳の思い出話と、先日報じられたカミホロカメットク山での遭難事件などについて話した後、来年の登山計画や花作りなどを楽しく話し合った。

 その後、地下鉄に乗って国立がんセンターのTV会議中継施設に行ったが、参加者は私の予想よりも少なかった。
 今回は茨城、新潟、大阪、九州、青森、群馬、静岡、呉、東京、山形、千葉、愛知、四国の会場とTV中継してシンポジウムが進められたのだが、中継画面に写った他の会場の参加者も少ない感じなので、宣伝が不足だったのではと思った。



 患者の強い訴えの元に昨年6月に成立した「がん対策基本法」に基づいて、今年6月には国の「がん対策推進基本計画」が策定された。
 その全体目標は「がんによる死亡者の減少」と「全てのがん患者と家族の苦痛の軽減・療養生活の質の向上」が謳われていて、重点課題として「治療の初期段階からの緩和ケアの実施」が定められたのである。

 この方針に添って7人の方から提言がなされた。
 私の心に残った点の一つは、まず四国がんセンターの谷水氏が
 「1、痛みを我慢して得する事は何もありません。痛みは治療できます。」
 「2、医療用麻薬への不安を払拭しましょう。安全な使用方法が確立されています。」
 「3、緩和ケアの相談に主治医の許可や紹介は不要です。」 
 「4、緩和ケア病棟入院時には、退院の目標を持ちましょう。」と提言した事だ。

 また、最近は平均して治療のための入院日数が少なくなって来ているため、患者が自宅で過ごす期間が長くなっている。それで、地域の医療サービスや福祉関係のケアマネージャーなどの活用も重要であると言われた事だ。
 国立がんセンター中央病院、相談支援センターの大松氏は、外来に来る患者や家族のサポート体制が不備のため、がん難民が増えていると話した。今後はこうした支援が必要になっていると指摘した。
 対がん協会のホットライン(03-5218-4776)の担当者からは、幾つかの相談事例が話された。

 いずれにしても、国を挙げてがん対策の進展の為にこうした会議が開かれた事は嬉しいし、参加して良かったと思った。

 来週15日午後1時半~4時半には、同様のシステムで「日本のがん医療を考える~がん対策に国民の視点はどう生かされていくか」が行われる事になっている。
 各会場から参加者は質問や意見も言うことができるので、近くの方は行って見るのも良いと思う。
   問い合わせ先 03-3542-2511 国立がんセンター内線2207
 
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雪の中の函館観光

2007年12月07日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
 5~6日の二日間、半年一緒に汗を流した農園仲間3人で「函館観光バスツアー」に行ってきた。
 全道的に朝から気温が低かったが札幌には雪は無かったので、道南函館はもう少し暖かく、勿論雪なんて降っていないだろうと予想した。
 しかし、中山峠に差し掛かるに連れて雪となり、峠は-8℃で、積雪も20cm位あった。
 更に函館に近づくに連れて吹雪き状態となり、函館の町は積雪も結構あって、もうすっかり冬景色だった。

 函館に着いて最初に行った五稜郭公園は降りしきる雪の中だったので、展望台に上がっても何も見えないと思いコーヒーを飲むだけにした。

 次は元町散策だ。バスを降りてから15cm位積もった新雪を漕いで公園を横切り、階段を上って上の道路まで行った。公園では子ども達が真新しい雪の上でそり滑りや雪合戦をして楽しんでいた。また、ロシアのハリストス正協会は夕闇の雪の中に静かに佇んでいた。(写真①)

 函館山に行くロープウエーに乗った頃はすっかり暗くなっていたが、相変わらず雪が降り続いていたので、夜景を見るという期待はできなかった。ロープウエーで僅か3分、標高334mの頂上に建つ立派な展望台に到着した。
 寒さに震えながら屋上で待つこと10分程、すると徐々に雪が小降りとなり、止んだ。そして奇跡的に綺麗な夜景が浮かび上がった。左が函館湾、右が津軽海峡だ。右下には数分おきに運転されるロープウエーも見えた。感激した。(写真②)

 ① ②

 次はベイサイドで行われている「函館クリスマスファンタジー」の会場に行った。巨大クリスマスツリーの午後6時の点灯式を見学するためだ。
 このもみの木は、先日北欧の国から輸送されて来たものだ。
 サンタクロースの衣装に身を包んだ点灯者は応募者の中から日替わりで決められるそうだが、その日は函館の学校に留学しているタイ人のシリモンさんだった。大勢の人達が見守る中でカウントダウンして点灯されたツリーは、雪が降る中で色取り取りに美しく輝き、同時に打ち上げ花火も上がった。本当のクリスマスまでまだ20日もあるのに、その中にいたら不思議とメリークリスマス気分になった。(写真③)
 宿泊先の湯ノ川のホテルに入り、すっかり冷え切った身体を食事と温泉で温めた。
 それから3人で赤ワインをいただきながら、遅くまで尽きない話を楽しんだ。

 翌朝の観光は、郊外のトラピスチヌ修道院から始まった。(写真④)
 ここはフランスから派遣された8人の修道女によって明治31年に設立された日本で初めての女子修道院だ。
 正門を入った所には天使ミカエルが悪魔を退治している聖像があったが、雪に覆われていてよく分からなかった。私は手を伸ばして届く限りの雪を取り除いてから写真を撮った。(写真⑤)
 傍の資料館には、修道女達が、毎日、祈りと労働を通して厳しい自給自足生活をしている様子が展示されていた。私は売店で修道女が作ったコーヒー飴を買った。
 丁度、私達と前後して台湾の観光客が沢山来ていたが、彼らは何よりも雪の銀世界が珍しくて嬉しいらしく、静寂な修道院の庭で雪玉をぶつけあったり追い掛け合ったりしてはしゃいでいた。(写真⑥)

 ③ ④

 ⑤ ⑥

 次にバスは函館朝市に向かった。つるつるの雪道で転ばぬよう注意しながらざっと歩いてみたが、どの店も観光客向けの品揃えと値付けになっていたので、私は結局何も買わなかった。

 函館を後にして途中、バスは大沼公園に立ち寄った。私達はそこで昼食を済ませてから札幌に向かった。
 所がバスが途中の山道に差し掛かった所で、大型トラックが路面凍結のため登られずに道を塞いでいた。運転手はバックして別な道を迂回して走った。
 一安心したのもつかの間、しばらく行くと又、トラックが立ち往生していた。運転手は安全のためチェーンをタイヤに巻いてから走り、危険箇所を越えた。
 そのままではスピードを出せないということで、数キロ走ると再びチェーンを外した。見ていたら大変な作業だが、何より安全第一なので、私達はバスの中から見守った。運転手が運転席に戻るたびに私達はご苦労様の気持ちを込めて拍手した。
 中山峠では数台の乗用車が追突事故を起こしたり、路外の雪の山に突っ込んで止まっていた。パトカーや道路パトロール車も走っていた。この道路事情では何が起こるか分からないので、私はシートベルトをしっかり締めて座っていた。
 安全運転のお陰でバスは無事に札幌に着いた。札幌では2~3cm雪が降ったらしく、街中が昨日とは違う色になっていた。

 今回のバスツアーは、思いがけない雪の中の函館の姿を再発見できたり、二日間、寝食を共にする事で農園仲間としての友情も一層深まった。また、冬の運転手さん達の緊張と苦労を知った旅でもあった。
 

 
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従姉妹と気の早い忘年会

2007年12月03日 | 日記
 今年もパークゴルフを一緒に楽しんだ従姉妹を我が家に招待して、気の早い忘年会をやった。
 今朝まで昼食の献立が決まらず悩んだが、家にある材料でできる和洋折衷の料理を作ることにした。

 まず白菜と胡瓜で即席漬けを作った。私の作り方は、刻んだ野菜と生姜、赤唐辛子をビニール袋に入れて計量し、重量の2%の塩を加えて置いておくのだ。4時間ほどで結構塩味が馴染み、美味しい漬け物になった。

 次に鶏飯の下ごしらえをした。今日は餅米も1/3加えた。具は鶏もも肉、ひじき、牛蒡、人参、椎茸だ。

 また、一昨日買ってあった牛バラ肉があったので、鶏飯にはどうかなと思ったが、急遽、ビーフシチューを作ることにした。
 肉を切ってから軽く塩胡椒し、小麦粉をまぶして鍋で炒めてから、圧力鍋に移して弱火で1時間、肉がすっかり軟らかくなるまで煮た。
 別の鍋でニンニクのみじん切りと大きめに切った玉葱をバターで炒め、そこへ大きめに切ったじゃが芋と人参を加えた。柔らかくなった肉も汁ごと加えて弱火で煮た。芋が煮えた所へビーフシチューのルーと家にあった干しぶどうを入れて完成した。すごく美味しいビーフシチューができた。
 最後に南瓜と薩摩芋の天ぷらを揚げた。どちらも味が良かった。

 以上の調理を2時間半で終えた所へ従姉妹が来た。
 少し早めの昼ご飯だったが、作りたての料理はどれも美味しいと言ってくれ、二人でお腹一杯食べた。

 食後、お茶やコーヒーを飲みながら、デザートを食べて、ゆっくり4時間くらいお喋りをした。
 「来年はまた、パークゴルフを楽しみたいね。」と約束して、帰り際にメークインや長ネギと鶏飯、それに静岡から買って来た緑茶、長野で買った干しぶどうを渡した。別れる時に従姉妹から、私が「凄く元気なので驚くよ。」と言われてしまった。
 忙しかったけれど、今日も楽しい一日だった。

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