≪世界遺産「カルカソンヌ」観光≫
成田国際空港から22時に離陸したトルコ航空機は、12時間後の現地時間4時15分(日本との時差は-6時間)にトルコの「イスタンブール」に到着。
前回書いたように、当日「イスタンブール」でISによるらしいテロ事件が起きたという事で、広い空港内でフランスの「トゥールーズ空港」行きに乗り換える11時まで、何処にも行かずに待機した。
この空港はヨーロッパ、西アジア、アフリカ方面に乗り継ぐ「ハブ空港」で、国籍や民族が異なる大勢の人達が行き交っていた。
椅子に座っていた時、隣に座った体格が良く、大きな目をしたお洒落な女性はイラン人だった。私が昨年10月にイランに行ったと言うと、急に彼女との距離が近まり、片言の英語でイランの思い出などを少し話した。私が驚いたのは、イラン国内では全ての女性はスカーフを被らなければならないのに、彼女は派手な色柄の服装で化粧もバッチリ、香水がひどくキツイ。そしてスカーフは被らず、イラン人だと聞かなければ全くそれとは分からない外観だった事だった。
隣席に次に座った女性はイスラエル人だった。彼女は黒っぽい服装をし、夫と子どもを連れていた。英語が話せないので会話ができなかった。
昼の飛行なので飛行機の座席を窓側に取った。飛行機はトルコからギリシャ上空を横切り、地中海に入り、フランス国土に向った。
目的地のフランスは、日本との時差は夏時間で-7時間なので、機内でまた時計の時刻を直した。
フランス上空に来た時、下を見ると地中海が見えた。海辺に大きな町があったが、どこかは判らなかった。
「トゥルーズ空港」には3時間40分後の13時40分に着いた。
飛行機に預けたスーツケースの内、一人のメンバーのが壊れていたらしく、その手続きのために1時間待った。空港側は、同じ様な大きさのスーツケースを持って来て交換してくれたそうだ。
現地ガイドは中年の女性だった。
バスは気温25度ほどある「トゥルーズ」市内は通過して「カルカソンヌ」に向った。
見ると空港の傍に「エアバス社」があった。この町はフランスが世界に誇る「エアバス社」の町だったのだ。
バスで1時間半ほど移動しながら窓外を見ると、何処までも緑豊かな田園風景が続いていた。
小麦、大麦、トウモロコシ、じゃが芋、葡萄などの畑が広がり、時々牛や羊の姿も見えた。実にのどかな南フランスの光景だった。
フランスがヨーロッパの穀倉地帯だという事は、都市にいると分からないが、今回はそれが良く分かった。
やがて「カルカソンヌ」に着いた。
今この町は、人口4.7万人の「オード県」の県庁所在地である。
ここは古くからフランスのモンターニュ・ロワールとピレネー山脈の間にあり、また地中海と大西洋を結ぶ交通の要所だった所として重要視されて来た。
「オード川」を挟んだ向こう側に、二重の城壁で囲まれた城塞都市が造られていて、中に中世の城「コンタル城」が立っている。
内側の城壁がローマ時代の3~4世紀に建造され、外側は13世紀に造られたという。
川の反対側には、旧市街が造られた。
1659年の「ピレネー条約」によりフランスとスペインの国境が定められてからは、「カクカソンヌ」の戦略的な意味が失われると城は荒廃したが、19世紀の中頃、修復の機運が盛り上がって修復され今日に至っている。
1997年、世界遺産に指定され、集客数では「モンサンミッシェル」に次ぐフランス第二位の観光地になっている。
入り口の門の上には、敵を攻撃する仕掛けの穴が開けられ、城内の道は曲がっていた。今では観光客相手の店が幾つもあり、一番奥にはステンドグラスが美しい教会があった。
内壁と外壁の間を歩いたら、保育所の子ども達が内壁の木陰で遊んでいた。