食欲はあるので、数日したら回復するのではと思う。
所で伯母は1階居間の隣室で寝起きしている。トイレが隣にあるから便利なのだ。
しかし、私は2階の奥に寝室がある。2階にもトイレがあるので、不便はないが。
でも、伯母が声を上げても、聞こえる距離ではない。
それで、病院や施設の様に、伯母が何かあった時、夜中に私を呼ぶ事ができる装置が必要だと思うようになった。
今度、ケアマネージャーが来た時に何か良い方法がないか、相談したいと思っている。
先週、図書館から借りて野澤千絵著「老いる家 崩れる町ー住宅過剰社会の末路」という新書本(講談社現代新書)を読んだ。
それには現在の住宅事情とその問題点が分かり易く書かれていた。
内容を私なりにまとめると、中古住宅が右肩上がりで増加して行っている。
またやがて団塊の世代が老化して死を迎え、相続放棄されたり管理されない空家が沢山できる時代が直ぐ来る。
それにも拘わらず、このまま新築住宅をほぼ無制限に建て、住宅地の開発を無規律に近い状況で許すという都市開発が全国で進めば、やがてそのつけは既にその町に暮らしている多くの市民が負わなくてはならなくなる。
そればかりか、公共投資に財源が回らなくなり、市民にとって大きな損害になる。
だから現在の宅地造成、新築住宅の建設の考え方を見直す時に来ているという内容だった。
確かに市街化調整地域にバラバラと戸建て住宅や高層マンションが建って行くと、道路、電気、上下水道などのインフラ整備をしなければならなくなる。これには莫大な予算が必要になる。
また、バス、商店、病院、学校、保育所、図書館などの生活インフラが無ければ、そこに新たに住もうとする人は少なく、新築の空家や空き部屋が増え、環境悪化をもたらす地域となるかも知れない。
しかし、現状では、銀行が低利でローンを組むために、相続税対策などと言って不動産屋の言うがままに賃貸住宅を建てる人が後を絶たないという。
一方、自治体側は、「人口増加」を絶対目標として掲げ、メリットの大きな国の交付金を当てにした住宅地の造成や新開発地の造成を進めているという。
最後には、この悪循環を断ち切って、今後の町や都市にとってどのようにして行くのが最善策なのか、まず空き家対策にどう手を付けたら良いのかなどを考えるポイントも提起されていた。不動産の登記や相続のしかたにも大きく関わる問題なのだ。
私は今まで町の都市開発計画についてほとんど関心が無かったが、これからは関心を持つ事が大切だと思えて来た。
自分も市の税金の支え手の一人であり、地域環境の担い手の一人だという意識が、この本で初めて芽生えた。
住環境はただ与えられるものではなく、市民一人ひとりの貴重な財産だとして捕らえて行く事が重要だと学んだ。豊富な資料と調査に基づいた読み応えがある一冊だった。
私の長年の友人の一人が彼女だが、今週、久し振りに会う約束をしていた。
ところがしつこい風邪を引いたということで会うのは取り止めていた。
彼女は1人暮らしなので、寝込んだ時には介抱してくれる人が身近にいないらしい。
彼女は多くの兄弟姉妹の末の方に生まれた。だから同じ札幌市内に高齢の姉や兄がいても、普段は彼女が買い物や通院の助けをしている側だと聞いている。
今回は1週間も寝込んでいて、昨日やっと買い物をし、それなりの食事をしたらしい。
心配していたが、私が近くに住んでいればおかずを作って運ぶこともできるだろうが、距離があるし、おまけに冬の雪道ではそれもままならない。
自分が動けなくなった時にどうするべきか、1人暮らしの人は考えておく必要があると思った。
彼女に今度会ったら、緊急時に手助けを頼める人は誰かいないのかを聞きたいと思う。
甥や姪がいる筈だし、仲の良い友人などもいるのではないかと思うからだ。
誰もいないなら、連絡さえしてくれたら、車で私の家に連れて来ることもできる。困った時は、お互い様だからだ。
兎に角、普段から信頼できる人に、予めこんな時の手助けを頼んで置くのが良いのではと思う。
同時に私自身も、そろそろ考える必要があると実感した友人の風邪だった。
当地はこの所の最高気温がプラスだが、やはり寒い。
以前にも書いたが、伯母は夜も何度かトイレに起きる。
もしも風邪を引かせたら肺炎にならないとも限らないので、寒さが厳しい3月までは月の5~6割程の日数を「ショートステイ」の制度を利用して「特養ホーム」に預かってもらっている。
お正月を済ませ、1週間ほど前から伯母が「特養ホーム」に入ったのだが、途端に私の生活が規律の無いものになってしまった。
朝はなかなか起きられない。(初めの数日間は、寝ていても体が痛くて仕方が無かった)
やらなければならないことがあっても、1日に1つか2つしかやり遂げられない。
食事も、伯母がいると栄養バランスを考えて緊張して用意するが、今は冷蔵庫にあるもので適当に済ませてしまう。買い物も億劫で行きたくないのだ。
それでもこの数日で「任意の車両保険」の継続手続きをネットで済ませ、今日、コンビニから保険料を支払って来た。「ネットの保険会社」との契約は、もうかれこれ10年程になる。
また、図書館に2度行って、沢山本を借りて来た。
それに、伯母がいない間に伯母の寝具やセーター・下着を沢山洗濯した。(伯母が枕の上に敷いていたタオルが、抜けた白髪だらけだったのには驚いたが)
昨日は、半月に1度の「家計簿」記帳を済ませた。(毎日記帳しないと気分的に寝られなかったが、退職してからはレシートや領収書をまとめておいて、半月に1度位の頻度で記帳している。忘れていることもあり、思い出して記帳するのは脳のトレーニングにもなっているかも知れない)
昨年までの20年以上は、細かく項目が分かれている「白百合家計簿」を使って来たが、今年は100円ショップにあった「簡単家計簿」を使って見る事にした。今の所、問題は無い。
(高校1年生の時、日本育英会の「特別奨学生」になり、毎月の奨学金の管理が必要になった時から「小遣い帳」を付け出したのが始り。「家計簿」を付け出したのは家庭を持った時からだから、かれこれ半世紀になる)
また今日は、今までバラバラにしていたインターネット上の契約会社とのIDやパスワードを記録した「一覧ノート」を作った。これであちこち探さなくて済むだろう。
ただ唯一、毎日意欲的にできた事は、「クロスワードパズル」を解く事だった。
実はこれで3冊目なのだが、認知症予防に少しはなるかもと思って、500円前後する「クロスワードパズル」の月刊誌を買って来て取り組んでいる。すると私でも面白いように解けるのだ。
問が縦と横で999あるページの4ページに渡る解答欄も、2日間もあれば解き終わってしまう。
多分、このパズルは、生活年齢が長い人ほど簡単に解けるのだろうから、私が解けて当然だと思うが、兎に角面白い。
明日は娘が出張で札幌に来るので、泊めてくれと言って来た。いつも我が家を安宿代わりにしているのだが、それでも時々顔を見られるのは悪くないなと思っている。
明日の夜は、娘が寝る時に寒くないように、寝室や寝具を温めて置きたい。
数日後に伯母が帰って来る。今のだらけた生活もそれ迄だ。
今日は定期健診でいつもの病院に行った。今年初めての月曜日だったためか、病院の混み様は酷かった。
予約時刻の10分前に到着して駐車しようとしたが、数台の車が並んでいて10分以上待っても拉致が開かない。
仕方なく近所の行きつけの薬局に駐車させてもらって受付に走った。
待ち合い室の椅子も暫くしてやっと確保できた。採血、尿検査の順番待ちも45分ほど掛かった。
医師の診察まで2時間待ち。
やっと名前が呼ばれて「循環器内科」の医師の前に座ったのだが、医師は開口一番に「血液検査の結果では、問題が一気に増えましたね。どうしましたか。」と聞かれた。
心当たりが思いつかないので黙っていたら、「肝臓と腎臓が心配ですね。急いで検査をする必要がありますね。」と言われた。
頭の中が真っ白になって、こんな体調なら計画してある旅行には行けないかも知れないし、伯母の介護はどうするなど、心配になった。
最後に検査結果が印刷された紙を受け取って、外の待ち合い室に戻った。
数分後、どうしてこんな事になってしまったのだろうかと結果の紙を再度見た。
確かに数値が軒並み酷い。高過ぎるというH記号が沢山あった。
こんなではやはり精密検査を受けるべきだなと思いながら、上部を見た。
すると印刷されている名前が、私のとは違うではないか。
慌てて担当の看護師を探し、その紙を渡した。
看護師も直ぐに理解したらしく、奥に確かめに行ってくれた。
数分後やって来て「姓の一字が同じだったので、間違いました。」という。
私から「もう一度、診察し直して下さい。」と要請した。
間も無く先程の医師の所に呼ばれたので、「もしも私が気がつかなかったら、どうなっていたでしょうね。」と言うと、
「その人の番が来た時に、分かったでしょう。」とか、無責任なことを言われて、私がショックを受けたことなど、気にもしないようだった。
私が「実際のその人にしたら、大変な検査結果ですね。」と言うと、「知られてはいけない事なので、秘密にして下さい。」と言われた。
まあ、12年もかかり続けた病院で、初めて私に起きたでき事なので黙っていたいと思うが、やはり、患者の取り違えは決してあってはならないことなので、医師や看護師には引き続きチェック努力を怠らないで欲しい。
改めて私自身の結果を聞くと、3ヶ月前と違いが無かった。色々な料理を沢山作って食べた「正月」を挟んだのに、不思議だった。
その後に「糖尿病内科」の診察も受けたが、前よりも改善していると言われて、さらに気持ちが明るくなった。
特に糖尿病薬は、一週間に一錠飲む薬から、毎朝一錠飲む薬になってから、飲み忘れがなくなった事を伝えた。
その結果、また薬局から同じ薬を処方してもらって帰宅した。
昨日は今冬一番の寒さだったのに、昼過ぎに病院を出たら霙(みぞれ)が降っていたので驚いた。ころころと変り易い変な天候だ。
お正月も済んだので、昨日、伯母を近くの特養ホームのショートステイに連れて行った。
この時期、私の家全体に24時間暖房を入れる事は経済的にできかねるので、伯母に風邪でも引かせないようにと考えての施設の利用なのだ。
今回も私が用意した持参品の一つは毎日の薬類。これが朝食後は6種類、昼食後は2種類、夕食後は3種類、他に目薬2種類と多い。まるで伯母は薬で命を保っているみたいだ。
それとレトルトの「パックご飯」全食分、これは施設のご飯がまずいと嫌うので、特別に持ち込む許可を得た物だ。
そしておやつの「みかん」と「のど飴」「駄菓子」だ。
その他の着替えや洗面道具などの持ち物は、伯母が自分で作ってくれた。(入浴時に着替えた汚れ物は、手洗いを要する物以外は洗濯してくれるので、着替えは2回分もあれば十分なのだ)
足りないものが無いかどうかは最後に私が点検したが、ほぼ完璧だった。
伯母には「残存能力の維持」の為に、なるべくできる事は自分でしてもらいたいと考えているのだ。
車で連れて行ったら、いつもの様に職員さんが2人で迎えてくれたので、私は伯母を預け、荷物を置いて後を頼み失礼した。
その足で市役所に向った。12月に伯母が申請していた「聴覚障害者の手帳」ができたというので、受け取るためだ。
窓口で説明を受けた。伯母は「第2種・6級」だと認定された。
そしてこの手帳を持っていると、「補聴器」を買う場合には、助成があるらしいが、伯母は煩わしいと言って大分前から必要としていない。
また、JRとバスに1人で乗る場合の乗車賃が半額になるとか、タクシー、飛行機に1人で乗る場合は1割引きになるらしい。
すでに伯母は数年前から1人では外出できないので、常に私が付き添っているが、これでは全く役に立たない「障害者手帳」だという事がわかった。
「視力」もかなり低いので相談したが、伯母の助けには余り期待できないみたいだった。
帰宅後、私は気が抜けたみたいになって暫くボーットしていた。
夕食時になっても作る気が起きなく、その辺に有るものを摘まんで済ました。結局食卓に向って座る事をしなかったのだ。
伯母がいると、栄養バランスを考えてちゃんとした食事の体裁を整えるのだが、全く何とした体たらくぶりかと自分でも呆れた。
でもまあいいか。明日から生活規律を整えて行こうと思いながら寝た。
今朝、風呂に入り、残り湯で伯母のシーツなどを洗濯した。
湯船に浸かりながら思った。伯母が入る時は、「25分後に来てね。」と言って私が先に入るので、のんびりとは浸かっていられないのだ。
(伯母が時々浴室内で粗相をするので、私が先に入るようになったのだ)
今朝の私の入浴時間は40分位だったと思う。やはり伯母がいないと、入浴ものんびりとできると実感した。
所で洗濯機を回していたら、玄関にキリスト教の女性の布教者が来た。
「『人の為に役に立つことをしてこそ、自分が幸福になる』と、イエスキリストが聖書で言っています。」と言うのだ。
私は「日本にも、『情けは人の為ならず』という言葉があるし、私自身も、日々沢山ボランティアをしていますよ。」と言って帰ってもらった。
(春の七草)
歯がない伯母用に特別なおせち料理を作るとすれば大変だ。年末を迎えるのに当たり、少し不安だったが、解決策として、この間、普通に作った料理を最後に微塵切りにして供し、食べてもらう事にした。
保存食の「なます」「旨煮(筑前煮)」「ホウレン草のしたし」「漬物」等の他、「キンピラ牛蒡」さえも作ってから包丁や料理バサミで細かく切り、タッパーに入れておくのだ。
それを食事の度に少しずつ皿に盛り付けた。
また「生寿司」や「天麩羅」は、出来上がってから鋏を入れて食べ易くする。
「蕎麦」「ラーメン」「スパゲティ」は、麺が茹で上がってから1cm程に切れば問題が無い。
(刺身盛り合わせや生チラシも作ったが、伯母には「雲丹」「ホタテ」「マグロ」「海老」「サーモン」は小さく切り、「イクラ」や「卵」はそのまま食べて貰った。美味しいと喜んでくれた)
ニュースによると、新年の「雑煮」の「餅」を喉に詰まらせて救急車で運ばれた人が少なからず居たそうだが、伯母用の「餅」は予め角餅1つなら包丁で6つ位に切ってから煮汁に入れて完成させた。
今朝は「汁粉」を作ったが、同様に切ったら問題は無かった。
「あんぽ柿」や「パインアップル」「キウイ」なども、実は柔らかいが更に小さく切って食べ易くしている。
「蜜柑」はSサイズのを買った。これを食事のデザートとして食べて貰っている。美味しいし、サイズが伯母には丁度良いと思っている。
ただ、「林檎」だけは、摩り下ろさないと食べられないようだ。そこで「甘煮」にして「パンケーキ」に入れたりしている。
こんな訳で、「御節料理」も何とか伯母と一緒にテーブルを囲んで食べる事ができ、良かったと思っている。
三が日が終り、そろそろ普通の食事作りに戻る。基本は同じなので、また1年、気負わず、無理せず、伯母の食事を作り続けるつもりだ。