花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

女性の年齢の見られ方

2024年09月21日 | 高齢期の生活全般

gooブログの投稿『団塊シニアのひとりごと』にあった記事をきっかけに、私も「人からの、年齢の見られ方」について、今まで私が学んで来た事を基にして考察して見た。

かって「家父長制度」があり、男尊女卑の風潮が長く続いた日本では、男性は年齢よりも上に見られる方が良く、反対に女性は若ければ若いほど良いと思われた。

それは男性が働いて家族を養い、女性は家の中で育児と家事、高齢者の介護に専念するべきだという根強い社会通念があったからだ。

だから男性から見て女性は、できるだけ従順で御しやすく、「可愛くて、馬鹿な女ほど良い」と言われたり、出産能力も高いできるだけ若い方が良かった訳だ。

こうした女性を一人の人格を持った対等な人間と見ようとしない考え方は、大正時代になって「サラリーマン」家庭が誕生し「専業主婦」として生きる女性が多くなると、一層顕著になったといわれている。

しかし、男女が共に協力して働く商業や農業の家庭では、古くから女性の立場はもっと認められていたのではと思う。

外で働けずに家庭に閉じこもらざるを得なかったから、女性が経済力を持てなかった「男尊女卑」の社会では、男性側が結婚する相手の女性を主体的に選ぶわけだから、女性側もそれに応えて当然少しでも若く見せたいと思う様になる。

しかし、第二次世界大戦中に、図らずもこの女性観は崩れた。

多くの女性が「銃後の守り」としての責任を余儀なくされ、家業を担い、また武器生産にも駆り出される中で、男性に変わる働き手としての役割を果たした。

反面では「肉弾」の生産者として「産めよ、殖やせよ!」と国家から多産が奨励され、肉体までもが国家から管理された。

終戦後「高度経済成長時代」を迎えると、徐々に高学歴の女性も増え、結婚しても働き続ける女性が増えた。長い間、女性に門を閉ざしていた企業が女性の働き手を求め、多くの女性が社会的な労働に従事するようになった。現在では「専業主婦」よりも、結婚後も共働きをする女性の方が多くなったという。

しかし、その一方で、家庭責任も負っていた女性は「フルタイム」ではなく、「パートタイム」の働き方を選ぶ人が増えた。

「パートタイム」は、結局、景気次第ではいつでも都合良く失業させられる「景気の調節弁」の役割を担わされた。

一方、国際的な影響を受けて1985年「男女雇用機会均等法」が制定され、働く女性に対する「セクハラ」も問題視され出し、近年では「パワハラ」も犯罪になった。

所が30年ほど前からだろうか、若い女性達の中から極めて日本的な「可愛い」のブームが起き、何に対しても「可愛い」かどうかで評価するようになった。欧米なら「大人っぽいかどうか」で若い女性を評価するというのにだ。私から見て、これは歴史的には時代の反動とも思われた。

またこの数年、マスメディアから「アンチエイジング」という言葉が叫ばれるようになり、そのための多様な高額化粧品が売り出され、整形手術業界も活性化しているという。今やマスメディアと組んで「アンチエイジング」に関わる業界の大きな利益追求が起きている。

今私が考えるには、本来女性は、家庭や社会で男性に従属する立場ではなく、一人の個性を持った人間として対等に尊重・評価される事が望ましいと思う。

だから、女性の「見え方」も「年齢より少しでも若く見えるように」外見を取り繕うのではなく、「年齢に応じた」「自然」で「無理のない」見え方、「清潔感」があり「健康的」で「個性的」な「見え方」が一番ではないかと思うのだが、いかがだろうか。

因みに年齢は、その人の人生、生活、職業などの長さなので、私は今は年齢を表明することに恥ずかしさは余りない。

年齢を重ねて来た人生の中で、多くの事に挑戦して失敗や挫折、成功を経験し、人間としての生活力、知恵、コミュニケーション力などを幅広く深く得て、喜びや悲しみ、挫折感、達成感も味わって来た筈だと思うからだ。

その意味では反対に若かった頃の方が、何事にも未熟だと自覚させられて恥ずかしかった。

また、服装は、常に「身ぎれい」で、「TPO」に合わせた服装が一番大事だとと思う。

私自身は、仕事を退職してからは庭仕事が中心なので、服装はいつも「汚れても目立ちにくく」「汗を吸い」「洗濯しやすい」。「害虫から肌を守り」「動きやすい」事が大切だ。だから必然的に長袖・長ズボン・作業手袋にサングラス・麦わら帽子・長靴、そして首にはタオルのスタイルが定番なのだ。だから日常の服もこの延長線上の物になる。

色々な物の選び方も「可愛さ」で選ぶのではなく、「品質」と「安全性」「機能性」を第一に、「デザインや外観」は第二に選びたいと思うのだが。

 

 

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認知症になって亡くなった「長谷川和夫氏」の本を読んで

2024年09月18日 | 高齢期の生活全般

彼は1929年に愛知県に生れ、東京慈恵会医科大学を卒業し、認知症専門医になって研究を積み、1974年に「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発した。これは世界で初めて開発された簡易検査スケールで、今も日本中で使われている。

また、それまで使われていた「痴呆症」という言葉を「認知症」という言葉に置き換えた医師でもある。

しかし、2017年に自身が認知症である事を公表した。

この本「認知症でも心は豊かに生きている~長谷川和夫100の言葉」は、認知症になった自身の体験を踏まえながら、認知症という病気についての理解を求め、患者への接し方が書かれている。

今や世界一高齢化が進んでいる日本で、平均寿命の延びに伴って認知症患者は増加しているが、誰もが認知症になる時代(90歳以上では2人に1人がなる)に、家族やその周りの人達、そして社会が、認知症患者に寄り添い、共に生きるようになって欲しいと彼は望む。

彼ら認知症になった人達は、記憶力、認知力は衰えても、感情、自尊心、個性は失われない。最後まで一人の人間として愛され、尊重される事が大切だと訴えている。

長谷川氏は、2021年11月13日、92歳で老衰のために死去した。

この本は、読みやすく、説得力がある良い本だった。

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「敬老の日」の私の心持ち

2024年09月16日 | 高齢期の生活全般

今日は「敬老の日」の祝日だ。

私も80歳になってから、ようやく自分も高齢者だと自認するようになった。多分、自動車免許取得で義務づけられた「高齢者講習」を受けるようになった事と体力的な後退を実感するようになったためだろうと思う。

先日、久し振りで市立図書館に行った。何冊でも2週間借りられるので、写真のような本を借りた。

これまでにも「和田秀樹氏」の著書は何冊か読んだが、今回は写真の上の黄色い本2冊を借りてきて読み終えた。

遺体の解剖を多く手がけてきた著者の「死ぬまで一人暮らし」を読んで、特に大いなるエールを送られた。

「人は一人で生れて来て、一人で死ぬ生き物の仲間なのだ」という。そして多くの人の死の直前は、決して苦しいものではないと書かれている。今は良い鎮痛薬もあるので、例え2人に1人がなるという「癌」で死ぬとしても、痛みを感じることも少なくなって来ているらしい。

しかも幸いにも日本には公的な介護保険体制があるので「地域包括センター」と繋がっていれば、在宅でもヘルパーや訪問看護の利用につながり「孤独死」で何日も放置される事は珍しいという。

私も数日後に満81歳を迎える。

61歳の時に「乳がん」を自分で見つけ、札幌の国立病院で手術した。

医師から手術時の細胞検査の結果、「あなたのは再発・転移しやすいがん細胞なので、気を付けてください。」と言われた。

その後の精神状態は不安で酷く落ち込んだが、やがて、そんなに長く生きられないのなら、自分がしたいことを恐れずにしようと思い立った。勿論、外国旅行や庭仕事、登山などには、全て医師の了解を貰ったが。

先ず停年前に買ってあった100坪の土地に長い間温めて来た気密性、断熱性が高く、各室には収納がある。私が車椅子生活になったとしても不自由なく生活でき、家族が1度に集まっても窮屈ではない自分なりの理想の家を建てて退職金を使い果たす事、停年までに作った貯金を使って、まだ行っていない国々を訪れる事、家を建てたら体力維持のためにも好きなガーデニング、家庭菜園で日々適当に身体を使い、半年近くは自家製の無・低農薬野菜を食べて、市販の野菜や加工食品の利用をなるべく少なくする事、「薔薇」などの花々が冬を除いて何かしら常に咲くような庭を造る事などを目指した。

「先の幸せよりも、今の幸せ」日々自分なりに充実した生活を送ることを目標にしたのだ。この本を読むと、この考え方は著者とも同じだった。

癌の治療後、そんな生活をしていたら、やがて20年を迎える迄になり、一昨年3月の定期検査では医師から「もう病院に来なくて良いです。」と言われた。

しかし、「新型コロナ」下の「巣ごもり生活」でもう5年以上旅行もしなくなり、今年になって体力の衰えも感じ始めた。

しかし、過日、市内の農協で行われた「余り種のバーゲンセール」に行って、写真のように来年用の野菜の種を沢山買って来た。1袋250~500円する種が、すべて110円だった。

    

今年も家庭菜園で20種類以上の野菜を種から苗を作って育てた。

家庭菜園では自分の体力に合わせて仕事ができ、種を蒔いてから数ヶ月間、植物毎の生育を観察しながら、それぞれに合わせた施肥や間引き、剪定などで頭も使うので「脳活」にも役立つ。そして収穫の希望と喜び、幸せを感じる事もできる。また、知人達に収穫物をお裾分けでき、交流するのも嬉しい。

昨日は庭の方で声がするので見ると、近くの「グループホーム」の入所者さんがヘルパーさんと花を見に来ていて「綺麗だね!」と大きな声で話していた。何でも私の庭がその施設の「散歩ルート」に入っているそうだ。

また、近くにある「保育所」の子供達も行列して庭の前を通り、花を見てくれている。

これからまだ暫く生きられそうなので、持病の「高血圧症」「糖尿病」と上手く付き合いながら、楽しく生きて行きたいと思っている所だ。

数日前から気温が下がって来てぐっすり眠られるようになり、気分も良い。今日からは残りの本を読む。

 

 

 

 

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運転免許を更新する

2024年09月13日 | 高齢期の生活全般

今月は私の誕生月で、もうすぐ満81歳になる。

先々月と先月の2回、案内が来たので、「後期高齢者対象の講習」を地元の自動車学校で受けた。1回目の「認知機能検査」は82点だった。

試験官は「34点(私の記憶では)取れば合格です。それ以下だった人に対しても免許の停止はしません。認知症検査をする医者を紹介します。医者が認知症ではないかと診断しても、『免許を返納したらどうですか。』と進言するだけです。」と言うようなことを話したので少し驚いたし、そんな人が沢山公道を運転しているのかと思うと、凄く心配になった。

2回目は「目の動態検査」などを受けたが、私の検査結果は年齢的に「普通」だった。最後の「運転技能検査」もほぼ問題が無かった。最後に「後期高齢者講習の修了証」を渡された。

それで4日前に「修了証」を持参して札幌の「運転免許試験場」に行った。視力検査を受けた際、「目の手術をしたので「眼鏡使用」の条件を外して欲しい。」と申告。視力検査後、外された。「多焦点レンズ」の威力を感じた。

写真撮影を受け、間もなく新しい3年間有効の免許証が交付された。

この間、僅か15分だった。

暑い中帰宅したら緊張が解けて疲れがどっと出た。新しい免許証を得て、引き続き3年間、安全運転をするつもりだ。

 

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今年も「古書市」に行く

2024年05月26日 | 高齢期の生活全般

私が住む市の図書館では、毎年この時期に「本のリサイクル市」を開き、古書などを10~100円程の格安価格で販売して来た。

昨年までは、「家庭菜園」の本を1冊50円程で買って、札幌から来る若い人達に上げたり、子供用の絵本を30円程で10冊くらい買って、一人の人の幼児に渡したりして来た。

今年は今日だと言うので、朝から洗濯を済ませ、「トウモロコシ」の種まきを終えて出かけた。開催時刻前から多数の人が並んでいた。

昨年までは「無料」の図書は少なかったが、今年は凄く増えていた。しかし「無料」図書は、段ボールに雑然と詰められていて種類別には分けられていなかった。

私は「無料」のコーナーに行って開催を待った。時間になったので段ボール箱に詰められた古書を巡り、取り敢えず興味がある本を8冊貰って来た。

   

このリサイクル市を運営して重い本を並べている方々に、お礼を言って場所を離れた。

帰宅後、ざっと中身を見た。どれも出版年は少し古いが新品だ。今日は長い間使えそうな本を手に入れられたので、凄く得をした気分で嬉しい。

「園芸百科」や「花図鑑」には、沢山の花が大きな写真入りで掲載されていて、管理の仕方や増やし方も載っているので役立てたい。また、「麵・ご飯料理」は、マンネリ化している献立をちょっと変えるのに参考になりそうだ。

 

 

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介護施設の費用と預貯金額(亡くなった伯母の体験から)

2024年05月04日 | 高齢期の生活全般

伯母は、伯父亡き後、3世代営んだ農家を畳んで耕作地・住宅地・住宅と付属設備全てを売却し、住んでいたその町の「高齢者専用賃貸住宅」で数年間暮らしていた。そこは自力で生活できる人が入れる施設だった。

やがて、いよいよ自力で生活する事が困難になり、一旦私の家に越して来てから、暫く近くの「老健施設」に入所していた。

初めは伯母が所有する預貯金を届け出ても、施設の利用料に大して影響しなかったが、8年ほど前から「預貯金が1000万円を少しでも超えたら、介護保険から援助されなくなり、施設の使用料は全額自己負担になる」と伝えられた。

そうなると毎月、多額の利用料が自己負担になるので、急遽「老健施設」を出て、我が家で生活し、私が介護の世話をする事にした。

私が外国旅行する時などは、その間だけ近くの「特別養護老人ホーム」に「ショートスティ」して貰った。その際の施設利用料も、預貯金通帳を全て届け出た。やはり1000万円を超えると、利用料は高額になった。

98歳のある日、手押し車を押しながらしていた散歩から帰宅した伯母が、突然「目が見えない。」と言いだした。慌てて「眼科」に連れて行ったが、検査の結果「目には異常がない。」と言われ、その医師の指示で、急遽、総合病院の「脳神経外科」を受診した。

CT画像によると、伯母は「大脳の視覚領域」が広く出血していた。その結果、目が見えなくなっていたのだった。そのままその病院へ入院させられた。

入院中はリハビリが中心の医療だったが、医師から「家に戻って生活する事は無理だ。」と言われた。

2ヶ月近く経った頃、医師から「ここでできる治療とリハビリは済んだので、退院して欲しい。」と告げられ、次の施設を探した。

介護保険が利用できない「介護施設」関係は除外し、「老人医療病棟」がある「病院」を私が探しだして、その病院の入院許可を得て移った。そこなら「医療保険」が適用されるので、当時の伯母は1割負担で済んだ。

結果的に6ヶ月ほど入院したが、ベット生活は伯母の体力も筋力も低下させ、とうとう99歳で「老衰」で亡くなった。

私が伯母を通して経験した高齢者施設の経済的負担の違いを、友人や知人に話した。その結果、家族が病院を退院後、家庭での生活ができない状態の時どうしたら良いか、経済面で施設選びを考える参考になったようだった。

その後5年経つが、今は介護保険の自己負担分はどうなっているのだろうかと気になる。やがて自分自身の事になるからだ。

 ※雪解け後1ヶ月経った庭を窓越しに撮る。花は季節を知っていて、何時咲くべきかを決めている。

        

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年金生活前後の「熟年離婚」について考える(2)

2024年04月27日 | 高齢期の生活全般

私自身の事を振り返ると、8歳でまだ30代だった父親を病気で亡くしたために経済的に恵まれない「母子家庭」で育ち、苦労する大正生まれの母の姿を毎日見て来た。

何か欲しいものがある時、母に言うと、「来年になったらね。」と決まった答えが返って来る。だからその内、次第に言わなくなった。

そのため中学生の頃から、「例え結婚したとしても、もしも相手が父親のように予想しない病気や事故にあって働けなくなった時、自分が家庭生活を支えられる経済力を持ちたい」そして「将来、自分が母の生活を支えたい」と考える様になった。女性が働く職場がほとんど無かった戦後間もない時代に、30代で夫を亡くした母は、実は私にとって「反面教師」だった訳だ。

高校には、「日本育英会」の奨学金で行く事ができた。(就職後の最初の夏のボーナスで返済を済ませた)

そして、私の密かな目標に向かって学校生活では努力した。

その甲斐もあり、結果的に結婚後の年収も、退職後の年金収入も、結婚相手とほぼ同等に近い経済力を持つことができた。

しかし、子供が生れると同時に同居した母は、急に病気になり、2年後に旅立った。その後は核家族で暮らした。

子供2人を育てながらの「フルタイム勤務」は、男性優位の風潮が強い社会や家庭で、日々の仕事と家事・育児の責任を果たす事が戦いの様だった。子供が急に発熱などすると、明日の生活さえ見通せない精神的・時間的に余裕が無い緊迫した生活が続いた。

今やとても長くなった高齢期の生活を支える安定した収入は、誰にとっても先ず必要なものである。他人はどう思っているか分からないが、結果的に今は、私自身が想像もしていなかった「贅沢さえしなければ経済的には安定していて、自由で好きなことができ、幸せに思える高齢期生活」を自力で送ることができている。

最後になるが、今は自分の「健康寿命」を1日でも長く伸ばし、家庭菜園や花育てを続けられたら思い残す事は無いと思っている。知人の裏庭を借りてまで野菜を作るのは、農薬にまみれた見かけの良い市販の野菜をできるだけ買わずに、無農薬、低農薬で見かけは悪くても身体に良い野菜を食べたいためだ。

そして、明日死ぬと知っていても、歩けるなら庭に出て季節の花を愛で、野菜の種まきをする気持ちでいたい。99歳で老衰で逝った伯母が、私の目標である。

 ※「健康寿命」とは、制限無く自分で日常生活ができる年齢で、日本の2019年では男性72.68歳、女性75.38歳。

   ※記事を読んで下さりありがとうございます。コメントをいただければ幸いです。

 

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年金生活前後の「熟年離婚」について考える(1)

2024年04月26日 | 高齢期の生活全般

近年、「熟年離婚」をする人が増えているという。

国が専業主婦だった「第3号被保険者」の女性の離婚後の生活を守るために、離婚する場合の「年金分割」を2001年4月1日から法律で決めた事も、結果的に「熟年離婚」を後押しする事に繋がっていると思う。

しかし、「年金分割」は、あくまでも「厚生年金分」だけだし、女性の「家庭生活貢献度」を見極め、最高額は1/2だから、婚姻期間の長短などで「貢献度」が低ければ分割分は限りなく少なくなる。

そうすると、「平均寿命が男性より長い女性」が、離婚後一人で老後生活を維持するのは経済的に厳しくなり、生活保護などの社会保障を受けなければならなくなる人も多くなる。実際に高齢一人暮らし女性世帯の「貧困率」は、同世代の一人暮らし男性世帯よりかなり高い。

「年金分割」をした熟年離婚男性の方も、「年金分割」によって経済生活は極めて厳しくなり、所得が低い高齢者世帯2つが誕生することになる。

また、老後の生活にとって、「住宅費(家賃)」は、毎月の経済生活にとって大きい負担となるし、そもそも高齢者は「賃貸住宅」を借りるのが難しい現実もある。

さらに、思いがけず病気になって「医療費」が嵩んだり、要介護状態になって「介護費用」が発生すると、もっと負担は激増する。

以前、60代の知り合い女性から「離婚したい。」という気持ちを聞かされた時、彼女に自活する経済力があれば反対はしないが、無いのだとしたら考え直す事を勧めた。

その理由として「一般的に男性の平均寿命は女性よりも短いから、もう少し我慢すれば、その内、3/4の「遺族年金」を貰えるかも知れないし、1/2の「遺産相続権」もある」と教えた。

これらの事から考えると、何時の時代でも女性は、結婚によって生涯の経済的な安定が保証される訳では無いのだから、やはり女性自身も生涯に渡り「自立できる経済力」を持つことが大切で、「経済的自立」は「精神的・生活的安定と自由」を保証してくれる生きる上の基本的な第一の条件だと言える。

だから「パート収入の103万円の壁」などで自分の労働者としての「稼ぐ力」を抑えてしまわず、「所得税」や「医療保険税」を支払っても130万円以上の収入を得る働き方を目指す方が、長い目で考えたら「不確定要素」が大きい家庭や社会で暮らす女性にとっては良いと言える。

勿論、結婚しても子供が生れても仕事を持つ女性であり続けるには、自身の仕事に対する前向きで真摯な強い意志と努力、そして健康が必要だ。

また、結婚する際は、相手の男性の「女性観、家庭生活観」を見極める事が、何よりも大切なのは当然だと思う。

間違っても大正~昭和時代に一般的だった「男性は外で働き、女性は家の中で家事・育児・介護を担うのが良い」という古典的な「男女分業型家族観」を持つ男性とは、結婚しないに越したことはないのだ。

また、男性にとっても生涯働き続ける意思を持った女性と家庭生活を共にするためには、自らも延々と続く日常生活に向き合い、妻との共同生活を維持し実践する厳しい覚悟と、妻にとことん寄り添う愛情が必要なのは言うまでも無い。

こう考えると、これからの「結婚相手に望む理想像」は、外見や性格、趣味だけでは無く、男女とも大きく変わって行くに違いないと思うし、変わらなければならないと思う。

幸いに「超少子化社会」を迎えて、国は今年「こども家庭庁」を新設し、「子育て支援策」や「女性の就労支援策」を打ちだしつつあり、「育児休業制度」も前進して、今は3歳未満児の保育所も無かった町で個人に頼りながら子育てをして働いた私の時代とは大きく違って、女性が働き続ける社会環境が前進して来ていると思う。

(つづく)

 

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ホームセンターで種選びを手伝う

2024年04月25日 | 高齢期の生活全般

昨日は朝から雨。外仕事はできず、気温も低い。

それでホームセンターに足りない野菜の種を買いに行った。

種売り場にいたら、私と同世代に見えるメモを片手の女性から話しかけられた。「大根の種を買いたいのですが、どれを買ったら良いか分からないのです。」と。

それで、どれくらいの広さに種まきをしたいかを聞き、袋に書かれている内容量と種の特徴を比べてみせて、結果的に容量が少なく、病気に強く、トウが立つのが遅い種を推薦した。

すると「どのように種まきをしたら良いの?」と聞かれたので、「大根の種は化成肥料に負けやすいから、少し離して種を蒔くと良いよ。」と教え、彼女が持っていた紙に簡単に図示して渡した。

また、堆肥と石灰は知っているらしいが、「化成肥料って何なの?」と言うので、肥料を売っている棚の場所に連れて行って、「8-8-8」が一般的で使いやすいと教えた。

すると、「8-8-8って何?」と聞かれた。「チッソ、リン酸、カリの含有量を表していて、順に、葉や茎を育て、実を大きくし、根を立派にする化学肥料です。」と言うと、「今まで何を植えても満足に育たなかったのは、肥料が足りなかったみたいだ。」と話してくれた。

他に「トウモロコシ」「小松菜」「ホウレン草」の種も選んだ。

「今まで「ホウレン草」の種を蒔いてもあまり発芽して来ないけど。」と言うので、「「ホウレン草」は酸性の土が特に嫌いだから、石灰を他の野菜の1.5倍位施すと良いのでは。」と話した。

また、「エンドウ豆」と「枝豆」の違いが分からないらしい。「エンドウ豆」は「サヤエンドウ」と「スナックエンドウ」があるけど、どちらにしたいか聞いて、適当な少量の種の袋を教えて上げた。

さらに「「人参」は、どの種が良いですか?」と聞かれたので、「五寸と三寸があるけれど、家庭菜園なら「三寸人参」の方が作りやすい。

また、種はなるべく隣同士くっつけて蒔き、掛ける土は薄くする。乾燥しないように管理して、芽が出たら間引きながら8~10cm間隔にすると良いよ。」と言ったら、「間引くなんて勿体ない。」と返された。それで「間引かないと太くならないよ。」と答えて、簡単にメモしてあげた。

彼女には夫君がいるが、先日、病気で倒れてしまったので、今年は自分が庭仕事をしようと考えて種を買いに来たと言っていた。

私が話したことを理解して覚えたかどうか不安だったが、私も次に行きたいところがあったので、30~40分間付き合ってから別れた。別れ際に、「種袋の裏に、蒔く時期、蒔き方などが書いてあるので、字が小さいけれど読んで参考にしたら良いよ。」と教えた。

帰宅後、名前と住所を聞いておけば良かったと思ったが、後の祭りだった。

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最近した近所の人達との交流

2024年03月31日 | 高齢期の生活全般

農業が基幹産業の当市には、札幌市の集合住宅住まいには無かった「隣近所の付き合い」がまだ残っている。

私にとって全く見知らぬ土地だったが、札幌のマンション暮らしに見切りを付け、身体を動かし好きなことをするために、ここの土地を買い、家を建てて越して来てから、すでに15年以上経った。

初め新参者の私は、近隣の人達と親しくなることが何かあった時の自分を守ることに繋がると考え、通る人達の目も楽しませる「開放的な庭造り」から始めた。

次には少しの面積の菜園で野菜類を育て、食べきれない分のお裾分けを始めた。

また、庭仕事の合間に立ち話をしたり、沢山できた惣菜をお裾分けしたりする内に、徐々に近隣の人達に受け入れられる様になって行った。

この10日間ほどを思い返せば、次の様な交流をした。

①芽が出始めた自家栽培のじゃがいもで「ポテトサラダ」を作り、2~3軒に1~2回お裾分けした。

②ネットで複数買った「ショッピングバッグ」などのちょとした便利グッズをある家に差し上げた。

③昨年沢山買って、賞味期限が近くなって来た「オレンジジュース」をお裾分けした。他所からいただいた「缶ビール」を、手を借りた方(男性)に差し上げた。

④昨年の夏、ひどい厚さの日が続いた。このあたりではまだ余り普及していない「エアコン」を「夏に備えて買いたいが、相談相手がいない。」という一人暮らしの女性と一緒に、車で電気店を回って検討し合った。

この方は、ずっと専業主婦だった方らしく、高額の耐久消費財を買う際などは、夫君がどれを買うかの決定をして来たが、一人になってからは買い方が分からないからと話していた。

この内の3軒が一人暮らしの女性だ。

一昨日、90歳代の知人に「ポテトサラダ」を届けに行くと、「新型コロナに掛かって、5日間自宅に引きこもっていた。一時はもう駄目かも知れないと思った。」と言われて驚いた。「どこで感染したかは分からないが、病院に行った時かも知れない。」と話していた。回復したとのことを聞き、嬉しかった。

近隣の方からは、果物や珍しい土産物や名産品などをいただくことが多い。また、私にとっては、生活情報を得たり、野菜作りなどで起きる困り事の相談に乗って貰ったり、重い物を運ぶちょっとした作業に手を貸して貰ったりして来た。

そう言えば、私が冬、海外旅行に出かけた時、窓が開いているのを発見した隣家の方が警察に連絡してくれ、警察が札幌で働く娘に連絡してくれて、お陰で難を逃れた事もあった。

こんなちょとした交流だが、行動範囲が狭くなり、孤立しがちな高齢者にとっては、適当な距離感を保ちながら、普段からちょっとした悩み相談に付き合ったり、お互いに声を掛け合える人間関係作りは、とても大切な事だと思っている。

 

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ちょっとした2ヶ月カレンダーの工夫

2024年02月12日 | 高齢期の生活全般

毎年「カレンダー」は色々な種類を求めて、それぞれ適する場所に掲示し使っている。

家電話の傍には「3ヶ月カレンダー」を吊って予定を書き込むなどしている。通院予定日は3ヶ月おきだし、車検などの予約も2~3ヶ月前にしたりするので、このカレンダーが役に立つ。月が終わればその月分を切り取り、3ヶ月後の暦が現れる様に、下から上へと月が進むように作られている優れものだ。私はこれをもう4年も使い続けている。  

先月の「カレンダー市」で買った「2ヶ月カレンダー」は、1月が終わったらその暦部分だけ切り取ると2月と3月を見ることができるので、暦の真ん中に自分で予め切り込みを入れておき、常に2ヶ月分を見られるようにしている。

定期的な外出予定などがなくなった高齢者は、先ず時間と日時、曜日の記憶が衰えるらしい。   

ちょっとした工夫だが、私も最近、日にちや曜日の記憶が不確かになる事があるので、「カレンダー」は室内のどこにいても確認できるようにしているのだ。

     

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組み立て式TV台購入

2024年02月09日 | 高齢期の生活全般

昨年末買った客間用の32型TVの台は、家にある物で済みそうだと考えて買わなかった。

所が古いボックスを台にして見たが、安定感がない。何かの拍子でTVが倒れたら大変だ。そう考えて新たに適当なTV台を探すことにした。

先ず行ったのが「リサイクルショップ」2店だったが、TV台だけを売りに来る人が少ないらしく、適当なものがなかった。

そこで昨日は、初めに「ホームセンター」に行き、家具売り場を見て歩いたが、適当なものはなかった。

次に「K電気店」に行った。丁度良い幅のが8000円であったが、組み立てを自分でする商品で、店に頼むと3000円かかると言われたので決めかねた。

その後、ダメ元で「Y電気店」にも行ってみた。やはり組み立てを自分でする台だったが、価格が少し安めの物もあり、組み立てを頼むと1100円だと言われた。結局この店で買うことにした。

1つのものを買うのに全部で5店も回った。私の収入は限られているが、自由な時間がたっぷりあり、車で効率良く行動できるからだ。(ただし、道路の両側に積み上がった雪山があって、特に交差点に入る時は左右の見通しが効かず恐ろしかったが)

満足できる買い物ができて良かった。

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昨日の除雪は、助っ人と共に。

2024年02月04日 | 高齢期の生活全般

一昨日の夕方から断続的に降った雪は、合計40cmを越した

一昨日の夜に丁度来宅していた娘が、早朝除雪を手伝ってくれた。気温が-10度と低かったので軽いフワフワの雪だったし、2人で除雪したら効率良く除雪ができた。2人でしたのは初めてだった。

しかし、その後も断続的に雪が降って来るので、また除雪に出た。

娘は午後のJRで遠い勤務地に帰って行った。次に会えるのは何時になるのだろうか。

今日は「立春」とか。暦の上とは異なり、当地はまだ当分、厳しい寒さは続きそうだ。

 ※隣家の「山桜」も雪化粧

          

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冬季限定のチョコレート

2024年01月30日 | 高齢期の生活全般

冬期間にロッテ製菓が販売する写真左側の「コニャックチョコレート」、2種類あるが前から私はこちらの方が気に入っている。

今回はちょっとお世話になった2人の方に差し上げたくて、1個は私ので3個買った。。中に「コニャック」が入っていて美味しい。右のは、味見するためについでに買ったものだ。

以前、冬の外国旅行にも持参して、お世話になった貸し切りバスの運転手さんに上げた事もある。

最近のチョコレートは、以前に比べて甘さが随分控えられたように感じている。砂糖の使用量を控えているのだろう。この程度なら「糖尿病」の薬を飲んでいる私でも少しなら食べたい。

チョコレートには、抗酸化作用の「ポリフェノール」が含まれているが、私にとっては「心の栄養素」でもあると思っている。

 

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大荒れ天候の顛末

2024年01月26日 | 高齢期の生活全般

一昨日から昨日一杯、日本列島に2日間続いた降雪と猛吹雪は、記録的な傷をあちこちに残した。

能登半島の被災地は、雪で道路の段差や亀裂が覆い隠されて危険な状態に陥ったらしい。また、西日本や東北、北海道の太平洋岸でも降雪量は多く、ニュースで除雪に追われる人々の姿や雪に埋もれた車やバスの姿を報じていた。

航空機やJRの欠航、運休が多く、旅行者の足が、またバスの運休は通学、通勤、通院など、多くの人々の生活の足が奪われた。

我が町も2日間暴風雪が吹き荒れたが、私自身は体力的に重い雪を長時間除雪し続ける事ができなくて、1回30~40分程度の作業が限界だったから家に入って1時間休み、また作業に戻るという風に回数を多くして除雪をこなした。

今回は除雪してもまた直ぐに10cm程降り積もるので、作業回数も増えた。

今朝は晴れたので、日が出ない6時前から起きて薄暗い中、除雪を始めた。し始めた時は余りの降雪に絶望的になったが、休み休み3回除雪してなんとか完成させられた。玄関前の雪は庭に排雪したので、庭の積雪の高さは150~180cmになった。

車庫前には大型除雪車が来て、道路を削った雪を両側に押し除けていくので、沢山の硬く重い雪が置いて行かれる。それを取り除かないと車を出せない。しかし、既にその雪の捨て場が無く、本当に困った。

仕方が無いので車道と歩道の間に積み上げる事にしている。

この先、せめてもう1週間位は雪が降って欲しくないが、どうだろうか。

除雪が済んだ玄関前から車道まで

※車庫前から移した左の歩道と右の車道の端に積もった雪山

 

我が家でもこうなのだから、町中どこも交差点には高い雪山ができていて、車で行って目の前の道路に出ようとする時、信号機がない交差点では左右の見通しが効かず、なかなか車を進めることができない。極めて危険な状態が続いている。

 

 

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