gooブログの投稿『団塊シニアのひとりごと』にあった記事をきっかけに、私も「人からの、年齢の見られ方」について、今まで私が学んで来た事を基にして考察して見た。
かって「家父長制度」があり、男尊女卑の風潮が長く続いた日本では、男性は年齢よりも上に見られる方が良く、反対に女性は若ければ若いほど良いと思われた。
それは男性が働いて家族を養い、女性は家の中で育児と家事、高齢者の介護に専念するべきだという根強い社会通念があったからだ。
だから男性から見て女性は、できるだけ従順で御しやすく、「可愛くて、馬鹿な女ほど良い」と言われたり、出産能力も高いできるだけ若い方が良かった訳だ。
こうした女性を一人の人格を持った対等な人間と見ようとしない考え方は、大正時代になって「サラリーマン」家庭が誕生し「専業主婦」として生きる女性が多くなると、一層顕著になったといわれている。
しかし、男女が共に協力して働く商業や農業の家庭では、古くから女性の立場はもっと認められていたのではと思う。
外で働けずに家庭に閉じこもらざるを得なかったから、女性が経済力を持てなかった「男尊女卑」の社会では、男性側が結婚する相手の女性を主体的に選ぶわけだから、女性側もそれに応えて当然少しでも若く見せたいと思う様になる。
しかし、第二次世界大戦中に、図らずもこの女性観は崩れた。
多くの女性が「銃後の守り」としての責任を余儀なくされ、家業を担い、また武器生産にも駆り出される中で、男性に変わる働き手としての役割を果たした。
反面では「肉弾」の生産者として「産めよ、殖やせよ!」と国家から多産が奨励され、肉体までもが国家から管理された。
終戦後「高度経済成長時代」を迎えると、徐々に高学歴の女性も増え、結婚しても働き続ける女性が増えた。長い間、女性に門を閉ざしていた企業が女性の働き手を求め、多くの女性が社会的な労働に従事するようになった。現在では「専業主婦」よりも、結婚後も共働きをする女性の方が多くなったという。
しかし、その一方で、家庭責任も負っていた女性は「フルタイム」ではなく、「パートタイム」の働き方を選ぶ人が増えた。
「パートタイム」は、結局、景気次第ではいつでも都合良く失業させられる「景気の調節弁」の役割を担わされた。
一方、国際的な影響を受けて1985年「男女雇用機会均等法」が制定され、働く女性に対する「セクハラ」も問題視され出し、近年では「パワハラ」も犯罪になった。
所が30年ほど前からだろうか、若い女性達の中から極めて日本的な「可愛い」のブームが起き、何に対しても「可愛い」かどうかで評価するようになった。欧米なら「大人っぽいかどうか」で若い女性を評価するというのにだ。私から見て、これは歴史的には時代の反動とも思われた。
またこの数年、マスメディアから「アンチエイジング」という言葉が叫ばれるようになり、そのための多様な高額化粧品が売り出され、整形手術業界も活性化しているという。今やマスメディアと組んで「アンチエイジング」に関わる業界の大きな利益追求が起きている。
今私が考えるには、本来女性は、家庭や社会で男性に従属する立場ではなく、一人の個性を持った人間として対等に尊重・評価される事が望ましいと思う。
だから、女性の「見え方」も「年齢より少しでも若く見えるように」外見を取り繕うのではなく、「年齢に応じた」「自然」で「無理のない」見え方、「清潔感」があり「健康的」で「個性的」な「見え方」が一番ではないかと思うのだが、いかがだろうか。
因みに年齢は、その人の人生、生活、職業などの長さなので、私は今は年齢を表明することに恥ずかしさは余りない。
年齢を重ねて来た人生の中で、多くの事に挑戦して失敗や挫折、成功を経験し、人間としての生活力、知恵、コミュニケーション力などを幅広く深く得て、喜びや悲しみ、挫折感、達成感も味わって来た筈だと思うからだ。
その意味では反対に若かった頃の方が、何事にも未熟だと自覚させられて恥ずかしかった。
また、服装は、常に「身ぎれい」で、「TPO」に合わせた服装が一番大事だとと思う。
私自身は、仕事を退職してからは庭仕事が中心なので、服装はいつも「汚れても目立ちにくく」「汗を吸い」「洗濯しやすい」。「害虫から肌を守り」「動きやすい」事が大切だ。だから必然的に長袖・長ズボン・作業手袋にサングラス・麦わら帽子・長靴、そして首にはタオルのスタイルが定番なのだ。だから日常の服もこの延長線上の物になる。
色々な物の選び方も「可愛さ」で選ぶのではなく、「品質」と「安全性」「機能性」を第一に、「デザインや外観」は第二に選びたいと思うのだが。