≪6日目は「ヨーホー国立公園」観光≫(2)
「ヨーホー国立公園」内の3つ目の観光は「ナチュラル・ロック・ブリッジ」だった。
「キッキング・ホース川」が川底のライムストーンを削り続けてできた自然の橋だ。
実際には人が渡るのを禁じているが、石橋の下を勢い良く水が流れる光景は見事だった。
4つ目の観光はロッキー山脈の西側にある「クートネイ国立公園」だった。
ここは交通の便が良くないためか、余り多くの人が来ることがない静かな国立公園らしかった。
私達はバスから降りて「マーブル渓谷」を50分間散策した。
先ず目に飛び込んで来たのは、2003年の山火事で焼けてしまった真っ黒い無数の木立だった。
日照りが長く続き、自然発火したらしい。
面白い事に、ここに生えている「ロッジポール・パイン」の松傘は42度の高温にならないと開いて種を飛ばすことができないのだという。それで山火事が起こるのを何年もじっと待っていて、火事になると初めて実生が弾き飛ばされるのだという。
国は、焼けたり倒れたりした木はそのままにして置くのだそうだ。数年立つと実生から芽が出て来て、新しい木が育ち始める。そんな若木が青々と元気に生育していて、自然の再生力の凄さを見せ付けられた。
また氷河が溶けて川になりできた渓流が谷を流れていたが、川幅が狭い割には水の侵食によって川底が深く削られている所もあった。
丸々としたリスを3匹見かけた。
「カナディアン・ロッキー」の全ての観光を終え、最終日の「バンフ」のホテルに向かった。
「バンフ」の町は、「ボウ川」が町を東西に分けるように流れていて、その北側を庶民が暮らすダウンタウンに、「サルファー山」がある南側はリゾートエリアにするという開発者の考えに依って作られている。
ホテルは「ボウ川」のすぐ南側の高台に建っている「フェアモント・バンフ・スプリングス」だった。このホテルは、1888年に開業した「バンフ」を代表する大きなホテルで、世界中から有名な著名人が泊まった歴史があるらしい。
この写真は、ホテルの全景観を見ることができるホテルが作った「展望台」(ベンチまで用意されていた)に行って写したものだ。近くからなら一部しか写らない位大きいのだ。
ホテルは高台にあり、裏にある階段を137段(自分で数えた)下った所に「ボウ川」がゆったりと流れていて、傾斜している所が小さな滝になっていた。
バイキング形式の朝食は美味しかったが、夕食の200g以上あった「ローストビーフ」の味は今一つだった。
翌朝、8時半にバスでホテルを出発し、2時間で「カルガリー空港」に移動した。朝から小雨が降り、山は霞んで見えなかった。
昨日まで晴天に恵まれ、素晴らしい「カナディアンロッキー」を堪能できたことは奇跡だったのかも知れない。
安全検査を済ませ、12;45発の「エアーカナダ」成田直行便に乗った。
成田までの所用時間は10時間40分。機内には東京の私立女子高校2学年の生徒達が制服を着て乗っていた。修学旅行だったそうである。
8日目14;25成田空港に無事到着。私は16時半の国内線で新千歳に乗り継ぎ、無事に帰宅した。
スケールが雄大な大自然をたっぷりと楽しんだ「カナディアンロッキー8日間」の旅は、こうして素敵な思い出と共に終った。
今回も長くなった旅日記にお付き合いいただいた皆さんに感謝します。 (完)
≪6日目は「ヨーホー国立公園」観光≫
空気が澄み部屋が広くベッドもキングサイズでアメニティも素敵な「フェアモント・シャトー・レイクルイーズ」ホテルで、朝靄がたなびく「ルイーズ湖」と「ビクトリア山」「ビクトリア氷河」を目に焼き付けた。
湖面に昨日あった氷は、ほとんど溶けてなくなっていた。
山や氷河が綺麗に写っている鏡のような湖畔で、仲間のご夫妻と互いに写真を取り合った。楽しかった。
6日目は「ヨーホー国立公園」を巡る予定で、バスはホテルを9時に出た。
「ヨーホー」とは、先住民の言葉で「驚異」「畏敬」の意味なんだとか。
最初に向かったのは「ルイーズ湖」から南に10km程の場所にある「モレイン湖」だ。
「モレイン」とは、氷河が作り出した土砂が堆積した所だ。
岩が多い遊歩道を10分程登り、展望台に行った。途中、2箇所で「ナキウサギ」を発見した。一匹は岩場の高いところで日向ぼこをしているらしかったし、もう一匹は直ぐに岩の隙間にある巣穴に姿を消した。
「ナキウサギ」は北海道の大雪山地域、特に私が前に登った「ユニ石狩岳」の岩場にも沢山いて、氷河時代の生き残りだと言われている稀少動物である。
私達以外は誰もいない静かな展望台で、眼下に見た静まり返った真っ青な湖と周囲にモレイン、その背後に建ち並ぶ「テンピークス」の山々が絵の様に美しかった。
次に比較的大きな湖「エメラルド湖」(標高1300m)に行った。
ここも「ルイーズ湖」を発見した「トム・ウイルソン測量技師」が発見したという。
到着する頃には天気が良くなり、日が差して気温も高くなった。南東に聳えるのは「バージェス山」(標高2572m)だが、丁度逆光で上手く写真を撮れなかった。
駐車場からモレインでできた中島に橋が渡してあったが、「橋の半分は車専用部分」で人は歩くことができなかった。知らない人がそちらに入り、車の運転手から注意されていて可笑しかった。
ガイドがここは黄色い「西洋かたくり」が群生していると話すので、皆で湖畔の遊歩道を散策しながら草むらを探した。
あった。何だ、我が家にもある花友さんからもらったのと同じだった。
ここでは「グレイシャー・リリー」(氷河の百合)という素敵な名前で呼ばれているそうだ。日本のかたくりは薄紫色なのだとガイドは言っていた。
≪5日目午後 「バンフ国立公園」≫
「コロンビア大氷原」の観光後は、隣接する「バンフ国立公園」に向かった。
途中、氷河が溶けて幾筋もの流れになっている岩肌があった。「ウイーピング・ウオール(すすり泣く壁)」という名が付いていた。
やがて高速道路「アイスフィールド・パークウエイ」の最高地点2070mの峠を越えて駐車場で降りた。気温が今までよりも低いように感じた。
駐車場の前後に聳える山に圧倒された。「ウイリングダン山」(3374m)と「パターソン山」(3197m)だ。
そこから徒歩5分程で「ペイトー湖」を見下ろす展望台に着いた。「パターソン山」を背景に真っ青な色をたたえた湖だったが、表面2/3程はまだ氷に覆われていた。「ナキウサギ」が日向ぼっこをしていた。
雲が厚くなり小雨が振り出した。
「ペイトー湖」から峠を下り「へクター湖」に沿って進んで行くと車窓から「クロウフット(烏の足)氷河」が見えて来た。かっては烏の足先3本の様に見えた氷河が、今では2本になっていた。
この日のホテルは、「ルイーズ湖」の湖畔に建つ「フェアモント・シャトウ・レイク・ルイーズ」だった。
聞くと「カナダ太平洋鉄道」の測量技師だった「トム・ウイルソン」が、「ビクトリア山」(標高3464m)と「ビクトリア氷河」その手前に佇む美しい「ルイーズ湖」を1882年に初めて発見したらしい。
その後、ホテルが建設され1900年に開業した。この115年間で増改築がなされ、今では贅を尽くした客室数550室のこのホテルは世界的に有名なリゾートホテルとなっているのだ。
食事も美味しかった。
ここに1泊できたことは、今回の旅の良い思い出となった。
≪5日目 「ジャスパー国立公園」観光≫
バスで8時に「ジャスパー」のホテルから出発したバスは、間もなく雪で覆われた美しい「カナディアンロッキー」の山々を右に左に見ながら高速道路「アイスフィールド・パークウエイ」を南東に向かった。
道路沿いには「アサバスカ川」が流れていた。「アサバスカ」とは、「葦の生える場所」という意味がそうだ。
30km近く走った所でバスから降りて、道路脇にある「アサバスカ滝」の遊歩道を滝へ進んだ。
この滝は、春に周囲の山々の大量の雪溶け水が一気に流れ込むことで岩を侵食してできた滝だという。
初夏にはもっと凄い轟音と水煙が立ち上るらしかった。丁度水煙には虹がかかっていた。
大きなゴミ箱が置かれていたが、野生の熊が蓋を開けることができないように取っ手は引っ込んだ奥に付けられていた。この辺りのゴミ箱は皆この作りなのだそうだ。
野生の「カナダ雁」がすぐ傍を歩いていた。
再びバスで次々と変わる雄大なロッキー山脈を見ながら1時間走ると、「コロンビア大氷原」に到着した。
ここの展望台からは6つある内の3つの氷河が見られたが、私達は真正面の「アサバスカ氷河」にバスと大型の「スノーコーチ」を乗り継いで登って行った。世界中から来た観光客が、一緒に乗っての氷河観光だった。
途中には氷河が岩を削ってできた土砂もあった。
「アサバスカ氷河」に着いた。降り立った所は標高2100mの地点だった。
この氷河は規模では3番目だそうだが、長さ6.5km、幅1km、厚さ30~365mあり、年15m下に進んでいるのだが、溶けるスピードの方が早いので、年間平均して1.6m先端が後退しているという。
氷の上で何枚も写真を写した。
壁状になっている先端では、溶けた氷が水になって流れていた。それを飲んで見たりもした。味も香りも無くソフトな印象だった。
「スノーコーチ」の運転手は、氷河の解説者でもあった。英語圏の乗客が多かったので、説明は英語だった。添乗員は、日本人客が多いと日本語のこともあると話していた。英語でされた説明は、後で現地ガイドが解説してくれた。
貴重な氷河観光の後、建物の2階に設けられている大きなレストランで、色々な国の観光客と一緒にバイキングの昼食を食べてから「コロンビア大氷原」に別れを告げた。
≪「大陸横断VIA鉄道」で「ジャスパー」へ≫
バンクーバー駅を20時半に出発した列車は、900kmの距離を18時間半(1泊2日)でジャスパー駅に向かった。約20輌編成で、中に「食堂車」「展望車」「寝台車」が組み込まれていた。
(普通車輌ではなく個室寝台車に乗るなら1人13万円を追加するのだが、グループには誰もいなかった)
添乗員に、夜、寒いかも知れないといわれたので、私は冬用のカーディガンの上にライトダウンジャケットを着込んだ。椅子はリクライニングになり足置きも出るので、挫面がフラットになり、何とか寝られた。
4日目の早朝6時前には「展望車」に行って景観を楽しんだ。
列車の窓から写真を撮ったが、こちらがスピードが出ているのでなかなか上手く写せなかった。色々な湖や山が見えたが、名前は分からなかった。幾つかのトンネルにも入って進んで行った。
「カムループス」という町に地下ずくと白い煙を上げる煙突が何本か見えた。添乗員に調べてもらったら、この辺りの木材を切り出してチップを作る工場なのだという。広い湖もあり、工場生産に適した場所だからだろう。
牛を放牧している酪農家も見えた。朝の霞が低く垂れ下がって美しかった。
山の雪解け水が、所々で滝になって流れていた。
カナダの最高峰「マウントロブソン」(3954m)も見える筈だが、どの山がそうか分からなかった。
(列車の左側に見えたこの山が、やはりカナダ最高峰の「マウントロブソン」の様だ。見る場所に寄って山容が少し異なるが、確かにこの山がそうだと思う)
時々貨物列車とすれ違ったが、その長いこと。ある貨物の数を数えたら何と177輌もが繋がっていた。これだけ多くの貨物を一度に運ぶなら、物凄い省エネだと感心した。
食事は朝6時半と昼14時に食堂車で食べた。なかなか美味しかった。
「ジャスパー駅」には16時に到着。長い鉄道の旅だったが、刻々と窓外の景色が変わるので飽きなかった。
この日のホテルは、滞在型コンドミニアム風のホテルだった。
≪「バンクーバー」の自由行動では美術館に≫
ホテルは「ロブソン通り」に面していたので、朝、17階の部屋から写真を撮った。
「バンクーバー」2日目の午前中は自由行動時間が組まれていた。
多くの人が添乗員の案内でする町歩きを選んだようだったが、私はホテルから4丁ほどの所にある「美術館」に行った。ここもシニアは20ドルではなく15ドルだった。
ギリシャ神殿風の外観の建物は、かっては裁判所だったという。
一部で工事をしていたが、4階から見始めた。そこには墨絵に雰囲気が似た作品が多く展示されていた。
この町出身の画家「エミリー・カー」の作品が展示されている3階には、CGグラフィックデザインでカナダの四季を、天井、壁全体に渡る巨大スクリーンに表現していた。面白いと思った。
工事中のためか、全体的に展示の規模は小さく、これから作品を収集するといった美術館だった。
ホテルに戻る途中、みやげ物店に入り、土産用に「メイプル・タッフィー」を数袋買った。「キャンディー」よりも「タッフィー」の方が口溶けが早くて高齢者にでも良いと思ったからだった。
「日本料理店」で「幕の内弁当」の昼食後、バスで「バンクーバー」市内観光に向かった。
「バンクーバーオリンピックの聖火台」や古い「蒸気時計」が今でも動いている「ギゃスタウン」、「トーテムポール」が立っている「スタンレーパーク」、ハーバーなどを見学した。
この「蒸気時計」は、1977年に作られたものだが、今でも15分毎に蒸気を噴出して独特の音でメロデイを奏で、1時間毎に汽笛を鳴らしていた。
黄色いタクシー「イエロウ・キャブ」や観光客向けの「展望バス」が走っていた。
最後に「ハナミズキ」や「サンザシ」の花が満開の「バンデゥーセン植物園」を散策するのだったが、急に私の体調が悪くなり、植物園の待合室で皆の帰りを待った。昼の「幕の内弁当」が原因らしかった。
その後、中華料理店に行って円卓を囲んだ夕食も、私は遠慮し、持ち帰りの弁当にして貰った。
夕食後はバンクーバー駅に行き、20時半発の「大陸横断VIA鉄道」で900km離れた「ジャスパー駅」に向かった。乗車時間は18時間半だ。
スーツケースは貨物車に乗せたので、手荷物として洗面道具や防寒着を持った。
私達が乗った車両は普通席だったが、空席が多く楽だった。
また車両10両に1両の「展望車」があったので、夕方と早朝にはそこへ行って景観を楽しんだ。朝食と夕食は「食堂車」で食べた。美味しかった。
当地、今日は朝から雨。時折、花の鉢が倒れるほどの強風がふいているので外仕事は断念した。
昨日までに農園の植え付けはほとんど終った。
庭も「スイカ」用に残しておいた菜園部分が、「スイカ」の苗が売り切れて手に入らないため、急遽、小粒の黒大豆「黒千石」やほうれん草、小松菜の種を蒔いて埋めた。
春先に種蒔きをしたほうれん草、小松菜、青梗菜、春菊は、数回の間引きで今は15cm以上に育ったため、暫くは朝夕さっと茹でて新鮮なものを食べられそうだ。また今までご近所にも数回間引き菜をお裾分けして来たが、今後もできそうだ。
(小松菜) (ほうれん草)
(青梗菜)
≪2日目午後、「バンクーバー」へ≫
「ブチャート・ガーデンズ」を後にバスで「ビクトリア港」に向かった。
15時発の「大型フェリー」に乗り、「バンクーバー港」に着いたのは16;35だった。
バスで「ベイ・エリア」に行き、「公共マーケット」を15分間散策した。
各種の海産物や名物の「メイプルシロップ」「鮭の干物」や菓子類などが沢山売られていたが、私は何も買わなかった。
バスに戻ると、傍に「トーテムポールの作業所」があったので覗いた。
「バンクーバー」の町を通り、ホテルに向かった。その日のホテルも高層ホテルで、自室は17階だった。
夕食はホテルのレストランで「ロブスター料理」が出た。海老は美味しかったが、付け合せの野菜が塩辛くてほとんど食べられなかった。
≪2日目の「ビクトリア」市内観光と「ブッチャート・ガーデン」≫
11階の室で目を覚まし、18階のレストランでセットメニューの朝食を摂った。食後、窓側をぐるりと回って展望を楽しんだ。
9時に専用バスで市内観光に出た。
「州議事堂」から続く「ガバメント通り」に出、市内を回った。目立つレンガ色の教会があった。
ベイ界隈をぐるりと一回りして「コロンビア州議事堂」で下車した。薔薇が綺麗に咲いていた。
1893年から5年の歳月をかけて建造された「コロンビア州議事堂」前の広場には、「エリザベス女王」の像が立っていた。
そこから海沿いに南東の海岸に沿って行くと、そこは高級住宅街らしく、石楠花が生い茂り、芝生のある瀟洒な邸宅が続いていた。ガイドの説明では、どんなに古い家でも1億円は下らないという。カナダの中では、温暖な気候に恵まれ、石楠花の生育に適するこの地域は、住みやすい所だそうだ。
それから南の丘にある「ビーコン・ヒル公園」に行ってバスから下り、「トランス・カナダ・ハイウエイ」の始点「マイル・ゼロ」の標識前で写真を撮った。公園下に海が見えた。
いよいよ「コロンビア」の観光ポイント「ブッチャート・ガーデンズ」だ。
晴天でこの日の気温は16℃だった。
かってセメントの原料の石灰岩を掘っていた会社の社長夫人「ジョニー・ブッチャート」が、荒れた採掘跡地を庭園にする事を思いつき、造営を手がけて、今では22万㎡の大庭園となったという。
庭は「イタリア庭園」「日本庭園」「ローズガーデン」「水の庭園」など、テーマごとに分けて造られていて、まだ春浅い季節だというのに色とりどりの花で溢れていた。
「日本庭園」の入り口には赤い鳥居が立ち、小さな川が流れ、これまた小さな橋が掛けられ、敷石が敷いてあって、つつじやあやめ、紅葉などが植えてあった。日本人から見ても違和感はほとんど無かったが、「ブルーポピー」が珍しかった。
最後に満開の「キバナ藤」を鑑賞してから「ブッチャード・ガーデンズ」の売店を覗き、カレンダーを買った。最後にティールームに行って「アフターヌーンティー」を頂いた。
ここはイギリスの庭園作りの影響を受けたらしいが、個人経営の庭園なので管理が行き届いていて見応えがあり、私にも参考になる事が多く、十分に楽しめた。
添乗員と港で別れてから一人で街を歩いた。
林檎やキウイフルーツなどの果物をチョコレーで包んだお菓子を売っている有名店「ロジャーズ・チョコレーツ」に入ってアイスクリームボックスを除いたら、珍しい色のアイスクリームがあったので写真を撮らせて貰った。
それからすぐ傍の「セヴンイレブン」に入り、薬を飲むのに必要なミネラルウオーターの1.5L入りのペットボトルが一番安かったので買った。確か2.1カナダドル(225円)だったと思う。
(カナダの水道水は市民は飲むが、硬水なので胃腸が弱い私は飲むことができないのだ。水道水で口をすすいで見たが、少し嫌な匂いがするように感じた)
このコンビニや飛行場の売店で見たところ、全体的にカナダの物価は日本の2倍以上すると感じた。
水を置きにホテルに戻った。回転ドアー前に「尻尾を振る犬」の像があった。
11階の室のベランダに出て下を見たら、そう遠くない所に教会が見えた。フロントで方角を聞いてからもう一度散歩に出た。
海とは反対の山側に歩き始めて7~8分で教会を見つけた。手前に公園があり、真っ赤な石楠花が満開で美しい。葉の陰に大型のリスがいた。
また、公園の外塀に見慣れない紫色の花がびっしりと咲いていたので写真を撮った。翌日現地ガイドからそれが「カリフォルニア・ライラック」だと教えられた。
教会は「ザ・シティ・カテドラル」だった。中に入るとパイプオルガンの演奏中だった。暫く聞きほれた。
6時からの夕食に一旦戻ってから、今度はベランダから見えた少し遠い教会に行ってみる事にした。
行ってみると「セントアンドリュース・カソリック・カテドラル」という大きな教会で、丁度7時から「ゴスペル」の鑑賞会があるという。大人は20ドルの所60歳以上なら15ドルだと書いてあったので、年齢を言って支払い、入場した。既に100人程の人達が礼拝用の椅子に座っていた。私も座った。
7時になると20人の男女が出て来て、アカペラでミサ曲を歌い出した。10分程の休憩を挟んで1時間半のコンサートだったが、澄んだ歌声を聴いていると疲れが取れた感じがして、なかなか良かった。
ホテルに帰り、入浴と翌日の支度をして寝た。
この日は、24時間+時差15時間=39時間を太平洋を越える機内とカナダの西の町で有意義に過した事になるが、疲れた初日でもあった。
今朝5時15分の外気温は10℃。昨日よりも2.5℃も低く凄く寒い。皆さんの地域は如何だろうか。
帰国後、多忙さと疲れでパソコンに向かえなかったが、やっと少し落ち着いたので「カナディアンロッキーの旅」の報告に取り掛かりたい。
≪旅の初日≫(1)
今回は畑仕事や庭仕事で済ませなければならない事があったので、旅支度も直前で何とかやり終え、多少疲れが溜まった状態で家を出た。
冬場の旅ではないので、新千歳空港10;40発「羽田空港」行きの「スカイマーク」を予約してあったが、心配することはなく順調に出発できた。
羽田空港からは地下に降りて「京急成田スカイアクセス」の成田空港直行便に乗車し、少し早めに集合場所に着くことができた。
「京急成田スカイアクセス」の電車内で台湾から来たという7人組みが隣席に座った。
30歳そこそこの夫婦とその1歳と3歳の子ども2人、そして夫婦それぞれの母親だった。
聞くと5日間の買い物旅行で東京に来て、これから成田空港に行き、帰る所だと言う。
私はこどもが小学5年生になった時に初めて連れてツアーに加わり、外国旅行をした事はあるが、こんなに小さい子どもを連れての旅行と聞いて驚いた。大人でさえ外国旅行は行程上も体力的にも大変なのに、大丈夫なのかと思った。
こんなに多くの外国人が、円安が続いている日本へ買い物旅行などに来ていることを、実際に確認できた出会いだった。
成田空港では添乗員に会い、Eチケットを受け取ってから「エアーカナダ」の塔乗手続きをした。
スーツケースは「バンクーバー」経由で「ビクトリア」空港まで頼んだ。
その後空港の銀行で「円」を「カナダドル」に交換した。交換手数料を入れて1カナダドル=107円だった。
17;30離陸予定の飛行機は、50分程遅れて出発した。機内はほぼ満席状態だった。
日付変更線をまたいで8時間飛び、予定通り現地時間10;15に「バンクーバー」に到着した。日本との時差は-16時間だ。
カナダへの入国審査を受けた後、今度は国内線エリアに回り、安全検査を受けてから「ビクトリア」行きのゲートに向かった。
12;30発の小型飛行機は、古いプロペラ機だったので驚いた。
30分弱で「ビクトリア」空港に着いた。日本との時差は-15時間になったので機内で時計を合わせ直して置いた。
「ビクトリア」に着き、スーツケースを受け取り、大型バスでホテルに向かった。
まだ夕刻にならず明るいし、ホテルが「ビクトリア港」のすぐ近くだったので、荷物を部屋に置いてから添乗員の案内で港方面を散策した。気温は初夏で、散策に心地良かった。(このホテルは、18階のレストランからの眺めが最高だった)
「ビクトリア」は「ブリティッシュ・コロンビア州」の州都として発展した街だ。その起源は、1843年に毛皮貿易をする「ハドソン・ベイ社」がここに砦を築いたことによるという。1949年にはイギリスの植民地となり、街に当時の女王の名をつけた。この都市がカナダ連邦に加盟したのは、1862年のことである。
また、イギリスのガーデニングの影響を受けた町でもある。
ホテル前から緩い坂道を海岸目指して下って行くと、程なく「イルカのトピアリー」が私達を出迎えてくれた。
その背後には大きな「フェアモント・エンブレスホテル」が聳えていた。
ベイを見下ろす様に建つこのホテルは1908年に創業し、100年の歴史を誇るホテルである。
ベイには帆船が沢山停泊し、大勢の人で賑わっていた。
この港がイギリス海軍の補給基地だったからだと思うが、湾の少し高い北側は小さな公園が造られていて、表情豊かな「帰港した船員と出迎えた子どもの像」や「船員の像」が置かれていて、後者の像は椅子の隣に座って一緒に写真を撮れる様になっていた。
また直ぐ南側には「ブリティッシュ・コロンビア州議事堂」を臨むことができた。
こんにちは♪
今朝の「カボチャ」の植え付けを最後に農作物の植え付けをほぼ済ませたし、伯母に関係する諸手続きを終らせたので、明日から「カナダ」の西海岸へ旅行に出かける。
(カボチャは、伯母が種から育てた「雪化粧」の苗を昨日3本貰ったものだ。農園の袋栽培の「牛蒡」の隣に15cm程の高さに土を盛り上げ、ビニールでマルチ(土に覆い)をしてから植えた)
今回のカナダ旅行の旅行社が付けたネーミングは『優雅なるカナディアンロッキー 8日間』だ。
航空機は「エアーカナダ」を利用するので、「バンクーバー」に直行するから楽だ。それでも飛行時間は片道8時間45分になりそうだ。
「カナダ」の旅は、今から25年ほど前の8月にまだ小学生だった娘を連れて「アメリカ東海岸とカナダ東部」の旅行に行って以来の旅だ。前と違い今回は春まだ浅いカナディアンロッキーの国立公園を4箇所巡ることになっている。
「ジャスパー」「バンフ」「ヨーホー」「クートネイ」だ。
また「コロンビア大氷原」では、雪上車で氷河の上に行くらしい。
さらにビクトリアとバンクーバーでは、植物園や庭園に行く予定だ。
この間、作物の植え付け作業その他で忙しく、ほとんどカナダの事前学習ができなかった。ぶっつけ本番の様な旅になるが、大自然の素晴らしい景観が主なので、それなりに楽しむことができるのではないかと思っている。
添乗員さんからの電話によると、「コロンビア大氷原」では気温がかなり低いらしい。
また「大陸横断鉄道」にほぼ一昼夜乗るが、車内が寒いのだという。
それで急遽、真冬にはく「オーバーズボン」や「ライトダウン」「冬用マフラー」を持参することにした。
10年以上はいた事が無かった「オーバーズボン」を久しぶりで引きずり出して見たら、案の定、ウエストのゴムがきつい。それで昨日は解いてゴムひもをつなぎ3cm程ウエストを大きくしてからミシンで縫い直したら疲れた~。
とに角、今回も事故なく楽しんで来たいと思う。29日まで留守にするので宜しくお願いします。