《フィンランドの「ヘルシンキ」観光後、帰国の途へ》
7日目は8;40発の「ヘルシンキ」行きの飛行機に乗るために6;15に「ストックホルム」のホテルを出る事になっていた。
バスが来たので見たら運転手が女性だった。どれもお土産で重くなったスーツケースを1つ1つ持ち上げ、荷崩れしないように積んで行くのだ。この国は男女の格差が労働市場でもほとんど無いのだと改めて確認させられた。
空港に着くと運転手からスーツケースを受け取り、カウンターに行ってスーツケースは成田空港まで依頼した。
飛行機は予定通り10;35に着陸した。
入国審査を受けて「フィンランド」へ入国した。「フィンランド」では今迄の三か国よりも時差が1時間少なくなるため、時計を進めた。
日本への帰国便はこの日の17;15発なので、実際3~4時間の空き時間しかなく、早速バスに乗って市内観光に出発した。
現地ガイドは中年の日本人男性だった。バスで「フィンランド」の生活事情などを説明し始めた。
「食料品の消費税は14%だが、他は24%だ。学校は、6月中旬から8月までの2ヵ月半が夏休みだ。」
「自転車専用道路と歩行者専用道路が分かれているので、バスの乗り降りには注意して欲しい。」
「ベビーカーを押して歩くと、タクシー以外の乗り物は全て無料になるので、大きい子どもをベビーカーに乗せている人もいる。自動車の運転中に事故を起こした場合、罰金は子どもが1人だと4000円安く、2人だと8000円安くなる。この国は子どもが多い低所得者が得をするようになっている。」
「ヨーロッパで、女性が初めて参政権を持った国だ。自分の妻は学校の教員をしているが、月給は2700€だ。(1€=140円とすると378000円)その中から700€の税金が引かれる。」「結婚後の離婚率は、50%だ。」
「公用語は、『フィンランド語』と『スエーデン語』だ。6つの州では、『サーメ語』も公用語だ。」「面積は日本の90%の広さに537万人(2010年12月)が住んでいる。宗教はプロテスタントである。」などと話した。
時間が無かったので教育水準が高い理由を聞けなかった。帰国してから本で調べたら、フィンランドの教員はほとんどが修士課程を卒業しているか、2つの専門科目の免許を持っているのだそうだ。また子どもには落第も飛び級もあって、親が子どもを見て申請するのだという。
そして日本と決定的な違いは、1クラスの子ども数だ。26人が限度なので、27人になると半分に分けて2クラスにしているのだ。この違いは大きい。
さらに詰め込み主義、暗記主義の教育ではなく、子どもが主体的に学習をし、分からなければどうしたら良いかを教員が教えるらしい。
①「岩の教会(テンペリアウキオ教会)」
自然の岩山を生かす設計コンテストで選ばれた建築家が設計し、1969年に建築した教会である。アパートが立ち並ぶ住宅街の一角に大きい岩山があった。反対側に下りるとそこが教会の正面だった。小さな十字架が屋根に乗っていた。
岩に囲まれた円形の近代的な空間は音響効果が良いということで、コンサートホールとしても使われていて、丁度私達が行った時も、ピアノの演奏が行われていた。椅子に座って演奏を聴いていると、無信仰の私でも気持が安らいだ。
②「ツーリスト・インフォメーション」と「マーケット広場」
次に行ったところで、バスから下りようとすると雨が降って来た。結構強い雨だ。
傘を差して歩いていたら、狭い道路に路面電車が走って来て驚いた。
「ヘルシンキ」市内には公衆トイレが余り無く、あっても使用料が5~10€した。私達は案内された「ツーリスト・インフォメーション」の建物でトイレを借りた。無料だった。
その前の一角が「マーケット広場」だった。季節の野菜や果物、菓子類やパンなどが売られ、ピッツァの店もあった。
昼食は自由だったが時間も1時間しかなく、レストランに入れば簡易なランチでも10~20€はするのでパンを買うことにした。すると友人が数個入った菓子パンを買ってくれた。バスに戻り、分けてもらって食べた。アップルパイ風だったが美味しかった。それと持っていたオレンジを食べて済ませた。
③「ヘルシンキ大聖堂」
バスが駐車した元老院広場の高台に白亜の聖堂が聳え立っていた。ここは「ルーテル派の本山」だそうだが、雨が強かったのでバスから写真を撮っただけだった。
空港に戻る頃、雨が止んだ。出国審査を受けてから搭乗口で搭乗を待ったが、時間があったので土産店をぶらついた。
従妹達が2階のトイレに行きたいというので、私が皆の荷物を預かって待っていた。
すると1人が戻って来た。トイレの個室に置き忘れられたバッグがあるというのだ。私は、そのままにして置くよりも空港の警備に届けた方が良いのではと判断し、従姉が持って来たバッグを警備の女性係員に状況を説明して渡した。
すると間も無く、子どもを2人連れた夫婦が、その係員と話しているのを見つけた。
私達が駆け寄ると、妻は涙ながらに「私のバッグを届けてくれて有難う!」と言い、従姉の手を握った。バッグにはパスポートや貴重品が入っていたのだった。
夫がポケットから10€を出して従姉に渡そうとした。従姉は「そんな積もりでなかったので、心配は無用です。」と手振り身振りで伝えた。横から私が「私達は、日本人です。」というと、夫婦は「私達は、アルメニアに帰る所です。」と話した。
本当に持ち主にバッグが戻って良かったが、良く考えると係員はなぜ届けた人の名前や国籍を聞かなかったのかが不思議だった。
従姉達は、旅の最後に思ってもいなかった良いことができたと、しばらく興奮していた。
帰国便は、満席だったが、いつもの様に疲れが出て、直ぐに眠った。
9時間40分飛んで、成田空国には17日の8;55に着陸した。荷物を受け取ってから、午後の新千歳空港行きに乗り換えて札幌に戻って来た。
聞くと留守中毎日雨が降り、気温も低かったらしい。庭は雑草がびっしり生えて伸び放題の態だった。薔薇の花は予想と違って咲いていなかった。
翌日から、雑草との戦いをしながら、昨日まで旅行の記事を書いた。これで「北欧の旅」が完成し、ホッとしている。長文の旅行記を見て頂き、コメントを寄せてくれた方々に感謝している。
次の海外旅行は、花や野菜の仕事が一段落する秋になるだろう。昨日から、次はどこへ行こうかとパンフレットを見ている。
(完)