花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

従姉と2回目のパークゴルフ

2013年05月14日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
昨日は従姉が暇だといって遊びに来た。
朝の気温は5度しかなく風も強かったので、暖かい服装で来るようにメールをして置いた。

10時半にやって来た従姉は、土産に手作りの「稲荷ずし」を10個も持って来た。
私は朝からポテトサラダと卵のサンドウイッチ、筑前煮を作っておいた。

パークゴルフ場では雲が厚く、風はますます強くなり、最高気温は6度にしかならず凄く寒かったので、いつもならなかなか止めたがらない従姉が、珍しく開始後2時間経った所で、「もう止めよう。」と言い出した。

帰宅して暖かい部屋で、遅めの昼食を食べた。
従姉とは、阿部内閣の憲法96条改定の動きについてなどを話し合った。憲法は国家権力が真っ先に守らねばならないものなのに、首相自らが改憲を声高に主張するのは如何なものか。
また、私達国民の多額の血税が、支持してもいない政党の助成金に最も多くばら撒かれ、好き勝手に使われているのにも大いに疑問を感じるね、などと。

従姉が寒そうだったので、私がまだ1度位しか着ていないカーディガンを帰りがけにプレゼントした。思ったよりもとても似合っていた。
従姉は17時半のJRで帰って行った。
次のパークゴルフは何時になるかな。そしてこの低温は何時まで続くのか、この春は本当におかしな気候だ。
                             






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今年のパークゴルフ

2011年11月14日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
私より5歳年上の従妹は、時々札幌からパークゴルフをするために我が家にやってくる。
何故なら札幌のほとんどのパークゴルフ場は、バスや地下鉄の駅からは遠く、車でやっと行ける場所にあるから、車の無い従妹は行く事ができないのだ。
JRで我が家に来れば、従妹専用の用具を用意してあるし、私の車でぱっと行く事ができるからだ。
そんな訳で、従妹が時々来るようになってから数年になる。

先程カレンダーのメモ書きを見たら、今年従妹とは5月から先日まで9回したことになった。こんなに少ない回数では技術が向上する筈はないのだが、2日前にした時、私の成績が良かったのでその翌日にも一人でやりに行った。
ところが相棒がいないと緊張感が持てず、成績は悪化した。おまけに1人なら次々とプレイして進むので休む間がない。それで2時間もしたらすっかり疲れてしまった。やはり従妹と一緒にああだこうだと言いながらするのがいいのだ。
市のパークゴルフ場は11月末で営業を止めるので、それまでに後1回は従妹と一緒にしたいと思っている。
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札幌藻岩山登山

2011年09月21日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
昨日、畑の友人2人を誘って、「札幌藻岩山」を登山した。
札幌の南区にある標高531mのこの山は、市民の山として昔から親しまれ、登山路も5ルートあるが、普段、登山をあまりしない友人達と私にとって1番楽なルートという事で、いつもの様に南側のスキー場から登ることにした。
私は車で行き、友人達には10時に「南34条西11丁目」のバス停迄バスで来てもらい、合流した。そこからスキー場の駐車場までは、車で10分程の登りだが、歩いて登るとなると30分以上かかるからだ。

駐車場に着くと、公衆トイレで用を済ませ、身支度、軽く体操をしてから10時30分に登山を開始した。
急なうさぎ平を登る正規のルートではなく、リフトの下にある道を登って行った。
冬はスキー場になる広い緩斜面はまだ紅葉には早かったが、すっかり一面が背の高いススキで覆われた初秋の景色となっていた。遠くで2人の人が背が高い雑草を草刈り機で刈っていた。やがて来るスキーの時期に備えているのだ。

緩い登りが続いた後、中腹の登山道脇に前には無かった木の標識と小鳥の巣箱を見つけた。
「幌南小学校」の生徒たちが今年作って設置したものらしく、製作した生徒の名前も書いてあった。多分春の遠足に備えて、自然学習の一環として取り組んだのではと思った。子供たちと指導した先生たちの温かな気持ちが伝わって来た。

   

かってはこのルートで出会う人はほとんどいなかったのだが、昨日は下山する山ガールや山ボーイ数人とすれ違った。
高度を上げて行くに連れて、眼下に遥か南側に広がる「札幌岳」「空沼岳」「恵庭岳」「樽前山」など支笏湖周辺の山脈の景色が見えだした。2年前に一緒に登った「樽前山」の思い出話が出た。

   

気づくと私は手袋の上からやぶ蚊に刺されていた。見るとやぶ蚊が飛んでいる。顔を刺されたら事なので慌てて持参した手作りの防虫ネットを帽子の上から被った。これは普段、庭仕事でも重宝しているものだ。

札幌市は昨年10月から「藻岩山魅力アップ構想施設再整備事業」に基づいて頂上と中腹の改良工事をしている最中で、中腹から頂上にかけては設置されていたリフトを外して、その代りに60人乗りのロープウエーを新設中だった。
前はリフト脇の急な階段を最後に登り、所要時間は1時間弱で頂上に行けたのだが、今回はスキー場のリフトの終点から上は藻岩山有料道路に出て、その端をだらだら登った。しかし頂上には展望台の新設工事に伴って行けず、かっての山頂駐車場の下で行き止まりだった。工事は、今年11月30日完成の予定である。結局そこまでで1時間半近くかかった。

   

そこは木が茂っていて景色は見えず、座る場所も無かったので、工事の様子を写真に撮ってから直ぐに下山を開始した。途中でうさぎ平らの北側に広がる人口190万人の札幌市を見下ろした。
更にかっての風台風で山林の一部が倒木して明るくなった所で、持参した梨、グレープフルーツ、友人に貰ったみかん、チョコレートを食べた。
ゆっくりとした下山だったが、1時間でスキー場の駐車場に戻った。

   

その後、藻岩下の大型スーパー「イオン」に行って、軽食とコーヒーで2時間近くも反省会をし、来春、工事が完成した藻岩山にまた登りたいねと話し合った。
友人達を地下鉄「南平岸」駅まで送り、帰宅した。汗をたっぷりかいたので、帰宅後も水が美味しくて何杯も飲んだ。
そんな訳で、やっと訪れた清々しい秋空の下で軽登山を楽しんだ1日だった。

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余市岳に登る(2)

2010年10月10日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

ゴンドラを降りてから、広場に集まり、登山ガイド氏の指導の下、ストレッチ運動をした。
私には、片足ずつ後ろに上げて手で掴むことが難しく、日頃の運動不足と老いによる柔軟性の低下を実感した一瞬だった。

いよいよ登山開始だ。
しかしガスが出てきて、視界は10m位しかない。
気温は9度と低い中、1時間以上、ほとんど傾斜のない幅広い登山道をゆっくりと歩いて行った。
左右に背の高い笹薮が広がっているが、ほとんど平地に近い登山道は笹が綺麗に刈り込まれていて歩きやすかった。
ガイド氏が、「今日は大勢で歩いているので熊は出ないが、1人で歩いている時など、カーブの向こうで待ち伏せして突然出てくることがあるらしい。」と言っていたので、隠れている熊を想像してぞっとした。

見晴らし台に着く頃、ガスが切れて視界が開けた。初めて眼前に、目指す「余市岳」の雄大な姿とジグザグになった登山道が見えた。
その急峻さに私は登れるだろうかと、一瞬、不安になった。

           

写真の紅葉がある場所から一旦50m程下り、そこからいよいよ低い這い松に覆われた山へと登って行くのだ。
私はガイドに付いてゆっくりだが休まずに登って行った。
たちまち体温が上がって来て、心臓がバフバフし、一瞬気が遠くなるような感じにも襲われた。
30分程登った所で休憩した時、上着を脱いでリュックにしまった。涼しくなり、その後は比較的楽に登れた。

やっとケルンがある山頂らしき場所に着いたが、本当の山頂はさらに300m奥だった。
前を行く人が、登山道の直ぐ傍でシマリスを見つけた。
小さなシマリスが、夢中でエサを食べていた。迫っている冬に備えているのだろう。
また、そのあたりは、以前、山火事があったらしく、広範囲に白く枯れた這い松が痛々しかった。

                        

ゴンドラの山頂駅出発後、2時間15分かかって、やっと「余市岳」の山頂に着いた。
山頂では這い松が20畳位の広さ、刈ってあった。
驚いた事に、既に何人もの人がいたし、私たちの後にも次々とやってきて、山頂は狭いくらいになった。
周囲を見渡しても、霧が立ち込めていて何も見えない。風も強いため、体感温度は4~5度に感じた。
頂上では20分の休憩時間が与えられたので、めいめい座って食事をした。 私は立ったまま、弁当に支給されたお握りを1つ食べた。
ガイド氏に頼んで、一緒に写真を撮らせて貰った。

帰路、山頂から2~3分程歩いた所で振り返ると、山頂のガスが晴れていた。
遥か左方に雲海に浮かぶ「羊蹄山」の頂上がうっすらと見えた。
「羊蹄山」「余市岳」よりさらに410m高い標高1898mの独立峰で、山容が富士山にそっくりなため「蝦夷富士」ともいわれる山だ。
私は8年ほど前に1人で登頂したことがあるが、その山頂を一瞬望められて嬉しかった。

 

下りは粘土質の土とごろごろした石の道を、滑らぬように気を付けて降りた。
途中、みぞれ交じりの雨が少し降り、相変わらず濃いガスに覆われた。1時間50分で、ゴンドラの山頂駅に戻った。
キロロの立派な温泉ホテルで汗を流してから、またバスで札幌に戻った。駅に着いたら夕方5時になっていた。

登山中は気温が低かったので、水を少ししか飲まなかった。自宅から持って行った水が1L以上余ったので、全部、駅北口の噴水に捨ててから、JRに乗って家に戻った。
帰宅後は、とても充実した気持ちに満たされながら、ワインを飲んだ。






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余市岳に登る(1)

2010年10月10日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

昨日、まだ登った事がない余市岳(1488.1m)登山ツアーに参加した。
この山は、石狩圏では最も高い山で、大きさ、奥深さも他に類を見ない山なのだが、私はまだ登った事がなかった。
春、札幌の郊外から西方を見ると、幾つもの山並みの奥に最後まで真っ白い雪に覆われている姿が見られる山なのだ。
それで、専門の登山ガイドも付くこの旅行社のツアーに思い切って参加することにしたのだ。
(主催が同じ登山ツアーには、今まで2回参加している)

札幌駅集合7時20分だったので、私は5時に起きて支度をし、出かけた。
バスは赤井川村のキロロスキー場を目指して駅北口を7時半に出発した。
添乗員氏は、「今日は連休前ということで、ツアーに出かける人が2000人も集まっていたから、受付場所が凄く混んでいて驚きました。」と話していた。
北海道では11月になると、場所によっては雪が降る冬になる。
今月が行楽シーズンの最後になるので、連休を利用して大勢の人が北海道内の各地に出かけるのだろう。
小樽までは高速道路で1時間弱で行き、そこから山道に入り、間もなくキロロスキー場に到着した。

バスを降り、持って行った登山靴に履き替え、ゴアテックスの上着を着た。
スタートでは、先ずキロロスキー場のゴンドラに乗って、標高1185mのスキー場山頂駅に向かった。
札幌では紅葉といっても、まだナナカマドが赤い実を付けた位だが、ここは正に紅葉真っ盛りの状況になっていた。
わずか10分程度だったが、その美しさに目を奪われた。
常緑の蝦夷松、とど松が所々にあるため、赤や黄色の紅葉がとても映える。
スキーのコースには木がないため、スイスの山間地方を見るようだ。
ゴンドラでまさに≪綾錦≫といって良い景色が広がるその上を移動している居る訳で、本当に贅沢な時間だった。

   

                       

上方の余市岳の方角からは、次第にガスが降りて来ていた。葉を落とす直前のダケカンバの白い幹が美しかった。

  




 

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イチャンコッペ山登山

2010年08月04日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
8月3日、好天の予報だったので、支笏湖の展望台、「イチャンコッペ山」(標高829m)に登山をするため、朝起きて海苔巻き寿司を作り、水筒に熱いコーヒーを落として7時過ぎに家を出た。

支笏湖は、札幌の南方約30kmの場所にあるカルデラ湖で、面積78k㎡、最大深水363mの湖である。
目指すイチャンコッペ山は、支笏湖をぐるりと囲む恵庭岳、風不死岳、樽前山、紋別岳と並んで支笏湖の北東側に立つ山である。
それほど有名な山ではないが、支笏湖、恵庭岳、風不死岳に対峙し、それらの展望台として素晴らしい山なのである。
私がこの山に登るのは今回で4度目となるが、久し振りに美しい眺望を見たくて、昨日、また行って来た。

登山口に近い支笏湖畔展望台に車を留めて、登山靴に履き替え登山口に向かった。
少し前までは、「イチャンコッペ山登山口」と書かれた小さな標識があった筈だが、今回は見てもなかった。
しかし、数歩登った所に「登山届け」のノートが入った箱が設置されていた。
この数日間の記帳者はいなかったが、傍に大型の剪定鋏が置いてあった。
名前、住所、入山時刻8時50分と記してから、いよいよ登山を開始した。

登り始めからかなりの急登が待ち受けている山で、30分間は呼吸を整えながら休み休み登った。
やがて振り返ると、木々の間から支笏湖が見え出した。①

 ①

急登が終わり、緩斜面に入ると間も無く、丈1.6m程の笹がぎっしりと生い茂る薮の中の山道だった。②
刈られて枯れた笹が人1人通る幅しかない細い山道の両側に沢山落ちていた。場所によっては、足元が見えない位茂っていて、慎重に歩くほかなかった。
登山届けには、数日前に千歳山岳会の人が入山したと書いてあったが、きっとその時、笹刈りをしたのだろうと思った。
硬い笹の根元の茎がぎっしりと槍のように突き出している道はとても歩きにくかったが、道を付けるために刈ってくれた人には感謝した。

しばらく歩いて行くと大きな反射板が設置されている山が見えた。③ そこまではまた長い急登が続くのだ。
気温は25度位で曇っているために熱くはないが、何度も息が上がり、ふくらはぎがだるくなって休み休み登った。

 ② ③

登山道のあちこちの木には鶯がいて、澄んだ綺麗な鳴き声を響かせていた。目の前の木につがいで鳴き交わしている鶯もいた。私には「こんにちは。良く来たね!ホーホケキョ!ケキョ!ケキョ!」と聞こえるようだった。
やっと反射板が設置されている場所に着いた。そこで15分間休憩し、バナナ2本を食べ、麦茶を飲み、写真を撮った。
支笏湖を挟んで対岸に聳えるのは標高1102mの風不死(フップシ)岳④だ。その奥に樽前山(標高1041mの活火山)が少し見えたが、上部は雲に隠れていた。
さらに右手には、標高1320mある恵庭岳の雄姿を臨めるのだ。⑤
この山は、今も噴煙を上げる活火山だが、1972年2月に開催された冬季オリンピックの際の滑降競技の会場になった山である。
ここからさらにもう少し向こうの頂上がある山まで、尾根伝いにダウンとアップをしながら30分ほど歩くのだ。

 ④  
 ⑤

11時40分にやっとイチャンコッペ山頂上に到着。登山を開始してから2時間50分が経っていた。
山頂の笹も綺麗に刈られていた。そこでリュックを下ろし35分の食事タイムを取った。
期待通りの美しい展望をたっぷりと独り占めし、達成感に浸った。

 ⑥  
 ⑦

12時15分下山を開始。こんなに急な坂道をよく登ったなと思うような所は、杖を使って慎重に降りた。
支笏湖に向かって下りて行くので、その景観はすばらしかった。
途中、白と青の山アジサイが数箇所咲いていて、緑一色の山に彩を添えていた。⑧
茶色のシジミが群がっているアジサイもあり、小さな命の輝きを見た。⑨
道端に見たことがないオレンジ色の植物が点在していた。⑩

 ⑧ ⑨

 ⑩

やがて私のウイークポイントである左の膝が力が入らなくなり、弱い痛みもしだして普通に歩けなくなった。
左足を引きずるようにしてゆっくり歩き、2時間15分かかって14時30分に下山した。
登山届けにその時刻を記帳してから支笏湖公園線の道路を横切り、すぐ傍の駐車場に向かった。山では誰にも会わなかったし、展望台に立ち寄る車はあってもそこに駐車していた車は私のだけだった。運転席に座ると、膝は気にならなくなった。

帰宅後、汗だらけの服を脱いで風呂に入り、さっぱりしてから冷たいワインを飲み、冷やし蕎麦とエビフライを食べた。美味しかった。
今回は帽子に手作りの虫除けカバーをつけて行ったので、虫が全く気にならなかったし、7年振りの山に思い切って出かけて本当に良かったと思った。




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樽前山に登った

2009年06月25日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
農園仲間で「樽前山」に登る約束をしていたが、やっと昨日、雨が止み、好天に恵まれたので3人で出かけた。
2人を乗せて、7合目の登山口まで私が運転した。
急な林道を車で登って標高660mの駐車場に着くと、既に十数台駐車していた。
私たちは身支度をしてトイレを済ませ、簡単な屈伸運動をしてから、入り口で登山届けに記帳。
9時26分、いよいよ登山を開始した。

7~8分、樹林に囲まれた登り難い木の階段を登ると、展望台に着いた。
斜面に幾つものベンチが作られていて、そこからは浮き上がっているように感じる支笏湖が見え、その周囲の山並みも美しいが、湿度が高い所為か霞んで見える。そこで小休止。写真①(左端の山は風不死岳1103m)

 ①

さらに20分程我慢して、歩きにくい木の階段を上る。樹林限界からは、一面のお花畑が開けて来た。
背丈が少し高いウコンウツギが卵色の花を咲かせている。② 
斜面で群落を作って咲いているのは磯ツツジだ。③④ 6月の中旬から満開になる花だが、今年は先日まで気温が低かったためか、9合目辺りの磯ツツジはまだ蕾の状態だった。
また薄紫の花を咲かせる樽前草は、まだ蕾の状態だった。
(④の奥に見える山は、隣の山「風不死岳」だ。私は2度登っているが、その頂上からは樽前山の全貌が手に取るように見下ろせる。また晴天なら、遥か遠くのニセコの「羊蹄山」も望める)

 ② 

  ③ ④ 
 
 さらに登ると、「樽前山」の裾野に千歳から苫小牧まで広がる雄大な原生林が一望できる。よく見ると溶岩が流れ落ちた場所が巨大な筋のように下まで盛り上がって続いているのだ。

ガイドブックによると、今から3万年前から2度の噴火で樽前山の原型はできたそうだが、最後の大噴火は今から丁度100年前の明治42年の事で、その時、今の直径450m、高さ100mという巨大な溶岩ドームができたのだ。
それ以降も小噴火は度々起きていて、今も噴気孔から有毒な硫黄を含むガスが吹き上げているため火口内には立ち入りが禁止されている。⑤
(私が初めて登った11年前の6月末には火口にも入る事ができた。色とりどりのお花畑が見事だったと記憶しているが、今は立ち上る有毒ガスによって火口内の多くの植物が駄目になったようだ)
そんな訳で今最も高いのは1041mの溶岩ドームの頂上なのだが、近づく事ができないのだ。

 ⑤

ゆっくり登ったので、立ち入り禁止ロープが張られている外輪に到着するのに1時間かかった。
驚いた事に濃霧で何も見えない。火口方向から猛烈な強風が私達に吹き付けてくる。溶岩ドームは霧の中にある筈だ。

吹き飛ばされそうな強風だったが、1023.8mの外輪山の東山まで気をつけながら何とか登ることにした。
頂上に着いた時には、登山開始後1時間15分経っていた。
「樽前山頂上」と書かれた新しそうな立て看板があった。そこには5~6人の登山者が先に登っていた。
そこもやはり濃霧で視界は開けない。
仕方がないので風の弱い場所を探して弁当を食べた。

霧が晴れそうにないし、気温が低くて身体が冷えて来たので、15分後に記念撮影をして⑥、下山を開始することにした。
火山灰と小石の山なので、下りは滑って転ばないように気をつけながら、ゆっくり下りた。
少し下ったら、頂上の天気がまるで信じられないような晴天だった。⑦
下山するに連れて気温も高くなり、展望台で上着を脱いだ。もう一度じっくりと支笏湖を目に焼き付けてから駐車場に戻った。

 ⑥  ⑦

頂上が悪天候のために、意外と早く下山して来たので、帰りに農園に寄ってじゃが芋やトーモロコシの土寄せを1時間程してから帰宅した。
昨日は、溶岩ドームが見えなかったのは残念だったが、初めて3人で登った事に意味があった。
初めて「樽前山」に登った友人には、私から、「今日、溶岩ドームが隠れたのは、もう1度来てね、という意味だよ。」と声を掛けたら、「また秋に来ようか。」と、笑いながら答えてくれたので嬉しかった。






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パークゴルフの仕納め

2008年11月06日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
昨日の朝の温度は-1度だったが、一転して今朝は9度。本格的な冬を前にした最後の晴天の1日になった。

10時半に札幌から従姉妹がやって来た。今年最後のパークゴルフをするためだ。
何時ものように私が用意したあり合わせの昼食を済ませてから出かけた。
明日からは天気が崩れて雪になるという予報なので、ゴルフ場は混んでいるのではと思ったが、いつもと変わらなかった。
今回で3度目になるコースを、二人で回った。
今日は、如何にホールのすぐ近くにボールを寄せて行くかを目標に、力配分を注意した。その結果、今までで最高に良い成績になった。やっと自分なりに満足できるPERに近づいて来て嬉しかった。
従姉妹も70歳という年齢とは思えないくらい元気で、半年間頑張ったと思う。

4時20分の日没間際までプレイした。本当に楽しく、満足できた。
帰宅後、たっぷりとおしゃべりし、来年も元気でまた一緒に楽しもうと約束して、従姉妹は7時のJRで帰って行った。
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従姉妹とパークゴルフ

2008年09月03日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
昨日10時過ぎに従姉妹が札幌から遊びに来た。
いつもの様にあり合せの食材で簡単な昼食を作った。冷やし素麺、豚肉と野菜の炒め物にトマトサラダだ。勿論、紫蘇味噌を添えた。

それから、いつも行っている料金が安い(300円、65歳以上は200円)パークゴルフ場は定休日だったので、一度しか行ったことの無い料金の高いところ(600円、65歳以上は400円)へ行った。
二人分のお金1000円は、従姉妹が出してくれた。昼食代とガソリン代の替わりなのだそうだ。
そこは高いだけあってコースが4つあり、良く整備されているので気分良く楽しめた。

前回までは、二人ともやってもやっても下手くそで嫌気が差したが、今回は不思議と初打が上手く行く事が多く、少ない打数で入ったホールも幾つかあって、今後に希望が持て、嬉しかった。
周りに人影が少なくなる4時半まで十分に楽しんだ。

帰宅後、乾いた喉をスイカで潤しながら、何時もの様に取り留めのないおしゃべりをした。
従姉妹が帰る時、もう最後になったインゲン豆や持て余しているトマト、ルッコラ、サラダ菜などを庭から取って来て渡した。従姉妹も、最近は買う野菜が少なくなって助かっていると言っていた。
6時半になったので、近いうちにまたパークゴルフをすることを約束して見送った。
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従姉妹とパークゴルフ

2008年06月28日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
 今日は札幌からパークゴルフをするために、従姉妹が来た。
 札幌にもパークゴルフ場は沢山あるが、大抵は郊外にあり、そこまで行くのが車の無い従姉妹には大変なのだ。それと共通の趣味の私となら楽しめるし、私の所に余分のステックがあるので持って来なくても良いからなのだろう。

 10時半に来たのでまずおしゃべりし、それから昼食を食べる事にした。
 庭からミックスサラダ菜、ホウレンソウを採ってきて、肉味噌入り冷やし中華そば、野菜サラダ、ホウレンソウのひたしを作り、それに庭の蕪の即席漬け、蕗の煮しめを添えて供した。野菜づくしの昼食だった。

 車で10分位のいつものパークゴルフ場に行き、36ホール回った。午後の日差しが暑かった所為もあるが、二人とも成績はさんざんだった。私は今年2回目のプレーだったが、最後のコースでやっと何とかなった。やはり練習が必要だと思った。
  
 傍を流れている川で釣りをしている人たちがいた。ある人が何が釣れるか聞いたら、27cmもある山女が釣れると答えていた。従姉妹は、「次回はパークしてから、釣りもしたいね。」と欲張った事を言った。私は「餌に何を使うの。みみずなんか針に付けられるの。」と言って、従姉妹の言葉を制した。

 6時のJRで帰るというので、庭の小松菜、ほうれんそう、水菜を沢山摘んで渡した。
 帰り際に「最近、携帯を持ち、メールもできるようになった。」と言うので、アドレスを聞き、私からついさっき、初めてメールをした。間もなくして、早速返信が来た。「驚いた。」というメールだった。
 従姉妹は70歳だが、私と同じ様に高血圧の薬を飲みながら前向きに生活をしている人だ。まだしばらくは一緒に、趣味のパークを楽しみたいと思った。
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友人達と「札幌藻岩山」初登山

2008年05月31日 | 軽登山・登山・軽スポーツ
 今朝起きたら気温は7度、しかも昨日に続いて強風が吹いている。
 今日は友人3人と「藻岩山」登山を約束していた日だ。私にとっては今年の初登山だ。

 8時のJRで札幌に行き、バスに乗ったが、駅にもバス停にも登山者らしいスタイルの人たちが大勢いた。
 9時35分登山口に集合。 今日のリーダーは私だ。
 ガイドブックにも載っていないコースを案内することにしたが、コース名を聞かれたので「正規のコースの2/3の時間で登る事ができるズルコースだよ。」と答えた。皆で準備体操をしてから登山を開始した。
 
 久し振りの再開だったので、楽しくお喋りしながらゆっくりと登った。その道を登る人は他には見当たらなかった。高度が高まるに連れて風も強まり、出た汗も直ぐに乾いてしまう。
 途中ですれ違った男性は、上方で採取したというわらびを一抱え下げていた。他にも山菜を採っている人達を見かけた。この時期はウドは終わっているが、蕗やわらびが沢山取れるのだろう。だから藻岩山は、札幌市民の山なのだ。

 頂上に着くと展望台の売店や食堂は、人でごったがえしていた。
 私達は知らずに登ったのだが、「藻岩山」は標高531mなので毎年5月31日が山開きだったのだ。
 ロープウエイは無料らしいし、募金をするとペットボトル1本の天然水をくれたり、今日だけ割引販売をしているらしい食堂には20~30人の待つ人の行列もできていた。報道関係の車も来ていた。南側の有料道路を登って来た一般車も駐車場に沢山あった。

 展望台に登ってみたが、冷たい風が頬に刺さるように吹き荒れていた。私達は早々に下山する事にした。
 下山の途中、鶯が透き通った声で鳴いていて、友人はそんな声を初めて聞いたと感激していた。
 下山後半、いつも弱い私の左膝が危ない感じになったが、何とか下山できた。整理体操をしたら違和感もなくなりホットした。
 
 その後、某ホテルの中華料理店に行き、たっぷり2時間半美味しい料理を楽しんだら、登山の疲れも感じなくなった。
 今日は天気には恵まれなかったが、充実した初登山の1日だった。 

 
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ユニ石狩岳登山

2007年08月01日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 昨日は、3週間前に富良野岳に登った友人と一緒に、あるグループが毎年一回行う登山ツアーに参加し、「ユニ石狩岳」1745mに登って来た。
 続けての登山だったので、膝に脱力感があり心配したが、薬局で求めた生ゴム製のバンドを朝から両膝に装着して行ったので、膝が適度に固定され、違和感なく最後まで登山ができて良かった。

 登山の前日、友人と札幌駅で待ち合わせ、特急で旭川に行った。旭川駅前には送迎バスが来ていて、それで層雲峡温泉のホテルまで行った。
 レストランでバイキングの夕食をしていたら、数年前に黒岳~旭岳コースを縦走した時に一緒だった男性の知人2人を見つけ言葉を交わした。懐かしかった。彼らは今年も5時半出発の過酷な縦走コースなのだという。
 また、数年ぶりで大学時代のクラスメイトにも会った。彼女は夫婦で参加していたが、私達とは別のコースだった。

 翌朝6時出発なので、5時にモーニングコールのセットをして早めに布団に入ったが、どうした訳か頭が冴えてさっぱり寝付けない。睡眠導入剤を飲んだけれど、結局、寝たのは2時間程だった。

 5時前に起きた。不眠だった事が心配だったが、体調は悪くはないので支度をし、朝と昼の弁当とお茶2本を受け取って、6時にバスで登山口に向かった。バスに乗るなり、みんなで早速、お握りを頬張った。
 層雲峡と十勝三股を結ぶ国道273号線を走り、人造湖の大雪湖を左に見ると、間もなく右に「ユニ石狩岳登山口」の標識が見えた。バスがそこから右側の林道に入ると直ぐに上川営林署が管理するゲートがあった。添乗員が営林署に電話で鍵の番号を問い合わせてゲートを解錠し、バスはそのまま狭い川沿いの林道を、約4,5km奥へと進んだ。

 やがて樹林に囲まれた車10台程が駐車できる広場に突き当たった。そこが車止めで、登山者名簿を記録する小さなボックス、地形図が書かれた立派な立て看板があった。「ユニ石狩岳」は標高差が635mあるとガイドブックに書いてあったので、ここはすでに標高1110mもあるのだ。私達はガイド氏の指導で5分間程体操をして筋肉を伸ばした。

 7時5分登山開始。私達の「ユニ石狩岳」登山コースには、23人の参加者に対して北海道山岳連盟認証の登山ガイド3人(男性2女性1)と添乗員1人がついてくれた。
 しばらくはユニ石狩川に沿って薄暗い原生林の中を歩いて行った。鶯の甲高い鳴き声が私達を歓迎してくれた。山鳩もいた。
 先頭のガイド氏が笛を吹き鳴らした。今のは何のためか聞くと「熊さんに入山をお知らせしました。」という返事だった。人の気配を知ると、熊は警戒して近づいてこないらしいのだ。
 間もなく丸太を3本組み合わせた橋が架かった場所に来た。「ゆっくりと一人ずつ順番に渡るように…」というガイド氏の注意を受けた。全員が渡りきるのに時間がかかった。そんな橋がもう一カ所あった。

 次第に道が一人通れる幅に狭まった所で、ガイド氏から「今の気温は10度です」と知らされた。なるほど空気は本当にひんやりとしていたし、湿度が高いので呼吸が楽だった。また、白い可憐な花を付けたゴゼンタチバナ草が、足元に沢山咲いていた。たんぽぽ状の白い花をつけた磯つつじやうす桃色のほたる袋もあった。
 
 やがて登山道脇の山肌が苔むした岩れきの斜面になると、直径10cm前後の穴が沢山空いた場所になった。ガイド氏は「なきうさぎの巣です」と説明してくれた。時折、高いトーンで「チチッ!チチッ!」と鳴く声が聞こえたが、早朝のためか、ついに姿を見ることはなかった。途中には「鳴兎園」の看板もあるそんな穴だらけの斜面がかなり長く続いた。(写真)
 なきうさぎは7~1万年前にシベリアから北海道に南下してきた動物の生き残りだといわれていて、凍結風化しても砂状にならない花崗岩や火山岩などでできた岩場を住処にする体長15cm位の動物である。5~6月に繁殖し、6~7月に出産するらしいので、穴の奥には沢山の子どもがいたのかも知れない。
 友人が、氷河期以来何万年も絶える事なく生きてきたなんて凄い動物だね、と感心していた。私は気候変化が少ない土の中で生息したからではないかと思った。
 (www.hakuyukai.or.jp/kawamura を検索して鳴き声を聞いたら、昨日、私達が聞いた鳴き声は低めだったので、どうやら警戒の時の声だった様だ)

 しばらく進むとユニ石狩岳の西側斜面が崩れてできたという「大崩れ」に来た。随分高い場所から沢に向かって崩れた岩がゴロゴロと折り重なっている所を、私達は注意しながら越えていった。乗ると動く浮き石もあったし、足をどの岩に乗せたら良いのか困る様な場所もあって、気が抜けなかった。

 やっと「大崩れ」を越して振り返ったら、樹木もなぎ倒されたために見通しが利くようになっていて、遠くに残雪を抱いたニセイカウシュッペ山、1878.9mが美しくそびえていた。(写真)

 谷に残雪が2カ所あった。ガイド氏は雪の厚みを確認し、安全な場所を選んでガイドしてくれた。所が、最後の人が、少し中央側に足を乗せたらしく、穴が空き、2m程下の沢に落ちるというトラブルがあった。怪我はなかったが、本人はショックだっただろうと気の毒だった。(写真)

 やがて規模の小さな岩崩れを越えて進むと、はい松とつつじ、クロウスゴの低木樹林の中に入って行った。先頭のガイド氏が、狭い登山道を塞いでいる枝をハサミで刈りながら進んでくれた。
  
 岩が積み上がった傾斜の緩い広場がある「十国峠」1576mでリュックを下ろして休憩した。
 その時初めて、眼前に聳え立つ山が私達の目指す「ユニ石狩岳」だと知らされた。凄い高さの美しい山だが、その急斜面に頂上に向かって伸びている登山道が見えた。(写真)

 ガイド氏から「もう一頑張りだよ」と言われて立ち上がり、一端50m程下ってから頂上を目指した。標高差200m以上の所を途中から私は列に付いて行く事ができず、休み休みゆっくりと登った。中程でリュックを道の端に下ろして、お握りと水だけ持ち、身軽になった。頂上近くの岩れきの所々に、短い夏を惜しむようにピンク色の花をつけたコマクサがへばりついていた。

 頂上は、涼しい風が吹く360度の大絶景だった。南西には2012.7mの独特な姿を見せる「二ペソツ山」、西には「1966mの石狩岳」「1932mの音更山」、北側には西端に北海道の最高峰「旭岳2290.3m」から連なる表大雪連峰が残雪を抱いた雄大な姿をはっきりと見せていた。
遥か東南方向には、阿寒の山々や「斜里岳」もうっすらと姿を見せていた。阿寒湖の上には真っ白く雲海が広がっていた。お握りを食べてから、写真を数枚撮って記念にした。(写真)

 結局、登り3時間、下り2時間半かかった登山だった。途中出逢った人は、登山に来た2人と、なきうさぎ園で観察しているらしい2人だけだった。
 バスでホテルに戻って新しい露天風呂に浸かり汗を流したら、ほとんど疲れは感じなかった。友達もそう言うので、「きっと登山用の筋肉ができたのかも知れないね。」と話した。

 旭川駅までバスに乗り、駅ホームに入っていた札幌行きのJRの特急に飛び乗った。来年はどんなコースに参加しようか、などと話しながら2時間で札幌に着いた。今回は天気と良いガイドに恵まれ、変化のある静かで素晴らしい山への登山だった。
 

 

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樽前山に登山

2007年07月24日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 今日は真夏日の晴天の下、ある登山グループの「樽前山登山」に参加した。
 「樽前山」は支笏湖の傍に位置する活火山である。
 直径が450m、高さ100mあるという黒色で荒々しい姿の溶岩ドームは、明治42年の大爆発でできたそうだ。今でも溶岩ドームの傍の噴気孔からは噴煙が立ち昇っている。数年前から火山活動が激しくなって以来、外輪山には行けるが、噴火口の内部への立ち入りは禁止され、ロープが張られている。また、去年9月に行った時には気づかなかったが、外輪山の一部には噴火を報せる観測装置も付けられていた。

 私達は今朝、車に分乗して出発し、7合目の駐車場(既に660mある)に車を止めた。そこが登山口である。土日は駐車場に入りきらない車が狭い道路の片側に長い列を作るのだが、今日は火曜日のまだ早い時間なので余裕があった。
 比較的新しい感じのトイレで用を済ませ、簡単な準備体操をしてから9時35分に登山を開始した。

 10分も昇ると支笏湖を見渡す展望台に到着。晴天なので、空の色を映した支笏湖が静寂な美しいたたずまいを見せていた。
 さらに少し昇ると、そこはもう樹林限界になり、ざらざらの火山礫の道になる。しかし、そんな道の脇の所々に樽前草(いわぶくろ)が薄いピンク色の花を咲かせ、千島桔梗が小さな薄紫の花を付けていた。花が終わった磯つつじやコメバツガザクラなども見たが、乾き切った火山礫の土にしがみついている様子だった。また、苫小牧方面にかけて広がる大原生林を一望できた。
 私達を追い越した若いカップルが、水の一本も何も持たずに身軽な格好で登って行ったのには驚いた。

 リーダーの指示でゆっくりと登ったが、1時間余りで西山方面と東山方面へ別れる外輪山の稜線分岐に着いた。風があり、良い気分だ。何時見ても溶岩ドームには威圧的で異様な印象を受け、地球の凄い営みの一つを見せつけられる。
 私達は、稜線分岐から「東山のピーク」(1023.8mとガイドブックにあるが、看板は違うようだ)へと更に一登りした。(写真)
 東山から見た支笏湖も幻想的な美しさを見せていた。(写真) 
 きちんとリュックをしょった別の若いカップルが楽しそうに昇って来たので、東山のピークで二人の写真を携帯で撮って上げた。

 私達はそこから外輪山の稜線を一度、西北側に下り、更に風不死岳の隣に位置する「932m峰」へ登った。(写真左端の山が「932m峰」、右の大きな山は「風不死岳」1102m、その背後に支笏湖が覗いている)
 私が「東山ピーク」からそのルートを辿るのは初めてだったが、頑張って百メートル位登っただけあって、「932m峰」から見る溶岩ドームを鳥の頭に見立てたら、東山ピークと西山ピークが、丁度広げた鳥の両翼の形に見えるのだ。その巨大な鳥の形は実に優美で、火山の爆発によって偶然にできたとはいえ、自然の造形美を感じされられた。(近すぎて一部分しか写真に納まらなかった) また、樽前山とは反対側の遥か遠くには、うっすらと「羊蹄山」「尻別岳」も臨むことができた。

 20分程めいめい好みの岩に腰掛けて、眼前の「樽前山」を眺めながら昼食を摂った。
 その時、8人の中高年女性と男性ガイドのグループが「932m峰」へ登って来た。どこから来たのか聞くと、「東京から今朝、来た」という。多分、千歳空港に着き、そこから近い「樽前山」に真っ直ぐ来て、登って来たのだろう。「涼しい山だ」と私達に言って急いで下りて行った。
 北海道は本州より緯度が高いため、1000mの山の植生や気温は本州の2000mの山に匹敵するそうだ。その良さを判って欲しいと思った。明日はどこの山に登る予定なのかを尋ねなかったのを残念に思った。

 下山は「風不死岳」へのルートを通った。この下山ルートの前半は細かな火山礫の急な道なので、私は杖を使って滑らないように注意しながら下りた。下の方に行くと黒っぽい溶岩流が冷えて固まり、大きな岩の様になった所も沢山あった。さらに下りると平坦な道路が長々と続き、疲れたためか登山口まで遠く感じた。
 
 登山開始から終了まで全部で4時間かかったが、休憩時間を除くと3時間ちょっと歩いた事になる。木が無いので日射しはとても強く、すっかり日焼けしたが、微風があったので登山中は快かった。

 途中、支笏湖の国民休暇村で温泉に入り、更衣した。この温泉の湯は薄茶色で肌がつるつるした。
 今回は私にとって、「932m峰」に登る新しい経験ができ、簡単に登れる活火山の魅力をさらに深めた登山となった。

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憧れの富良野岳登山

2007年07月08日 | 軽登山・登山・軽スポーツ

 昨年、「夕張岳」に登ったメンバーで今年は「富良野岳」に行く事にした。
 登山前日、友人の車に乗り合わせて、午後、札幌を出発し、夕方「富良野岳」の登山口にある十勝岳温泉Rホテルに着いて一泊した。
このホテル自体が一番高い1350mの所に建っているので、1912mの「富良野岳」頂上との標高差は662mになるのだ。
 日没前、座敷のまどから「三峰山」「十勝岳」の頂上を見ながら夕食を食べた。

 しばらくすると、「日没が素敵なので玄関先に出ては」と、ホテルより連絡が来た。食事を中断して出て見ると、既に30人程の宿泊客が浴衣姿でベンチに座っていた。徐々に沈む太陽を見ながら、ビールの影響もあってか皆さんはしゃいでいた。

 翌朝4時に起き、前日の夜、ホテルに作って貰ったお握りを食べ、玄関前で簡単なストレッチをしてから5時に登山を開始した。天気予報は晴れ。空気は冷たく爽やかで、風通しの良い場所では寒い位だった。

 登山開始後30分で、1857年(安政4年5月)の大噴火後、今も噴煙を上げている「安政火口」の60m位手前に着いた。安政火口の後ろ側は、茶色い土がむき出しになった荒々しい山肌が屏風のように切り立った崖状になっている。その頂上は「三峰山」という名が付けられているが、古い昔の噴火を思い起こさせる光景だった。(写真左、日が昇る前なので暗い)
下の数件のホテルは、この火口の傍から湧く温泉水をパイプで下に引いているのだという。温泉の湯は茶色で不透明、かなり温度が高かった。
 前に来た時には無かった溶岩流の監視カメラが左手の崖の上に設置されていた。

 安政火口を左に見て、涸れ沢のヌッカクシ富良野川(写真右、下山時に撮した)を対岸に渡ると、そこはもう「富良野岳」への登山道だ。

 

 岩だらけの道を登る事1時間程で、ハイマツが群生していた。さらにしばらく登ると、雌阿寒キンバイやエゾルリソウ、高嶺ナナカマドなどがぎっしりと咲くお花畑に着いた。
 そこから頂上までは、登山道の両側に短い夏を精一杯謳歌する様に咲き誇る名の知らない花々を楽しみ、写真も時々撮りながら登った。(写真)
急な道では息が切れそうになって休んだが、間もなく頂上に着いた。時計を見たら8時、私達は、丁度、3時間で登ったのだ。
 

 頂上の丸太で作られた「富良野岳」の標識は立派だった。早速、その横に立って記念写真を撮った。
 360度、何処を見ても息を飲むような素晴らしい大自然だ。
 南西方向はるか遠くに、去年登った「夕張岳」が霞んで見えた。

 反対側に頂上が尖って、山肌が茶色い山は「十勝岳」2077mだ。見ると時々、形を変えながら白い噴煙を噴き上げている。
 「十勝岳」は安政の噴火後も明治20年、大正15年、昭和37年、昭和63年と4回の噴火を繰り返した山だ。本によると大正15年(1926年)の大噴火では、最初の爆発とその40分後の爆発で発生した泥流が硫黄鉱山事務所を飲み込み、一気に谷を下って、25分で25km離れた下の上富良野原野に到達し、二つの町を埋めて144人が死亡、372棟の建物と多くの家畜や鳥を失ったと書かれている。
 「十勝岳」の向こうには「美瑛岳」2052m、さらに奥には「オプタテシケ山」2013mと続き、一番遠くに筋状に沢山の残雪を見せ、青白く浮かぶのが「トムラウシ山」「旭岳」などが連なる大雪連峰だ。(写真)



 あまり広くない頂上に、続々と登山者が登って来て、すぐに20人を超えた。山開き後の晴天の日曜日ということで、私達のような登山者が沢山来るのだ。
 頂上では友人が簡易コンロで湧かしてくれたお湯で、スープとコーヒーを頂き、簡単な食事をした。私はバナナと菓子パンを食べた。

 下りは、眼前に十勝岳、遠くに大雪連峰、足元に咲き誇る高山植物を見ながらのすごく贅沢なものだった。
 私と一人の友達が膝が弱いので、ゆっくり慎重に下ったら3時間かかった。下る途中、ツアーらしいグループやタンクトップ姿の外国人家族、小学生の子どもを連れた家族、単独登山者などとすれ違った。
 登山口に戻って時計を見たら、丁度12時だった。頂上での40分の休憩を入れて、往復7時間かかった事になる。

 泊まったホテルの温泉で汗を流し、上がる前に冷水を足に何度も掛けてほてった足を冷やした。こうすると翌日の筋肉痛が軽くて済むようなのだ。着替えてから昼食を食べた。

 「富良野岳」は、岩がごろごろしている気の抜けない道が続くが、見晴らしも高山植物も素晴らしい良い山だった。疲れの中にも充実感を感じながら札幌に向かった。着いたのは夕方だった。 

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藻岩山に登った

2007年06月05日 | 軽登山・登山・軽スポーツ


  今朝は何故か3時半に目が醒めたので、掃除、洗濯を済ましても、まだ6時半。明日は久し振りに雨の予報なので、急遽、札幌の南区にある「藻岩山」に登ることに決めた。
 急いで食事をして、簡単な準備をし、7時半に家を出た。
 
 「藻岩山」は標高が531mの山でスキー場があり、山頂までは年中、北側からのロープウエーが運行しているし、南側からは有料の観光道路も整備されている市民の山だ。

 登山道は北側の慈恵会病院からのコースが最も一般的で夏木立の中を登るのは気持ちが良いが、その少し西側にある旭山公園からのコースはアップダウンを楽しめる。また、西側にある小林峠からのコースでは、登山というよりも静かな原始林の中を散策する様な雰囲気の登山道がしばらく続き、途中で慈恵会コースに合流するのである。
 私は最近、最も時間を短縮して登れるスキー場コースを利用する事が多い。東側にあるスキー場の駐車場まで車で上がれるので、その分、結構、登りが楽なのだ。

 人通りのほとんど無いスキー場の入り口に差し掛かった時、リュックをしょって日焼けした顔で歩いている男性を見かけた。
 車を止めて、「上の駐車場に行くなら、どうぞ乗って下さい。」と声を掛けた。車なら5分でも、歩くと20分位はかかる、結構、きつい上りなのだ。
 その人はリタイア組の私と違って、まだ若く見えたので、駐車場で登山靴に履き替えながら、「ウイークデイに来られて良いですね。」と話し掛けた。すると、「自営業なので適当に暇ができると、3年前から登山をするようになりました。」という答えが返って来た。そうなのかと納得した。
 10分程一緒に登ったが、私とはスピードが違うので先に行って貰った。

 それから少し登ると鶯の透き通った鳴き声が聞こえだした。歓迎してくれているようで嬉しかった。
 そう言えば前に来た時には、この辺りで雉に出逢ったな、等と思い出しながらゆっくり登って行った。間もなく、前を歩いていた男性の姿が見えなくなった。
 
 7合目辺りに行くと、山菜を採っている人達に出逢った。ある夫婦は採ったばかりのわらびをレジ袋一杯持っていたし、大分伸びたウドを採っている人達もいた。山菜採りが好きな人は、一石二鳥の登山をしているのだろう。

 頂上まで上りは1時間かかった。さっきの人が私が着くのを待っていてくれた様で、10分位登山の話しをしてから別れた。彼はスキー場とは反対側の慈恵会病院へ下り、それからまた、1時間で登れる丸山に登ってから帰ると言っていた。やはり若いし、私とは気力が違うなと思った。
 まだ時間が早かったためか、霞がかかっていて、札幌の街も、遠くの山並みもぼんやりしていた。東側の山並みの向こうに見える残雪がある山は、多分1、488mの「余市岳」だ。(写真) このような景色は、頂上でしか見ることはできないと、登山をするといつも思う。



 45分かかって下山した。
 
 家に向かう途中、時々利用する回転寿司屋が見えて来た。寄って昼を食べるかどうか迷ったが、時計を見るとまだ11時過ぎだった。昼には早すぎると考えて素通りし、帰宅してから携帯食に持参した餡パン一つとチーズに、冷蔵庫の牛乳を加えて食事を取った。何と私は節約家なのだろうか。
 今日は、とても満足した午前中を過ごせたので嬉しい。
 
 
 

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