霜後桃源記  

安心、安全と美味しさへのこだわり
そんな「こだわりの農業ブログ」を毎日更新
主役の妻は生産部長、夫は営業部長兼雑用係

松島へ

2018-02-23 12:53:36 | 仲間

山形時代の仲間で恒例となっている「ユスリタカリの会」が松島で開催される。
3時集合、5時スタートなので間もなく出発しなければならない。

いずれも義理ではなく、年に一度の逢瀬を楽しみにしている「仲間の集い」。
今年はどんな話題で盛り上がるのか楽しみだ。



「木の根」の移動は、数日前から運搬車が二台となり進捗がよくなった。
それを踏まえ、当初予定していなかった「三ヵ所目」についても行うことにした。
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光の春

2018-02-22 23:10:02 | 天気

毎日新聞「余録」(2018.2.21)から

昨年亡くなった気象エッセイストの倉嶋厚(くらしま・あつし)さんが世に広めた言葉に「光の春」がある。
若いころ独学でロシア語を勉強した時に出合い、後にソ連を訪れた時に意味を知った「ベスナー・スベータ」の
日本語訳だ。

寒さは厳しいが、日一日と輝きを増す日差しにいち早く春を感じる2月である。その日脚の伸びは氷に閉ざされ
た高緯度地方ほど著しいという。「氷点下20度の北国でも、軒のつららから最初の水滴が日に輝いてポツンと
落ちます」

シベリアのマガダン州ではベスナー・スベータは2月15日から始まるそうで、日にちまで決まっている。これを
紹介した倉嶋さんのおかげで、光の春は日本でも気温上昇に先駆けて訪れる春を喜ぶ季題として重宝されるように
なった。

以下 略



我が家の「光の春」は初孫のチィチャン。
新米のバアチャンはチィチャンを抱いて「笑っても泣いても孫は可愛い」とご満悦。

(スマホは生産部長と一緒に札幌に行ってしまったので、娘がPCに写真を送ってくれている。)
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仲間からの便り

2018-02-21 19:48:10 | 仲間
 
仙台の運送会社社長のOさんから、三年連続で今年も「週刊ダイヤモンド」が送られて来た。
田舎町で暮らしていると気づくことがない「日本農業の行く末」を知る絶好のチャンスとなっている。



また、東京のSさんからは「里山資本主義」を読んだ感想がメールで送られて来た。
少し長文だが、その力作を本ブログでも紹介し「保存」することにした。

    「里山資本主義に思う」

藻谷浩介氏の本早速読ませて戴きました。
例によって図書は図書館で借りて読むと決めていますので、地元の図書館に予約しました。
人気のある本(芥川賞受賞作等)は、順番が回ってくるのに一年もかかる場合があります。「コンビニ人間」は
11か月かかってようやく借りることができました。実にウスッペラで買わなくて良かったと思える内容でした。

「里山資本主義」は、在庫も多く直ぐに借りることができたのは、地元の図書館も良い本はちゃんと揃えているなと
嬉しかったです。
「里山資本主義」の内容は納得です。これからのエネルギー事情を思えば、なんで政治家が動かないのかと怒りたく
なります。
事例として挙がっている中国山地に近い島根県に妹が夫の遺産の山林を管理しています。早速、本書を紹介したところ、
大変興味深く読んだとのことです。

50年程前になりますが周防大島も友人宅で3日間過ごしたことがあります。気候は温暖で素人の私でも釣果が素晴らしく
自分で釣った魚で酒宴というめったにない体験をしました。友人が隣家から借りてきたモーターボートで沿岸を飛ばした
のも最初で最後の良い体験でした。

オーストリアの事例も紹介されていましたね。海外は何回か行っていますが、オーストリアはとても好きな国です。
ウィーンには4回行っていますが、裏切られたことはありません。この国に行くといつでの癒される気がしますが、音楽や
絵画といった芸術のためかと思っていましたが、木材を環境に配慮しながらエネルギー源として活用しているのが底流に
あるのかと勝手に納得しています。

藻谷理論に感心しながら、これまでに縁のあった地域の登場により身近に感じられました。
「里山資本主義」で地方は復活すると思います。
しかしながら、これらの地方創生、地方復活の主張の際、「ムラシャカイ」という地元民以外を寄せ付けない慣習の存在に
ついては触れていません。
おそらく、古来から連綿と続いてきた「ムラシャカイ」は、簡単には消滅しないと思います。
それであれば、この「ムラシャカイ」をうまく活用した地方活性策はないものでしょうか。
「ムラシャカイ」の中にあって、「ムラシャカイ」の抵抗勢力の貴兄の考えを伺ってみたいものです。

◎「マチモノ」
私は70年前頃、6年間、東京都下南多摩郡というところに疎開の延長で住んでいました。その地は、現在では、ニュータウン
とか言われて住宅地として開発されていますが、当時は、田園風景豊かな地で、JRの駅までは徒歩60分、バスは一日3本程度と
NHKの連ドラ「ひよっこ」の舞台になったようなところでした。

ここで小学校に入学したのですが、土地っ子でないのは、私一人でした。学校は、分教場で教室は、カイコを飼っていた建物、
先生不足で1年生から3年生までが同じ教室というおおらかなところでした。
入学式の記念撮影では、私一人洋服(母があり合わせの布で作った簡素なもの)で後は全員が、絣のような着物姿でした。
この小学校のクラス会に50年振りに案内が来て出席してみました。私が覚えている顔は皆無でした。しかし、同級生は殆どが
私のことを覚えていました。
ここで初めて、私は、「マチモノ」と呼ばれで、“別扱い”になっていたことを知りました。学校では取り立てて仲の良い友達も
居なかったのですが、いじめにも遭いませんでした。
これはやはり“別扱い”だったのでしょうか。このクラス会には何の感慨も沸きませんでしたし、翌年は参加しましたが、その後
出席もしていません。

地元振興策を考える前に、閉鎖的な「むら体質」を考え直さないと人口増には結びつかないと思います。折角、Iターンまでして
移り住んだのに「まちもの」扱いで居心地が悪いのでは、子育てどころか、移住そのものが定着しません。移住者をお客様扱い
する必要は全くありません。普通に接して貰えれば良いだけですが、排他的慣習は無くならどころか、本音では、移住者を嫌って
いるように見えます。

私は、東京という町に生まれました。両親も東京生まれなので、いわゆる故郷というものがありません。東京の住人はその大多数が
上京してきた人で、東京人は、その人達をよそ者扱いにはしません。
何故って、良いことをするのも悪いことをするのもその人達で、その人達が東京を背負っているからです。東京人は、自分では何も
せず、その人達の活躍におぶさって生きているからです。この考え方は私の極めて個人的な考え方で偏見に満ちているとは思います
が、核心をついている部分もあると思っています。
 
◎「キタリモノ」
東京の清瀬市は、東京でも特異(地元人と転入者の区別が著しい)ところだそうです。地元人と行政の癒着が酷いとの告発本が出版さ
れています。この本の中で、転入者は、「キタリモノ」と呼ばれて区別されているそうです。

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お墓参り

2018-02-20 22:48:13 | 仲間

遅まきながら、高校一年の担任だった田村剛一先生の「お墓参り」に山田町まで出かけた。
亡くなられたことを知ったのは逝去された一ヶ月後だったので、恩師への弔辞の奉読は叶わなかった。

埼玉在住のSさんを含めクラスメイト四人でご自宅を訪問し、奥様から晩年の先生の様子や告別式模様等を
詳しく伺うことが出来た。





高齢の義母様を見送った後、僅か一ヶ月余りで「最愛の夫」を失い、奥様はかなりの衝撃を受け、未だに
そのショックから立ち直れずにいるようだった。

その後、ご自宅がお寺さんの直ぐ真ん前だったので、奥様がお墓まで案内してくれた。



一関から高速道路を使って片道約三時間を要したが、車中では情報量の豊富なMさんの「お話し」が尽きること
がなく、長くは感じられなかった。
高校時代は男と女が言葉を交わすことが少なかったので、当時の「思い出話し」は初耳が多く、特に経済的
負担能力が無い中での「ヤマ汽車通学等の苦労話し」は出色だった。

また、W君からは「貴君のブログを見て、いつも元気を貰っている」と嬉しい激励のメッセージを頂戴した。
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「木の根」の搬出作業

2018-02-19 22:07:29 | 穀物

林を畑に変えた時に取り除いた「木の根」の搬出作業は一カ所目を終え、道路沿いにある二カ所目に
移った。



バックホーの大きさに比べ運搬車が小さく効率が悪いが、途中の農道が狭いため「大型の運搬車は利用
出来ない」という事情があった。

それでも、今日からは距離が短くなったので運搬車が往復する回数も増え、それに連動してバックホーの
「待ち時間」も少なくなった。

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