本所で育った芥川に江戸のなまりのあるのは当然である。「ひ」と「し」が逆になる。
ひつこい(しつこい)、しっきりなし(ひっきりなし)、ひちりん(七輪)なんて小さい頃は下町、場末から通ってくる家に出入りの職人の老人の口からなつかしく聞いたものだ。地方や在の出身の落語家がいなかった頃だから、噺家もみんなこんな具合だった。
芥川も話し言葉では当然こうだったろう。あるいは全国共通の書生言葉で「しつこい」だったかもしれないが、小説のなかでは「ひつこい」調で押し通している。ま、文体と言うやつだ。そのころの小説で江戸育ちの、たとえば谷崎潤一郎はどうだったかな。記憶にないから「標準語」だったのだろう。あまり当時の江戸出身文士でも見かけないスタイルじゃないかな。
ひらかなの場合はいいのだが、これが漢字の場合はケアレスミスで当て字になる。「必外の松を眺める」、なんてのがある。音で書けばひつがい(つまり室外)の云々となるところだろう。
もっとも漢文の達人の芥川だ。「必外」に上記の文章にしっくりする意味があるのかもしれない。それなら新潮文庫は注記して出典を明らかにすべきだ。新潮文庫は大体が不必要な注が多すぎるが、必外が必然なら当然入れるべき注がない。
この文章は「秋」という短編にある。作品は婦人雑誌向けの中間小説みたいなものだ。おおかた、婦人公論か主婦の友にでも載せたものとおもって、最後をみると「中央公論」に掲載したものだ。ま、婦人公論も中央公論も同じようなものか。