初読で腹持ちのいい小説を読んでいるので、前回の一例としてあげよう。
水上勉「飢餓海峡」昭和37年。まだ途中だが腹応えがいい部類にはいる。
本人の後書きによると、推理仕立ての社会小説として読者に受け止められた、自分でも異存がないと書いている。
同じ後書きで「かなりの評家が、これを取り上げて、いろいろ感想を発表された。推理小説としての不手際についての論評だった。私は犯人を(最初に)出しておいたから、もう推理小説としては落第と思っていた」とあるが、どうかな。
犯人を最初に出して、犯行を描写して、警察なり私立探偵がそれを追求して行くという小説はかなりある。
それは推理小説とは言わないのかな。スリラー、サスペンス、ミステリー、探偵小説、ハードボイルド小説、警察小説、推理小説といろんな言葉が有るが、そういう分類にはまったく興味がない。
私としてはそんな分類は意味がないと思っている。私は一括して「犯罪小説」として読んでいる。ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」も犯罪小説だ。犯罪小説だって腹持ちが第一要件だ。
文章のうまい、下手はそうね、必要ないというのは乱暴だが、千ページをこすような小説で全編名文を求めるのは無理だろう。
飢餓海峡、60パーセントくらい読んだだけだが、長編だからだれるところもあるし、分かりにくいところも有る。いままでに気づいた点は、叙景の文章はうまくない。とくに前編は。いろんな土地の刑事が登場するが、誰が誰だか混乱する叙述だ。女が登場する場面は通俗小説の作家なのか分かりやすい。そのかわり、平板に流れるところが有る。
「推理小説として云々」だが、推理小説20則みたいな馬鹿馬鹿しい観点からするとスカスカの部分があるかもしれない。
とにかく、松本清張(これは昔何冊か読みましてね)よりかはるかに歯ごたえがある。当時こんな小説もあったのかと不明を恥じた次第である。
水上勉「飢餓海峡」昭和37年。まだ途中だが腹応えがいい部類にはいる。
本人の後書きによると、推理仕立ての社会小説として読者に受け止められた、自分でも異存がないと書いている。
同じ後書きで「かなりの評家が、これを取り上げて、いろいろ感想を発表された。推理小説としての不手際についての論評だった。私は犯人を(最初に)出しておいたから、もう推理小説としては落第と思っていた」とあるが、どうかな。
犯人を最初に出して、犯行を描写して、警察なり私立探偵がそれを追求して行くという小説はかなりある。
それは推理小説とは言わないのかな。スリラー、サスペンス、ミステリー、探偵小説、ハードボイルド小説、警察小説、推理小説といろんな言葉が有るが、そういう分類にはまったく興味がない。
私としてはそんな分類は意味がないと思っている。私は一括して「犯罪小説」として読んでいる。ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」も犯罪小説だ。犯罪小説だって腹持ちが第一要件だ。
文章のうまい、下手はそうね、必要ないというのは乱暴だが、千ページをこすような小説で全編名文を求めるのは無理だろう。
飢餓海峡、60パーセントくらい読んだだけだが、長編だからだれるところもあるし、分かりにくいところも有る。いままでに気づいた点は、叙景の文章はうまくない。とくに前編は。いろんな土地の刑事が登場するが、誰が誰だか混乱する叙述だ。女が登場する場面は通俗小説の作家なのか分かりやすい。そのかわり、平板に流れるところが有る。
「推理小説として云々」だが、推理小説20則みたいな馬鹿馬鹿しい観点からするとスカスカの部分があるかもしれない。
とにかく、松本清張(これは昔何冊か読みましてね)よりかはるかに歯ごたえがある。当時こんな小説もあったのかと不明を恥じた次第である。