穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

鐘が殺した

2015-08-08 14:06:56 | 本格ミステリー

ナイン・テイラーズのラストがいい。大きな音、特定の周波数の音が物を破壊し、人間を殺すことは古くから知られている。詳しく書くと一部からネタバレと声が飛びそうだから止めておくが。 

そう、貴族探偵は推理した訳だ。自分の体験に基づいて。すなわち水路工事(全編で叙述されていた)が完成したが、そのために古い水門が新しい水の流れで破壊されるのを工事関係者は考慮していなかった。

水門が破壊され、河が決壊して周囲の村は水の底に沈む。洪水の急を知らせるために教会の鐘が乱打される。現代で言えば防災無線だな。その最中にウィムジー(探偵)は密閉された塔の内部に入り、高音を発して塔をゆすり、轟音を発し続ける塔内で死に直面する。

ここから大晦日の鐘の演奏中にここに閉じ込められた男(ディーコン)は死亡したと推測するのである。この趣向も面白いがここに至るまでの数十ページの描写が巧みである。探偵小説とか謎解きということに関係なく、それ自体で迫力がありすばらしい。

途中だれる描写がある(それもかなり)のでAは無理だがBプラスに格付けされるだろう。

 

 


男グルメの山田詠美さんがウェルダンなんて

2015-08-08 12:35:48 | 芥川賞および直木賞

前回の芥川賞選評だが、山田詠美さんが「火花」をウェルダンだと書いている。いつから食事傾向がかわったのかな。もうお茶漬けさらさら沢庵ぼりぼりに嗜好が変わったのでしょうか。 

アンダーダンの間違いじゃないの。レアとか。もっとも、彼女が最初の入れこみ『一行一行にコストがかかっている』を褒めすぎたと気が付いて修正したのか

この作品は弄くり回してこちこちになっている所が有る。それは別の表現で前回触れたが、そう言う意味で焼過ぎてこちこちになった肉という意味で言ったのなら分かります。 

なかには相変わらず褒め言葉だと受け取る人もいるだろうから。

出版業界への義理もはたしたわけである。授賞前にこれほど売れていれば選評者が賞を企画した出版社の顔色をうかがうのは当然かも知れない。

滅茶苦茶売れている作家で出版社が拝み倒して書いてもらうような作家なら出版社の顔をうかがう必要もないが、そういう人はそもそも選評者になる暇なんてないからね。

言わずもがな:: ウェルダンにはよく出来ましたという意味もありますよ。以上の趣旨は山田氏は両義的に使ったのではないか、ということです。こんな断りを入れることはないのですが、どんな受け取り方をする人がいるか分からないのでね。

 


『一行一行にコストがかかっている』「火花」

2015-08-08 07:59:46 | 芥川賞および直木賞

今話題の芥川賞作品「火花」、昨日文藝春秋を買いました。選者のコメントと一緒に読むために雑誌の発売を待っていました。

何年か前に芥川賞作品の書評を何回かしましたが、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまったのですが、今回はニュース性のある作品が出て来たので取り上げようと。

大分前に書いたのですが、この書評ブログで取り上げる作品のカテゴリーは

1:センチメンタルジャーニータイプ、すなわち何十年前に読んだものを再読する気になった場合の書評

2:ニュース性の話題があるもの、最近のベストセラー、芥川賞等の受賞作

今回は久しぶりにタイプ2です。あまりこのカテゴリーの本は書評に取り上げる食指が動かないのですが、馬鹿売れしているので書評で取り上げると当ブログのアクセスも増えるのではないかとのスケベ根性がはたらくわけでございます。

例によって進行形書評であります。最初の2、30頁を読んだところでは、

1:スキャンダラスな作品ではない。

2:文章に力がない優等生的作品である(意外にも)。

ということでしょうか。

数年前に取り上げた時からの選評者も多いようですので、評者別に同意、不同意を見て行きましょう。

宮本輝氏:彼の評は前にも比較的同意出来る点が多かったが、「生硬な文学的表現の中に云々」とある。生硬とは言い得ている様に思います。ただ文学的表現かどうかは疑問です。文学的といわなくても小説的といったほうがいいのかも知れないが、なにか消化不良の聞きかじり的表現論が会話のなかに頻出するが、小説とはこういう生硬な理屈っぽい議論を別の表現でするものではありませんか。しかもこの種の記述が多すぎる。

山田詠美氏:この人の評はいずれの場合ももっとも適切だったという記憶がある。評言に感心して彼女の作品を読んだが、どうも感心しなかった。適切な評をするからといって作品のレベルと関係はしないようです。

芥川賞の授賞が決まった後で彼女が選考委員を代表して発表したニュースをテレビで見たが、「一行一行にコストがかかっている」と言っていた。非常に印象に残っていたのだが、文藝春秋に掲載された評ではこの部分は消えている。どうしてかな、言い過ぎたと反省したのか。掲載された評には失望した。

村上龍氏:これまでの評には感心したことがなかったが、今回はポイントをついている。「作者自身にも指摘できていない、無意識の領域からの、未分化の、奔流のような表現がない」。その通りでこれが火花の特徴であり欠点でしょう。

ようするに変に老成している。老人が俳句会でああでもない、こうでもないといじくりまわしているのに似ている。勿論推敲というのは大切だが、なんというか、生気が失われている。 

島田雅彦氏:言っていることはこの人にしては珍しく的を外していないが、「読み応えのある小説が一本仕上がることを又吉が証明した」とは言えないだろう。

ところで関西弁は文章で書くと肯定なのか否定なのかわからなくなるね、関西弁を知らない者には。

久しぶりに文藝春秋を買ったが活字が大きくなったのかな、また行間もゆとりができたみたいで目に優しくなったという印象である。