穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「Yの悲劇」続き

2015-08-14 15:39:52 | 本格ミステリー

Yの悲劇は格付けすればBプラスかな。娯楽読み物としてはベストテンの第一位だろう。細かいことをすこしつついてみると。 

俳優探偵が犯人を確認するためにおびき出して蔭から確認する場面があるが、犯人の描写がまったくない。背が高いとか、低いとか。男だとか女だとか。覆面をしていたか、顔を見たかとか。これを書かないのはあまりにも不自然である。記述トリックというにはあまりにも図々しすぎる。ま、お愛嬌であるが。

狂的、病的な一家全員の共通性の根源につても、きわめて文学的な描写しかない。医師のカルテを俳優探偵が調べる所があるが、老女主人だけがワッセルマン反応がたしか陽性であとは全部陰性。ワッセルマンを出しているのは梅毒を暗示しているのだろうが、血の根源である老婦人以外が全員陰性というのはどういうことか。狂気の原因を器質的な病原性のものにするよりか、別の物にした方が説得力があっただろう。

どこでだったか、犯人を『彼』と翻訳している。英語のHEは男女両方をさす場合があるようだが、日本語に翻訳する場合は工夫したほうがよい。

乱歩ベストテンも残るはアクロイド殺しか。あとベントレーの「トレント最後の事件」は翻訳が手に入らない。翻訳を元にしてこのシリーズはやる方針なのでこれは除外することになるだろう。もっとも創元社が復刻すれば別だが。

ベントレーの作品では短編集が一つ翻訳で手に入る。国書刊行会出版の「トレント乗り出す」だ。一応これを読んでみた。短編というのはどうも興味が持てないのだが、この本はなかなかいい。きっと長編も面白そうだ、と思わせる物があった。

 

 

 

 


「Yの悲劇」の総括的印象

2015-08-14 14:36:15 | 本格ミステリー

本格ものというと高踏的という風に取られているのではなかろうか。あるいはペダンティックなものという印象を持たれているのではないだろうか。だから、Yの悲劇は漫画的だという批評が非難としてなげかけられるのだろうか。

ハヤカワ文庫の解説は新保博久という人が書いているが、それによると該書を漫画的とけなす人がいるそうである。私はどこからそんな言葉が出てくるか理解できない。

あくまで比較の問題であるが、乱歩のベストテンのなかでいえば、本書がもっとも、なんというか、高級な文章といえる。全体的な印象と言う漠然とした基準ではなく、比喩、他書への言及についてもっとも嫌みがなく適切である(10書内の話)。

その人の文章能力の程度が容易かつはっきりと判断できるのは比喩のうまさであり、くどくない適切な(ひけらかしや嫌みを感じさせない)引用、言及である。文章上のセンスや能力はこの二つをみれば大体わかる。

小説はどのジャンルでもそうだろうが終わりが難しい。推理小説は終わり(エピローグ)が謎解きで説明的になるためかほとんどの作品で興味索漠、無味乾燥となる。本書は比較的その程度がすくない(読ませる)。ようするに工夫があり、それを実現する筆力がある。 

これは褒めたらいいのか、けなしたらいいのか難しい所があるが、いくつかの点でケチ或はコメントを付けたくなる所がある。それが推理小説の読み方の楽しさなのだろうが。

順不同で述べてみると、190頁あたりだったか、三重苦の女性が犯人の頬にふれて、肌が柔らかくてすべすべしている、そしてバニラの匂いがしたと証言する。私はここを読んですぐに犯人は少年であると予想した。しかし、この家に連続して発生した事件の第一被害者なんだね、この少年は。それでどう結末をつけるのかな、という興味をもった。或はこのヒント(証言)をどうひねって他の人物を犯人とするのか、興味をもった。

話はそれから延々300頁も続く。そしてやはり犯人は少年であった、という結論に至る。そこへの繋ぎ方というかな、そこの工夫が面白かった(この辺が漫画的と言うんだろうな、いかにもセンスのない批評であるが)。

素人探偵として耳の聞こえなくなったもとシェークスピア俳優が出てくるが、キャラは立っている。かれがデズニーランドみたいな自宅に住んでいるのだが、この辺もマンガチックとけちもつけられよう。しかし、この辺はマンガチックに描いた方がいいように私には思われる。