前々回のアップで倫理学というか宗教観というか、ヤスパースの哲学入門を読んだ印象ではリクールに似ていると書いた。この間書店で「カール・ヤスパースの実存哲学」なる翻訳書を見かけた。訳者によると共著だが主著者はリクールだという。そしてリクールはヤスパースの影響を受けてキャリアを始めたとある。
そんなわけで買ってみた。翻訳(つまり日本語)はかなりひどい。哲学書だから許されるという物でもなかろう。
最初の方にヘーゲルで体系的哲学は終わったと書いている。その通りだろうが、より正確にいうとヘーゲルの「論理学」で終焉したというべきだろう。ヘーゲルは著述(講義)活動は演繹的で初期の精神現象学、論理学でドーンと柱を立てて、あとは各分野に理屈を当てはめて行く訳だが、この過程で生まれたものは生彩がない。無理が有る。初期作品は明らかに西洋神秘思想、具体的に言えばヘルメス主義、錬金術思想から生まれた物であって、具体的、歴史的事象から「帰納」したものではない。(マギーは初期作品が生まれるまでのヘーゲルの生涯を「錬金術師の徒弟時代」と表現している)。それ以降の個別分野への思想の「あてはめ」には躍動感が欠ける。
ところでヤスパースだが、「実存開明」でしきりに「交わり」(実存間の)と書くので違和感(というか印象に残った)があったが、ヤスパースの先行者であるキルケゴールやニーチェは他者と交わらない例外者、単独者であったが、ヤスパースは単独者同士の「交わり」に目を付けたというのだな。なるほど。