岩波文庫でキルケゴールの「不安の概念」を眺めた。あまりキレの無い(洒落っけを感じさせない)おちゃらけの連続である。もう記憶がはっきりしないが、まえに同氏の「死に至る病」を眺めたときにはおちゃらけはあまり感じなかった。この著書だけなのかな。
この時のキルケの気分によるのか。あるいは「検閲対策」のために演じているのか。19世紀の前半のデンマークでは検閲は相当に厳しかっただろう。お茶らけていれば検閲官も危険思想の本とは思わないかもしれない。
一般に、私は専門家ではないが、検閲対策としては文章を分かりにくく韜晦する方法がある。カントやヘーゲルがそれである。あるいは匿名出版する。カントやヘーゲルにも若い時の著書には匿名のものがある。まだヘーゲルがフランス革命に酔っていた時のものである。
「不安の概念」をはじめキルケは匿名のものが多い。これは検閲対策のほかにも理由があったようであるが。
検閲対策には外国で匿名で出版するという手がある。スイスが検閲が緩かったらしくスイスでその種の出版が行われたようである。
全然傾向は違うが、キルケとならんで実存主義の淵源といわれるニーチェの著作は青少年にも人気があるほどわかりやすい。彼の著書のほとんどはスイスやイタリアで出版されたのではなかったか。それにキルケの50年ほど後のことで検閲も緩くなっていたのかもしれない。
以上寺男さん(キルケゴール)の「不安の概念」偶感である。キルケとは教会、ゴールとは庭というデンマーク語だという。日本語で言えば寺男ということだろう。日本にも寺内さんという姓があるが同じ系統だろう。キルケは祖父まで寺男だったが、父がデンマークに出て商人として成功、寺男ではまずいというのでeの一文字を入れたという。一昔前までは日本でもキェルケゴールと表記していたようだ。
ちなみにハイデガー家もドイツ寒村の寺男だったらしい。ある本では聖器具管理人と気取っていたが寺男のことだろう。子供の時にはしっこかったのを見て牧師が金を出して神学校に入れたそうである。