穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

72:人文系分科会

2021-06-30 11:34:34 | 小説みたいなもの

71:(1:ー12:再掲分)から続く。第五ミレニアム某年某月

前回の第一回会議で分科会の設置が決まった。多きく分けて人文系の視点から問題を検討する部会と自然科学の観点から検討することにした。しかし、その中間には曖昧な広大な領域が広がっており、適宜分科会のあり方を検討する余地を残した。

今風の言葉でいえば人文系であるが、ヘーゲルのいわゆる精神科学がそれにあたる。哲学から言語学、文化人類学、社会学、経済学、一部の心理学などである。人類学も一応この分野に入れられたのである。心理学や人類学は両分野の中間の曖昧領域に入るのかもしれない。

『通り魔』、言い換えると動機の把握出来ない犯罪はその後さらに拡大の一途をたどっていて、街をおちおち歩けない状態になっている。自動車を使った事件も急拡大しており、当局は乗用車、貨物トラックの運行に厳重な規制を加えざるを得なくなった。自転車は全面的に使用禁止になった。キックボードも使用を禁止された。これらはすべて通り魔の犯行手段に使われだしたからである。街には各交叉点ごとに関所が復活した。

公共交通機関も運航規模を大々的に縮小せざるを得なくなっている。実際経済活動は停止寸前の瀕死状態になっていた。

人文系総合分科会の座長は精神病理学者の乙がなり第一回会議が開かれた。乙は今日の晴れ舞台のために、とくに念入りに鋏をいれて刈りそろえ剃刀で仕上げをした装飾庭園風の不規則髭に手をやりながら司会を始めた。

「どうも手がつけられなくなりましたな。どんな具合に進めますかな」と一座を見渡した。

社会学者の白井権八が口火を切ったのである。

「特に日本がひどい。外国に比べてこの拡大の程度はけた違いだ。この差はなんだろうね。この辺から始めたらどうだろう」

確かに日本だけの現象ではないが、日本の状態は飛びぬけている。

「これは結局日本的な現象なのだろうか」

「そう決めつけるのはまだ早い。日本は流行の先端を切っているというだけかもしれない」と慎重な意見が出た。

星人側からは一人(一匹あるいは一尾)オブザーバーとして出席していたが意見を求められて慎重に答弁した。

「どこかが壊れたという意見が多い。どこが壊れたのか、どう壊れたのか、どうおかしくなったのか、ということははっきりと分からない」