このシリーズの最初で中公文庫の訳を覗いたと書いた。おこがましくも訳文の肌ざわりに疑念を呈した。先日岩波文庫の「情念論」を斜めに覗いた。岩波のほうは非常に丁寧な本づくりだと感じた。本づくりとは製本だとか、装丁だとか主として出版社の編集部の作業のことではない。この場合は訳者の知的作業のことである。
まず索引の出来がいい。各掲載後に原語を併記しているのは、多くの訳本でおろそかにしていることである。また訳注も行き届いているようだ。大抵の訳注は無意味で訳者の知識をひけらかすような物が多いが、そのような臭みもないようだ。それに、「内容一覧」というフレーズの索引と言うべきものまで作成している。日本語の訳文も中央文庫よりも癖がない。
索引で、フランス語から逆引きすると、passionという言葉があるが、訳語は受動、情念の二つの訳語がある。訳者が訳し分けているのは理由があるのであろう。索引のページを辿っていけばデカルトの考え方が分かるかもしれない。訳者がどういう考えで訳し分けたかも「推測」できるだろう。いずれにせよ、良心的索引があれば、更に先へと理解が進められる。
ここで疑問、ameを精神と訳しているが、ameの英語での最大公約数的訳語はまえにも書いたように、soulである。日本語では、たましい、こころ、霊魂である。つまり精神、理性、知性の下位概念である(普通は)。別の言い方をすれば、より動物的な機能である。ここのところはチョットひっかかる。「精神」と訳するのは、ちょっと気にかかる。
索引をながめただけで、色々考えが進むのは索引が優れているということである。索引だからと馬鹿にしたり、軽く見たりしてはいけない。