穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

カミユの「ペスト」どこが不条理なのか

2017-04-11 21:06:38 | カミユ

 この不条理というレッテルはだれが貼ったのか。カミユ自身が自作に付加価値を付けるために利用したのか。あるいは文芸評論家あたりがつけたのか。何時頃から言われる様になったのか。そういうことをきちんと解説には書いて欲しいね。

まさか日本の評論家が勝手に付けたのではあるまいね。ウィキペディアによるとフランス語でabsurdeであると書いてあるから彼の地で言われ始めたのだろう。英語ではabsurdである。これから分かる様にラテン語から来ている。

古代ローマのアウグスティヌスか誰かが「不条理の故に我信ず」と言ったとか。

辞書を見ると、常識に反した、理性に反する、不条理な(理屈に合わない)、馬鹿げた、おかしな、こっけいな、などの語釈が出ている。私なんか、absurdというと、まず馬鹿げたと理解するのだが。カミユの場合はどれなんだ。どうも不条理(理屈に合わない、あるいは、根拠がない)という意味らしいんだが、「ペスト」の何処が不条理なのか私には分からない。ペストが不条理なの、ペストに攻撃され封鎖された都市が不条理なのか。そんな馬鹿なことがあるか。

ペストという疾病はペスト菌というはっきりした原因がある。そしてある条件が整うと人間社会にも蔓延する自然現象である。どこが不条理なんだ。話は『異邦人』に飛ぶが、こちらの方は無理にこじつければ不条理がテーマと言えるか。ムルソーが何故アラビア人を殺したかと聞かれ、太陽のせいだ、と答えている。これは常識にかからない。精神的に健常者なら不条理だが、精神病患者にとってはそうではないかもしれない。

カフカの審判や変身が不条理文学だと言う説があるが、こちらの方はわかるんだけどね。

それにしてもこの新潮文庫の日本語訳はひどすぎる。宮崎嶺雄という人が訳者なんだが、日本語として意味をなさない箇所が毎ページ1、2カ所あるといっても過言ではない。翻訳が不条理であるというなら、諸手をあげて賛成する。それで思い出したことがあるのだが、この人はもう故人だが戦後創元社の社長をしたそうだ。昔フランス人の書いた「黄色い部屋の謎」(たしか創元社文庫)というミステリーを読んでひどい日本語だと思ったのを経歴を見て思い出した。

原文が小説としてどの程度のものかと判断するのは難しいが、テーマの違いはあるにせよ、異邦人より劣るようだ。文章にツヤはなく、叙述は平板である。多少盛り上がるところはあるが。どうもカミユは劣化型の作家のようである。大分前に一度ペストより後に書いた「転落と追放」だか「追放と転落」を読んだがこれも異邦人に及ばない。念のためにもう一度読んでみるつもりだ。

異邦人も良いのは第一部でね、第二部はどうもグレードが落ちる。

ところで冒頭にも疑問を呈した、彼の何処が不条理作家なのかという疑問を調べようと大型書店でカミユについての評論を探した。作品論は異邦人についてばかりだった。それ以外は友人や関係のあった人の回顧録とか伝記の類いだった。 

ペストは発表後大ベストセラーになり彼の欧州での作家の地位を確立したというし、ペストの発表後ノーベル文学賞を受賞している。前にも触れたが日本でも大分読まれている。こう言う作品に感心出来ないのは私の鑑賞力が低いのでしょうか。なにその通りだって。いや恐れ入りました。

 


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