カミュの哲学的能力はサルトルに揶揄されたようなレベルであるが、一応アルジェ大学の哲学士である。大学生の学部レベルであるから大したことは無いが、卒論は「キリスト教形而上学と新プラトン主義」であるそうだ。アウグスティヌスとプロティヌスとを通してキリスト教とヘレニズムの関係を考察したものであるという(新潮文庫 異邦人解説)。
学部レベルだからたいしたことはないが、それでも新潮文庫「転落」解説によると卒業論文執筆のために『新旧聖書は言うに及ばず膨大な資料を読破している』という。本当かどうか分からないので解説をそのまま引用した。
そのせいか、彼の小説のタイトルにヘレニズムというかグノーシス関係で特徴的に多用されるイメージ言語が見られるものがある。たとえば『異邦人』、『転落』や『追放』など。勿論これらの言葉は専門用語というよりも日常言語であるから当時の思想思潮とは関係なく使っているのかもしれない。
ま、そんなこともあって両書をあらためて拾い読みしてみた。『転落』はどうもピンと来なかった。『異邦人』のほうはどこかでつながっているところがあるようだ。勿論作者が換骨奪胎しているのであるから直接はつながらないようであるが。
主人公の行動や心理は別世界の機制で動いているところなど、グノーシスの完全な二元論を考えると理解しやすい。また、象徴的な意味でつかわれている『光』はグノーシス各派に通底する代表的なイメージである。「アラブの少年を射殺したのは太陽がまぶしかったから」というわけである。これは「不条理」と気取るより、ゾロアスター教やマニ教の思想に近い。
さて、この機会にカミュの再読性について:
異邦人: 三読可ただし第一部
ペスト: 再読可
最初の人間: 再読可と思われる。再読していないが。これは自伝的記述のルポルタージュ風というか、比較的抵抗なく再読できそうだ。
その他翻訳のあるものの中には再読したいと思うものはないようである。