後書きで訳者が「サスペンスタッチの語りにも定評がある」と書いているが、描写力もすぐれ、相対的にいえば相当の筆力がある。原作の筆力がすぐれていても翻訳者の能力でつまらなくなる場合もあるが、この訳文はなかなかいいようだ。ミステリー翻訳界ではなかなか得難い才能である。
全体で三部構成だが、一部、二部は無難に来て第三部で最初はどうかな、やはり「まとめ」で破綻するかなと危惧したのだが、、、
狭義のミステリーではもちろんのこと、本書のような謎追いを物語の推進エンジンとしている犯人追い(マンハントじゃないウーマンハント)分野でも対読者のフェアネス(公正さ)が問題となることがある。第一部第二部では気にならなかった、つまり大体許容範囲だと読んでいたが、第三部でこれはどうかな、と思ったが、読み終わると杞憂だった(?)ようである。
第二部でアレックスが自殺する場面の描写があるが、第三部で警察の追求が他殺の線で行われ、おいおい、という感じであった。そして締めくくりは他殺で警察が処理する所で終わる。
で、上に述べてフェアネスの点だが、どうも自殺場面と違うな、と読み返したらうまくヒントがばらまいてある。たとえば、保存していた一本の頭髪を床に落とす所とか、ウィスキーのボトルを下着でくるんで持つところなどである。
つまり、アレックスが恨んでいる兄を他殺犯人に仕立てあげる細工をしたのだ、と読める。しかし警察はその筋書きを信じて兄を逮捕する。
これは趣向だね。新機軸だろう。ほかにも例があるかどうか。この種の小説はかならず警察とか探偵が真犯人を捉えて勧善懲悪が実現するのだが、その定石をふんでいない。しかも、小説で読んだことを記憶しているか、読み返して確認すれば誤認逮捕であるということが分かる様にしてある。おまけに予審判事に「大切なのは真実ではなくて正義だ」としびれるようなセリフを言わせている。大人のミステリーかな。現実にはどこの国の司法でも同種の事例があるような気がする。
さいごに、非情に、非常にかな、細かいことを、、377頁から378頁へ繋がらないようです。翻訳、編集、校正段階で数頁すっ飛ばしているのではありませんか。それともこちらの読解力の足りなさかしら。
377頁はトマの聴取、378頁はルロワの聴取では??