穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

五漱石つれづれ

2011-06-04 20:19:30 | 書評

それから漱石徒然はどうなったかって。だから『それから』さ。これから始める。

この本は中学の時読んだね。朝起きたら枕元に椿の花が落ちてたという描写、何とも言えないね。その印象で覚えていた。今回最後まで読んだが中学の時は途中で投げ出したようだ。

漱石が椿を選んだのは意味があるのかな。椿はどさりと厚い花びらが落ちるさまが首をはなられたことを連想すると言うので武家では不吉な花とされていたらしいが、その後の代助を象徴しているのかな。それともそんなことは全然考えていなかったのか。

最初の大助はまるでユイスマンのさかしまのあれは、デゼッサントか、を想起させる。人工的に感覚が不自然に鋭敏になる、文明社会の遊民というやつだ。ただし、デゼッサントは自前の資産家で好きなように出来るが、大助(代理が出ないのでこれですます)は親のすねをかじりながらのものだ。だから後で親父から首を刎ねられてしまう(こずかいが出なくなる)。

後半は豚のしっぽを切って馬の尻につけたみたいでちぐはぐだ。あっと驚く純愛物語。こころもそうだったが、こういうところがどうも違和感を感じるところだ。

しかし、メロドラマとして前半と切り離してみれば、漱石は相当の手腕を発揮している。