穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ドスト「白痴」は喜劇である、ドン・キホーテが喜劇であるという意味において

2013-06-30 09:07:02 | 書評
「無条件に美しい人間」、「完全に美しい人間」、『キリストのような人間(?キリストは人間だったかな)」を描くのがこの小説の目的であるとは、前金を要求する時にドストが揚言した言葉である。言ってみれば出版業者が考えだす帯のコピーのようなものである。

ことはそれほど単純ではない。また、そのような少女小説のようなテーマで無慮1400ページ(新潮文庫)の長編小説が書ける者でもない。

ドストエフスキーはセルバンテスのドンキホーテを好んだというが(バプチンの言葉だったか)、構造的にはドンキホーテに類似する。ドンキホーテが純粋悲劇という人はいないだろう。滑稽小説、ある程度当たっている。同じように『白痴』は悲劇であり、喜劇(滑稽小説)である。

第一編でアグラーヤがムイシュキンの前で朗読するプーシキンの詩「哀れな騎士」は白痴の底流を流れるテーマを象徴している。明らかにドンキホーテ=ムイシュキンとアグラーヤの直感は告げているのである。正確に言えばドストは彼女の口から全編のトーンを語らせているのである。