市内中心部に近い國清寺門前から、三蟠軽便鉄道の廃線跡を辿ろうと
歩いて来た。しかし開業から100年を越え、廃線からも90年を過ぎた今、
開発の著しい旭東や岡南地区で、当時の痕跡を見付けるのは最早困難と
思い知らされた。
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所々に僅かながら、それらしき形状の道路を見ることはあっても、廃
線跡との確証が取れない。川岸に橋台跡らしきものを見付けても同様だ。
駅跡も、距離から割り出してこの辺りと推測するだけである。
今や「幻の鉄道」と言われる鉄道である、痕跡の見極めなど尚更だ。
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今日唯一と言って良い遺構として残るのは、当時の三蟠駅舎である。
一時期、バスの待合所に利用されていたらしいが、今は釣具店に変わり、
傍らに三蟠鉄道資料館を併設し残されている。
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元々は、桜橋駅舎として使われていたもので、廃線と同時にここに移
築され、二代目終着駅となったもので、築百年を超えているという。
建物の裏側には、僅かながら記念のモニュメントも設けられている。
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長年水深に悩まされてきた旭川だが、市内各地で開発が進むと、コン
クリートと共に、砂利の需要が高まり、川床が注目されるようになる。
結果砂利採取で浚渫が進み、水深の浅い旭川も小型内燃機関を搭載した
船舶の運行が可能となり舟運が盛り返す。
すると京橋港の外港としての三蟠港の必要性は急速に低下す事になる。
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加えてバスの台頭で乗客を奪われ営業成績は悪化、追い打ちのように
都市計画道路に軌道敷の売却を余儀なくされるに到る。
結果、鉄道は昭和6(1931)年6月28日、僅か16年にも満たない短命で、
無念の内に営業を終えるが、それは予告も無い、突然の事だったそうだ。(続)
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間もなく「東海道歩き旅・近江の国編」が始まります。
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歩いて来た。しかし開業から100年を越え、廃線からも90年を過ぎた今、
開発の著しい旭東や岡南地区で、当時の痕跡を見付けるのは最早困難と
思い知らされた。
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所々に僅かながら、それらしき形状の道路を見ることはあっても、廃
線跡との確証が取れない。川岸に橋台跡らしきものを見付けても同様だ。
駅跡も、距離から割り出してこの辺りと推測するだけである。
今や「幻の鉄道」と言われる鉄道である、痕跡の見極めなど尚更だ。
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今日唯一と言って良い遺構として残るのは、当時の三蟠駅舎である。
一時期、バスの待合所に利用されていたらしいが、今は釣具店に変わり、
傍らに三蟠鉄道資料館を併設し残されている。
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元々は、桜橋駅舎として使われていたもので、廃線と同時にここに移
築され、二代目終着駅となったもので、築百年を超えているという。
建物の裏側には、僅かながら記念のモニュメントも設けられている。
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長年水深に悩まされてきた旭川だが、市内各地で開発が進むと、コン
クリートと共に、砂利の需要が高まり、川床が注目されるようになる。
結果砂利採取で浚渫が進み、水深の浅い旭川も小型内燃機関を搭載した
船舶の運行が可能となり舟運が盛り返す。
すると京橋港の外港としての三蟠港の必要性は急速に低下す事になる。
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加えてバスの台頭で乗客を奪われ営業成績は悪化、追い打ちのように
都市計画道路に軌道敷の売却を余儀なくされるに到る。
結果、鉄道は昭和6(1931)年6月28日、僅か16年にも満たない短命で、
無念の内に営業を終えるが、それは予告も無い、突然の事だったそうだ。(続)
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間もなく「東海道歩き旅・近江の国編」が始まります。
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