簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

馬頭観世音(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-04-22 | Weblog

 所々で視界が開けると三島の町が遠望できるようになる。
天下の険、箱根八里の難所ももう少しで超えることが出来る。
気は急くが勾配のきつい下り坂の連続では急ぐわけにはいかない。



 途中三ツ谷集落の松雲寺は、上洛の大名や江戸参府の朝鮮通信使などの休憩
場所として使われた「寺本陣」と呼ばれた寺だ。明治に入ると、全国を巡られ
た明治天皇が東京への帰途、小休止された所としても知られている。





 所々で新道を歩きながら、思い出したように旧道に入り、更に小時雨坂、
大時雨坂を下ると題目坂の畑の中に、六地蔵が祭られていた。なぜか13
体のお地蔵様だ。
赤い毛糸の帽子をかぶり、赤い前垂れが愛くるしいお姿のお地蔵さんで、
ホット一息つける場所でもあった。



 その先で鋪装道を外れ、臼転坂に入る。
牛が道で転がったとか、臼を転がして運んだためとか、その名の謂われが伝え
られている坂で、鬱そうと木立の茂る中に続く草深い道である。
陰湿な雰囲気の峠付近、こんもりとした丘の袂に馬頭観世音が祀られていた。



 徳川家康による伝馬制が成り、街道には人や荷を運ぶ手段とし馬が行き交う
ようになると、当然馬に纏わる事故も増えてくる。中には急死する馬もいたこ
とであろう。長年連れ添った相棒である愛馬の供養として建てられた石碑だと、
勝手に想像を膨らませながらそっと手を合わす。



 峠を越え、石畳のそんな坂を下り切ると国道1号線との合流地点に、大きな
自然石による「箱根路の碑」が立っている。
山を登るものには箱根路を、下るものにはそれが終わり、三島の宿場が近づい
てことが実感できる場所である。(続)




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