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東海道を整備した江戸幕府であったが、当初は道そのものの整備まで手が
回らず、雨や雪の後は大変な悪路となり、ぬかるむ泥道に旅人は泣かされて
いたと言う。
特にこの辺りは火山ローム層と言う特殊な地層で相当なものであったらしい。
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そんな悪路解消の対策として当初は竹を伐採し敷き詰めていたと言われてい
るから、この辺りなら、この「ハコネダケ」を刈って束ねたものを敷き詰めて
いたらしい。
そういえば生麦あたりの街道では要人の通行時には、麦の穂を刈り取って敷き
詰めていたらしく、それが地名の謂れになったと言う話を地元の人から聞いた。
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しかしこれらの作業は毎年行う必要があり、その竹の調達は莫大な費用と労
力を強いられるため、幕府は石畳道への改修に踏み切ったのだそうだ。
当時としては最高の技術による舗装道路と言う訳だ。
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街道に石を敷き詰めると同時に、石畳の上を流れてきた雨水を石畳の外側に
設けた縦の排水路に追い出し石畳を保護する工夫もされていたと言い、一部で
はその遺構も残されている。しかしその一方では、石畳の表面はあえて凹凸を
つけ歩きにくくしていたとも言われている。実際歩いて見ると滑る所もあり、
捻挫の恐れや最悪膝を痛めてしまうほどに相当歩き難いことは確かである。
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これはあえて歩き難くすることで、一朝有事の際、幕府お膝元の江戸に大勢
の兵士が一気に又容易に攻め込んでこられないようにする意図もあったらしい。
東海道は多くの庶民が行き来する公道では有ったが、幕府にとっては戦力的な
要路で有るには変わりなかったようだ。(続)
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