国道から離れ旧道に入り込むと、その分岐辺りに「石薬師宿」と刻ま
れた石柱が置かれていて、ここが江戸方の入口である。
旅人の安全を願い立てられた延命地蔵堂があり、「これより南 信綱か
るた道」と書かれた札が立てられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/1a/ef8419c71f63846d54b1e409670fbb45.jpg)
これは当地で生まれた歌人・佐々木信綱に因んだもので、街道筋1.8㎞
の間に、50首の短歌を掲示していると伝えるものだ。
ここには生家や「佐々木信綱記念館」、「佐々木信綱資料館」、寄贈に
より設けられたという「石薬師文庫」等所縁の施設が整備されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/9b/05026e33950ec3d623e33cbe6f9962e3.jpg)
信綱は明治から大正、昭和に渡り歌人、歌学者として、又万葉集の研
究に当った人物で、幸綱は彼の孫にあたる。
建物の右手には、昭和40年に地元の人達で行なわれた「信綱死後2年祭」
の折り建てられた記念碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/d0/2ce75f82aa02e1ea6bad739fedc582b3.jpg)
「これのふぐら良き文庫たれ 故郷のさと人のために若人のために」
石薬師文庫を贈るにあたり、信綱が詠んだ歌である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/81/69a20de1a2c54f8019992f06466c403d.jpg)
石薬師文庫の左側にある連子格子の二階建ての家が信綱の生家である。
信綱は一家が松坂に移住するまでの幼少期をこの家で過ごした。
生家の前には信綱の歌碑があり、その隣には佐佐木信綱資料館がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d0/3d2b9b6f0a4806bdfe42b0e495fea5cc.jpg)
又宿の中程には、「天野記念館」と書かれた小さな民家がある。
説明板によると、タイムレコーダー製造会社の創業者である天野修一氏
寄贈とある。
天野は当時の石薬師村で明治23(1890)年に生まれた実業家で、稀代
の発明家とも言われた人物だそうだ。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/93/77cabecde8c2b7cb2527a9ebd1549f69.jpg)
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