まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

爺様の入院生活

2009-09-03 | 事件簿
今回の怪我で、いちばん被害をこうむっているのは母だと思う。

父は初日から、ペンキを被って真っ黒になって、部屋の人たちに笑いを提供するのみならず、毎日見舞いに来る人にも、なんだかんだと笑わせる。

見舞いに行くと必ず父の声が廊下に漏れてくる。
自分は寝たまま、病室の人たちが父のベットを囲んで談笑している。
寝落語かい。
顔を出すと、「しゃべりすぎるな。しゃべり過ぎると品がなくなるぞ」と、上品なわたしに向かって、しゃべりっぱなしの父は言う。

おまけに、今日は血圧があがったことを人のせいにしていた。
「友達が来て2時間もつまらん話をしていったので血圧があがった」
といい、自分の素行に対して反省もない。
父のせいでみんなの血圧があがったり、母の疲労が溜まったりしていることを説明すると、聞こえないふりをする。
おしゃべりで、耳の遠い年寄りは難儀する。
自分のことを大声でしゃべり、自身で受けて笑い、人の話には耳を傾けない。
聞こえないので、傾ける努力はしているが、たいがい自分勝手な解釈をしている。

母は、病院までの足がなく私が会社へ行くときに送っていくと、今度は帰りに買い物をするために腰が痛いため歩くのが辛いらしい。
自転車だと身体を支えて引いたり、ゆっくり乗ったりしていると楽だと言う。
しかし、自転車も心配だ。

自力で起きてトイレへ行けるようになったので、母もしばらく行くのを控えてもよいのではというが、母も通うことが義務のようで、頑張っている。
やはり、どちらかというと母のほうが心配だ。