まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

一献

2017-03-06 | 暮らし

漢字を丁寧に使い分ける人に感心する。先日、バクモン学問で広辞苑をつくることを取材していた。

漢字は、多くの人が間違えると、間違いのほうを採用するのだそうだ。例えば「独壇場(どくだんじょう)」は、もともと「独擅場(どくせんじょう)」だったそうだ。擅(せん)は、手へんである。それが、読み違えて土へんの壇で、独り舞台の意味にひかれて、独壇場(どくだんじょう)となったらしい。

多くの人が間違った方向へ行ったら、それが正しくなってしまうというのも腑に落ちない話だが、文字は気持ちを伝えるためにあるのだから、それが正しいとか間違いというものではなく、自分の気持ちが正しく伝わることのほうが大切だ。殿がくずし字で「新潟」と、書いてあったのを「この新潟の潟の字がおかしい。」と、指摘したら「新潟って読んだんならそれでいいやろ。」と、言っていたことを思い出した。子供たちは、漢字のハライやハネを気にして書いていた。習字では美しさを求められるが、伝達の時はハライもトメもハネもどうでもよくなる。

仕事で、取引先の社長が「是非、ご一献を。。」と、言われた時、ピンとこなかった。「呑みにいこーー。」とかは言うけれど。「イッコン?」サンコンなら知ってるけど・・オスマン・サンコン・・。そっか、呑むことね。と、一瞬反応が遅れた。さて、酒を呑むのは「飲む」ではなくて、「呑む」と、書きたい。

一献となると、生ビールで乾杯という感じではない。燗酒であろう。冷や酒は常温で冷酒ではない。これも難しい。「れいしゅ」と「ひやざけ」は、違う。燗酒はぬるいほうから「日向燗」「人肌燗」「ぬる燗」「上燗」「熱燗」「飛び切り燗」と、言うらしい。

さて、会社も辞めたし、ご一献と言ってくれる人はもういなくなって、女友達とワインなど「のものも」と、なると、もう漢字ではない。なんか軽いなあ。


金山

2017-03-06 | 暮らし

名古屋の大会の為に、加賀の弓仲間Mさんと金山のホテルに泊まった。午後1時半に着いて4時からの会議に間に合うように昼食をとって、笠寺のガイシスポーツセンター弓道場へ向かうことにした。

ずっと前に、女子講習会でみーさんの車で来て以来だ。あの時は、高速と普通の道路が平行にあるので、ナビの案内がおかしくて変な路地に迷い込んだことを思い出した。

電車は楽である。でも、どこ行きに乗るのか?どの出口から出るのか?を、調べておかないと、金沢や加賀温泉のようなわけにはいかない。今までは旅行社の殿に全部任せていた。いつも、わたしが現地に到着しないのではないかと心配していた。きちんと調べても乗り過ごしたりするからだ。今回は、Mさんにお任せ。

代表者会議に県から2名出席しなくてはならない。たぶん、競技上の注意とか進行の注意を聞かされるのだろうと思っていた。監督会議のようなものにMさんを巻き添えにするために、ホテルと電車の切符の手配をしたので、Mさんは断り切れなかったと思う。でも、女ふたりの旅は意外と面白いのだ。

金山駅前のベトナム料理で鶏フォーと混ぜご飯の定食を食べていざ出陣。これで、2分の1量というが多くみえる。

とにかく、会議は不思議な展開で終わった。何はともあれ夜の部に切り替えよう。

とりあえず金山まで戻って夕食をとることにした。金山は想像より大きい駅だった。笠寺は普通しか止まらない。金山で、快速、新快速、超快速というのがあることを知る。電車で出かけないと、分からないなあ。みんなで東京へ行った時も「お上りさんみたいやね。」と、誰かが言って「みたいではなく、完全にお上りさんですね。」だった。

電車の旅はいいものだけど、弓を持っていると他のお客様にも迷惑をかける。エレベーターでは、上にぶつけそうになる。おもわず自分も頭を下げていた。わたしの頭がぶつかる筈はないのに、弓と身体が一体である。道場内ではバラバラになるのに。席に着くとすぐに、弓を網棚に上げるが、前後の方が旅行鞄をゴンと載せるとドキッとする。誰も荷物を上げないことを確認したり、時折「なぎなたですか?」との問いにも答えなくてはならない。「弓ですか?」なら、「はい。」と、言ってにっこり笑って終わるが。「いいえ、弓です。」と、答えるのは無口なわたしたちにとって辛いのだ。ごめんなさい。長くて。と、いう言葉を添えなくてはならない。

「名古屋コーチンで飲もう。」と、いうことで、炭火焼きの店で生ビールを飲み始めた。名古屋コーチンを頼んだら1本しか皿に載っていない。1本340円。この後、牛タンを頼んだ。

締めに、いぶりがっこのクリームチーズ添えを食べた。これが香ばしくておいしかった。もっと食べたいというところで終わってしまう。いぶりがっこは、薄く切る方が美味しいのだと隣の席のおじさんたちが言っていた。

この時、わたしたちは、翌日どんな展開になるか予想もしなかった。漠然と少数精鋭という言葉があることを会議中思い浮かべていたが、思い描いたストーリー通りにいかないことも長年の経験で知っていた。