漢字を丁寧に使い分ける人に感心する。先日、バクモン学問で広辞苑をつくることを取材していた。
漢字は、多くの人が間違えると、間違いのほうを採用するのだそうだ。例えば「独壇場(どくだんじょう)」は、もともと「独擅場(どくせんじょう)」だったそうだ。擅(せん)は、手へんである。それが、読み違えて土へんの壇で、独り舞台の意味にひかれて、独壇場(どくだんじょう)となったらしい。
多くの人が間違った方向へ行ったら、それが正しくなってしまうというのも腑に落ちない話だが、文字は気持ちを伝えるためにあるのだから、それが正しいとか間違いというものではなく、自分の気持ちが正しく伝わることのほうが大切だ。殿がくずし字で「新潟」と、書いてあったのを「この新潟の潟の字がおかしい。」と、指摘したら「新潟って読んだんならそれでいいやろ。」と、言っていたことを思い出した。子供たちは、漢字のハライやハネを気にして書いていた。習字では美しさを求められるが、伝達の時はハライもトメもハネもどうでもよくなる。
仕事で、取引先の社長が「是非、ご一献を。。」と、言われた時、ピンとこなかった。「呑みにいこーー。」とかは言うけれど。「イッコン?」サンコンなら知ってるけど・・オスマン・サンコン・・。そっか、呑むことね。と、一瞬反応が遅れた。さて、酒を呑むのは「飲む」ではなくて、「呑む」と、書きたい。
一献となると、生ビールで乾杯という感じではない。燗酒であろう。冷や酒は常温で冷酒ではない。これも難しい。「れいしゅ」と「ひやざけ」は、違う。燗酒はぬるいほうから「日向燗」「人肌燗」「ぬる燗」「上燗」「熱燗」「飛び切り燗」と、言うらしい。
さて、会社も辞めたし、ご一献と言ってくれる人はもういなくなって、女友達とワインなど「のものも」と、なると、もう漢字ではない。なんか軽いなあ。