まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

失敗を認めてこそ

2023-03-06 | 弓道
AI研究者黒川伊保子氏は、失敗を認め落ち込むところから脳が成長するんですよとおっしゃる。
昔から「失敗は成功の母」という。使い古した言葉のように言われるが、いつも言われるほど、皆が心に思うことだ。
失敗を認めることこそが、次の成功に近づくことだと思うのだ。
過日、JAXAでH3のロケットの打ち上げに失敗したことを、打ち上げを中止したと表現した。
往生際の悪い人だなと思ってしまった。
それに対してニュースでは神経を使って報道していたのが不自然だった。
「ロケットは打ちあがりませんでした」と、表現していた。
打上げを予定していて打ち上げられなかったことは失敗ではないか。

的に中てようとして中らなかった時、「矢が的に中りませんでした」
わたしはちゃんと引いたのですが、何らかの理由があって・・云々というような人はいない。
例え矢が曲がっていても、それに気づかず引いた自分が悪いのだ。
失敗を認めないと次へは行けないよ。と、思うのだが、この方たちは「わたしたち失敗しないので」なのだろう。
多くの人は、成功しますようにと祈っている。
さぞかし関係者は力落としのことだろうと心痛めていたのに、失敗ではありませんと言い切られたら、心を寄せた気持ちのやり場がない。

弓道は中らなかった時に×という判定が下され、稽古でも自然と×判定が自分の脳に出て、あぁというため息と、反省点は何かと考え工夫を凝らし、あるいは、仲間に看てもらうことで気づかなかったことを知ろうと努力する。
決して「外れたけど素晴らしい気持ちだ」とは言わない。
外れの理由を探る。押手を離れ際に振り込んだかも。
いつも通りに引いたけど全部後ろに行ってしまって、狙いが甘かったのは顔向きだろうか、朝の寝違いの影響か?
的に外れたうえに的外れな見解を下すこともあるが、失敗は認めてこそ次に中てようと希望があふれるのだ。

しかし、どうか成功しますように。


早春賦の「あやにく」の語源

2023-03-06 | 暮らし
早春賦は立春の歌だそうだが、何となく春が来る頃に口ずさみたくなるような唱歌である。
とはいえ歌詞は古めかしく、今どきの子供たちは歌わないのでは?
それでも、安曇野の立春の頃を想像すると、何とも言えず切ないような忙しないこの頃に聴くと、心和む気がする。

さて、その歌詞の2番

氷解け去り 葦は角(つの)ぐむ
(氷は解け去り、葦は芽が膨らんでいます)
さては時ぞと思う あやにく
(さあその時だと思うけれど あいにく)

この「あやにく」が、分からなかった。
たまたま新潮文庫の「語源の快楽」(萩谷朴著)いう本があって読み解くと、
元来はアイニクという言葉は「アヤニク」と、言ったらしい。
此奴(コヤツ)がコイツに変わるように、ヤからイへ転化した。
日本書紀に「咄嗟」と書いて、アヤと読ませ、アヤ・ニク・シの語幹である。

要するに「なんて間が悪いんでしょう」なのである。
生憎と書く。
くれぐれも「なまにく」と、読んではいけない。
消化不良を起こしてしまう。
それにしても、若い子たちにはこの手の古い歌は唱歌不良となるのかなあ。