二の丸のまま止まっている錦城山。
再び歩き出すが、ここで「戸次丸(べっきまる)」と、西丸の分岐で、戸次丸へは行かず、西丸へ向かう。
きれいに整備されていて
大きな樅木がある。昔「樅ノ木は残った」という大河ドラマがあったが、本当に樅木は残ったのだ。ドラマは山本周五郎の作で、「仙台藩伊達家」で、起こったお家騒動をもとにしている。
この錦城山では、戦国末期から関ヶ原の合戦の前哨戦として、戦いは繰り広げられた。ここでも、樅木は残ったのだ。
百両(カラタチバナ)
三の丸
三の丸を通過し、空堀を通過し、西の丸へ。
局谷(つぼねだに)は、本丸と鐘が丸との間にある。大聖寺城落城際、局たちが本丸から身を投げてなくなったと言われ、かんざしを挿した蛇となって現れたという。
「骨が谷」は、鐘が丸を攻められ激戦となり、多数の遺体が骨になるまで放置されていた谷である。
錦城小学校に通っていた私たちは、錦城山に亡霊が出ると言われていた。
この話を聞いただけで出るだろう‥と思う。思わず手を合わせる。
鐘が丸に向かう。
アスレチックがある。鐘が丸の櫓があったであろうところ。
東丸跡から白山が見える。竹が伸びて少し残念だが、ここからの展望が良い。
深田久弥の「日本百名山」の「白山」の一節が刻まれている。
富士写ケ岳の頂上は、大聖寺から見ると双耳峰であることが良く分かる。
私の町からは、富士山のような形である。
東丸から下りると駐車場である。
下山の階段は高い山も低い山も気を付けて。
駐車場から忠霊塔へ。
忠霊塔。
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