中国のアフリカ支援を書き立てる大手新聞の異常さ
中国がアフリカ諸国の首脳を北京に招いて経済協力を誇示する一大会議を開いている。
それをきょうの各紙が、まるで大事件が起きたかのごとく一斉に大きく取り上げている。
しかも、その内容はどこれもこれも警戒的、批判的だ。
これは異常だ。
なぜそんな異常な記事になってしまったのか。
その理由はただひとつ。
中国とアフリカ外交で競い合う安倍首相を忖度して、日本のアフリカ支援策も負けてはいない、いや日本のほうがアフリカの為になる援助をしていると言わんがためだ。
これほど間違った報道姿勢はない。
私の外交官としての振り出しは1970年はじめのナイジェリアだった。
当時日本の対アフリカ外交など、存在しないも同然だった。
誰もアフリカに勤務したがらなかった。
しかし中国は違う。
多くのアフリカ諸国に大使館を構え、大勢の外交官を派遣していた。
それから十数年たって、私は1980年代の半ばにアフリカ担当の課長を経験した。
その時でさえ、アフリカへの関心は低かった。
いまでこそ日本はアフリカ諸国との経済支援会議を大々的に開くようになったが、その始まりは、南アフリカの白人政権の犠牲になっていた南部アフリカ諸国を政治的に支援するために私が始めたものだ。
誰も相手にせず、私一人が勝手にやっているようなものだった。
しかし中国はその時は更にアフリカとの関係を強化していた。
それから30年あまりたち、いまや中国は世界第二位の経済大国になり、米国と対抗する軍事覇権国となった。
一帯一路政策を打ち出し、習近平みずから何度も足を運んで文字通り首脳外交をくり返してる。
その習近平の中国と張り合っているのが、実際の成果よりも、何かやっているという「やるやる感」に奔走する、地球儀俯瞰外交の安倍首相だ。
とうてい勝ち目はない。
対アフリカ外交の戦略が決定的に違うのだ。
しかし、中国のアフリカ支援政策にケチをつける事はいくらも出来る。
中国嫌いでアフリカに無関心な日本国民をだます事は簡単だ。
かくして今日の各紙は、安倍首相に忖度し、あたかも中国のあたらな対アフリカ植民地政策と言わんばかりに批判的に書いている。
そんな暇があるなら、日本もアフリカ諸国に対して、喜ばれる援助をして競い合う事だ。
それをする意欲も熱意も、安倍首相にはまるでない。
そんな安倍首相の顔色をうかがうしかない、いまの外務官僚にまともな対アフリカ外交は出来ない。
安倍首相も、安倍首相を忖度するこの国のメディアも、国民はだませても、私をだますことは出来ない(了)