教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

江本孟紀氏 「ベンチがアホやから」発言に後悔はないのか

2019年12月23日 15時59分53秒 | 受験・学校・学問
江本孟紀氏 「ベンチがアホやから」発言に後悔はないのか
2019/12/23 11:00
 
問題発言はやっぱり後悔している?
(NEWSポストセブン)
「ベンチがアホやから野球ができへん」。野球評論家の江本孟紀氏(72)が残した一言はあまりにも有名だが、この発言に後悔はないのか。江本氏に尋ねると、意外な言葉が返ってきた。
 * * *
 僕の野球人生、分岐点はたくさんありましたわ。
 最初に浮かんだのは「高校3年生に戻りたい」ということ。僕のいた高知商は1965年春のセンバツに出場が決まっていたが、大会3週間前に部員の不祥事が発覚し、出場辞退。1年間の対外試合禁止処分を受けた。優勝候補の筆頭でしたから、出場していればセンバツでも夏の甲子園も優勝していたでしょう。
 そしたら、その年の秋から始まったドラフトで憧れの長嶋茂雄さんがいる巨人に指名されていたと思うんです。巨人は欲しい選手はどんな手を使っても獲得しようとするから、江川事件じゃなく“江本事件”を起こしていたかもしれません。
 プロ入り後は、1年目のオフに南海にトレードされてノムさん(野村克也氏)とバッテリーを組んだ。いきなり16勝をあげ、4年間で52勝。もっとノムさんと組んで投げたかったですね。
 その後、江夏豊との交換トレードで1975年に阪神へ。6年目の1981年8月26日のヤクルト戦で“あの事件”が起きたんですわ。
 3連敗脱出のかかった大事な試合。3点リードの8回、3連打を喰らって1点差に追い上げられ、2死ランナー二塁。バッターは8番で、次は投手の打順。普通ならコーチが出てきて、敬遠を指示する場面だった。
 ところが、ベンチを見たら監督がおりまへんのや。“中西(太)監督は肝心な時に逃げてしまう”とは聞いていたが、まさかここでとは思わなかった。勝負した結果、外野フライにエラーが絡んで同点になった。
 その裏、僕に代打が出たから、ロッカールームに引き上げながら“あいつ何考えとるんや、アホか。ホンマ、野球ができんやろ”と独り言を言ったんです。振り返ったら、若い記者が3人ついて来ていた。
 すると翌日のスポーツ紙の1面に「ベンチがアホやから野球ができへん」と大見出し。ここまではっきり言った覚えはないが、正面切って否定する気にもなれなかった。球団から呼び出されて、10日間の謹慎処分を言い渡された。それで、「ほな、やめますわ」と吐いてしまったんです。
 あの発言を撤回していたら……。当時の阪神では2桁勝てるピッチャーは貴重でしたから、そのまま投げ続けて、野球殿堂入りとまでは言わないが、甲子園歴史館にユニフォームが飾られるくらい活躍していたと思います。ただ、あの事件がなかったら、ベストセラーになった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』も書いてなかったから、よかったかもしれません(笑い)。
●えもと・たけのり/東映、南海、阪神で113勝をあげる。34歳で引退後、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』が200万部を超えるベストセラーに。参議院議員を2期務めた。
※週刊ポスト2020年1月3・10日号
 
江本氏は、今温和な顔になられていますが、嘘を付けない自分に正直な人柄と思いました。
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三菱重工が韓国からも中国からも完全撤退ということになり、安倍晋三首相の祖父・岸信介元首相から始まっていた三菱の韓国利権はなくなり、安倍晋三首相も、厳しくなった。

2019年12月23日 15時37分02秒 | 国際・政治

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
~ニュースにブログ~
三菱重工が韓国からも中国からも完全撤退ということになり、安倍晋三首相の祖父・岸信介元首相から始まっていた三菱の韓国利権はなくなり、安倍晋三首相も、厳しくなった。
2019年12月23日 07時33分27秒 | 政治
 
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
三菱重工が韓国からも中国からも完全撤退ということになり、安倍晋三首相の祖父・岸信介元首相から始まっていた三菱の韓国利権はなくなり、安倍晋三首相も、厳しくなった。
 
◆〔特別情報1〕
 三菱重工業と日立製作所は18日、両社が共同出資して火力発電設備を手掛ける三菱日立パワーシステムズ(横浜市、MHPS)の南アフリカでの損失負担を巡る対立について、日立に売却というか譲渡して、和解で合意したと発表した。そして12月19日、三菱重工が韓国から完全撤退ということを発表した。中国は、もうすでに完全撤退している。これで韓国からも中国からも完全撤退ということになり、安倍晋三首相(三菱財閥系の成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科を卒業)の祖父・岸信介元首相から始まっていた三菱の韓国利権はなくなった。中国からは3年ほど前から完全撤退している。撤退は、要するに中国の最長老から追い出されたということだ。そういうこともあって、三菱はますます厳しい。ということは同時に、三菱と関係が深い安倍晋三首相も、厳しいということになる。これは、上皇陛下(12月23日、86歳の誕生日を迎えられた)の側近である吉備太秦の見立てである。
 
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南北首脳会談から米朝会談を経て南北統一へ、そして中国の民主化のシナリオが書かれています。このときから始まっていました。必読です。
 
 
  日本の覚悟 イルミナティ解体 「新機軸」発動 人類補完計画 この一大事に世界を救う盟主となる
クリエーター情報なし
ヒカルランド
 
  中国4分割と韓国消滅 ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン 金塊大国日本が《NEW大東亜共栄圏》の核になる (超☆はらはら)
板垣 英憲
ヒカルランド
 
その改訂版がこれ。併せてお読み頂きたい。
 
  [新装完全版]ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン 米国とイスラエルの力を借りて皇国の理念「NEW八紘一宇とNEW大東亜共栄圏」の実現へと向かうNIPPON!
クリエーター情報なし
ヒカルランド
 
 
 
第97回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
(仮題)「2020年『新機軸』時代到来
日本は世界に求められるリーダーになれるか」
2020年1月13日 (月)
13時~16時
会場 小石川後楽園内「涵徳亭」 (広間)
参加費 2,000円
 
 
オフレコ懇談会
2020年1月18日(土)13時~16時
元毎日新聞記者・政治経済評論家歴45年!
板垣英憲が伝授する「必勝!」のための情報キャッチ術・情勢判断学~情報4重層「表・裏・陰・闇」とジレンマ情勢予測秘術
会 場 都内某所
参加費 5,000円
 
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HOME 天木直人のブログ ポスト安倍に走り出す来年の政局

2019年12月23日 15時18分43秒 | 国際・政治

 

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ポスト安倍に走り出す来年の政局

<time class="updated icon-clock" style="margin: 0px; padding: 0px; box-sizing: border-box; border: 0px; outline: 0px; font-variant: inherit; font-weight: inherit; line-height: inherit; vertical-align: baseline;" datetime="2019-12-23T09:14:09+09:00">2019-12-23</time>
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  • 日中韓首脳会談が今年の安倍外交の御用納めなら、安倍政局の御用納めは野党合流の年内見送りである。
     立憲民主党と国民党の年内合流は案の定、見送られた。
     政策も名前も一致しないのに合流できるはずがなかった。
     しかし野党合流のもっと深刻なところは、誰も指摘しないが、社民党すら立憲民主党に合流できそうもない事だ。
     社民党の地方組織が社民党の消滅に反対しているからだ。
     これでは本物の野党共闘は無理だ。
     それよりも何よりも、野党共闘の最大の問題は、野党共闘より前にポスト安倍が動き出すことだ。
     間違いなく来年の政局はポスト安倍に走り出す。
     しかも解散・総選挙はポスト安倍によって行われる可能性すら出て来る。
     そうなると、打倒安倍が野党をつなぎとめ唯一の旗印だった野党合流は、はしごを外される事になる。
     政権交代より、ポスト安倍と組んだ方が政権に近づけるという事になる。
     わけの分からない政局になるのだ。
     そのことをはっきり書いた記事を情報誌「ザ・ファクタ(FACTA)」の最新号(1月号)に見つけた。
     明らかに政治の内情に詳しい覆面政治記者が書いたと思われるその記事は、発売中の月刊文芸春秋(12月号)で麻生副総理兼財務相がポスト安倍の評価について言いたい放題言っている背景をこう解説している。
     (安倍首相の)ホンネは任期中の改憲も衆院解散も考えていないが、そうと確定してしまえば、その時点で政権の命運は尽きるので、麻生も二階も口では「4選」を勧めるかのような役割を分担して、「ポスト安倍」への軟着陸を図るという、(安倍政権の)「終末処理」の田舎芝居を演じている、と。
     マスコミも(そんな)底意を見透かしているから、安倍発言も麻生発言もまともに取り合わず、冷ややかに受け流していると。
     そういう事である。
     書くことのない正月休みの政局記事は、ポスト安倍を占う記事で埋め尽くされるだろう(了)
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HOME 天木直人のブログ ついに告げ口外交にまで堕落した安倍対米従属外交

2019年12月23日 14時18分08秒 | 国際・政治
 
ついに告げ口外交にまで堕落した安倍対米従属外交
2019-12-23イランのロウハニ大統領との会談内容を報告する事を条件に、トランプ大統領は安倍首相がロウハニ大統領の来日希望を受け入れる事を了承した。
 この共同通信の驚くべきスクープ記事を読んだ私は、安倍首相の対米従属もここまで堕ちたか、これでは、外交主権放棄だ、と大げさに嘆いて見せた。
 しかし、これには続きがある。
 ロウハニ大統領の来日結果を報告をした21日夜のトランプ大統領との電話会談では、安倍首相は、イラン問題の外に、これから行われる日中韓首脳会談が話題に上った。
 きょうの各紙がそう一斉に報道している。
 当然だろう。
 そして、あの夜の電話会談ではこっちの方がはるかに重要だったのだ。
 おりから米中間では熾烈な覇権争いが繰り広げられている。
 北朝鮮と米国関係は再び対決姿勢に転じ、この問題でも米国と中国は対立している。
 そして日米韓同盟に亀裂を生じかねない日韓関係の悪化の帰趨を占う安倍・文首脳会談が、今度の日中韓首脳会談の合間を縫って行われる。
 トランプ大統領にとって、それらについてどのような話し合いが行われるかは最大の関心事だ。
 だから、21日夜の電話会談では、イランの問題よりも今度の安倍訪中の話が中心だったに違いない。
 そしてその電話会談で、トランプ大統領は間違いなく安倍首相に命じたに違いない。
 わかっているだろうな、米国の立場に反する動きは絶対にするなと。
 その証として、会談結果は必ず報告しろよと。
 見ているがいい。
 すべての会談を終えて中国から帰国すれば、安倍首相は真っ先にトランプ大統領に電話する。
 場合によっては中国にいる間にも電話する。
 メディアはこれを、安倍・トランプの緊密な日米同盟関係を象徴する日米電話首脳会談だと報じる。
 しかし、その実態は、何のことはない。
 トランプ大統領に文在寅大統領や習近平主席の言動を告げ口する電話会談なのだ。
 もっと露骨に言えば、首脳みずからスパイ外交をさせられているのだ。
 安倍首相のトランプ大統領に対する従属外交はついに、告げ口外交、スパイ外交にまで堕落したということである。
 ウクライナ疑惑に匹敵する売国外交である(了)
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jlj0011のblog真実の中国の夢40年<本澤二郎の「日本の風景」(3533)

2019年12月23日 12時29分57秒 | 国際・政治




2019-12-23


真実の中国の夢40年<本澤二郎の「日本の風景」(3533)より、転載させて頂きました。

<改革開放スタート台の北京風景と仕上げの大平外交>

 伊藤詩織さんの壮絶すぎる戦いを記録していて、あやうく40年前の中国のことを忘れるところだった。彼女が生まれる10年前のことだった。197912月の大平正芳中国訪問に特派員として同行、生まれて初めて夢に見た大中国の大地を踏んだ。この感激が日中友好というジャーナリスト人生を約束させてくれた。

 人生は偶然の連鎖に相違ないだろうが、その機会は37歳に訪れた。729月の国交正常化の場面では、各社とも政治部長が同行して田中角栄首相と大平外相の動向を記事にした。東京タイムズは山口朝男政治部長が特派員として、我は長男・春樹3歳を抱きかかえて羽田空港で見送った。

 

 日航特別機は、晴れ渡って雲一つない北京空港に着陸、一足先に降り立った記者団は、タラップを一段、一段踏みしめながら、ゆっくりと降りる大平さんの、満面にこやかな表情をカメラに収めた。

 

 プレスセンターと宿舎は西方の長安街の民族飯店、真っ暗闇の早朝に起きだして、民主化のシンボルと言われた壁新聞を、目をこすりながら見ている市民もカメラがとらえた。当時のフィルムは白黒である。

 

 産経新聞の吉田興亜記者とセンターを抜け出し、日本大使館に提供してもらった中国製乗用車「紅旗」に乗り込んで、それこそ夢に見た万里の長城に向かった。

 当時は観光などは無縁だった。自由に長城を出入りできた。12月の北京風は冷たかった。吉田さんは耳もふさぐ黒い帽子をかぶって、寒風の長城に立った様子をカメラに向けた。観光客は二人だけだった。

 車窓から眺めた北京郊外の風景と庶民生活は、敗戦後の食うや食わずの日本の田舎と、様子がダブった。万里の長城付近の山で、木こりの姿を目撃したが、子供時代の隣家のおじさんを思い出した。彼は山で木を伐採中に骨折、いつも足を引きずっていた。貧しい我が家よりも、もっと貧しく暮らしていたことなどが、走馬灯のように脳裏をよぎった。

 

 

 大平さんは、北京飯店近くの王府井の餃子店で大満足だった。負けじと一人歩いて王府井に飛び込んだ。周囲に人垣ができた。妻が買った赤色のジャンパーを着こんで乗り込んだものだから、特に目立ったのかもしれない。

 

 王府井一番の百貨店に入ると、周囲に黒山の人だかりができた。今も中国語は知らないが、ニーハオ(こんにちわ)一つで充分だった。当時の北京市内では、街中で外国人はほとんどいなかったせいでもある。生まれて初めて芸能人のような雰囲気を味わうことができた。

 もはや誰一人として、このような体験をすることは不可能であろう。たとえ映画やドラマでも無理だ。

 

<中国の爆発的経済成長の起爆剤は大平正芳ODA

 民族飯店の女性職員は、日本でいう国家公務員に違いないが、みな黒っぽい人民服を着ていた。むろん、化粧をしていない。帽子をかぶっていると、男女の区別がつかないくらいだった。

 

 人民大会堂での宴会では、接待女性たちは白い服を着ていた。テーブルに出たリンゴは、ピンポン玉より大きめで、老いた人の顔のようにしおれていた。もはや中国のテレビ劇でも、こうした様子を再現不可能であろう。

 

 変わった、変わった。劇的に変わった中国。人々の衣食住は、天地がひっくり返るほど変化した。夢のような40年である。

 

 そんな中国に大平内閣は、日本人が唯一誇れるプレゼントをした。政府開発援助(ODA)の供与である。実権を握った鄧小平さんの改革開放政策の起爆剤を提供した。中国の、航空・港湾・道路・鉄道という、経済の基礎的基盤の整備に向けられた。これなくして中国の経済成長はなかったか、かなり遅れたろう。

 

 翻ってみて、ODAは日本が出来る唯一最善の中国支援策だった。大平さんとその内閣に敬意を表したい。それは想像を絶する日本の侵略・植民地支配に対する損害賠償を、放棄してくれたことへの、日本政府・日本国民の報恩でもあった。大平政治の核心的な実績だ。

 

 反中派の清和会政権が、森喜朗の「神の国」日本、繰り返した靖国参拝の小泉純一郎内閣と続く国粋主義者の安倍晋三内閣によって、大平ODAは排除されてしまったが、日本国民はこの宏池会政治を忘却してはならない。それこそ唯一の日中友好策だったことを。

 

 日中国交回復は、戦後外交の金字塔である。大平さんは、まずは池田勇人内閣を、池田の女房役として発足させ、岸信介の親台湾路線を排除した。外相となって中国との国交回復路線に切り替えた。

 続く田中内閣の発足で、自ら外相に就任して一気呵成、国交を正常化させた。この時が大平政治の真骨頂といえる場面だった。これに一ジャーナリストとして棹差して40年ということになる。涙の出る夢の中国40年だった。

 

 人民大会堂での日本側答礼宴で、官房副長官の加藤紘一氏が中国語であいさつした。この様子を帰国後、加藤後援会誌に秘書の森田君に頼まれて書いたが、日本人の中国語に正直、驚いてしまった。彼が清和会政治に潰されたことは、無念のきわみである。大平さんもまた、台湾派のいびりによって、半年後に命を奪われてしまうのだが、そうしてみると、大平政治の最高のヒノキ舞台が中国の北京だったことになる。

 

<西安・兵馬俑の旅を大歓迎してくれた人民の波に涙>

 当時の北京は、人々を苦しめ過ぎた文化大革命推進者の4人組を退治した華国鋒さんが国家主席、行政外交権は鄧小平さんという体制だった。人民大会堂での歓迎晩さん会で、まるでグローブのような華国鋒さんの大きな柔らかい手と握手したこと、また大平ー鄧小平会談では、大平さんが1分遅れて入ってきて、鄧小平さんを待ちぼうけさせたことも印象的だ。中国茶の飲み過ぎで、人民大会堂に着くや、真っ先に便所に駆け込んだ、そのための1分遅れだった。

 

 大平一行は、北京から西安(唐の都・長安)に飛んだ。空港内で隣り合わせた大平さんに声をかけた。「今回の歓迎ぶりはどうですか」と。「ごく自然でいいよ」と細い目をいっそう細くした。

 西安は、元奈良市長の鍵田忠三郎さんに直訴され、大平さんが周恩来総理に掛け合って奈良市と友好都市第一号にしたという経緯もあった。

 

 西安空港を後にして、しばらくして驚きの歓迎の大波が続いた。西安市民を総動員したかのような市民の、沿道での無数の小旗が、まるで龍がくねるかのようである。しかもおよそ50キロ、発掘して間もない歴史的遺産・兵馬俑へと、切れ目なく人民の歓迎小旗が波打った。

 

 こうした歓迎ぶりを経験したのは、大平さんが最初で最後だったろう。後続のバスの特派員も、感動で涙がこぼれ落ちてきた。

 

 森・小泉の台湾派清和会内閣から、日本人の中国での評判は落下した。日本語を勉強する中国人の若者も減少したようだ。もう45年前のことだが、西安出身の陳暁傑君に「どうして日本語を学んだのか」と尋ねてみた。彼女は意外や「西安には日本のODAで完成した施設がいっぱい。それを見て決めたんです」といって屈託なく明るく笑った。

 

<超格差と腐敗の退治に成功すれば夢の実現>

 今回の中国訪問は111回。目標の100回目前に妻が逝った。このところ北京では、PM2・5の大気汚染に泣かされたが、北京1か月弱で2度ほど大気汚染に見舞われたが、数日にして回復した。1223日の北京は快晴である。よく電気バスが走っている。昨日も義母の介護支援のため市内を往来したが、ついに中距離バスまで電気バスが走っている。

 

 バスだけではない。住宅やマンション内には、電動バイクやスクーターが音もなく、無数といえるほど往来している。日本は宅急便だが、北京は小回りの利く電気バイク・スクーターが、アリのように走っている。人々は食事から何でもスマホで注文、自宅に運んできてもらってきている。ガソリン車は急速に減ってきている。そのための北京冬天なのだ。

 COP25の排ガス規制の停滞をよそに、地球温暖化規制路線に特化している。他方で、億円・数億円もする超高価な豪華な別荘建設も盛んである。誰が入居するのか?

 

 中国の課題は、超のつく格差と同じく官僚腐敗である。金持ち・富裕層にとって中国の大都市は、天国かもしれない。これを解決すれば、人民の天国となろう。中国の挑戦は正念場を迎えている。

 中国40年、ODA40年の夢を北京で迎える自分も不思議である。本物が45年に姿を現すだろうか。わが夢は50年へと続く。

20191223日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)

 
 
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「開かずの踏切」は無法地帯、40人超が強行突破 「みんなで渡れば怖くない」状態…JR南武線平間駅

2019年12月23日 12時17分37秒 | まち歩き

「開かずの踏切」は無法地帯、40人超が強行突破 「みんなで渡れば怖くない」状態…JR南武線平間駅

「カンカンカン・・」。警報音が鳴り響く中、遮断機が下りている踏切を数十人が「強硬突破」する――。神奈川県川崎市のJR南武線平間駅前の踏切が、朝の通勤時間帯に「開かずの踏切」になっています。このため遮断機をくぐり抜ける人が後を絶たず、非常に危険な状態が続いています。JR東日本と川崎市は、駅の立体交差事業を計画していますが、完成には20年近くかかる見通しです。事故が起きかねない危険な状態がなぜ放置されているのでしょうか。現場や川崎市、JR東日本に取材しました。(ライター・国分瑠衣子)

●遮断機10分間下りたまま 親子連れや高齢者もくぐり抜け

12月中旬の平日の午前8時過ぎ。JR南武線の平間駅前の踏切で、目を疑うような光景に出くわしました。遮断機が下りているにもかかわらず、会社や学校へ急ぐ人たちが小走りで次々と遮断機の下をくぐり抜けていくのです。目視で40人以上が踏切を突破しました。中にはランドセルを背負った小学生の男児の手を引いた女性や、ゆっくりと歩く高齢者の姿もあります。一人が踏切を通り抜けると、他の人も続々と後に続きます。

 

ヒヤリとした瞬間もありました。上り線の川崎行きの電車が通過した直後に踏切をくぐり抜けようとした人が、ホームに入ってくる下り線の立川方面行きの電車に気付かずに線路に入り、電車の警笛が鳴り響きました。

弁護士ドットコムニュース編集部のスタッフが午前6時45分から同9時までの間で調べたところ、最も長く遮断機が下りていたのは、午前8時9分から約10分間です。次々と電車が通過する一瞬の隙を狙い、歩行者がくぐり抜けます。遮断機が上がっても15秒後には再び閉まります。

「もう何年も前からこの状況です。朝の時間帯は、スピードの遅い各駅停車しか運行していないということも影響していると思います」。平間駅の近くで店を営む男性はこう説明します。男性は「くぐり抜けはとても危険な行為だと思いますが、長時間遮断機が下りている状況を改善しない鉄道事業者側にも問題があるのでは」と指摘します。

 

●武蔵小杉の再開発が影響しているのか?

JR南武線は1927年(昭和2年)に南武鉄道として開業し、川崎から立川を結んでいます。沿線には、キヤノンやNEC、三菱ふそうトラック・バスなどの本社や製作所などが数多くあります。

JR東日本横浜支社によると、平間駅の一日の乗降客数は約30,000人です。川崎市が2014年秋に行った南武線尻手駅から横須賀線武蔵小杉駅までの全長5.5㎞の区間の調査では、ピーク時の平間駅前の踏切は1時間のうち40分間も遮断機が下りていて、最大で230mの渋滞ができると報告されています。

 

沿線には平間駅同様、1時間のうち40分以上遮断機が下りている「開かずの踏切」が6カ所あります。南武線沿線は再開発が進む武蔵小杉駅周辺など人口が増えている地域もありますが、「過去10年ほど朝の通勤時間帯には南武線の電車を増発していません」(JR東日本横浜支社)。「開かずの踏切」は長い間続いていると言えます。

川崎市の担当者は「くぐり抜けは平間駅前の踏切が突出して多いです」と説明します。なぜでしょうか。「他の開かずの踏切は、駅近くにこ線橋があり簡単に迂回できたり、学校が近く、見守り役の保護者が立っているなど、くぐりにくい雰囲気が醸成されているためです」と話します。

駅の構造にも原因がありそうです。平間駅は駅の東側にしか改札口がないので、西側に住む人たちは踏切を渡らなければ駅を利用できません。う回路はあるのですが、踏切前から約200m先の場所で、エレベーターもありません。試しに踏切前から通勤リュックを背負い、小走りでう回路を使ってみたところ、駅に着くまでに約3分かかりました。踏切を渡れば約20秒で駅に着くので差は歴然としています。

市は長年、JR東日本に遮断機が下りている時間を短縮するよう要望していますが、状況は変わっていません。

 

●立体交差は完成までに20年もかかる

こうした危険な状況を改善し、渋滞を緩和するため、川崎市とJR東日本では、南武線尻手駅から横須賀線武蔵小杉駅までの区間で連続立体交差事業を計画しています。市は2020年度の終わりごろには高架化に向けた都市計画の決定を目指しています。ただ、決定が下りても用地取得や仮線路を作る工事などがあり、完成までには20年近くかかる見通しです。市は「引き続きJRには踏切遮断時間を短くするよう要請していきたい」としています。

国土交通省鉄道局によると、2017年の全国の踏切事故件数は237件でこのうち101人が亡くなっています。立体交差などの整備が進み、踏切の数や死傷者数は減少傾向ですが、2014年度末時点で「開かずの踏切」は全国に500カ所以上あります。遮断機が下りている状態で踏切に進入する行為は、鉄道営業法違反として処罰の対象になります。踏切の強行突破は決して許されることではありませんが、鉄道事業者や自治体もスムーズな交通への対策を講じる必要があるのではないでしょうか。』

 

世間で言われている赤信号皆で渡れば、恐くないと言う事のようですが。

踏み切りで、人命事故が起きないうちに改善して欲しいと思います。

 

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