西山・蓮見両氏に勇気100倍<本澤二郎の「日本の風景」(4727)

<臥龍点睛を欠いた岸信介の実弟・佐藤栄作の沖縄返還密約>

 「日本人は敗戦でも反省しない堕落した民族」との評価が定着しているようだが、その一つが1972年の沖縄返還だった。7年8か月の佐藤栄作長期政権の引退の花道に設定されたのだが、しかし、日米間の密約という国家的犯罪でもあった。密使・若泉も自死している。

 

 ワシントンからの密約公電を外務省事務官の蓮見喜久子さんが見つけた。それを知り合いの毎日新聞の外務省記者クラブ(霞クラブ)の西山太吉記者に渡した。同記者から社会党の横路孝弘代議士が受け取り、これが国会で暴露された。沖縄返還交渉は、長州政治屋の玩具にされたもので、改めて属国の日本を裏付けた。その政治的貢献が揺らぐことはない。

 

 天皇制国家主義の藩閥政治こそが、戦前の軍国主義を支えていた。国家神道と教育勅語にからめとられた日本人は、この呪縛から逃れることなく侵略戦争に突っ込んで、日本列島を粉々にされて敗戦を迎えた。

 薩長というが、実際は長州閥の独壇場だった。敗戦後の民主化された日本もまた、長州政治に翻弄されていた。ここが日本人の欠陥を暴露した。結果、沖縄返還は沖縄県民のためではなかった。A級戦犯の岸信介の実弟・佐藤栄作による自身の栄誉に利用された。岸の孫の安倍晋三内閣のもとで、沖縄の人たちは新たに戦場にされようとしている。沖縄県民はいま立ち上がって抵抗を始めた。戦後の長州閥の蛮行に日本は、きりきり舞いさせられている。

 それを知らせてくれた沖縄密約を日本国民に公開した西山さんが、91歳で亡くなった。彼こそが新聞人として「権力に屈せず」を地で行ったジャーナリストだ。言論人は、西山元記者の生きざまを今後の報道に生かす責務があろう。「権力に屈しない」ジャーナリストが、ジャーナリストなのである。

 

<極秘公電を見逃さなかった蓮見喜久子事務官は役人の鏡・正義の人>

 公務員は全体の奉仕者である。今は霞が関にいない。沖縄返還に日米間で密約が存在したことを、見逃すことなく、外務省の事務官の蓮見喜久子さんは、勇気ある内部告発者となって、公務員として責任を果たした。彼女は役人の鏡である。

 この一点において彼女は、全体の奉仕者として責任を果たした勇者である。彼女がいなければ、国家的犯罪である密約は永遠に秘匿された可能性が強い。日本での密約発覚が、その後のワシントンから裏付ける証拠が次々と露見して、その都度、西山さんは屈せずに法廷に立った。

 西山さんは反骨の言論人として91年を生きた。蓮見さんも国民のために政府の不正を暴いた。二人の存在が長州の悪徳政治を暴露した。この世にもう二人はいないが、二人の見事な活躍は戦後史に残る。無論、いい意味で、である。

 

<「情を通じて」という政府・検察の暴論に誤魔化されてはならない>

 国家犯罪を暴露され面子を無くした佐藤内閣は、これを違法行為と決めつけた。しかも、卑怯なことに男女関係にすり替えて重大な国家犯罪を、無知な週刊誌記者に垂れ流し、それをガンガン書かせて国家犯罪を矮小化して、まんまと逃げ出そうとしたが、世論は許さなかった。

 いま西山・蓮見両氏に棒を投げる日本人はいない。二人とも課せられた責任、すなわちジャーナリストとして、国家公務員として、それを見事に果たし、晩年の佐藤栄作という長州政治家のイカサマぶりを露呈させ続けている。

 

 佐藤の日程に合わせた極秘の日米工作が、目下の沖縄で今も大きな重い荷物となって人々に「平和な島」を返還するどころか、その反対である。岸の孫は「台湾有事」を叫び、それをワシントンにまで宣伝し、東アジアを火薬庫にしようと企んでいた。その先に43兆円の戦争準備計画が始動している。

 昨夜ネットで少し昔話を見てみた。そこに宇都宮さんから「忘恩の徒」と最低の非難を浴びながら、莫大な金集めに成功した読売の渡辺恒雄の記事が出ていた。

 ドラマを見ていないが「運命の人」という、政治を理解できない小説家の本に描かれた自身の扱いに対して怒りをぶつける内容だった。そんな渡辺でも「急ぎ過ぎた沖縄返還」と佐藤批判をしていた。

 長州閥の沖縄返還は、日本の不幸、大失敗だった

 

<「怒り狂う平河クラブの毎日記者」を隣の机で目撃し激励した筆者>

 沖縄返還密約事件と自民党総裁選が繰り広げられていた1972年に政治部に配属された筆者は、誰もが希望する自民党担当の平河クラブに所属した。同時の第二の人気クラブの首相官邸をカバ―する内閣記者会の永田クラブにも入った。おそらくこの二つのクラブに20年も所属した幸運な記者は筆者しかいない。長いといいわけではない。ただ、日本中枢の歴史をその都度目撃出来た。

 

 国会が開会されると、この二つの記者クラブは、国会内に移動する。太陽が昇る正面東口2階のほぼ中央に自民党の幹事長室、その左手隣に平河クラブ。西側中央が永田クラブ。当初はこの二つの記者会見を覗きながら、議事堂という巨大な建造物を見聞しながら取材を始めた。

 この平河クラブの机の隣が毎日新聞だった。筆者の自民党派閥の取材は、護憲リベラルの宏池会・大平派から、同時に右翼の中曽根派を回った。当時は渡辺が中曽根の盟友という事情など全く知らなかった。

 総裁選の焦点は日中国交正常化問題で、これを実現することを大平派と田中派が連合して公約に掲げた。対して台湾派の岸派の後継派閥の福田派が反発する構図で論戦が繰り広げられた。無論のことで、台湾派の大御所である岸と佐藤が支援する福田派が、次期総裁有力候補となっていた。この総裁選取材に追いまくられていて、沖縄密約問題は社会部の範疇とされ、政治部の埒外だった。

 しかし、渦中の西山さんの毎日新聞の平河記者は、当局の対応に怒りを抱いていた。隣り合わせのデスクだからそれがびんびん感じたものだ。「頑張って」と何度も声をかけたものだ。

 後に分かったことだが、西山さんは大平派担当のベテラン記者だった。田中内閣で外務大臣に就任して、一気呵成に福田派清和会を蹴散らして日中関係を見事に処理した。その辺を予想していたかのように、佐藤も岸も大平を警戒していた。西山さんが大平に期待していたことも、永田町の政争の具にされた。検察は岸・佐藤を忖度し、例の「情を通じて」というキャンペーンで二人を追い詰めていた。

 既に護憲リベラルと改憲軍拡の対立が、この佐藤の国家的犯罪を軸にまとわりついていた点を軽視すべきでない。

 

 無念にも西山・蓮見両者は、沖縄返還の不正を暴きながらも、検察権力と福田派清和会によって散々な目にあわされて行くのである。

 いま大平派の後継者となった岸田文雄に対して、筆者同様に西山がぼろくそに批判していたようだが、当たり前であろう。岸田は宏池会を裏切って、安倍清和会の軍門に下って、安倍同様に改憲軍拡を叫んでいる。

 余りにもいい加減な人間で、とても政治家と言えない。日本転覆を速めている点に、国民は注視する必要がある。こんな日本に西山さんも呆れてしまったのだろう。生きる価値のない日本に成り下がってしまった今の日本なのだ。

 「西山さんと蓮見さん!辛かったでしょうが、まともな日本人は感謝していますよ」と言わねばなるまい。

 2023年2月27日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

 

 訃報

沖縄返還を巡る日米の密約の存在を報道し、機密文書を違法に入手したとして有罪判決を受け、その後も問題の追及を続けた元毎日新聞政治部の記者、西山太吉さんが24日、心不全のため北九州市の介護施設で亡くなりました。91歳でした。