9/20 久しぶりに宮城県・南三陸町を訪ねてみました。
東日本大震災発生直後の2011年3/18~5/中旬までこの町で日本山岳ガイド協会の要請により、災害医療チーム・災害人道医療支援会のロジスティックという役回りで右も左もわからないこの町で必死に動いていたことがありました。
震災発生10日目ころの様子:防災センターと右奥に志津川病院が見えます!
高さ6mお超える津波が5階立の志津川病院の4階にまで達し、その時必死に患者を守った西澤医師、菅野医師との出会い、、、全国から集まる医療新チームに被害状況を説明、派遣先を割り振っているお二人の姿を見てそばにいて何かお手伝いできないかそんな気持ちが自然と湧き出しサポートに徹した町です。
震災発生10日目ころの様子:南三陸町ベイサイドアリーナ前には全国から救急車が続々と集まり、毎日、搬送先に向かう救急車のサイレンの音が途絶えることがありませんでした!
二月近い活動を終えるころには、お互い”同志”と呼び合える間柄になっていました、
震災発生10日目ころの様子:高校のグランドに咲く桜とガレキの山々!
60年近い人生の中で濃い時間を過ごさせていただいた南三陸町・巡回支援に行った歌津地区
当時、あかひげ診療所と呼ばれていた施設も健在でした!
震災発生時多くの人でごった返していた避難所に指定されていた小学校
いまだに仮設商店街、
震災発生当時のままの歌津駅舎、
移動郵便局、まだまだですね、、、
震災発生当時この近くの道路の落ちていた、支援物資の空段ボール!
はじめて南三陸町を見たとき、故仙道隆が”俺たち見てしまったよなー、最後まで見届けよう!”と一緒に泣きながら反した時のことはいまでも忘れれられません。
ここでの経験のおかげでガイドの多様性に気づかせていいただきました!
震災発生10日目ころの様子:ベイサイドアリーナ避難所内の様子
菅野医師の著書”寄り添い支える-公立病院若き内科医の3.11”に
私たち日本山岳ガイド協会の活動の様子が唯一の記録として記されています。
合掌