7月19日~20日
今日は1日かけて移動と車の回収です。
胎内ヒュッテから新発田市までタクシーに乗り、新発田市からレンタカー借り、関西のお客さまを新潟空港へ見送り、日に数本の磐越西線、2便の川入行きのバスを乗り継ぎクルマを回収、翌日は、まだ歩き足らない様子のお客さまと西吾妻山へ向かいました。
ヒロハユキザサ
ゴゼンタチバナ
ワタスゲの実
ツルコケモモ(?? 教えてください。皆さんありがとう)
アオノツガザクラ
大凹
イワイチョウ
チングルマ
ワタスゲ群落
オガラバナ
キバナノコマノツメ
アカモノ(イワヒゲ)
池塘
ハクサンシャクナゲ
頂上
西吾妻小屋
オオシラビソ
吾妻神社
梵天岩周辺
ガクウラジロヨウラク
ウラジロヨウラク
サラサドウタン
モウセンゴケ
7月14日~19日
飯豊連峰縦走、川入登山口から北のピーク・エブリサシ岳を踏んで足の松尾根を下る全山縦走です。
14日、神奈川のお客様と新潟駅で関西のお客様と新潟空港でそれぞれ合流して、飯豊連峰登山口のある福島県の山都町へと向かいました。
おかげさまで、飯豊連峰縦走ガイドを担うようになって6年以上になり、川入地区の民宿高見台、稜線上の小屋方々はじめ飯豊の山人のみなさまと親しく接することができました。
昨年は震災の影響や福島・新潟豪雨なども重なり飯豊の山へは登れませんでした。
久しぶりにおじさんと会えるのを楽しみに玄関へ「お帰り」「ただいま」とおじさんもご機嫌の様子です。
今夜は、めったに打っていただけない“手打ちそば”
自ら釣ってきた天然の“岩魚”に
“どぶろく”に
天然のナメコや雑キノコなどの山菜料理で出迎えていただきました。
15日“ラッキーな縦走初日”
いつもの事ながら、飯豊縦走は切合小屋以外は避難小屋泊まりになります縦走中の食糧、ガイド装備、急峻な雪渓があるのでピッケル、軽アイゼンなど積め、初日は30キロを越える荷物を背負ってのスタートになります。
今年は、山都町の行事“飯豊の集い”と重なり予定していた切合小屋が満室、その先の飯豊本山小屋までコースタイム9時間・標高差1600mを歩くつもりで歩き始めました。途中からは雲行きも怪しくなり雨も降り出し30キロを越えている荷物がまたさらに重さを増してきました。
お客様3人とコンパクトなグループのおかげで、難所の剣ヶ峰も順調に越え、お昼頃には切合小屋へ到着、ここから本山小屋まで2時間半??
ちょっとご挨拶にと声をかけたら、小屋の方から「キャンセルがいっぱい出たから泊まっていけ!」「お願いしますツ。」と二つ返事で決まりです。
早速、小屋に入り荷物を整理していると、バケツをひっくり返したような雨音が屋根を通して聞こえてきました。
こんな雨の中無理に歩くことはありません、お客様が持参した野点セットで“抹茶”と“御菓子”をいただきながら「ホッ」とした時間を過ごす事ができました。
夕方には雨も止み晴れ間も覗き明日の縦走にちょっとは??期待しながら寝袋に入りました。
16日“つかの間の晴れ”
今日は、御西小屋泊まり6時間の縦走と大日岳往サブ行動3時間です。梅雨前線も秋田から青森へと北上、梅雨明けも近そうです。
本山小屋、御西小屋とも雪解けが遅く水場が使えないということなので切合小屋から水を8リッターほど追加、40キロを越す荷物を背負いながら飯豊本山を越え、
御西小屋へと向かいました。
お天気の良い悪いに関係なく、飯豊本山から御西岳、大日岳周辺では、たくさんの花が咲いていました。
17日 “北上した梅雨前線が南下”
再び、前線が南下朝から風雨が強くなり、ラジオから大雨注意報、雷雨注意報の言葉が流れ出す、縦走を断念しても本山周辺は雷雲の通過しやすいところ、剣が峰の岩場通過もあるし、、、?予定通り進んでも明日以降の天気が読めない、、、?
悩んだ末、縦走続行です。御西小屋からほとんど休むことなくたきつけるような雨のなかもくもくと門内小屋まで6時間歩いて今日の行動を終了です。小屋番の方もこんな天気にとびっくりした様子。すぐに乾いた衣類に着替え、温かい飲み物で一心地、美味しい夕食を食べながら、
ラジオから新潟を除く甲信地方梅雨明けのニュースに妙に納得しながら縦走最後の夜を過ごすことができました。
18日“濃霧の縦走”
激しい雨は収まり、天候回復を願いながら縦走最終日を迎えましたが一向に天気は回復しません。
最後のピーク・エブリサシ岳はあきらめ
標高差1200mあまり長さ4キロの急峻な足の松尾根4時間の下りです。
ある人は足を痛めながら、またある人は足先に石ころでも入っているかと思うくらいつま先を傷めながら、別の人はお腹をすかせながらとそれぞれ苦労しながら、無事登山口へたどり着きました。これも偶然なのでしょうヒュッテまでの長い3.5キロの林道を歩いているとヒュッテのクルマが止まり4人を乗せてくれました。
縦走最後はブナの森に囲まれ、アカショウビンがたくさん飛来する胎内川のほとりに立つ胎内ヒュッテ泊まりです、
日帰り入浴もできる。
まるでブナの森の中で入浴しているような大きな湯船に浸り、雨で濡れた靴でふやけた足を擦ったり、なかなか泡の立たない頭を擦りながら、
あいにくの天候、、、あのような悪天候の中を歩いていただいた皆様に感謝しながら、山深く、長い飯豊連峰縦走お疲れ様でした。
7月11日~12日
(公)日本山岳ガイド協会主催・災害人道医療支援会(ヒューマ)共催「大槌町児童自然体験活動支援事業」準備のため3月末から訪問を繰りかしてきました。
地元の復興食堂なども経営している“おらが大槌夢広場”のみなさまお陰さまで、八度目の訪問で事業の準備が整い事前説明会開催となりました。
今日は、参加者児童とご父兄の方への事前説明会のほか登山用品メーカー“モンベル”社様から参加児童全員にトレッキンシューズと雨具のご提供を賜り、その靴や雨具のサイズ合わせなどもありました。
差し入れのサクランボをほおばりながらにぎやかな説明会となり、終わったのが夜の9時近く、後片付けを終え、はじめてスタッフと一緒に“うまい酒”を酌み交わす機会を得ることができました。
この“うまい”は“旨い”ではありません、東北では祝いの席やお互いを理解しあうことができたときに“うまい酒飲めたな”と話します。
3ヶ月前、見ず知らずの人間が突然訪ねてきて「大槌町の子ども達のために、、、」と話を持ち込み、お互いを理解する間もなく教育機関との調整、準備を繰り返してきました、おそらく無礼なことも度々あったことでしょう。
「これも、昨年の3月11日に発災した東日本大震災が起こったから出会えたのでしょう、と前向きにとらえましょう!」とさらりと話す“おらが大槌夢広場”のスタッフ、「どんなにいい企画を持ち込まれても、、、やっぱり人なんだよ、人だよ、、、」ともう一人のスタッフの言葉に返す言葉も見つからず笑顔を返すだけが精一杯でした。
いつしか、話は来年の事業をどのように進めようか、海の町と山の町の交流を、、、とこの関係が末永く繋がることを願い杯を伏せてきました。
食堂からクルマで数分のところに港があります、山形県出身の作家・井上ひさし脚本「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった島が浮かんでいます。大槌町は他にも「吉里吉里共和国」の舞台となった地区もあるのです。
まだ、埠頭にはガレキの山が高く積まれています。
うまい酒をいただいた後は、紹介いただいた1泊3000円の簡易宿泊所のオヤジさんの話や児童絵画教室ボランティアで来ている方のお話を同行したガイド仲間としばらくお話を伺い長い長い一日が終わりました。
9回目の大槌町訪問は事業実施前日8月6日の予定です。
また、この宿にお世話になることでしょう。
今日7月11日は、震災から1年4ヶ月目です、
あらためて、被災されたみなさまには
心からお見舞い申し上げます。
“旅八”のプチな山旅最終日は、早池峰山です。
おかげさまで、西日本では梅雨末期のような雨模様ですが、北東北は梅雨前線の微妙な動きに助けられ4日間雨具要らずとなりました。
どんなに素晴らしい山、気配りガイドも天気にはかないません・・・天気よければ全て◎です。
早池峰山の様子です。
ギンリョウソウ
ズダヤクシュ
カニコウモリ
固有種 ナンブトラノオ
ミヤマオダマキ
固有種 ハヤチネウスユキソウ
固有種 ハヤチネウスユキソウ
チシマフウロウ
ホソバツメクサ
カトウハコベ
ホソバイワベンケイの花
サマニヨモギのつぼみ
ミヤマアズマギク
ミヤマシオガマ
チシマゼキショウ?
固有種 ナンブイヌナズナ
蛇紋岩
ミヤマキンバイ
ヨツバシオガマ
イワカカガミ
アオノツガザクラ
オオシラビソ
チングルマ
頂上付近のお花畑遠望
お花畑
イブキジャコウソウ
下山路
固有種 ミヤマヤマブキショウマ
ミネザクラ
マルバシモツケ
コケ類 ?
マイズルソウ
四日間、お疲れ様でした。
旅八ツアー 2日目、3日目は岩手山縦走です。岩手山縦走は、
避難小屋宿泊、今日のプチ・ツアーはガイド兼添乗プラスお客様の食事の用意も加わります。8人分の食材と炊事用具も担ぐ為コンパクトで栄養価のあるメニューをと考え、夕飯はナスの肉味噌炒め、厚切りベーコン焼き、大根と海草サラダ、大根のみそ汁、ご飯です。山でも、山だからこそ、美味しいご飯を食べたいものです、お湯を注げばできるインスタント類はどうも苦手です。
山の生活、山の食事に少しでもふれ、楽しんでいただければと思って手間をかけて食事の準備をしてます。
岩手山の様子です。
登山口
アカミノイヌツゲ
マルバシモツケ
エゾツツジ
ヤマオダマキ
ウラジロナナカマド 紅葉?
キバナノコマノツメ
とても居心地のよい避難小屋です
微妙な梅雨前線の動きで天候も回復!
頂上を目指して
ガスも晴れ、避難小屋も眼下に
雄大な火口原
コマクサとタカネスミレ
イワブクロ
鬼ヶ城
もうすぐ、頂上
岩手山頂上
サンカヨウ
シラネアオイ
ミヤマカラマツ
??
コマクサの群落
コマクサ
年々狭まるコマクサの生息域
ハクサンシャクナゲ
無事下山、お疲れ様です。
7月6日~9日
四国・香川県にある山旅専門の旅行社“旅八”の仕事で、八幡平、岩手山、早池峰山を登ってきました。
今回は、お客様7名にガイド兼添乗というコンパクトなプチ・ツアー。
参加者が少なくても催行率が高くなり、ガイドはお客様が少ない分安全配慮も行き届き、お客様とのコミュニケーションもアップと双方にとってある意味理想的な登山ができました。
これから、このようなプチ・ツアーが増えるとうれしいのですが。
1日目、八幡平の様子と花の紹介です。
ショウジョウバカマ
ズダヤクシュ
サンカヨウ
エンレイソウ
八幡平頂上
キヌガサソウ
ミヤマスミレ
ベニバナイチゴ
ミネザクラ
オオバキスミレ
湖沼
ウラジロナナカマド
ハクサンチドリ
??
八幡沼周辺
ミズバショウ
八幡沼周辺
ミツガシワ
6月30日~7月2日
今年は空梅雨のようで6月中旬以来雨らしい雨が降っていません。明日から前線を伴った低気圧が北上するので天気が良いうちにと予定を変更して今日は月山を目指すことにしました。
この時期の月山へ登るのは数年ぶりになります、何度訪ねても飽きない山です。
まだ、姥ヶ岳山服には残雪もたっぷりあり、全国から雪を求めて来た多くのスキーヤーで賑わっていました。7月1日山開きを控え多くの人が頂を目指していました。
ゆっくり登っても午後2時頃には下山の予定でしたが、天気もよく「花を楽しみたい」という希望を聞いていたら??
少し歩いては“道草、道草、道草”を繰り返して頂上に着いたのが午後1時半過ぎです。
天候の変わり目を予感させられるような強風と時折沸くような雲の中を山開きの準備に行き交う社務所の方々、登山者の足元にはクロユリ、ハクサンハタザオの花が風に耐えるように咲いていました。
300年前の1689年の6月(旧暦)に俳諧紀行「奥の細道」を著した松尾芭蕉は当時どのような風景を目にしたのでしょう。
当時、松尾芭蕉一行は羽黒山の手向宿に7日間滞在中の2日を月山詣でにあてたようです。
手向宿から南谷へ向かい6合目の平清水まで馬で登り、月山頂上に着いたのがその日の午後4時、雲霧山気のなかを生き絶え絶えにようやくたどり着いたようです、山中の角兵小屋に泊まり湯殿山に詣で戻ったという記録が残っています。
そのとき読まれた句が
“雲の峰 いくつ崩れて 月の山”です。
そのようなことを思い出しながら、
“耳を日曜日にして”黙って下山です。
何とか最終のリフト時間に間に合うことができました。
翌日は、
天候が変わり始めた月山八合目の西側に広がる弥陀ヶ原湿原や
羽黒山神社や国宝に指定されている五重塔などを見学して宿へと戻りました。
芭蕉が羽黒山をたずねた際に読んだ句
”涼しさや ほの三日月の 羽黒山”
最終日は、雨の残る月山“六十里越え街道”という古道を地元月山朝日ガイド協会の方に案内していただきました。毎日山の花やおしゃべりを楽しみ、サクランボをたくさん食べ、月山筍尽くしの料理をいただきと関西のみなさまにとって、満足、満腹の旅になったようです。
早くも来年の話となり、花の秋田駒ヶ岳の予約をいただきました。 ありがとうございました。
月山で見かけた花です。
ミネウスユキソウ
ヒナザクラ
チングルマ
ミヤマリンドウ
ミネウスユキソウとイワカカガミ
ウズラバハクサンチドリ(ガッサンチドリ)
ハクサンイチゲ
ミヤマキンバイ
キバナノコマノツメ
クロユリ
コブシ
ミネザクラ(タカネザクラ)
ワタスゲ
ミヤマカタバミ
ヤマガラシ(ミヤマカラシ)
コウホネ
6月29日
今日から、関西の方々と4日間蔵王・月山を訪ねる山旅です。
1日目は、蔵王です。
蔵王・熊野岳の頂には、山形出身の歌人 斉藤茂吉の歌碑が立っています。斉藤茂吉の歌碑や記念碑は全国にたくさん建立されていますがこの「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ 蔵王の山の雲の中に立つ」の歌はこの歌碑のために読まれたといわれています。
建立されたのが1934年8月、熊野岳の厳しい自然環境に80年近くさらされていたせいでしょう。その歌を判読するのが難しくなっていましたが、近くの刈田神社の社務所の壁にしっかりとその歌が掲げてありました。
熊野岳、刈田岳を登り、南蔵王の稜線の花を楽しみ月山山麓のポレポレファームへと向かいました。
蔵王・熊野岳周辺で見かけた花です。
ミヤマオダマキ
イワカガミ
南蔵王の稜線で見かけた花
チングルマ
ミネカエデ
ミヤマハンショウヅル
ツマトリソウ
コメツガ?
ゴゼンタチバナ
コヨウラクツツジ
ヒナザクラ
ムラサキヤシオツツジ
ミヤマスミレ
蔵王の高山植物も開花が遅れているようで、その分多彩な花を楽しむことができました。