年昨の3月11日は、ガイドのため秋田駒ケ岳山麓にいました、季節外れの大雪のためお客様の荷物の到着が遅れ山へ入ることができなくなり、予定を変更して角館市内の武家屋敷周辺を散策していたとき震災にあいました。
その晩は、ろうそくの燈るなか田沢湖高原の宿で夕食をとり、暗いベッドの中で眠ろうとしましたが、ラジオをから耳を離すことができませんでした。
しばらくたち次男からようやく『自宅は無事!』の短いメールが届き安堵し、希望を感じたことはありませんでした。
とにかく12日はどこまで帰れるかわからないがお客様を無事帰宅させなくてはと、宿でパンをいただいたり、テルモスにお湯を入れ、毛布をお借りしてどうにか自宅へ戻ることができました。その晩は、お客様と一緒にろうそくの燈る中、家族と夕食を共にしました、この数日「幻であって欲しいな」と何度願ったことでしょう。
13日近くの山形空港が機能しているという情報を頼りに、
朝3時に空港カウンターに並びキャンセル待ちの予約券確か5番、6番の番号をいただくことができました。ようやく日が昇り朝9時過ぎ頃になると多くの人がタクシー、バスで続々と詰め掛けてきました。宮城ナンバーのタクシーは泥だらけです、空港内は泥だらけのスーツケースを引きながら逃げてきたビジネスマン、観光客の無言の姿が今でも思い出されます。
ようやく、第一便が飛び立ったのは午後2時を回っていました。それから、一週間後の3月19日に南三陸町へ向かっていました。
そのとき、救護所で医療活動の陣頭指揮をとられていた志津川病院の医師・菅野先生から
『菅野武です。
今日は震災から一年。夜の21時からNHKスペシャル(NHK総合)に中継でわずかですが出演します。この一年の思いを、少しでも伝えたいと思います。
明日からまた頑張るために、今日は祈りを捧げましょう。』というメールが届きました。
私は
青森から次の仕事のある秋田県田沢湖町へ向かう高速道路のPAエリアであの時間に祈りました。
来年は普段の生活にどのくらい戻れるのでしょうか。
その晩はガイド仲間宅でNHKスペシャルを見ながら、走馬灯のような一年を振り返っていました。