6月24日
濃いガスと風の吹く気温10度前後の肌寒い中、月山朝日ガイド協会の研修を兼ねて、登山道の危険箇所と花の開花状況のチェックをしてきた。
月山夏スキーシーズンが終盤になる頃、月山の稜線から次々と高山植物が咲きはじめる、この花を目当てに多くの登山者が訪れる。
6月27日(日)クロユリトレッキング、7月1日(木)月山夏山開きと夏山シーズンが本格化する前に、毎年メンバーで残雪の様子や危険箇所のチェックなどを行なっている。今年の月山は例年になく残雪が多いようだ。昨年までは、月山朝日ガイド協会の自主企画で行なっていた危険箇所チェック、今年は、事前に地元西川町や月山リフトの関係者と残雪情報、高山植物開花情報など月山リフトスタッフや月山朝日ガイド協会会員から寄せられた月山登山情報を整理、共有化し一般登山者へ情報提供への試み、姥ヶ岳や牛首周辺の雪渓上に補助ロープの設置、雪渓上にルート表示ラインの提案など事故防止策などの話し会いの場をもてたことは、会員の励みにつながるとともに協会にとっても有意義な研修となった。エゾツガザクラの群落にも出会えた。
6月22日
東北を南北に連なる奥羽山脈その最高峰は蔵王・熊野岳、他の名だたる山々は火山が占めている。その中で、非火山性の山塊が真昼山地である。その最高峰が和賀岳1440m。
原始的な山懐と明るい稜線を持つ魅力溢れる山。今回は秋田側・真木渓谷沿いの林道をクルマでつめ、甘露水のある登山口から往復約15㌔、標高差1100mを8時間あまりかけ歩いてみた。
登山口近くの駐車スペース付近には立派な避難小屋が新築されていた。
県立自然公園ではあるが、登山道、道標、小屋など程よい感じで管理が行き届き山への愛着が伝わるようだ。
今晩のおかずに、山の幸タケノコとコシアブラをほんの少しいただいた。
この山も、花がたくさん咲いていた。
6月20日 続いて、小朝日岳登山道上の残雪、
今日は、新潟のみなさんと大朝日岳を往復。前夜、古寺鉱泉のご主人から今年は雪が多くて、水場は一服清水だけだ!」(例年このコースは3箇所水場がある)とアドバイスをいただく。こちらは、水場より残雪の多さ、空模様が気なる。
大事をとって予定より早めに04:30に古寺鉱泉を出発。三の沢清水付近で雷雲が近づき豪雨となる。しばらく、雨をやり過ごし、視界が開けたら古寺山の雪の多さにびっくり!!
銀玉水上部の雪渓は例年なくでかいしかも今年は左右雪渓が途切れることなく沢底まで続いている、軽アイゼンを装着しているとはいえ、ピッケルでステップカットを刻みながら慎重に高度を稼ぎ、
ようやく頂上へ。復路も雪渓では大変でした、何とか予定通り下山できました、お疲れ様でした。
今年の大朝日岳周辺残雪多く、ヒメサユリ開花はまだ先の様子、でも遅咲きの花が次々と緊張をほぐしてくれた。
6月18日
申し訳ないくらい、久ぶりに“農業サポート”今日はサクランボの葉摘み。もちろん、初めての作業。サクランボが色づくようにどの程度葉を摘んだら良いのかなかなか要領がわからなかった。葉を摘みすぎれば実が熟さない、あまり葉を残すと実が色づかない、その“適当さ”が結構難しいとサクランボをつまみ食いしながら作業を進める。でも、やはり、“適当”は必要なものだなと、ここ何日も悩んでいたこと適当にみんなで考えればよいのだと思えば、吹っ切れる。
“どーだ、サクランボの葉摘みは、初めてだベー!”と親方の一言、しばらく休んでいて、肩身が狭かったがこの一言がありがたかった。サクランボがどうして高価なのかようやく理解ができた、果樹王国の一市民として少しはサクランボについて語れるかな??
6月13日~14日
東京からの帰り、考え事をしていたら、そのまま北上して岩手県へ。ついでにと、焼石連峰の様子を見に出かけた。この山は、花の百名山として有名な山。岩手県・中沼登山口から頂上を往復(往復:6時間30分)するのが一般的であるが、2008年6月の震災で登山口への林道が今も不通となっている。当面は、秋田県県境に近い、つぶ沼コース(駐車場も広く、トイレ完備・往復:7~8時間)か、秋田県側の三合目登山コース(駐車場数台分有り・往復:5時間30分)を利用することになる。
悩みは解消したが、うっかり焼石岳の様子をデジカメに納めるのを忘れてしまった。代わりに
近くの栗駒山須川温泉付近の様子を写した。栗駒山山頂付近にはまだ残雪がある、中腹は白いコブシの花が盛りのようだ。焼石岳・栗駒山の情報は断然“東北百名山”にかないません。
『東北百名山』は“山と渓谷社”から1990年に刊行されました。その後2000年に『新版 東北百名山』へ、新たに2010年に『東北百名山地図帳』が新装版となって刊行されました、30年の間、多くの登山者に愛され、東北の山を知るバイブルのような存在といっても過言ではありません。
山と渓谷社から定価:本体3400円+税で発売中!!
6月5日~7日
旧知のガイド・仁井田さんのサポートで八十里越えを歩いてきた。八十里越は新潟県三条市と福島県南会津郡只見町を結ぶ街道の名称、一応、国道289号線となっているが「点線国道」。歴史的にもふるい道、中でも有名なのは、幕末の長岡藩の家老河井継之助の終焉の地として知られ、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」と自嘲の句を読んでいる。河井継之助の生涯を描いた司馬遼太郎の小説「峠」にも描写されている。
3日の予定で、1日目に吉ヶ平をベースに番屋山を登り足を慣らし、翌日から1泊2日で30㌔の山道を往時をしのびながら歩いてきた。全日程テント泊の予定と聞いていたが、偶然出会った“吉ヶ平保存会”の方々のご厚意で分校の宿泊許可をいただき、1日目は快適な一夜を過ごす事ができた。吉ヶ平は、その昔交易の中心地であり最盛期には38戸、宿屋5軒があったと言う、
詳しくは吉ヶ平ブログをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/yoshigahira2010
歴史の道だけでなく、ブナの美林、守門岳、浅草岳、烏帽子山の圧巻、道端にはスミレロード、キクザキイチゲロード、ミズバショウロード、サンカヨウロードとロードと呼べるくらいの群落が次々に現れる。
夕食のおかずは、旬の山菜を少しだけ山からわけていただきブナ林にこだまするドラミングをBGMに山中で一夜を過ごし、と魅力の尽きないコース。
仁井田ガイドの魅力と会津の山懐の深さにただ感嘆するばかり。
今年の紅葉の頃、歩いてみよう思うのですが、一緒に歩いてみませんか?
6月2日
今日は、登山研修所をお借りしてガイド協会の雪崩技術対策マニュアルつくりの打ち合わせ。ガイド協会の雪崩技術対策は2月からずっと悩んでいる課題、自分だけが抱えているわけではないが重い課題に、つい2週間ほど前には、さらにマニュアル作成も加わり、閉塞間に陥ってしまっている。
ずっとお世話になっている雪氷学の飯田先生に相談をすれば何かヒントがと思い、剣岳山開きも兼ねて、富山訪問でした。
朝9時から一時間くらいのつもりが、ついつい熱が入り、二人で文献、資料を検討、終わったのが午後2時を回っていた。山形からわざわざ尋ねた甲斐がありました。全体の構成が出来上がり、長いトンネルを抜けるようにマニュアルつくりの先が見えてきました。ついでにと帰りに、長岡の雪氷研究所の佐藤先生を訪ねいろいろなヒントもいただき、施設見学もしてきました。
理由は様々で、一つは、前夜馬場島山荘で登山研修所友の会の先輩方への近況報告&酒宴。
剣岳の山開きは、剣岳周辺で不慮の事故で亡くなられた御霊の慰霊祭も兼ねている。
地元行政や山岳関係者、山小屋関係者、山岳警備隊とたくさん方が参列する中厳かな神事が執り行われ、我々も残った棚串を神主さんからいただき参拝を済ませた。
引き続き、山開きのテープカットが行なわれ、
次に、早月小屋・佐伯氏の“剣岳の歌”が披露、
地元の方々の獅子舞奉納で幕を閉じた。
昨夜も異口同音に『元気にしていたか』と心配され、今日もまたいろいろな方から声をかけていただいた。山の仲間はありがたいな。最後に剣という焼菓子をいただき登山研修所へ向かった。