紅葉の南東北の山々研修の下見を兼ねて
霊山
鹿狼山
平和を、災害のないことを祈るばかり
10月
地蔵岳南面からみた熊野岳
三宝荒神山
何十年ぶりだろうか?
下見を兼ねて
蔵王ロープウェイ山頂駅~三宝荒神岳~地蔵岳~ワサ小屋跡~鑑松平を歩いてみた。
いろは沼
斎藤茂吉の句碑を結んで歩いてみるのも良いと思う
熊野岳には斎藤茂吉が唯一生前に建立を許可し自身でも確認した、斎藤茂吉の生家のある上山市に向いた歌碑がある。
3月
三寒四温は過去になりつつあるのでしょうか?
まさかの除雪作業で登山口まで届かず
目まぐるしく気象が変化した3月末。
移動性高気圧のスピード
上空の寒気と暖気
気温差
数時間の好天をとらえて
何とか山頂
あっという間に五里霧中
侮れない那須の山
感謝!
1/9~11
某企業からの依頼で山中に設置された気象観測機器の不具合を調査するスタッフに同行しながら行動判断などの安全管理のお仕事をいただき、栗子山周辺に、、、
南極昭和基地でおなじみのSM-30雪上車(大原鉄工製造)と再会、久しぶりに聞くエンジン音、スノーモ-ビルの排気の匂い、ホワイトアウトと南極にいるのではと錯覚してしまいます!!
10日はいきなりの大雪で、途中まで行きホワイトアウトと強風で断念。
11日 一転して好天に恵まれ無事終了。
しばらく関わりそうな、初仕事となりました。
新年明けましておめでとうございます!
昨年は唐突に休養をさせていただき関係各位、友人、知人にご迷惑をおかけいたしました。
おかげさまで昨年末より仕事もぼちぼちと再開しております、今後ともよろしくお願いいたします。
年末年始は帰省しておりました。
11月下旬ガイド協会より郵送、環境省より表彰状をいただきました。
仕事の再開にあたり幸先の良い贈物となりました、感謝!
2022.10~12月
年を重ねると共にカラダにガタが来るもので、、、
普段は忙しく、立ち止ることもないまま通り過ぎていた風景に眼をやりながら、、、
抹茶をたててみたり
2017年以来 2度目の検査入院
おかげさまで回復に向かっています。
2022.10月・ある日
2000年から自分のなかでは走り続けてつもりです、20年ぶりにまとまった休養を獲ろうと思います。
2000年3月・事故の当事者として
1998~2007年・会社の立て直しに奔走
2000年6月・店の開業のため奔走
2002~2007年・総合型地域スポーツクラブ・まいスポーツ東根設立に奔走
2007年10月・会社の整理(60年の歴史に幕)
2007年11月・店の閉店
2009年1月・ガイド組織の立ち上げ
2010年10月・村山市へ引越
2011年3月・東日本大震災・被災支援
2012~2018年・大槌町子ども支援・自然体験事業
2017~2019年・南極観測隊参加
2020~現在・ガイド協会の仕事に関わる
2022.8/22~23
日光の山
女峰山
太郎山
久しぶりの好天のなか無事登ることが出来ました、どちらも道のりの山でした。
今回も予定が立てられない目まぐるしくか変わる天候のためゲリラ行動!
1日目
栃木県の山の予定から、静岡の安倍奥の山伏山へ
2日目
天候に翻弄され早朝に焼津アルプス・高草山で大汗かいて、静岡から栃木へ移動。
展望の良い山です。
3日目
女峰山 コースタイム往復9時間前後の行程を涼しい稜線の風に救われ8時間30分でクリア。
駐車場からのいきなり階段1445段の階段が続きます、
アップダウンの連続する登山道往復約13㌔、雷雨前に終了。
4日目
太郎山
コースタイム往復7時間前後の行程。
駐車場から登山口までが長いが登山口からの行程は半分なので、昨日よりなんとなく楽に登れた5時間半、歩行距離は約15㌔です。
女峰山登山口・ニッコウキスゲで有名だった霧降高原はじめ、関東近郊の山はどこも鹿の食害で見るに堪えない風景が広がっていました、、、
8月3日
翌日からの飯豊連峰縦走のため新潟市へクルマを走らせたのですが、自宅を出るころから激しい雨が降り出し、午後1時ころの新潟県と山形県を結ぶ国道113号線はいたるところで道路が冠水、、、
一抹の不安を抱えながら新潟市内にはいりすぐにニュース、ネット情報を確認、残念ながら登山ができるような情報はほとんど入ってこない。
数日前から気になっていた台風崩れの低気圧の影響で「新潟に吹き込む暖湿流」北の高気圧、太平洋高気圧、前線、低気圧、暖湿流が絡み予想以上の降雨になったようです。
8月4日 早朝各地から被害の様子が伝わるようになってようやく中止を決断していただきました。
正直、命拾いしたそんな思いの2日間となりました。
残念でありますが安全を第一に考えた末の判断です。
ツアーは中止となりましたが、山形へ向かう幹線道路は各地で寸断され通行止めが続き数日新潟に足止めとなりました。
滞在中、飯豊登山口の様子を確認したり、切合小屋・佐藤さん実家が被災されたり
と身近に線状降水帯を感じた数日を過ごすことになりました。
合間には、おかげさまで新潟のお酒、そばを美味しくいただく時間をいただきました。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
つかのまの休養
ガイド専業で生きて行こうと決心したころ、善光寺のある長野市に滞在するようになりました。
ちょうど全てを失い、自分にできることが山に登ることだけと気づいたころです。
つらく、心穏やかにななかった時、ふと立ち寄った善光寺に手を合わせるようになり15年以上が経ちました。
御開帳も三度目でしょうか、次の御開帳迄精進しましょう。
感謝 そして 合掌
4月上旬
春の九州百名山を一気にクルマでかけ駈け廻ってきました。
一気に約1500㌔南下、関門海峡を越え九州へ、、、、
阿蘇山・烏帽子岳
火山規制の為、草千里から山頂を往復のみ。
久住連山・くじゅう山
天気が良くても、前回同様靴は泥だらけ、かなりしつこいドロです。
路面電車の軌道は芝生です、遠いところに来た感じがします。
開聞岳
霧島連山・韓国岳
霧島連山・高浪池
「天孫降臨」の舞台と言われているエリア、日本の建国神話とその歴史が始まったと伝えられている頃から日本の行く末を見つめている”大きな瞳”のようです。
高千穂の郷
最後は、祖母山
今回で一番コースタイムが長く、山らしい雰囲気の中無事九州百名山を完登いただきました。
コロナ感染対策を考えクルマ移動となりましたが正解だったようです。
3/17 青苔荘に宿泊、夜中東日本大震災を思い出させるような長い揺れに全員が目を覚ました。
翌日、地震の詳細もわからないままに予定通りシャクナゲ尾根を下り終え稲子湯温泉で解散、東北新幹線、東北自動車道が不通なので、盛岡から参加されたガイド仲間を新潟経由で盛岡市迄送ることになりました。
あまり深く考えていなかったが二日で約1,200㎞の大移動・稲子湯温泉→新潟駅→酒田市→盛岡市→自宅→国立市と長いなりました。
おかげさまで新潟で美味しい料理、
翌日は酒田ラーメン・満月でワンタン麺をいただき、
自宅に立ち寄り自宅の被害確認、翌日からの山ガイドの準備し国立へと向かいました。
まもなく、ノマド生活も終わります。