飯豊連峰
平ヶ岳からの帰り、352号線で尾瀬を越え、会津若松へ抜けてみた。
突然、黄金色の田の彼方に台形山容の飯豊連峰が見えてきた。
地元の年配の方は“いいとよさん”と飯豊山のことを呼んでいる。飯豊の恵みが田畑を潤してる様がよくわかるような気がした。
120年前に東北を旅した
旅行作家イザベラ・バード 『日本奥地紀行』
福島県(会津地方)での行程でも飯豊連峰が紹介されている。
英国の女性旅行家イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird、 1831年10月15日 - 1904年10月7日)は 明治維新からまだ間もない1878年(明治11年)、46歳の時に日本を訪れている。
サンフランシスコから太平洋を渡って5月21日に横浜港に到着。6月から9月までの3ヶ月をかけて日光から会津を通り新潟に抜け山形・秋田・青森・北海道を旅し、妹へ送った手紙をもとに、 『 Unbeaten Tracks in Japan 』(1885年)と題する旅行記を出版した。
あくまでも46歳の英国女性による限定的な視点ではあるが、百二十年余り昔の会津地方の村落も生々しく描かれている。
栃木県の日光から会津西街道(国道121号線)を北進して横川で昼食をとった後、山王峠を越え、糸沢を通り、川島で一泊。 川島の宿屋では衣食住の不衛生さを嘆くが、亭主の礼儀正しさにも言及している。ちょうど「さなぶり」のお祭りと重なったようである。
■山王峠では
「長い山路を登ると、高さ二五〇〇フィートの峠の頂上に出た。そこは三〇フィートも幅のない突き出た山の端で、 山々や峡谷のすぱらしい眺めがあった。入り組んだ谷川の流れは、一つとなって烈しい奔流となっていた。 その流れに沿って数時間ほど進むと、川は広くなって静かな流れとなり、かなり大きい水田の中をのろのろと流れていた。地図を見ると、この地方は空白になっているが、 私の考えでは、さきに越えた峠は分水界であって、それから先の川は、太平洋に向かうのではなく、日本海に注ぐのであると思われた。この推量は当たっていた。」
(“福島の山々”より http://yamayama.jp/report/izabera/izabera.htm )