富士山の登山者が急増、山に若い方が戻ってきたそんな話が聞こえてくるようになり数年が経ちます。環境や自然への関心の高まり、アウトドアブーム、山小屋のトイレがきれいになったから、山小屋の環境が良くなったからなど理由は様々なようです。高校1年の次男坊からも「好きなミュージシャンが登った富士山に登ってみたいけど・・・!」というびっくり発言に戸惑っている親父ガイドもいます。(当の本人は宿題に追われそれどころではないようです。)その波及効果なのでしょうか、富士山の次は北アルプスや南アルプスの山々を目指すのでしょうか。今夏、天候不順で登山者が少ない中、若い方の姿を多く目にしました。
中高年登山ブームと呼ばれるようになってから15年以上が過ぎようとしています。新たな登山ブームに期待を寄せている関係者も多いのではないでしょうか。ガイドも両手を挙げて歓迎したいのですが。7月下旬に出かけた、槍ヶ岳の頂上では一方通行の矢印があるのに、わざわざ大変な逆コースから登る20代の女性グループを見かけたり、大き目の綿の軍手をはめクサリにぶら下がるように降りている若い女性、見かねて「軍手は滑るので危険ですよ!」と注意したら、「でも、手に鉄のにおいがつくんです!」「???」一瞬ひるんでしまったが、「そんなことはどうでもいいから、素手でクサリを掴んでください!」。先日の南アルプスでは、農鳥小屋から奈良田へ下山中3度、道に迷ってとんでもないところを下山している方に遭遇。服装をよく見るさっき注意した方では??、同じ男性が1日のうち3回も道に迷っていました。迷った本人からは「ありがとうございます、スミマセン」の一言でガイドは少々救われました。新しい雑誌の出現も手伝ってか、新しいスタイルや華やかな服装で山に登る若年登山者が山に溢れています。小屋の環境がよくなっても、機能性に優れたウェアー、装備が充実しても、山の危険はあまり変わりがないような気がします。むしろ、地球温暖化などの影響から天候判断が難しく、急のつく変化に“自然”も“山”も“人”も追いつけなくなっているような気がします。
何度も書いてしまいますが、農鳥小屋もおじさんのような頑固親父はありがたい存在なのです。
“中高年登山者遭難”の次は、“若年登山者遭難”という文字が新聞を賑わすのでは・・・?山深い東北の山々に、若年登山者が増えるのはもう少し先の話のようです。
親父ガイドのひとり言でした。
もう一度、親友の“U”と山の話がしたかった。
“U”との出会いは、高校2年の秋、「他の高校にも、お前みたいに山の好きな奴がいるから」と友人に紹介されたのがはじまり。それからというもの、二人で毎週のようにテントを背負い蔵王へ、そして、春、冬の蔵王、3月卒業した数日後に湯の台から象潟へ半雪洞でビバークしながら鳥海山越えをしていた。
大学山岳部にいる兄の影響からか山の知識も豊富で山の雑誌の話、ヒマラヤという山を教えてくれたのも“U”だった。二人でネパール語会話集なる手書きの本を密かに取り寄せ読んだこともあった。
私は“U”の影響から山の雑誌を購読するようになり、恩師湯浅道男先生の記事と出会い、そのまま恩師のいる大学を志望、山岳部へ。それ以来30数年、いつも心配してくれていた大切な友人の一人。
そんな“U”が6月のある日入院したから見舞って欲しいと、
案内されたのは集中治療室、人口呼吸器をつけスヤスヤと眠っている“U”がいた。
その後2ヶ月は、山のガイドに明け暮れ、8月15日“U”に会いに行ったときは、彼は小さな木箱に収まっていた。
できることなら、もう一度会いたい、話がしたかった。
安らかに、眠ってください。
8月13日、久しぶりに我が家に戻り、お墓参りを済ませ、お盆休みをいただいています。7月29日~8月13日までの山の報告です!
奥穂高岳から前穂高岳へ
予定が変わり、奥穂高から前穂高岳縦走に出かけてきました。9日夕方には仙台へ移動、10日早朝新幹線で大宮へ、そこからバスに乗り換え上高地へと向かいました。台風の接近で雨が激しく降り「ツアーは中止かな~?」などと考えながら、10日発売の月刊「文芸春秋」9月号特集記事『「登山ツアー」安心安全5つの心得』を読んだり、携帯の気象サイトを開いたり迷いながら、スタッフと相談して、現場主義でと、まずは上高地へ向かいました。不思議なことに徳沢園に向かう頃には雨も止み薄日がこぼれてきました。でも、すれ違う登山者の姿を見ると雨具を着た人ばかりが目立ちます。
翌日、早朝には地震ありましたが、朝から晴れ間が広がり、思わぬ好天に感謝しながら涸沢からザイテングラートを登り、穂高岳山荘に到着。天候不順で人が少ないといえ夕食は2回入れ替え、さすが人気の高い山小屋です。 8月12日は、今夏一番の晴れではないかと思うくらい青空が広がり絶好の登山日和でした。 順調に予定通りと誰もが疑わなかったのですが?何故かガイド一人だけが心配をしていました。
いろいろとツアーガイドは大変です。穂高岳山荘までも、スタッフからは、会社で決めているペースより早いと何度か注意されたりもしましたが、でも穂高には穂高を登るペースがあると思うのです。その山に見合った歩くペースがあると・・・。
早いと言われても、昨日は徳沢から穂高山荘まで8時間弱のペースこれ以上遅いと翌日のの行動にも支障が・・・。とか。
参加者の足並みが揃わずに引き返すのは、はじめてのこと、このようなこともあるのですね。
ツアー登山のガイドは難しいですね。特に難易度の高いコースほど参加者の方々の体力・歩くペースが大きく左右されます。参加者の山の経歴すらわからないまま、ツアー会社の参加基準を信頼し、短い時間に参加者の足並みを推し測ることは大変なことだなといつも感じています。見極めには、山の経験が大きく左右するのではないでしょうか。
山登りは、経験のスポーツたくさん登らないと見えないこともあるようです。先週訪ねた農鳥小屋の親父さんの端的な言葉の一つ一つ、車中で読んだ、文芸春秋9月号の『「ツアー登山」安心安全5つの心得』(岩崎元朗)の一節一節を思い出しながら、山とは一定の距離を保てば景色・花もきれいで、心地良いものだけれど、一歩危険に近寄ればやけどをするまるで“いろりの炎”のようだなと感じた明神池嘉門次小屋での夜でした。
8/3
昨日まで、穂高を登り降り、今日は明日からの北岳登山のためクルマを下山口の西山温泉に置いて、甲府までバスと電車で移動。温泉付のビジネスホテルドーミン甲府がとれ、久しぶりに18時間ほど休養ができホッとひと息です。
気圧配置は相変わらず・・・。ここ数週間天気と根競べのような山登りが続いています。一日中晴れたのは2日?3日?太陽さえ思い出せないくらいよく降ります。
8/4 ~8 今回はじめて、農鳥小屋に泊まることができました。ネットなどで検索すると悪口ばかりが目立つ親父さんのいる小屋です。でも、ほとんどが誤解のような気がしました。スケジュール優先で、ついつい忘れがちになる山の基本を逸脱するから、注意されるのではないでしょうか。
1日目は、広河原まで。2日目は北岳肩の小屋まで、4日間で晴れたのは前半の2日だけでした。3日目は北岳・相ノ岳に登り農鳥小屋までののんびり行程、でも到着して30分ほどで土砂降りの雨でした。
親父さんの話し振りが声高に話すので“怒られた”、“叱られた”とだけとられ、山の怖さを知り尽くしている親父さんの優しさが伝わらないのだろうなと感じました。
ほとんどの山小屋が天気図も書かず、テレビの天気予報を流すだけのなか、16:00の気象通報から天気図をとり食堂に置いている小屋はそう多くないのでは。
お陰様で私たちのグループは雨の降る前に早めに着いたので、親父さんから大歓迎を受けたことは、とてもありがたいことと感謝しています。常に山の基本を忘れないように心がけたいですね。
4日目は親父さんから「急いで出ることはないぞ」とアドバイスをいただき、1時間ほど雨待ちをして出発、奈良田西山温泉へと下山、のんびりプランのお陰で展望は望めなかったけれど、雨にほとんどあうことなく安全に無理なく行動できたました。
5日目は近くの駅までお客様をお送りして、渋滞の塊が待ち受ける、東北道へとクルマを走らせました。
梅雨が明けた?明けない?と山中で天気に翻弄されてながら2ヶ月が過ぎてしまいました。台風の影響で少し気圧配置に変化も出てきたようです。13日、3週間ぶりに自宅に戻りお墓参りも済ませ人並みにお盆休みをいただいています。 7/30
7月29日~8月2日・槍ヶ岳~西穂高まで縦走を予定して上高地から入山していました。
7/29は横尾泊まり、予想通りの雨です。今夏は雨の天気予報の的中率は何故か高いなと思うのは気のせいでしょうか。
梓川の増水は雨せいなのか、気にしながら思わぬ日差しに感謝しながら槍ヶ岳へと向かいました。大曲を過ぎ槍沢が見えはじめると、残雪があらわれ以外な多さにびっくりです。
季節は8月に入ろうというのに、こんなに残雪があるのははじめてのような気がします。
残雪の槍沢ではたくさんの花を見ることができました。
梓川の増水も雪どけのせいだったのでしょう。
閑散とした、上高地から槍ヶ岳山荘へと
明日からの岩稜縦走に備え、ハーネスや装備の確認、穂先までロープを使用しながら登り方の確認を済ませながら、頂上に向かいました。
頂上には数人の登山者だけ、3人で1時間ほどガスの切れ間に見える北アルプスの展望をのんびりと楽しむことができました。
7/31 南岳山荘で朝食を済ませ、ハーネスを装着、準備万端。 北穂の売店の方から「去年も来ていましたね!」「来年?いや8月末にもまた着ますよ」と話しながら、空を眺めたり・・・!結局、夕食は北穂高小屋の定番「しょうが焼き」をいただくことになりました。
明日から再び雲行きが怪しくなるようなので、できれば西穂高まで一気に行こうと、張り切って3時30分に霧の中ヘッドライトの明かりを頼りに出発。
雨は翌日まで降ったり止んだりを繰り返し、涸沢経由で下山となりました。後半は来年の課題となりました。