4月12日
南極観測隊の荷物を下ろすため
ゆっくり大井ふ頭入港する砕氷艦しらせ
苦楽を共にした砕氷艦しらせと
乗員の皆様との再会は感無量でした!
荷下ろしを終えると
観測隊活動も一区切りとなります!
4月12日
南極観測隊の荷物を下ろすため
ゆっくり大井ふ頭入港する砕氷艦しらせ
苦楽を共にした砕氷艦しらせと
乗員の皆様との再会は感無量でした!
荷下ろしを終えると
観測隊活動も一区切りとなります!
4月11日
東京の明治記念館で
58次越冬隊・59次夏隊
帰国報告会と歓迎会が催されました。
短いとはいえ夏隊隊員も4か月苦楽を共にした中、
久しぶりの再会に安心感を覚えたのはわたくしだけでは
なかったようでした。
所属している日本山岳ガイド協会の磯野さんとも再会。
このまま帰るのはちょっと寂しいということで自然とたくさんの隊員が集まり、
二次会もそれなりに盛りあがった再会の夜。
あわただしい日々
3/23 帰国
現実へと引き戻されるように
母葬儀の為山形へ
3/25 葬儀のために帰省
帰国途中 2/19に亡くなり
喪主・長男が帰るのを待っての葬儀
父の時は、仕事の為東京へ向かう夜行バスの中
義父の時は、剣岳をガイド中に
母は、南極からの帰り しらせで、、、
仕方のないことです、、、
3/26
久しぶりに長男夫婦と過ごす時間が持て
顎が疲れほど歯ごたえのある
伊勢蕎麦を、、、
横丁とうふの
ずんだ団子食べたり
3/28 帰国挨拶
山形新聞の取材
その後、歯科健診
秋田田沢湖へ
幣会ガイド組織の
総会に向けた役員会
3/29 国立へ移動
一度は見て見たかった
国立のさくら
楽しむことができました、、、
3/30 定期健診
数値安定
気持ちも軽くなり、
はじめて皇居の桜も
楽しんできました!
4/2 辞令交付
定時退社
岩手へ
4/3 総会出席の為 岩手へ
4/4 恩人の葬儀の為 山形へ
4/5 帰国挨拶
本来は
お一人お一人
ご挨拶をと思っていたのですが、、、
山形新聞の取材を通じて
帰国のご挨拶
村山市長です
合間に
村山のラーメンたべて
日本にもどった
実感をかみしめ!
4/6
長男しかできない
諸手続き
4/7 納骨
兄弟3人で母をお墓へ送り
納骨も終え一区切りひげもそり、帰省の準備
4/8 小雪降る中 国立へ戻ります
明日から
仕事の遅れを取り戻します、、、
気持ちだけはそのつもりです!
ブログ 久しぶりに更新いたしました。
ご笑覧ください!
おかげさまで
3月23日
第59次南極地域観測隊・夏隊無事帰国いたしました。
帰国後の2週間あまり相変わらずあわただしい日々を
送っておりました。
気が付いたらクルマで3000キロ近く走り回っていました!!
昭和基地ではこんな感じでしたが
長い航海中に色も白くなり
脱皮してしまいました!
4月から懲りずに
第60次南極観測隊隊員候補として
南極観測センターに勤務しております。
近くにお越しの際は
声をかけてください!
4/3
おかげさまで第9回
東北マウンテンガイドネットワーク
総会を迎えることができました。
2009年3月個性豊かなメンバー17名が
東北各地から集まり〝誠心誠意〝ガイドを
務めてゆこうとスタートした小さな組織も
9年目を迎えることができました。
おかげさまでみなさまに育てていただき、
会員数32名の会になりました。
思い返せば、
2011年東日本大震災発生直後の総会では、
東北の山から登山者がいなくなったことを
憂いた会員の提案から、東北の山魅力を伝える
〝絆・希望プロジェクト・『東北の山さ、来ねか!』〝を
立ち上げ
ICI石井スポーツグループ様のご協力をいただき
半年の間iciclub神田・アースプラザ他等で
東北の山の魅力をお伝えしたり、
南三陸町での支援活動、
南三陸町志津川病院医療スタッフ休暇プロジェクト活動、
東日本大震災翌年2012~2017年の6年間は、
子供たちに笑顔になって欲しいという願いを
込めて企画した
「岩手県大槌町児童自然体験活動支援事業・夏休み子どもキャンプ」
(日本山岳ガイド・災害人道医療支援会Huma共催)の主幹団体として
子供たちと月山、秋田駒ヶ岳登山や野外活動などを行ったこともありました。
会員各々日々のガイドを通じて
地元の山、東北の山との関りを大切にした活動、
微力ながらガイドの育成のお手伝いはじめ、
日本の山、世界の山へと活動の場を
広げる会員も見受けられるようになりました。
これからも、設立当時の初心〝誠心誠意〝ガイドを
務めてゆこうという気持ちを忘れず
会員一同活動を続けてゆく所存であります。
これからも、
ご指導、ご鞭撻をお願いいたします。
東北マウンテンガイドネットワーク
代表 高村真司
~思い出は走馬燈のごとし~
2011年 7月~11月 絆・希望プロジェクト
iciclub神田・アースプラザ
ICI石井スポーツ宇都宮店
2011年3月~5月
東日本大震災支援活動(災害人道医療支援会Huma主催)
「高村君、この光景を見た以上は向き合って行こうよ」と
設立会員 故仙道 隆と一緒に涙を流したこともありました。
2011年4月~5月
南三陸志津川病院医療スタッフ休養プロジェクト
(災害人道医療支援会Huma主催)
医療スタッフの疲弊を憂いて、
月山志津温泉へ医療スタッフや家族を招待して
ゆっくり休んでいただきました。
2012年~2017年
「岩手県大槌町児童自然体験活動支援事業・夏休み子どもキャンプ」
(日本山岳ガイド・災害人道医療支援会Huma共催)の主幹団体として
月山での活動の様子
2016.2017年秋田駒ヶ岳の様子
田沢湖カヌーツーリング
2017年5月 エベレスト・ローツエ登頂を果たした会員
2017年11月~2018年3月
南極大陸で活動する会員
これからも
よろしくお願いいたします。
3/23
無事帰国
すぐに自宅に戻り
母の葬儀、法要、帰国あいさつ、
再び上京して健康診断と
あわただしい日々が続きました。
おかげさまで
2/19に急逝した母の葬儀
3/25に無事終えることができました。
この場をお借りして、
亡母葬送に際しまして、
多くのみなさまより
ご厚志を賜り厚く御礼申し上げます。
合掌
3/20
40日余りの航海を終え
予定通り
しらせはシドニー港へ入港。
ひさしぶりに見る緑がまぶしく感じられました。
長い間つけていた認識票
〝ドッグタグ”も必要なくなりました。
入港当日の夕方にはしらせ主催の艦上レセプションに参加
日本領事館、地元日本人会、海軍関係者を
招いての艦上レセプションちょっと人酔いしましたが、
新鮮な日本食を楽しむこともできました。
2泊3日という短い期間だったので
観光を楽しむのではなく、
博物館
教会など
シドニーの街歩きを楽しんできました。
帰路に母の訃報が届いたこともあるせいか、教会には不思議と足が向き
誰ももが参加できる”ミサ”にも参列し、大きな協会の大きな空間は不思議と
心が落ち着く感じがした。
昭和基地を離れしばらくすると
時々、オーロラも楽しめ夜は夜で
それなりの楽しみもあり、
また、
長い航海を支えていただいた
砕氷しらせ乗員のアルコール許可日に合わせ
しらせ乗員の方への感謝の気持ちを込め
”地球人会”と称して時々懇親会という別の夜の楽しみもありました!
観測隊隊員は
余った野外行動食を持ち寄り
所属、身分若隔てなく
親交を深めることができました。
最初は、参加者も少なくこじんまりと開いていたのですが
回を重ねるごとに参加者も増えてにぎやかに
おかげさまで、しらせ乗員の大半の方と
顔見知りになることもできました。
たまたま司馬遼太朗の本を
読んでいたわたくしともう一人の隊員が
坂本竜馬がよく使っていた
地球という言葉をもじって
地球人会と称しました。
2/12~3/20
2/12、昭和基地での活動を終え、
シドニー港に着くまで約6000キロ・
約40日間はしらせで生活していました。
一見退屈な日々と思われがちですが、
報告書の作成や諸々の書類作成、画像の整理、
帰国報告会資料作成などなどそれなりに
日々何かしらあるものです。
この何十年、日々時間に追われる生活をしてきた私にとって、
しらせの単調で規則的な生活、、、
考える時間をもてたこと、
分厚い本を読む時間をもてたこと、
落ち着いてDVD鑑賞する時間をもてたこと、
艦上体育
決まった時間にトレーニングができる、
同じ時間に食事ができること、
隊員同士の懇親会、
しらせ乗員の方との懇親会、
ある意味”珠玉の時間”でもありました。
しらせの食事
毎週金曜日はカレーライスの日
9付く日は肉の日・Tボーンステーキとワインを楽しめます!
時々ソフトクリームやクレープ、、、も
正月
節分
恵方巻
しらせ温泉
時節を大切にしながら、単調なしらせ生活を飽きさせないという
しらせ乗員の配慮のおかげと感謝しながら
長い航海を乗り切ることができました!
2/20
砕氷船しらせは、2/14に昭和基地を離れ、
海洋観測を行いながら昭和基地東方にある
アムンゼン湾(海)沖合に停泊して
59次隊最後の野外観測調査活動が行われました。
わたくしも、測地チームのサポート
南極地形図つくりのお手伝い
アムンゼン湾・リーセル・ラルセン山域で最後の野外支援活動、
地球の40億年前の姿がそのまま残されていると言われている場所に
立っている感激をかみしめながら南極大陸での最後の仕事を締めくくりました。
アムンゼン海:探検家ロアール・アムンゼンに因んでノルウェーの探検家
ニルス・ラルセンが探検し、命名した。
2/14 11:45 (RT)
風速:30m 気温:-3.5℃ 天気:曇り
船が風で 傾くような天候
“離岸”です
飛行甲板にたどり着くまで
手すりのつかまらないと
進めないくらいの風
しらせに乗っている
58、59次隊、しらせ乗員は
59次越冬隊との
お別れの為
甲板へ
対岸の“ふじケルン”の立つ
小高い丘の中腹に
59次越冬隊隊員の姿が、、、
「帽フレ!」
(帽子を振る)の
合図で全員
力の限り
帽子、手を振り、体をフリ
別れを惜しみました。
ここからリンク→←ここまでリンク
しらせも
2回旋廻して
最後に
大きな汽笛を鳴らし
舳先を日本へと向け
離岸
南極の冬の
幕開け、、、
2/1
58次隊越冬隊と59次隊越冬隊の交代式です。
59次隊のみなさま楽しんでください!
交代式が終わると、58次隊隊員は
しらせへと、、、
58次隊越冬隊のみなさま
おつかれさまでした!
日本山岳ガイド協会のメンバーも交代です!
昨日まで、一緒に行動を共にした”59次隊越冬隊隊員”が近くて遠い存在になってしまいました、、、
また、迎えに来るよ!
でも、越冬したかっなーッ!(笑)
1/31
第57次隊から建設がはじまった基本観測棟が完成、
最近では見かけなくなった伝統的な上棟式が
58次、59次隊隊員、しらせ艦長はじめ乗員に見守られる中厳かに執り行われ建物に命が吹き込まれました!
59次隊設営チームのご配慮をいただき、小さいですが”日本山岳ガイド協会”の旗も掲げていただきました。
これからも、ガイド協会の会員がこの南極地域観測事業に貢献でき、旗も少しづつ
大きな旗を掲げられるようねがうばかりです。
何もお手伝いできなかったのですが、
名前を刻んでいただきました、感謝!
1/22~27
ラングホブデ氷河から戻った、翌日から測地調査チームのサポート。
昭和基地から観測隊ヘリコプターで約一時間、しらせ氷河を見渡せるインステクレパネという露岩帯でキャンプを設営し
”南極地形図”つくり意義ある仕事のサポートさせていただきました。
風光明媚な調査地での
サポートでしたが、心身ともに癒されました。
1/21~27
前日、CHヘリでボツンヌーテンから昭和基地へ戻り15分のトランジット後ASヘリで
ラングホブデ氷河キャンプ入り。
4本目の氷河掘削のサポート、最後の課題・スノーモービルでの氷河上輸送も
新しいルートが見つかり2.5㌧の調査機材、キャンプ用具を20往復・4日かけてを露岩帯まで運ぶことができました。
昨年12/20からラングホブデ氷河掘削調査チームのサポートをさせていただき
ようやく任務を終えることができました。
感謝!